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アルチュール・ランボー

1 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/03/15(木) 22:30:43 ID:zutJOhay
俺は詩人には向かない。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 22:34:38 ID:iwwRYiTC
むしろマラルメのスレを立てろ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 22:41:42 ID:ARzKVOyW
詩なんかよりも一滴の酒を

ってサントリーのCM出てたけど、あれはサントリーのコピーライターが考えたの?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:16:41 ID:PS4o6iLy
きたかRimbaud

ttp://www.ac-grenoble.fr/rimbaud/intro.htm

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:17:24 ID:PS4o6iLy
>>2
象徴派のスレがあればいいよね
ヴァレリーやマラルメヲ含めて

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:25:14 ID:PS4o6iLy
ttp://www.rimbaud-arthur.fr/

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 01:05:28 ID:4ArI9n+A
アルコール乱暴

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 14:25:59 ID:szSFTjdE
アバンチュールで乱暴

9 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/03/17(土) 21:56:55 ID:wj/aRF9/
ポエームなんて女とオカマのやることだと思ってた俺には
入りやすかったッス

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 19:37:54 ID:2wQB4keb
>>3
>ってサントリーのCM出てたけど、あれはサントリーのコピーライターが考えたの?

電通のサントリーチーム。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 02:01:19 ID:2I2pLVP2
ランボーって何が凄いんだろうか?
表現しきれていない部分も含めて、彼が言いたかったことが凄いんだろうか?
それとも彼が作り上げた、言い切った、詩作品が凄いんだろうか?

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 21:06:02 ID:V7rCUz7s
詩とは美辞麗句を並べることだろうか?
じゃあ哲学は大学教授になって本を書き高説を語るのか?
そんなのは詩でもないし哲学でもない
実際に血を流し絶望しても諦めずに生きた詩人が何人いる?
しかも一途に真実、真理を求め、その真理を諦めなきゃならなかったんだよ
しあわせの魔法を解いたんだよ

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 00:56:01 ID:VPkTnRFS
美辞麗句だなW
12は何が言いたいのか?
真実、真理ってランボーのどこにある?
彼の人生そのものか?作品か?
「しあわせの魔法」ってね、何だねそれは?


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 00:59:55 ID:VPkTnRFS
ランボー好きの多くに見られるそのナイーブさが可愛いね。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 20:24:32 ID:nkmfGcSH
ランボーを読んでるのかい?

16 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/03/23(金) 00:36:42 ID:j4eN64EV
最後の言葉は「妹よ、天国に行け。俺は地獄に行く」でなかったっけか。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 07:57:53 ID:eVOVuhzw
アル中乱暴ってのもな。
併せて、デビ夫人ならぬビデ夫人もね。

18 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/03/23(金) 12:59:00 ID:Tqb5lOJ8
アルトゥールにすべきだったな…。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 13:28:46 ID:eVOVuhzw
アーサーでもいいやん。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 15:06:27 ID:Api5xg/4
英語読みやんそれ

21 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/03/28(水) 00:23:16 ID:cPA5U6yB
単に「ランボオ」でも良かった。飾絵の良さを知らない奴は不幸だね。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 01:39:10 ID:ZP8tYeSA
全集かった?
ぼく買おうかな

23 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/03/28(水) 23:11:37 ID:cPA5U6yB
俺は自分以後のものって苦手なんだよね。
シミだらけの小林家の印鑑の押してあるの
で良いわ。

24 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/03/28(水) 23:14:16 ID:cPA5U6yB
91年頃、八重洲のBCにはまだそういうものが転がってました。

25 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/04/01(日) 00:11:49 ID:pZ8sfOC8
あと、B,W.イェイツの『ヴィジョン』とか、一生懸命読んだっけなぁ・・・。

あ、鈴木大拙の引用あってさ。

26 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/04/02(月) 22:56:43 ID:rmC4FSig
喫茶店でランボオをテーブルに置いてコーヒーを飲んでると、
若い男が「ダッセー」って言って、それを見て連れの女が
つまらなそうな顔をしたりw

俺に惚れちゃ駄目よ・・・。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 00:28:25 ID:WiqDFpLI
ttp://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/symposium/sympo2004.html

28 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/04/07(土) 00:04:36 ID:24sMwaUA
原題は「ファースト・ブラッド」。何が?

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 04:50:58 ID:Kno3oq40
トは濁らないのが通。

30 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/04/11(水) 22:15:05 ID:0aKFFJ38
通人ぶるより実践しなさい。

31 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/04/11(水) 22:47:42 ID:0aKFFJ38
歌から詩に入ったバカはポエーム板へ逝きなさい(ゲラゲラ

32 :ジョン・ランボー:2007/04/12(木) 05:45:59 ID:MO37J2iR
俺の戦争はまだ終わってねえ!

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 05:55:05 ID:2NstXVlq
>>30
男だし無理だよロリコンめw



   虱さがしの娘たち


真赤な嵐で一ぱいな少年の額(ひたい)が
白っぽい虫共に、せめて夢でも与えよと願う折から
愛らしい二人の姉が彼のベッドの傍へ来る
銀の爪、白魚のかぼそい指(おゆび)。

青嵐、乱れ咲く花をひたして吹き過ぎる
庭に開いた窓近く二人は少年を坐らせる
さて彼の露にうるおう濃い髪(かみ)を、
意地悪で、気持よいかぼそい指がかき立てる。

少年は聴いている、なよやかな花蜜のかおり薄紅(とき)いろの
姉たちの恥(はじら)い勝ちな呼吸(いき)の歌。
あふれる涎(よだれ)のみ込むか、接吻がしたくなるのか
時あってそれもとぎれる。

少年は聞いている、におやかな沈黙のうち、姉たちの
黒いまつげのまばたくのを、電気仕掛のやさ指が
わが身にわいた灰色の不精虫(ぶしょうむし)、小虱どもの
命をば大ようなその爪先でぷつりぷつりつぶすその音。

さるほどに、ハモニカの狂おしい溜息と似たような
けだるい酒の酔い心地少年の身内にのぼり、
彼は感じる、身に享ける緩急の愛撫につれて
泣き度い程の切なさが湧き上りまた消えるのを。
                              (堀口大学訳)



俺注:共・とも、聴く・聞く、共に原文のまま

34 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/04/12(木) 23:26:52 ID:J3cp1Fn9
>>33
俺がロリコンだと? 俺が幼女にしか感心のない男だとでも言うのか?

などと釣られて見るテスツ

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 19:00:53 ID:9tp7eScR
アル中乱暴↑

36 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/04/14(土) 00:25:19 ID:QF6gnpOy
大学訳なんで、ブレイクのスレかとオモタ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 05:17:34 ID:SqInlmcR
>>6
Merci beaucoup.

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 00:37:56 ID:OK67hPv5
>>34
テスツだと
このエゲレス被れが

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 00:40:54 ID:OK67hPv5
ttp://www.mag4.net/Rimbaud/poesies/Saison.html

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 00:55:15 ID:OK67hPv5
ttp://www.anthologie.free.fr/anthologie/rimbaud/saison01.htm

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 21:12:24 ID:S8abkb+N
本当にアッー!だったのかね…

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 01:40:26 ID:7JoREEPe
Il fut pédéraste passif.

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 23:20:56 ID:TFGeZeeI
épreuve

Le danger est l'épreuve du courage.

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 06:57:31 ID:88+kQdxJ
処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 ってなんか文学関係の解説本とか
ばっかり読んでるんだね

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 23:37:33 ID:/cIGwfJg
思いきり過疎板めぐりをしてみたら
どこでも居るね
糞コテってやつぁ

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 01:29:24 ID:1ZHwZAY3
ラムボオ

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 11:40:05 ID:uuU2deDQ
そうか? コテ叩きの好きなDQNならどの板にも必ずいるんだが。

48 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/13(日) 01:12:25 ID:26gkYWlj












49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 22:23:17 ID:bTXopxNZ
アルチュセール

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 16:28:46 ID:V/XIC/hK
     ____  
   /      \
  /─○―○─\   
/   (З)  (З)\眼鏡がない 
|   (__人__)  |   
/     ∩ノ ⊃  /     
(  \ / _ノ |  |    
.\ “  /__|  |    
 . \ /___ /


51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 00:55:05 ID:sNE0dZ4z
男色に染めたい

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 02:25:17 ID:mDIBhE5E
何の神に縁が深かった人?
何ていう神が好きな人?

53 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/31(木) 19:00:02 ID:MylJ23uU
創価学会に決まっておろう。それとも自分で読んで調べることの
不可能な特別な事情でもあるのか。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 19:08:11 ID:4R7LZrlZ
↑死ね喪家の狗

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 18:22:20 ID:w+kj9gmH
そうか
がっかり

56 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/19(火) 23:28:27 ID:9u91bd/e
俺の性格は鋭く痩せて来た。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 03:27:56 ID:l5NzG7KL
そうか
げっそり

58 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/26(火) 22:52:31 ID:3RoHKb+Y
俺はガツガツして神を待っている。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 01:02:40 ID:qQQKlpR4
アッ



60 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/07/05(木) 23:43:54 ID:cgyG7yfO
みんな、くろんぼうだ。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 07:43:31 ID:UD751xry
ラムボオ

62 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/07/09(月) 19:31:04 ID:FTuaStRM
 そら、科學だ。どいつもこいつも又飛び附いた。肉體の爲にも魂の爲にも、
―― 醫學もあれば哲學もある、 ―― たかが萬病の妙藥と恰好を附けた
俗謡さ。それに王子樣等の慰みかそれとも御法度の戲れか、やれ地理學、
やれ天文學、機会學、化學・・・・・・

 科學。新貴族。進歩。世界は進む。何故逆戻りはいけないのだらう。

 これが大衆の夢である。俺達の行手は『聖靈』だ。俺の言葉は神託だ、嘘も
僞りもない。俺には解つている、たゞ、解らせようにも外道の言葉しか知らない
のだ。あゝ、喋るまい。


