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【あれから】JAL123便 墜落の真相【23年】-2-

1 :NASAしさん:2008/08/30(土) 17:00:47
〜過去スレ〜

【あれから】JAL123便 墜落の真相【23年】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/space/1210995456/l50

そろそろ結論、出さないか?


446 :NASAしさん:2009/06/04(木) 07:23:28
この事故から10年経った1995年8月、当時の真相等が多く 発表される様になった。
そのひとつマイケル・アントヌッチ・ジュニア元米軍大尉の証言である。
(「週間文春」1995年9月28日号)

彼はその日、たまたま沖縄・那覇から横田基地米軍輸送機C130で飛んでいた。
日本側より14時間も前に墜落現場を発見した事実を公表した。 「あの飛行機事故のことは
10年経った今も脳裏に焼き付いて離れない。 JAL123便が管制塔に『緊急』を告げた時、
たまたま近くを飛んでいた。現場はすぐに発見出来た。墜落の2時間後にはアメリカ海軍の
救助ヘリが現場に着いた。あの時、救助にストップがかからなければ、もっとたくさんの人が
助かっていたに違いない。 日本の救助隊が現場に着いたのは、その14時間もたってからというではないか。」
「現場を確認後、グリフィン隊長は残骸の上空600メートルでそのまま旋回飛行を続けた。
私は横田基地 からの位置を測り、20分後には正確な位置を割り出して横田基地に知らせた。
やがて横 田基地から連絡 が入り、60キロ離れた厚木基地から海軍の救助隊が来ると知らされた。あと1時間で着くという。」
「彼ら(海軍ヘリ)は少し離れたところで、ラペル(ロープを使って懸垂降下すること)で二人
の乗員を地上に降ろし、検索しようとしている。ゲイリーがヘリと話している間に、私は司令部へ連絡を入
れた。 その時、司令部の命令はこうだった。 『日本の救助隊が向かっている。すぐ基地に戻るように。』
しかし私は次のように伝えた。 『海軍は救助に入りたいと言っています。』


447 :NASAしさん:2009/06/04(木) 07:24:16
すると司令部は次のように言った。 『繰り返す。すぐ基地に戻るように。海軍も同じだ。』
もはや私は『わかりました。帰還します』と答えるしかなかった。降りかけていたヘリの乗員たちは、
再びロープを登っていった。 その時、我々の900メートル上空に、日本の
飛行機が旋回しているのを認めた。午後9時20分だった。これが現場に来た最初の日本の飛行機である。」
「横田基地で待っていたのは、第316戦術航空団の副司令官ジョエル・シルズである。
グリフィン隊長が報告を終えると、シルズは 『よくやった。でもこのことは一切マスコミに話してはいけない』と言った。
理由はまったく説明されなかった。 しかし翌日のニュースは、もっと衝撃的だった。
日本の救助隊は現場を発見できず、やっと着いたのは墜落の14時間後だと言っているではないか。
私は焦って自分の地図を取り出し、墜落現場を正確に伝えたかどうか調べた。私には自信があった。
伝えた位置は正確だった。海軍のヘリは私の情報に従って現場に来たのだから、間違いない。
我々はあの時、現場の上空を飛んでいた日本の救援隊にを任せた。
それにしても、どうして墜落現場がわからなかったのか?一体、朝まで何をしていたのか?不思議でならなかった。
事故から2週間たって、私は『タイム』と『ニューズウィーク』で 生存者が4人いたことを初めて知った。
しかし残りの記事は、間違いだらけだった。生存者の一人の証言が私をぞっとさせた。
彼女は墜落後、数人の子供達の声を聞いたと言っていた。ヘリを見て手を振ったが、気づいてくれなかった
と語っていたのだ」・・・・・・と以上である。

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