63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 14:03:45 ID:5TQpP9Uv
Rimbaudisme

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 01:47:06 ID:pe1w1sBD
>>63
Rimbaldisme

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 00:27:48 ID:gu54f85P

ttp://www.google.com/trends?q=rimbaud

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 16:09:50 ID:GodklI0h
サランボー

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 12:32:51 ID:n+db8Z2N

ttp://www.google.com.et/search?q=rimbaud
ttp://www.google.fr/search?q=rimbaud

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 13:55:17 ID:JKaeTuYf
タランボー

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 09:23:50 ID:Re1RFLV1
ランボー原文で読むと、
楽しくなるくらい語呂がいいって言うか…

マファム・アンヌ・アンヌ・フュイ・シュル・トナーン
とか、
リズム感があるな。
「餓え」と「女」がダジャレになってるのかな。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 12:39:35 ID:Bx0+43h9
南ランボー

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 20:51:56 ID:WQRYtG43
>>69
いい詩人は、言葉の前に、音楽が湧いてくる
音楽というか、五感が全て混じった流動がリズムとともに出てくるというか。
シラーはこういってる。
「私の場合には初めのうちは特定の明白な対象のない知覚があって、あとになってようやく対象が形成される
ある種の音楽的な気分が先行し、これに続いて初めて指摘理念が現れる(シラー書簡)」
そういう心の流動が韻を生むのでしょう

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 21:33:12 ID:oZA/zqNo
>>71
そうですね。まず心の中にある種のムードというか、
stimmung(気分)が漠然と浮かんできて、
それを具体的なリズムと意味を有する
詩というかたちで定着することができるのが
優れた詩人だと思います。

73 :書き逃げ魔♪:2007/07/29(日) 11:44:55 ID:BDE/q37o
言語と概念を噛み千切りたいくらい憎悪して現実に見切りをつけ芸術鑑賞に浸ってしまっている私は、
ランボーの詩には、それを読みたいがためにフランス語の独習を始めてしまったくらい、ほれ込みました。
「イリュミナション」の中でも、私は「曙」以外は原詩はまだ読めてませんが、言語表現の絶頂にある散文詩集だと思う。
言葉というものが、どれだけの可能性をもっているのかを教えてくれると同時に、
普段、日常の言葉によってどれだけ私たちの感受性の可能性が縛られているかを気付かせてくれる。
日常の功利性、習慣的言語などは、私たちの感覚にまで鬱陶しい影響を及ぼしている。
何かを感じるときは、自分達の便宜になるように、あるいは、脳内の言語体系の干渉を受けて、何かを感じている。
しかし、ランボーの本能と感覚は、おそらく彼の完全な孤独とシニズムが人工の言語や概念を彼にしみんでしまうことを防いだことによって、
純粋なほとんど動物のような次元に保たれている。感官の完全なる開放と、生粋の本能的イメージによる、自然との接触。
「イリュミナション」にみられるああいう不思議な表現は、彼が表現しようとして表現したというより、
自然が彼に接触する瞬間の印象をそのまま装飾もなしに表現したものなんでしょう。
彼は自然との接触を、私たちであれば夢の中でしか行うことのできないような形象の把握方法で、行っていたのでしょう。
「見者の手紙」に書かれているような激越な錯乱の実践によって、ランボーは、そういう能力を手に入れ、
空前絶後の表現で、生命の神秘、自然の純粋な姿を、描くことができた。
私は「イリュミナション」を読んだ時、人間の感覚の海の臨海点へ辿り着いた途方もない航海者が、死に際に瓶に報告書をつめ、海に流し、
それを私が受け取ったかのような、不思議な生理的かつ感覚的な奇跡を感じました。
この詩集は、専門用語で解説なんか、できやしない。朝起きて、自分の気持いい夢を専門用語で感想を表現するのは、心理学者だけでいい。
専門用語を使う度、ランボーの詩想は色を失ってしまう。空に浮かんでいる色々な夢に、固定的な言語の網を被せても、風が吹けば、夢は逃げていく。
自分の心を空気のように虚心にして、夢のような詩語と戯れるのがいい。
だから「イシュミナション」の詩そのものの感想は、言葉で表現できない。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 00:46:18 ID:ADdpg2Kf
>>74
お前みたいのがいるからランボー好きなやつが敬遠されんだよ 氏ね

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 00:50:24 ID:ADdpg2Kf
うわあああああああああ

×>>74 ○>>73 ね

首吊ってきます…


76 :名無しかへらず:2007/07/30(月) 23:55:16 ID:hYttsMu9
>>73の言ってることには共感できるけど、長すぎ。
>>74は生きてて良し。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 23:48:52 ID:i4RyI2+F
http://jp.youtube.com/watch?v=4tZ9AHwI84I

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 21:33:31 ID:0Cg270sO
>>73
気持ちは分かるが、青い・・・

>>75
74でちゃんと自分の首吊ってるじゃんw
お見事!

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 21:44:02 ID:3XDQxCG+
>>73
>感官の完全なる開放と、生粋の本能的イメージ
>自然が彼に接触する瞬間の印象をそのまま装飾もなしに表現
>空前絶後の表現で、生命の神秘、自然の純粋な姿を、描くことができた
>人間の感覚の海の臨海点へ辿り着いた

小林に毒されてるよ。
俺はこう言うことを本気で信じられる人間が羨ましい。
それとも釣りなのかな?

80 :名無しかへらず:2007/08/07(火) 01:11:25 ID:UBfq4X5j
悪いところには目を瞑って
良い所に耳を傾けましょう。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 10:05:08 ID:ZFZT6++s
>>80
ガキの頃のオレの担任に聞かせたいね。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 00:28:47 ID:hcNbcRDQ
「美味しいぼ」風のの「まったり」とか「ほのかな」をかね?

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 02:55:17 ID:JBSNoRug
>>82
>「美味しいぼ」風のの「まったり」とか「ほのかな」をかね?

俺はこう言うことを本気で信じられる人間が羨ましい。
それとも釣りなのかな?




84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 00:07:48 ID:72vuGxlV
とりあえず、貼ってみよう…
http://www.youtube.com/watch?v=YotCl8xcRtk

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 12:29:52 ID:c3hN6o5E
タイトル買いして読んで見たんですが、この詩を理解するにはどんな知識が必要ですか?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 12:30:45 ID:c3hN6o5E
書き忘れましたが読んでるのは「地獄の季節」です

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 19:39:27 ID:SS+3Kem6
>>85-86
キリスト教、ボードレール、レ・ミゼラブル、それまでのランボーの半生など・・・

88 :名無しかへらず:2007/08/11(土) 20:43:28 ID:Bt4I2anl
>>85
買ったのが日本語訳なら、知識は必要ない。
誤解を恐れず読み込めばよい。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 22:56:58 ID:nR4T+WuX
Rimbaud, Arthur

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 01:59:25 ID:pvtZHHPJ
普段の生活ん中で身につけることができる
知識以上のものが必要な詩なんか、カスだ。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 03:09:07 ID:ZTmoAh5B
>>90
だが、より深く知ろうとするなら学問やその筋の知識が必要になる場合もあるだろうなw
だからといって、その作品がカスとは思わんが・・・

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 15:29:08 ID:uwSxWNF8
ニーチェでも読めば良いさ

93 :名無しかへらず:2007/08/12(日) 20:04:40 ID:9YCik1MV
ランボーをニーチェのように読むイヴ・ボンヌフォア

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 21:52:48 ID:fbeIl36s
ニーチェとランボーの共通性って何だろう?

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 21:57:37 ID:+PR2QENU
みんなヴォワイァン(見者)たれ♪

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 22:06:38 ID:fbeIl36s
見者と超人か・・・
反キリスト・・・

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 22:49:19 ID:pvtZHHPJ
>>91
そんなのは、裸の状態で読んでズッポリはまることができてからのお話。
「最初から」知識や学問を必要とし、それがなきゃ読めない、読み手を選ぶ詩なんてのは
たいがいそいつにとって贋物だ。というか、その詩自体がどうかっていうよりも、
そんな読み方で何かを感じた“気になる”行為自体が、非常に馬鹿馬鹿しく感じる。
ガリ勉かっつうの。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 23:03:14 ID:+PR2QENU
>>97
あのさー、ランボーにもいろんな詩があんの。
君みたいなウブくてナイーブでピュアピュア純真君には
「Sensation(サンサシオン)」とかいいんじゃない?


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 23:04:25 ID:pvtZHHPJ
>>98
その「いろんな詩」ってたとえば?

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 23:12:16 ID:+PR2QENU
>>99
詩集「イリュミナシオン」や「地獄の季節」かな。
予備知識なくとも感性が柔軟な人なら面白い「破格」を楽しめると
思うが、語彙や知識が不足してる人で、頭が固い人だとついていけない
かも。

例えば同じ日本人の詩として、下記の作品を君が読んだ場合、幾分古い
言葉使いについて行けるかどうかわからないが、それでも何かを感じられるか
だね。
そして、その人のバックグランドや当時の時代的な知識や教養があれば
もっと楽しめるのだが、君がそういう感性があるかどうかが分かれ目になる。

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/poetics/1172402199/40

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 23:45:35 ID:mp7+ovYN
>>97
自分は馬鹿だって声高に言って何が面白いの?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 00:31:28 ID:w/lAn7Pp
>>97
感覚的な詩は得意なようだが、考えさせる詩は苦手なんじゃないか?
それだと、自分の世界観や人生観を変えることを強要するような詩、自分のボキャブラリーを越える詩は、君は受付ないだろうね
君には金子みすずがお勧め。もちろん、彼女の詩も悪くない。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 00:53:32 ID:v2JTdlvw
>>97
>裸の状態で読んでズッポリはまる
>読み手を選ぶ詩なんてのはたいがいそいつにとって贋物だ
>ガリ勉かっつうの

俺はこう言うことを本気で書き殴れる人間が羨ましい。
それとも釣りなのかな?

104 :97:2007/08/13(月) 05:48:41 ID:ZtV4p969
>>100
その詩集ん中の、例えばどの作品よ?いろんな詩があんだろ?w
んで、どういった知識が無いと最初に面白いと感じ取れないわけ?その理由は?

リンク貼った詩だけど、これって知識云々以前に日本語レベルの話だろ。
何?このレベルの言葉づかいがお前にとっての「知識」なわけ?
つーかお前の言ってる「知識」って単に語彙なんじゃね?
それって単に詩情を感じる際にはいくらでも代変可能なもんだからね。
小林訳と宇佐美訳どっち読んでもランボー詩が持ってる詩情の本質を
(何と無く)感じることができるように。

105 :97:2007/08/13(月) 06:04:21 ID:ZtV4p969
>>102

>自分の世界観や人生観を変えることを強要するような詩
ああ?あなた創価学会員ですか?あるいはカルト信者でしょうか?
無理やりそんなもんを迫ってくる詩なんかで人生変えられるなんてうらやましいですね

>自分のボキャブラリーを越える詩
どんな詩の事言ってるのかわからないですけど、
そのボキャブラリー自体に力があるなら受け付けますよ。

106 :名無しかへらず:2007/08/13(月) 07:29:29 ID:I9mXkYLL
ランボー好きとしては>>97に加担したい気分。
鬱ひどいから傍観するけど。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 07:47:56 ID:X/1T4nBu
>>104-105
うだうだ言ってる前に原文で読めよ。
頭の悪い俗物野郎めがww


108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 07:55:54 ID:Wzk28Wq+
質問厨ウザッ

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 08:45:01 ID:zdgQOLS7
>>104-105
こういう知ったかぶったガキに作品をこき下ろされた詩人は苦笑いするしかないのだろうなw


110 :名無しかへらず:2007/08/13(月) 11:05:37 ID:TXnlD0h7
ランボーにこき下ろされたヴェルレーヌの苦笑いか。
ところでランボーとニーチェの共通点は妹の存在。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 12:17:40 ID:Rh4SCQZA
そいと一時的なインポかな。

112 :97:2007/08/13(月) 13:40:27 ID:ZtV4p969
レベルが低いレスが多すぎてため息しか出ない
原文で読めよとか
ちゃんと反駁してもらいたいもんだ

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 14:09:44 ID:d3GJL9bR
>>112
お前がなW

114 :名無しかへらず:2007/08/13(月) 15:56:03 ID:TXnlD0h7
>>97
反駁ではないが、

>語彙が「詩情を感じる際にはいくらでも代変可能」

語彙が異なれば当然そこから感じる詩情も異なってくると思うが?

>小林訳と宇佐美訳どっち読んでもランボー詩が持ってる詩情の本質を
>(何と無く)感じることができるように。

これだけど、「(何と無く)」って説得力無いよね。


115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 16:06:34 ID:g4GouDHE
>代変可能

って何だよ?
「代替」じゃねーの?

116 :97:2007/08/13(月) 16:42:09 ID:ZtV4p969
>>114
俺は“詩との初対面”の話をしてるのね。
だから細かい詩情の違いを感じわけるのに語彙は必要かもしれないが、
最初に何か大枠みたいなもんを捉える分には語彙は必要ないという立場。

>>115
あ そうだった

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 01:05:03 ID:leewTpUi
イリュミナシオンの「少年時」最強だろ。
ああいう幻視体験は忘れられない。

118 :久しぶりに書いた俺の詩だ:2007/08/14(火) 01:53:16 ID:Mu73AA6O
242 名前:吾輩は名無しである 本日のレス 投稿日:2007/08/14(火) 01:14:01
つい先日か、遠い昔のことだ。
終電間近の電車に押し込まれるように乗り込んだ時に、後ろにいた若造が、
思いっきり俺の後頭部に肘鉄を食らわしたんだよ。

俺は、さりげなくゆっくりと振り向いたんだが、若造は素知らぬ素振りでいた。
手にしていた週刊誌で、若造の頭を二三度しばきつつ、
「おら? 一言済みませんくらい言ってみんかい、ボケ!」

若造は、次の駅で降りた。若造降りがけに、俺にガン飛ばしたけど、
まるでウィンクしたみたいに、気持ち悪かったぜ。

町田は、チキン。

119 :名無しかへらず:2007/08/14(火) 11:41:14 ID:kAz17zvf
>>97
詩は「コトバ」で書く(マラルメ)

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 19:51:45 ID:t2+W57mz
むー

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 01:57:36 ID:HPqmAV+N
>>118
布袋か、貴様。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 02:01:58 ID:HPqmAV+N
おめえら、ウザ過ぎんだって。公衆便所ババァと一緒に地獄に
消えろよ。

123 :名無しかへらず:2007/08/16(木) 14:32:39 ID:u5l+KRCv
町田はチキンではなくて本物のパンクス。

>>122もかなりウザイ件について。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 23:23:05 ID:NRv3A8l/
キンチン町田日替わり定食。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 23:46:31 ID:BFqlOrlB
He said that I am Rimbaud.

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 22:04:37 ID:AIbzfUDq
あ〜、やっとうわっついた夏休み気分も終わるぜ。休みのことばっか
気になって落ち着かないったらありゃしねえ。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 22:16:03 ID:AIbzfUDq
いやぁ人生はクソつまらんに限るわ。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 22:18:29 ID:MbDtxz+N
と、正反対の人生しか識らん連中は言いたがると。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 01:05:43 ID:pURbRz++
>>102
> 自分のボキャブラリーを越える詩は、君は受付ないだろうね
自分のボキャブラリーを越える詩は感じ取れないから、誰でも受け付けないんじゃない?

>>105
贋物か本物かなんてないんじゃないのかなぁ。
読んだ人の自由だから、君が贋物だと思おうが本物だと思おうが
どうでもいいが、人に「これは贋物だ」といわない方がいいと思う。

130 :Sensation便:2007/08/24(金) 01:45:45 ID:4iAXLo/9
>>97 ← コイツ頭が悪すぎw 


131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 08:15:53 ID:1fGK0yTj
>>130 Sensation便 ← ただし、こいつにゃ負けるがな (激藁

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 23:18:20 ID:hcWVjwVD
とりあえずちくま文庫の全詩集買っといたらいい?
誰の訳がいいの?

133 :名前はいらない   :2007/08/25(土) 16:46:00 ID:qbkjvSHC
堀口大学以外。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 11:43:12 ID:xGFB6m89
>>97 ← こいつマジ精薄(プゲラ w 


135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 00:29:45 ID:K4KYqgFZ
>>133
さんきゅ。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 14:08:22 ID:VuQKfYZ0
ふたりのお母さまへってどういう意味?

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 11:47:33 ID:wjC5jkXd
ランボーが「イリュミナシオン」で定着させた様々な幻惑。

これはいったい何なのだ?


138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 12:31:12 ID:wjC5jkXd
なんだ、過疎ってるなあ。せっかくクラ板から出張して、ランボーについて
教えてもらおうと思ったのに。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 20:39:08 ID:l+IGV6fp
解説本読めば書いてあるよ

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:43:33 ID:wjC5jkXd
ありがとう。だれの解説本がいいの? いいのあったら教えて。

小林の翻訳で読んだので、同じ本で小林のランボーT,U,Vはとりあえず読んだ。
自身で感じ取るのがいいんだろうが、正直言ってサパーリだ。



141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 23:49:56 ID:S8ESvHGn
ランボー批評って、どれもアクロバティックなんだよなw
空前絶後とか、原始のヴィジョンとか、感覚の彼岸に至ってるとか、
おいおい、って思う。
革新的な表現で、清新な詩を書いた天才ってくらいでいいだろw


142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 16:29:31 ID:MiVnfCaF
マラルメの言う「原始の戯れの厳密な観察者」。

これって、小林は「古代人の呪文と同じ色彩と質量に達した」って言ってるけど、
これなんかどうなの?

小林は、近代絵画のピカソの章でも、ヴォリンゲルの「抽象と感情移入」を援用しつつ
同じような論を展開していた。


143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 17:00:48 ID:TUXgUYpZ
>>142
そのマラルメの言葉はちょっと言葉を補って訳すと
「古典的フランス詩法の厳密な遵守者」くらいの意味。
地獄の季節やイリュミナシオン以外の詩作では
ランボーは韻律・脚韻などをきっちり守っていたと。
したがってランボー没後に流行した自由詩とは
関係ないよというのがマラルメの原文の論旨だ。

小林秀雄は超絶訳。これはこれですごいが・・・

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 21:37:59 ID:MiVnfCaF
ランボーの作で重要なのは、地獄の季節とイリュミナシオンではないのですか。

それ以前の韻文詩を引き合いに出すマラルメの意図とは?

少なくとも地獄の季節とイリュミナシオンは、古典的フランス詩法の厳密な遵守者
の作品ではないですよね。


145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 22:30:35 ID:TUXgUYpZ
ランボーは生前は一部の詩人たちに知られていただけで
作品が活字になったことはなかった。
死後にいきなり遺稿が活字になったのだが,
ちょうどその頃,自由詩が流行だった。
この頃の自由詩は現在ではほとんど顧みられていない。
日本語への翻訳も柳村,荷風,大学は訳しているが,その後は少ない。
(カーン,モレアス,レニエ,等。)

マラルメのランボー論はイギリスの雑誌からの依頼で書かれたもので,
雑誌としては活きの好い情報が命だから,
当時話題の自由詩と当時話題のランボーとを結びつけて,
話題をさらに盛り上げたいところだったのだが,
マラルメはそれに反して,
ランボーは自由詩とは関係ないよ,
突然変異で現れた特殊なケースなんだよ,と主張した。

自由詩よりも,その前の世代の高踏派よりも,
さらに前の世代のロマン派よりも前の
古典派と比べるのがランボーの鑑賞の仕方として適当だと
マラルメは言っている。

そういうわけで,マラルメはランボーを
当時の流行に関わりなく古典に並べて読むべき詩人として
その独自性を評価したのだが,残念ながら
「地獄の季節」や「イリュミナシオン」については沈黙した。

ただし,たしか小林秀雄の引用だと
「最近の詩の一切の片言」みたいな訳だったと思うが,
これがマラルメが「地獄の季節」や「イリュミナシオン」にわずかながら
触れた部分で,「片言」の原語の balbutiement という語は
マラルメの語彙では,言わば“理想の詩への先駆となる言葉”といった
意味を持っていると思われるものだ。
マラルメの沈黙はランボーの死後に残された言葉の未来を見守り,
そのまま後代に譲り渡す行為だったのではないか。

マラルメのランボー論は,
同時代の者が行う評価として十分ではなかったかと思う。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 22:45:42 ID:V/XF0ghJ
>>128
こんな世界、何が面白い? 俺は好きで生まれて来た覚えはないぞ。

147 :名無しかへらず:2007/09/02(日) 22:53:20 ID:aQ/guzOU
こんな世界を好きになる気も更々無い。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 00:37:59 ID:3b3UMhDE
そうですね、ランボーは当時の自由詩とは関係ないという論旨はそのとおりだと思います。

イリュミナシオンの初版本が1886年、マラルメがランボーについて書いたのが1896年ですね。
もう十分ランボーの散文詩は世間に知られていたし、マラルメは本当に散文詩について沈黙
したのでしょうか? 重要な散文詩をさしおいて、ランボーの韻文詩はきちんと韻を踏んで
いて古典的などといったことを、わざわざこの時期マラルメほどの人が言うことでしょうか。

おそらくマラルメは、ランボーの一見混乱した散文詩さえ、当時流行の自由詩とは関係ない
と言ったのではないかと思います。

小林の引用では、「極めてクラシックな世界に対抗して生み出した魔法のような効果」と
言ってますが、これは古典派という一時代を指すのではなく、まだ詩といえば叙事詩だった
頃を広く指しているように思います。文学上のロマン主義の運動によって失われた具体世界を
ランボーが奪還したこと、またそのことによって、当時の自由詩と一線を画すということなのでは
ないでしょうか。


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 10:32:54 ID:QMLnUv6V
>マラルメの言う「原始の戯れの厳密な観察者」

小林には、「大洪水の後、蜘蛛の巣を透かして虹の橋にお祈りをあげるウサちゃん」のイメージが粘着していたのかも?w

150 :名無しかへらず:2007/09/03(月) 15:52:47 ID:txFGqD9X
本居宣長も「原始の戯れの厳密な観察者」


151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 18:28:26 ID:DnWBlI73
本居宣長の場合は、「古代の・・・」とするべきだろうな

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 21:26:50 ID:3b3UMhDE
うさちゃんってより、小林には古代人の純潔への憧れのようなものがあるね。

それに反するものを、「後世のさかしら」とか、感情移入衝動について、
「思い上がった時代の産物」とか言っている。


153 :名無しかへらず:2007/09/04(火) 11:40:35 ID:Do2v94bg
>(古代的思考)に反するものを、「後世のさかしら」とか、感情移入衝動について、
「思い上がった時代の産物」とか言っている。

事実そうだから仕方がないな。現代人の脳内は滅んでる。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 14:20:56 ID:tfvugi8O


155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 15:16:46 ID:jeggnAo9


156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 21:39:10 ID:M6iGNOjN


157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 21:48:59 ID:DlBgw0Yy
>>148 なるほど。納得できる部分があり,
自分の読みが間違っていたかな?とも思ったので
『新訂小林秀雄全集』を書庫から探し出して改めて検討してみた。

>おそらくマラルメは、ランボーの一見混乱した散文詩さえ、当時流行の自由詩とは関係ない
>と言ったのではないかと思います。
ここが納得できる部分で,確かにそうかもしれないと思う。
ただ,確証がない。マラルメが「地獄の季節」や「イリュミナシオン」を
名指しで批評していれば話は簡単なのだが。
結論を先に言うと,>>145 に訂正の必要は認められなかった。

マラルメがランボーの韻文詩を強調したのは,
ひとつには,ランボーが1880年代以降の自由詩とは無関係であるとするための
論証の必要からであり,
もうひとつには,未来において韻文詩が復活するだろうという
マラルメ自身の主張(『音楽と文芸』,「詩の危機」など)が背景にあった。

小林の「ランボーIII」のマラルメからの引用――

  彼が,精神上のエキゾティックとでも言ふより他にはない様な
  情熱の豪奢な無秩序を提げて,
  パルナス以前の,ロマンティスム以前の,
  いや極めてクラシックな世界に対抗して産みだしたその魔法のような効果を,
  見積もつて見給へ。

この箇所は小林訳としてもあまり問題のないところだ。
さて,「対抗して」というところに注目してほしい。つまり,
マラルメがこの文で言っていることは,

  「情熱の豪奢な無秩序」対「極めてクラシックな世界」→「魔法のような効果」

ということになる。つまりマラルメは,ランボーの詩に現れる「精神上の
エキゾティックとでも言ふより他にはない様な情熱の豪奢な無秩序」を,
「パルナス以前の,ロマンティスム以前の,いや極めてクラシックな世界」とは
対立するものとして捉えていたということだ(原文では "opposition")。
この「クラシックな世界」は古典主義,特に17世紀文学を考えざるを得ないと思う。

いっぽう,19世紀は考古学,博物学,比較言語学,比較神話学が発展し,
その当時の学問的成果は現在からすればかなり怪しいものではあるが,
ランボーやマラルメの世代が夢想をたくましくするには充分だった。
また他方,マラルメがエクリチュールに未来と太古を感じ取ったように,
現代の読者がランボーの詩に原始の律動を感じ取るのも故なきことではないと思う。

(長くてスマン)

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 23:59:03 ID:DlBgw0Yy
小林秀雄によるマラルメの翻訳引用がいろいろな誤解のもとになっているので,
きちんとした訳をつけておきたく思う。
もちろん,小林のランボーは,訳も評論も評論に含まれるマラルメの引用も,
すべてが読者の知性と想像力を刺激してやまないものであることは論を俟たない。
乞う,無粋なる比較新訳を忌避するなかれ。


まず,小林訳を掲げる。漢字は新字,適宜改行,空行挿入。

  詩に許された自由といふものも,更に言へば,
  奇跡によつて迸つたとも見える自由詩も,
  自己証明の為に,この人物を引合ひには出せまい。
  最近の一切の詩の片言と別れて,或は,まさしく片言が杜絶えた時に,
  彼は古代の戯れの厳密な観察者であつた。

  彼が,精神上のエキゾティックとでも言ふより他にはない様な
  情熱の豪奢な無秩序を提げて,
  パルナス以前の,ロマンティスム以前の,
  いや極めてクラシックな世界に対抗して産みだしたその魔法のような効果を,
  見積もつて見給へ。

  彼は,たゞたゞ彼が現存するといふ動機によつて点火された流星の光輝であり,
  独りで現れて,消えて行く。

  凡てさういふものは,確かに,
  其処にどんな文学的環境の準備があつたわけではなかつたのだから,
  この途轍もない通行者がゐなくても,
  以前から間違ひなく存在してゐたであらう。
  人称格は,力づくで居坐る。

(続く)

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 23:59:39 ID:DlBgw0Yy
小林の引用は原文のパラグラフ全体ではなく,
中盤から後半のみの引用になっているので,
まず省略された部分を訳す。〔 〕内は補注。

  主要な革新者たち〔カーン,モレアスなど自由詩の詩人たち〕が,
  さらにひとり,おそらくは,奇しくも,素晴らしき年長者であり,
  「楽弓を挙げた者」である,ヴェルレーヌ,を例外として,
  今日,いくらか深く直接に,アルチュール・ランボーを受け入れた
  〔実生活において忍従した/創作において影響を受けた〕
  などというということは,わが親愛なる客人よ
  〔マラルメ宅を訪問したことがある雑誌編集者への呼びかけ〕,
  疑問に付していただきたい。

以下,小林の引用部分に相当――

  それにまた韻文に許された,いやもっと上手く言えば,
  奇跡的にあのように迸った自由〔自由詩〕も,
  最後の全詩篇の片言〔「地獄の季節」や「イリュミナシオン」〕を別にして
  というかそうした片言が止んだときには,
  昔ながらの戯れ〔古典的フランス詩法〕の厳密な遵守者だった者を
  〔自己証明のために〕引き合いには出せまい。

  その魔法のような効果はパルナス以前の,ロマンティスム以前の,
  いや極めてクラシックな世界に対抗して,
  精神上のエキゾティックとでも言うより他にはないような
  情熱の豪奢な無秩序をもって産み出されたものと評価されたい。

  おのれの現前以外の動機なしに点火され,独り生じて消えていく,雷鳴の,
  彼こそは,轟きなのだ。

  すべて〔自由詩に代表される詩壇の現状〕は,
  この途轍もない通行者がいなくても,確かに,存在していただろう,
  〔それはちょうど〕どんな文学的状況も本当のところ
  彼〔途轍もない通行者・ランボー〕を準備しなかった〔のと同じ〕ように,
  〔というのも,ランボーにせよ自由詩にせよ〕個人的な特例〔ケース〕が,
  無理やり居座っているのだから。

(『文芸読本ランボー』と『マラルメ全集』も参考にした。)

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 00:11:50 ID:UIGBO77D
(ますます長くなってスマン・・・)

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 00:47:07 ID:UIGBO77D
重ねてスマン。最後の文だけ差し替えたい。

  すべて〔自由詩に代表される詩壇の現状〕は,
  この途轍もない通行者がいなくても,以後も,確かに,存在していただろう,
  〔それはちょうど〕どんな文学的状況も本当のところ
  それ〔ランボー/自由詩〕を準備しなかった〔のと同じ〕よう〔なものだ〕,
  〔というのも,ランボーにせよ自由詩にせよ〕個人的な特例〔ケース〕が,
  無理やり居座っているのだから。

先の投稿では,
「以後も」が脱落していた。
「それ〔ランボー/自由詩〕」は原文ではいずれか決定できない。

マラルメはランボーの真価を認めていたとは思うが,
当時の自由詩を貶めるような発言は一切していない。
この文ではランボーと自由詩をそれぞれ「個人的特例」としては認めて,
それ以上の判断はしていないと思う。

(もう本当にやめる)

162 :名無しかへらず:2007/09/05(水) 01:33:22 ID:NIdwbsjR
やめるこたぁない。

163 :吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 04:20:24 ID:uGnA6zW5
「イリュミナシオン」冒頭(?)の「大洪水の後」の、そのまた冒頭は、
「オスィトー アプレ ク リデー ドュ デルージュ ス フュ ラスィーズ」なのか、はたまた
「オスィトー ク リデー ドュ デルージュ ス フュ ラスィーズ」なのか?
「アプレ」があるかないかだけの違いだが、答えてくれたら天晴れ(あっぷれ)。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 21:11:33 ID:BRAUePpU
>>157さん、ご丁寧な解説ありがとうございます。とても勉強になります。

"opposition"なら、対抗の意味は明瞭ですね、はっきりと反対の立場ゆえ対抗する
という明確な意味になります。

精神上のエキゾティックとでも言ふより他にはない様な情熱の豪奢な無秩序を提げて
極めてクラシックな世界にoppositする。

「情熱の豪奢な無秩序」が、「古典的な秩序・調和」とoppositする。

そうすると、ここから>>145で仰られた、>古典派と比べるのがランボーの鑑賞の仕方として適当
という意味合いが生じてくるでしょうか?

いまひとつ腑に落ちません。


165 :名無しかへらず:2007/09/05(水) 22:37:52 ID:7eDdtVgX
コバヤシよりもブルトンとかを敷衍して論じた方が
生産的だと思うけど・・・気力がない・・・
歯が一本・・・歯が二本・・・一本足りない・・・
うらめしや・・・

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:05:56 ID:UIGBO77D
>>164 こんばんは。(また出てきてしまいました。)

>古典派と比べるのがランボーの鑑賞の仕方として適当
>という意味合いが生じてくるでしょうか?
とのご質問,いや,ランボーの鑑賞の仕方としてではなくて,
単にマラルメのランボー論はそう読むのがいいのではないか,
と言ったまでで,正直なところマラルメのランボー理解は
かなり狭いと思う。

「クラシックな世界」を古典主義としたのは,
マラルメの詩論(特に「詩の危機」)の根本に
「定型詩(古典主義)」対「破格・自由詩」という対立があるからだ。
マラルメは自由詩や破格の定型詩を,
厳格な定型詩の記憶と重ね合わせて読むように主張しているので,
ランボーに関しても持論が飛び出したのだろう。
これは飽くまでもマラルメの考え方であって,
ランボーは全く別の考えで散文詩を書いたはずだ。
マラルメの非行動主義に批判的なボンヌフォワなどは
行動的・英雄的な詩人としてランボーやボードレールを称揚している。

ついでながら,ランボーのマラルメ理解もお互いさまと言うべきか,
ヴォワイヤンの手紙」でマラルメの名を挙げていなかった。
難解な詩人同士,やはり簡単には理解し合えなかったのかもしれない。

小林秀雄の「ランボーIII」では,ブルトンを貶める一方で,
マラルメのランボー論をを持ちあげすぎている。
こういう誇張した引用や言及は小林の癖,小林節で,無理があると思う。

・・・それにしてもランボーの詩の新鮮さと衝撃は
何と言えばいいのか――

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:23:40 ID:UIGBO77D
>>163 よくわからないが・・ ヴァリアントの問題かな?
手元にテキスト・クリティックの版本がないので
ヴァリアントについては答えようがないのだけれど,
フランス語の文法の問題としてなら――

・aussitot que ... 「〜してすぐに」(ランボーの原文はこれ)
・apres que ... 「〜の後で」

このふたつはニュアンスが違うが同じような意味で使える。
しかし,

・aussitot apres que ...

は文法的に誤用。ただし,

・aussitot, apres que ...

と区切れば(文体的に冗漫だが)可能(「すぐに,〜の後で」)。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:26:46 ID:UIGBO77D
>>165 去年から数えて4本抜け/抜いただよ私わ(笑

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:46:09 ID:UIGBO77D
何だか長々書いてる割に要領を得なくて申し訳ない。
自分で「てめー何ぐだぐだふじこ」と突っ込み入れてる。

170 :名無しかへらず:2007/09/06(木) 14:07:28 ID:XBpXyX3f
>>169
なんでも来いだな。すごいな。

ボードレールとマラルメは
直接的には『夜のガスパール』の影響で
散文詩を書いたのだと思うけど、
田舎の文学少年のランボーはベルトランを読んでたのかな?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 21:31:25 ID:6TjfE+Xd
>>170 読んでいたという確証があるかどうかは知らないが,
読んでいてもおかしくないぐらいのことは言えるのではないか。

ヴェルレーヌの詩 "Nevermore" が掲載された
1867年刊行の雑誌にベルトランとマラルメの散文詩も
掲載されていたそうで,ヴェルレーヌ経由で
ランボーが読んだ可能性を示唆する研究は読んだことがある。
ただし,この本は当時の新興雑誌はすでに多数の散文詩を
掲載していたとも述べている。
(S. Bernard "Le Poeme en prose de Beaudelaire
jusqu'a nos jours", Nizet, 1959, p. 174.
うぅむ,50年近く前の本だ・・・)

それで,読んでいたにせよいなかったにせよ
ランボーとベルトランはどうつながるのかな?

172 :名無しかへらず:2007/09/07(金) 02:11:49 ID:H4vdN0Lt
>>171
ただ聞いてみただけ。
あえていえば魔術思想(表面的なサタニズムではなくて)への関心とか?

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 13:12:56 ID:EKc8oA6D
>>172 ムカッ!石炭めしあがれ!

174 :名無しかへらず:2007/09/07(金) 20:32:28 ID:bycjXB+m
>>173 失礼しました。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 21:00:11 ID:EKc8oA6D
>>174 台風は去った。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 21:25:41 ID:zPfTORDO
「あらゆる感覚の合理的濫用」について語れ


177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 00:43:48 ID:veE7rdwa
>>176
先ず隗より始めよ。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 07:48:08 ID:e9zFdPtY
いや、やはりおかしいと思いますよ。パラグラフ前半のこの部分から、すでにランボーの散文詩を
除外しているとは思えません。

  主要な革新者たち〔カーン,モレアスなど自由詩の詩人たち〕が,
  さらにひとり,おそらくは,奇しくも,素晴らしき年長者であり,
  「楽弓を挙げた者」である,ヴェルレーヌ,を例外として,
  今日,いくらか深く直接に,アルチュール・ランボーを受け入れた
  〔実生活において忍従した/創作において影響を受けた〕
  などというということは,わが親愛なる客人よ
  〔マラルメ宅を訪問したことがある雑誌編集者への呼びかけ〕,
  疑問に付していただきたい。

その前のパラグラフでは「地獄の季節」「イリュミナシオン」が挙げられてますし。
ですから、マラルメが、主要な革新者達へのランボーの影響を疑問視する論旨において、
ランボーの散文詩を含めて考えるべきでしょう。

ランボーの散文詩と、追従者達の自由詩との違いに着目することが、意外とランボー理解の
鍵になるような気がします。

ただ、マラルメのランボー理解が浅いといわれるなら、こんな議論は無意味ですね。



179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 19:51:39 ID:veE7rdwa
>>178 全然,無意味ではないだよー。
というか,議論というよりきちんと読解しようという意志を
共有しているから話が進んでいるんだと思う。
私としてはきちんと読解できれば結論がどっちに転んでも満足だ。

もう一度読み直してみる。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 23:02:31 ID:e9zFdPtY
167です。自分からやれと言われたので。

たとえばピカソは、所謂キュビスムと言われる様な絵を描くときでも、実際にモデルを使い、
それも相当長時間画家の前に座らせるそうである。ピカソは対象を凝視する。凝視のなかで
対象は解体され、ピカソがその本質と考える(感じる)ものに準じて、再構築されてゆく。
我々には見慣れない、キューブの塊のような新しいヴィジョンが現れる。

ランボーの詩作も、これと非常によく似た精神の動きのような気がする。
凝視の中で解体する自然や人間の営みが、ランボーがその本質と考えるものにより
再構築され、新しい幻惑として定着される。

全ての感覚の日常性は後退し、それ自身の自立性・独立性が剥き出しになる世界。
「ついには気が狂って、見たものを理解できなくなっても、まさしく見たものは見たのだ」と。


181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 00:47:37 ID:2YBoBr9O
>>180
「イリュミナシオン」は確かにそんな感じのする作品が多いね。
ただし、凝視などしなくても、本質を感じることなどなくても、無意味半分、具象性半分の感じで巧みに造ると同じような作品は簡単に造れてしまうw

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 08:11:08 ID:qQE8H9qW
ピカソのキュビスムの絵も、一見それらしい絵を描くことはできます。だから、ピカソにもランボーにも、
多くの亜流が現れました。彼ら本人とその追従者達との関係も、ピカソとランボーの場合、良く似ている
と思います。

そこでまた、マラルメの言葉に返りたいのですが、
「今日屈指の革新的詩人達のうち、一人でもどれほどかの理解をもって、ためらうことなく
その人アルチュール・ランボーを受け入れるものがいたなどとお考えにならないでいただきたい」

こういうことが生じることは、注意を要すると思います。


183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 18:14:00 ID:qaOZqbQE
16,7歳の気負ったガキの背伸びしたタワゴトなんだよ。
だから当人も後年は見向きもしなかった。

それだけ。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 23:14:10 ID:M4VE0zZe
>>167>>180
「モデル」と「凝視」か。
「合理的な」という形容の鍵はそのへんかもしれない。

ヴォワイヤンの手紙じたい,「全的な自己認識」をせずに,
物書きになろうとする連中を批判している。

「多くのエゴイストどもが作家として名乗り出ているし,
彼らの知的進歩を分捕る他の連中もいる」

それにしてもヴォワイヤンの手紙は
挿入詩篇も含めて非常に難しい。
なかなか読解できない。

185 :名無しかへらず:2007/09/10(月) 00:50:33 ID:nGfZAyOF
16,7歳の痛めつけられた変わり者の本気で冷静な自己認識なんだよ。
だから世間も当時は理解できなかった。

それだけ。


186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 00:58:31 ID:Oyk2uJyy
ちょっと間があいたマラルメのランボー評価のこと。

今回はプレイアード版の新しいマラルメ全集の
異本文と注にも当ってみた。
異本文については有意の情報なし。
注については後述。

さて――

>>148
>おそらくマラルメは、ランボーの一見混乱した散文詩さえ、当時流行の自由詩とは関係ない
>と言ったのではないかと思います。
>>178
>その前のパラグラフでは「地獄の季節」「イリュミナシオン」が挙げられてますし。
>ですから、マラルメが、主要な革新者達へのランボーの影響を疑問視する論旨において、
>ランボーの散文詩を含めて考えるべきでしょう。

引用のご指摘に関して,実のところ,まったく異議はない。
ランボーは韻文詩も「地獄の季節」も
「イリュミナシオン」も含めてランボーだろう。
そしてマラルメはランボーが自由詩に対して一部は関係あり,
一部は関係ない,というような主張をしているとは私も思っていない。

私が >>142>>145>>157>>164 で繰り返し云いたかったことは,
・マラルメは自由詩とランボーは無関係と主張した。
・その際,マラルメはランボーが韻文定型詩をよくした詩人であることを理由とした。
・マラルメは「地獄の季節」や「イリュミナシオン」については具体的な評価を避けている。
ということだ。基本的に意見に違いはないと思うのだが,どうだろうか。
乱文については平にご容赦を願う。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 01:00:00 ID:Oyk2uJyy
新しいプレイアード版のマラルメ全集(B. Marchal編)のランボー論に当たったところ,

  それにまた韻文に許された,いやもっと上手く言えば,
  奇跡的にあのように迸った自由も,
  最後の全詩篇〔★〕の片言を別にして
  というかそうした片言が止んだときには,
  昔ながらの戯れの厳密な遵守者だった者を
  引き合いには出せまい。

この〔★〕のところに,次のような注が付されていた。

  マラルメは,「後期韻文詩」について,『呪われた詩人達』における
  ヴェルレーヌの判断を以て自分の判断としている。

「最後の全詩篇 tous derniers poemes」とは,
「地獄の季節」や「イリュミナシオン」のことだと考えていたので,この注には虚を突かれた。
全集編者のマルシャルはこれを「後期韻文詩 Derniers vers」のことと,とったわけだ。
『呪われた詩人達』の相当箇所は次のとおり(鈴木信太郎訳),

  彼〔ランボー〕は,半諧音や,漠然とした単語や,子供つぽい或は通俗な句しか
  使用しなかつた。かくして彼は,微妙にして極めて軽快な,
  柔軟繊細であるため殆ど測り知られぬ魅力をもつた,
  奇跡を成し遂げたのであつた。

    また見つかつた。
    何が。――永遠が。
    太陽と一緒に
    で掛けた海が

ヴェルレーヌの「子供つぽい」という表現が
マラルメの言う「片言(balbutiement 子供がたどたどしく話すこと)」に
引き継がれている。

この注は尤もだと思った。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 01:03:18 ID:Oyk2uJyy
>>145 マラルメのランボー論はイギリスの雑誌からの依頼で書かれたもので,
→ マラルメのランボー論はアメリカの雑誌からの依頼で書かれたもので,
>>187 で掛けた
→ 出掛けた

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 03:13:47 ID:Oyk2uJyy
ランボーとピカソの類似。

その存在感。

シュールレアリスムとかフォーヴィスムとか
アンプレッショニスムとか,ごたまぜの展覧会があると,
その中にピカソの大したことのない一枚が混ざってたりする。
ところがこの大したことのないピカソが俄然
目を引いてしまう。
他の名作の鑑賞に目障りなほど目立つ。

天分。それはそうだろう。
名声。それは関係ない。
価格?それはもともと無縁だ(笑)
技術。時代。それらは分析できないこともなかろう。

「あらゆる感覚の,長く,広大な,合理的な錯乱」――
自ら詩人でない限り,経験は詩語の注釈に極まるのではないか。

190 :名無しかへらず:2007/09/10(月) 03:20:45 ID:nGfZAyOF
独白)balbutiement は吃音だな・・・
ランボーは日常会話のできるような人間だったのかな・・・
多数者とは全く違った脳で考えるマイノリティだな・・・

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 11:47:18 ID:1EbL3JsW
>>190
そういう捉え方もランボー神格化の一つだなw

192 :名無しかへらず:2007/09/10(月) 13:00:38 ID:lxQ0220w
>>191
実際分からない奴には絶対分らないからなw
俺にも分らん

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 06:19:05 ID:A5oksYCb
>>190
ランボーの手紙を見てみると、今時の高校生が携帯メールで使うような
隠語・俗語・駄洒落の嵐だよ。

「高校生(子供)の感性」という重要な要素を見落とさないように。


194 :名無しかへらず:2007/09/15(土) 05:34:42 ID:M16GwZzW
ランボーから「高校生要素」を引くと
純粋な詩人が残る。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 10:24:27 ID:8GkAM/2c
>>194から「高校生要素」を引くと
文学趣味の俗物が残る。


196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 17:46:04 ID:Elltu8VZ
たしかにランボーの若さというのは重要だ。
けれども高校生の携帯メールという喩えには違和感を覚える。
文化的なコンテクストの差が大きすぎるのではないか。

19世紀フランスの学制では,
リセあるいはコレージュを修了して
バカロレアに合格すれば,教育は一般的に「上がり」だった。
さらにランボーは成績優秀で飛び級を繰り返していたので,
すでに16,17歳の時点で,今の日本でいえば大学3・4年生ぐらいの
立ち位置にいたといえる。
(秀才の進路は各省庁付属大学校への入学・入省,あるいは
医学部・法学部を経て国家資格取得。でなければ起業。
当時は経済学部や理工学部などは存在しなかった。)

ところがそんな時期にパリ・コミューヌが起こって,
政治・経済・文化のすべてがひっくり返り,
これまでの学歴などが無意味になる,か・も・し・れ・な・い
状況になる。ここで秀才らしく保身に回るどころか,
家出して革命に参加しようとするところがランボーの個性だ。

また俗語・隠語に関しては,
コミュニストやアナーキストから語彙語法が
ランボーに流入したのではないかと思われる。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 18:19:17 ID:byyUfcwM
あとホモの要素も大事だよ。
パリ・コミューンの兵士にカマ掘られた可能性もあるんだから。
その後のベルレーヌとのホモ生活による情痴事件とかもね。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 23:06:28 ID:p2vSPtPE
生まれながらに老成してるタイプっているけどね。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 10:43:39 ID:/OqzGEB9
ランボーの性格形成を考えるときに、鬼のような母親の
存在も考慮しないと片手落ち

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 22:36:26 ID:Y/afvO2O
上手い振りだろ。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 14:02:15 ID:D5Fr1RBL
>>199
だけど、ランボーは晩年に母を慕ってるけどね
はたして単に鬼母だったのかな?

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 15:10:12 ID:HvkETmEu
母親の影響だけでジャワまでも逝くかなぁ?
ランボー大尉の遺伝子の所為じゃないの?
未知の世界への憧憬は確実に父親の影響だろう。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 15:51:35 ID:PTb5puUm
多分父親の不在が端を発し、
母親という最後の拠り所の不安定さが
ランボーの言う「乾き」へとなっていった

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 22:27:19 ID:S9cLwEYC
>186〜189さん、いろいろご教示ありがとうございます。おかげでマラルメの言わんとするところが、
だいぶはっきりしてきました。とりあえずマラルメのランボー論に絡んだ質問はいったんおしまいに
します。

ランボーとピカソの類似に関するご意見には全く同意です。ピカソの絵の強烈な存在感が、僕には
どうしてもランボーとダブってしまうんですよね。ふたりともヴォワイヤンだし。


205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 02:27:53 ID:ppPNwzgF
今度はピカソか・・・
ランボーは色んな人に似てると言われなすな。
シェイクスピア、ニーチェ、モーツァルト、ちょっと毛色の変わったところでは芭蕉・・・


206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 02:29:39 ID:ppPNwzgF
だが、一番似てるのは間違いなく、ガロアだなw

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 17:20:26 ID:bZBCkmWs
>>204 こちらこそ,議論につきあっていただき,誠に忝く,
お礼を申し上げます。私も勉強になっただーーー。

また他のみなさんにもお礼申し上げます。
議論を見守っていただけたこと,誠に忝い。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 17:26:07 ID:bZBCkmWs
>>197
>>199
同性愛や母親の存在がどう重要なのかよくわからないので,
作品に即して説明していただければ幸甚。
「七歳の詩人」や,猥褻な詩篇が興味深く読めるようになるのだろうか?

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 00:44:28 ID:8nVkN6Uo
>>205
ランボーが、シェイクスピアやモーツァルトに似てるって? 
誰が言ってるの?



210 :名無しが来たりて笛を吹く:2007/09/20(木) 05:04:10 ID:h/VHy5hv
ピカソはヴォワイヤンではないよな。
下敷きがあってそれを変形させてるわけだから・・


211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 21:57:53 ID:8nVkN6Uo
何によって変形させると思うのだ? 視覚の合理的錯乱によるのさ。
それにより、全く新しいヴィジョンを得るのだ。

まるでヴォワイヤンの手紙のような、激しい言葉が残されてる。


212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 14:58:03 ID:y06j9Ato
ランボーは錯乱によって新しいヴィジョンを得ただろうか?
答えは否だ。ヴィジョンを得たのではなく無かったのだ
その荒野から引き返してイルミナシオンを書いたのだ
未だにその荒野の先へ逝った者はいない

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 21:44:54 ID:K7mlxTJL
ランボー信者乙w

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 16:05:01 ID:fKQ5O3uF
>>180のレスに関して、ひとつ、問題提起していいかな?

では、ミケランジェロやダ・ビンチやレンブラントのような写実的な画家たちは、凝視したり、本質を見出したりしていないことになるのかな?
もし、そんなことはないと謂うのなら、ピカソやイリュミナシオンは、凝視の上での錯乱の意匠でしかないという見方も可能だね?・・・
また、>>189で書かれている、「存在感」があるかどうかは別の問題だよね?
どう答えてくれる?

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 18:41:41 ID:mhiV7qke
>>214
>>180のレスに関して、ひとつ、問題提起していいかな?
却下だ。180は写実主義には言及していない。
上げてもない足を取ろうとするな。

>>189は私が書いたが,これは論証できない感想だから
他人に同感されてもされなくても,あぁそうですかで終わる。

>>167>>180は(これは私ではない),はなはだ直感的ではあるが,
ヴォワイヤンの手紙を解釈しようとしたものだ。
議論を進めるなら凝視・解体・再構築,等の把握が適当かどうかを
ヴォワイヤンの手紙に即して検証すればよい。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 19:05:32 ID:mhiV7qke
>>210
「おお季節,おお城」はブーレー・パティからの借用と実証されている。
イリュミナシオンの「大安売り」は売り子の口上の模倣だ。

まぁ,ランボーの詩に「下敷きがあってそれを変形させてる」例は
いくらでもあるだよ。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 21:18:29 ID:HEvGFZ7B
180です。>>214さんの問題提起に答えます。(揚げ足取りとは思いません)

前のレスでヴォリンゲルの「抽象と感情移入」に触れました。極々乱暴に要点を言うと、
芸術衝動には、(1)抽象衝動 (2)感情移入衝動 の二つの原理が存在する。

そのうち抽象衝動はより本質的・根源的なものである。移ろいゆく不安定な自然への本能的恐怖から
逃れるため、不安定な相貌からある永遠の形象を抽出し、定着する。
感情移入衝動は、いわば客体化した自己享受であり、人間中心の世界観が支配する時代に現れる。
云わば「後世のさかしら」と言えるもの。

しかしながら、感情移入衝動は多くの成果を残しました。古代ギリシャやルネッサンス。それらの成果が
あまりにすばらしいため、芸術といえばこの感情移入衝動のことと考えがちです。
一方、抽象衝動が古代人の視点であることは明らか。現代の文明社会に生きる我々には、古代人の
視点に立ち戻ることは非常に難しいのであるが、ピカソやランボーの場合、彼らの天才と、ヴォワイヤン
たらんとする不断の努力がその困難を乗り越える。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 22:06:51 ID:sdOWdcEJ
読むのがめんどくさい文章だな

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 22:41:53 ID:y6rRk/rP
>>215
多少、挑戦的な書き方を不快に感じたのかな?
言及していないことだからこその問題提起なのですが・・・

>>217
揚げ足取りと受け取らずに答えてくれてありがとう。

ピカソやイリュミナシオンは抽象衝動に当たると謂う解釈だね。
芸術は基本的に帰納的であるべき(演繹的な例外もあるが)だと俺は考えている。
眼前のもの、具体的なものを凝視して、そこから一般的な原理なり本質なり、何かしら普遍的な形象を抽出する作業だと考えれば分かり易いかもね。
まあ、ピカソやイリュミナシオンの場合は、そこまで形式的に単純化して考えてもいいものか、疑問も残るけどね。
表現に携わる者なら、一生考え続けていかねばならない問題なのかもしれない・・・

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 23:29:38 ID:HEvGFZ7B
>>219
総体としてのイリュミナシオンが、もっと複雑で多様なものであることはわかっています。
ただ僕は、「ヴォワイヤンとは何か」という問題を考えてみたいんです。

僕には文学より絵のほうが分かりやすい。多くの画家がヴォワイヤンのような体験を語っています。
むしろ近代の画家にとって(一流に限りますが)、視覚の合理的濫用の道は、普通のことであると考えます。

ランボーは、画家が視覚において実行するところを、全ての感覚において実行する。なぜか? それは
彼がまさに詩人だからである。そんなふうに考えてみたんです。

ちなみに、「抽象衝動」と「抽象絵画」はまったく関係のないものです。
ピカソは、決して抽象画を描くことはありませんでした。



221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 23:57:33 ID:ANF/r4FM
イタイのが多いなw

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 08:00:12 ID:YP0ppbCJ
>>221
お前を含めてだろうなw

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 08:12:01 ID:wrp89+e6
215だが,話がつながっていくんなら問題なし。
もともと不快感は全然ない。
逆に不快感をあたえてしまったなら謝る。
>>142までさかのぼる話だったんだな。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 10:53:07 ID:wrp89+e6
ヴォワイヤンは「見る人」のことだから
画家との類比も当然と思う。
が,ちょっと視点を詩にもどして
ランボーがヴォワイヤンの手紙で論評した詩人について考えてみる。
いきなりランボーの詩法に掴みかかると五里霧中になるので,
外側から近づいてみようということだ。

まず,ルコント・ド・リール。
彼は第1次・第2次「高踏詩集」に詩を寄せているが,
特に後者の「カイン」で,文字通りヴォワイヤンの語を使っている。

  試練の世紀の三十年目,
  アッシリアの騎兵に囚われの身となって,
  ツルの子,エラムの子,ヴォワイヤンであるトゴルマが,
  太陽が草と壁を真っ白に照らす時刻に,
  大河の蘆に身を横たえて,こんな夢を見た。

と始まる長詩で,ここでのヴォワイヤンは,見るは見るでも,
「現実以上の真理である夢を見る者,預言者」の意味になる。
そしてランボーの言うヴォワイヤンもこれを踏まえているはず。
ただし,ランボーは,「見えないものを探り,未知のものを聞くことは
死滅した事物を精神に取り戻すこととは違う」と言って,
歴史を叙述するルコント・ド・リールの方法を批判している。
ランボーはヴォワイヤンという用語に現代の預言者の意味を
託していたのではないかと推測できる。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 10:54:05 ID:wrp89+e6
次にランボーが最も貶したミュッセ。

ランボーはミュッセのことを,
十代後半になれば誰でも書ける恋愛ポエムの詩人としてぼろくそに非難し,
「ミュッセは何も作れなかった,紗のカーテンに覆われたヴィジオンがあった,
彼は眼を閉じていた」と述べている。これは要するに
内面的な感情をいくら歌ってもヴォワイヤンではないということだろう。
ランボーによれば,ミュッセは何も見ていない。

最後に,ランボーが一応は認めた詩人から。
ボードレールやヴェルレーヌだと話がややこしくなるので,
シュリ・プリュドムからちょこっと引用すると,

  新築の家は好きじゃない,
  その顔つきはよそよそしい。
  古い家は思い出にひたり
  涙をながす未亡人の風情。

(全17節ある原詩の冒頭)
あまりにも小ぢんまりした発想ではあるが,
「工場の代わりに回教寺院を見る」とか,
「薔薇の茂みの背後」に「死んだ娘」を見るランボーの幻視に似ている。

ということで,ランボーの言うヴォワイヤンは
歴史語りでなく,感情吐露でもなく,
現在の事物の観察に基づく預言者的な(真理を求める)探究者
のことなのではないかと,取りあえず,まとめておく。

(長文かつしょぼい立論でごめんよ。)

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 12:05:45 ID:8KJp3Bd1
ルコント・ド・リールの詩の人々は、旧約の大洪水後の人たちですね。
旧約聖書では、預言者は確かに超自然の事象を見たり聴いたりするのですが、それは
神の言葉、あるいは神からの幻視に限定されるという意味合いが強いです。

預言者を選ぶのも神。預言者は神の言葉を預かり、それを民族に伝えるという役割です。
自ら見者となり、自らの意思で見るとい意味合いはないですね。

仏訳の聖書では、預言者はヴォワイヤンと訳されるのでしょうか?

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 13:17:37 ID:wrp89+e6
預言者はフランス語でも普通はプロフェット prophète というけど,
ヴォワイヤンともいう。

ヴォワイヤンの語義として,
(1)視覚を享受する者(目が不自由でない健常者)
(2)一般大衆には隠されている物事,五感と理性との範囲外にあることを知る人物
があり,さらに(2)の中に,
(宗教的用法)預言者
(超心理学的用法)占い師(水晶玉で現在過去未来を見通すような)
(特殊な用法)詩人(事物の外観を超えた知見をもつ者)
(転用)心理的な洞察にすぐれた者
といった意味がある(トレゾール仏仏辞典)

>自ら見者となり、自らの意思で見るとい意味合いはないですね。
確かに「意思」というか「意志」もランボーのヴォワイヤンの特徴だね。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 13:31:38 ID:ZNoh3NDf
俺の仏和では
voyant(e) は預言者ではなく予言者となってるぞ

名詞
1) 先見者, 千里眼の人, ((聖書)) 予言者.
2) 〜e 女占い師.
3) 目の見える人(盲人に対して). ↔aveugle.

クラウン仏和辞典(昭和 53 年 2 月 1 日  発 行)

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 13:39:38 ID:wrp89+e6
いっぽう,プロフェット prophète も同じ辞典で調べてみると,

宗教用語
(1)神々の託宣を解釈する者(ギリシア・ローマの神官)
(2)神がおのれの意志を伝えたり説明したりするために選んだ者(聖書)
(3)(特に)イエス・キリスト
(4)(回教では)マホメット

転義
(1)透視力 voyance や本能によって出来事を事前に予告する者
   (詩人・哲学者・預(予)言者・占い師など)
(2)観察や合理的分析によって出来事を事前に予告する者
   (病状を見通す医者など)

ランボーの言うヴォワイヤンは,
転義のふたつの意味を合わせつつ,
宗教用語としてのプロフェットからも
大衆を導く者のニュアンスを取り込んでいるように思う。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 13:50:39 ID:wrp89+e6
>>228
預言者も予言者も「あらかじめ言う者」で同じなんだけど,
「ヨゲンシャは占い師とは違うぞ」と言いたいキリスト教徒が
預言者を「神の言をあずかる者」と読みなおして,
占い師の予言者と区別してるんだ。

「((聖書)) 予言者」でも間違いではないが,
キリスト教徒からはクレームがつくかも。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 13:54:52 ID:wrp89+e6
クラウン第6版(2006年)では

((聖書)) 預言者

になってた。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 14:10:51 ID:8KJp3Bd1
聖書で神から受託される言葉は、将来の予見に限定されないので、聖書なら預言者が正しいですね。

ところで、ランボーの場合、事前に予告することよりも、透視力あるいは観察そのものの
性質が問題になりますね。

(1)透視力 voyance や本能によって出来事を事前に予告する者
   (詩人・哲学者・預(予)言者・占い師など)
(2)観察や合理的分析によって出来事を事前に予告する者
   (病状を見通す医者など)


233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 14:53:53 ID:wrp89+e6
「出来事を事前に予告する」というのも
あながち間違ってはいないのではないか,と思う。
といってもいわゆる未来予知ということではなく,
詩人・芸術家の感覚が人々を変えていくという意味でだが。

たとえば枯葉がひらひら舞っているときに
ヴァイオリンの音色を感じたり,
夏の夜明けに対して「抱く」感じを覚えたり,
写実でないポスター絵があちこちに貼ってあっても
奇異に感じなかったりするというのは,
ヴェルレーヌやランボーやキュビストが
未来の人々の感覚を予告してたということに
ならないでもない。まぁ,結果論だ。

とはいえ,やはり(非合理的な)透視力や(合理的な)観察が
ランボーにおいてどう絡み合ってるのかが焦点だろう。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 18:56:13 ID:8KJp3Bd1
これは(たぶん)ボードレールやヴァレリーを源流とする考え方だと思うが、
通常我々の感覚は、我々の行為の合理性を保証するために、我々の悟性に
従属するように機能する。

絵画の歴史において、はっきりと意識してこの従属関係を断ち切り、悟性の
呪縛から感覚の純粋性を開放する道を進んだのは、19世紀フランスの印象派
の画家たちだ。

小林は、ランボーVで、この純粋視覚の経験を、ランボーのヴォワイヤンの
定理にも応用しようとしているが、どうもいまいち納得できない。

画家の場合、純粋視覚の実験から得たヴィジョンをそのまま画布に定着させれば
よいのだが、詩人の場合、そこからどうやって言語による表現に飛躍するのだろう。

そもそも言語とは悟性の所産ではないのかな。あらゆる感覚の合理的錯乱から、
言葉の錬金術に至る道とは?


235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 20:57:38 ID:wrp89+e6
>>234 えーと。「ランボーIII」じゃなくて「近代絵画」だと思う。
「近代絵画」を読み直す時間と気力がないので大まかになってしまうが,
しばらく考えてみる。

>画家の場合、純粋視覚の実験から得たヴィジョンをそのまま画布に定着させれば
>よいのだが

画家にしても,そう簡単ではないのではないか。
「近代絵画」のモネの章では光学理論(プリズムによる太陽光の分解),
ドガの章では写真(馬やバレリーナの動作の瞬間的な撮影)と比較して
画家の追い詰められた状況を語っていたと記憶する。

また「近代絵画」は美術批評家・詩人ボードレールの章から始まっていて,
この前衛的な(とはいえ実人生ではむしろ敗者だった)批評家・詩人の名のもとに
クールベからマネを経て印象派の画家たちへと続く道筋を描き,
リアリスムを(視覚の面で)徹底したところに印象派の本質があるとすると同時に
反主流・反アカデミスム・反俗の流れとして印象派を捉えていたと思う。
絵画には題材からデッサンから描き方から細かい決まりがあって,
それに反することは自殺行為に近かった。

つまり,画家は当時の新しいテクノロジーに圧迫され,
(実際,写真の登場で肖像画家は軒並み失業したのではないかと思われる。)
(アカデミックな権威に得た一握りの画家は延命できたはずだが,)
なおかつ純粋視覚の実験などやっていた日には,
いつのたれ死んでもおかしくない状況だっただろう。
(それでもやったのは偉い,と小林は捉えていたのだと思う。)

以上は反論ではなくて,フォロー。
さて,それでは詩はどうなのか。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 20:58:24 ID:wrp89+e6
詩について,小林はどこかで音楽との比較をしていた。
(「近代絵画」ではなく別の評論だと思うが,今ちょっと探せない。)
音楽の楽音(楽器のドレミファ)と躁音とは誰でも聞けばわかるが,
詩では,詩的な言葉と日常言語を区別するのは難しい,
その難しいことをやったのが象徴派の詩人たちだ,という論旨だった。
ランボーというより,マラルメかヴァレリーの論を敷衍したものと思われる。

小林の音楽と詩の比較も突っ込みどころはいろいろあるのだが,
それはさておくとして――

ここでようやく,

>詩人の場合、そこからどうやって言語による表現に飛躍するのだろう。
>
>そもそも言語とは悟性の所産ではないのかな。あらゆる感覚の合理的錯乱から、
>言葉の錬金術に至る道とは?

という疑問に合流できる。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 21:01:31 ID:wrp89+e6
詩について,小林はどこかで音楽との比較をしていた。
(「近代絵画」ではなく別の評論だと思うが,今ちょっと探せない。)
音楽の楽音(楽器のドレミファ)と躁音とは誰でも聞けばわかるが,
詩では,詩的な言葉と日常言語を区別するのは難しい,
その難しいことをやったのが象徴派の詩人たちだ,という論旨だった。
ランボーというより,マラルメかヴァレリーの論を敷衍したものと思われる。

小林の音楽と詩の比較も突っ込みどころはいろいろあるのだが,
それはさておくとして――

ここでようやく,

>詩人の場合、そこからどうやって言語による表現に飛躍するのだろう。
>
>そもそも言語とは悟性の所産ではないのかな。あらゆる感覚の合理的錯乱から、
>言葉の錬金術に至る道とは?

という疑問に合流できる。

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 21:02:34 ID:wrp89+e6
誤爆しちまった。失敬!

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 21:32:37 ID:wrp89+e6
19世紀の文学には絵画のアカデミスムと同等の規範はなかった。
絵画の分野には画家としての準国家資格(新人賞)としてローマ賞があり,
官展に当選すれば国家公認の画家になれたが,
文学にはそういう評価システムはなかった。

文学の規範,というか成功への道は(やや極論に傾くが)
韻文定型詩で劇詩を作り,コメディー・フランセーズで上演されること
に尽きていて,
19世紀前半にはまだ小説家になっていないバルザックが
無謀な劇詩の創作を試み,
19世紀後半にはまだ純粋詩人になっていないマラルメが
これまた無謀な劇詩の創作に励んだ。

小説は当時の新興メディアである新聞とともに,
義務教育による識字率の増加に比例して振興した。
(ランボーの親くらいの世代から識字率は向上した。)

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 22:01:22 ID:wrp89+e6
韻文定型詩で劇詩を作り,コメディー・フランセーズで上演されること
が一番だったが,次点としては
劇詩でなくても韻文定型詩を作ることが作家への道だった。

(散文だけで作家を名乗るのは
相当の学歴か社会的地位を得ていなければ無理な状況。
小説家というのは当時はまだ確立した地位ではなく,
まったくのベンチャー産業。現代でもそうかもしれないが。)

主流からすれば,「詩人」と「劇作家」は同義語だった。

で,ランボーにもどると,
彼にも(画家たちにとってのアカデミスムと同様に)
韻文定型詩,さらに劇詩という規範があったということ,
なおかつ,まったく劇詩を志向せず,
当時の詩人・作家の辿る道をまったく外れていたこと,
は明らかだろう。

以上は,
>そもそも言語とは悟性の所産ではないのかな。
という疑問に対して,詩の分野でも規範的なものがあることを述べた。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 22:06:32 ID:wrp89+e6
>あらゆる感覚の合理的錯乱から、
>言葉の錬金術に至る道とは?

これはまずヴォワイヤンの手紙を分析する以外に
理解の端緒はないだろう。

逐語的に理解を積み重ねるほかないと思う。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 22:20:50 ID:wrp89+e6
>>234 にヴォワイヤンの手紙そのものを
もちろん翻訳でいいので
精読して欲しく思う。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 22:31:54 ID:ZNoh3NDf
>>230
実は俺もクリスチャンなんだが
混同は良くないな
聖書では占いを信じてはいけないので

prophète も引いてみたが
男名 予言者だった

prophétie
女名
予言, 予想

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 23:47:21 ID:wrp89+e6
>>243 私はキリスト教徒ではないけれども
やはり混同はよくないと思う。

辞書の業界にも事情があるとは思うが
(字面が込み入ってると一般大衆に売れにくいので
なるべく簡略した文字を使いたがる)
辞書の本来の役目を果たしてくれないと困る。
日本語では預言者と予言者ははっきり分けるべきだ。

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 00:41:23 ID:Eu3Jbxrg
ヴォワイヤンの手紙は、自分の手元の本には、どれも部分的な引用ばかりなので
今度書簡集入手して読みます。ランボーの書簡は翻訳だと誰のものがいいでしょう?
ご存知でしたら、ご教示いただければ幸いです。


「近代絵画」の中でか、あるいはなにかの対談だったか、次のようなことを言ってますね。
マネやモネから、ゴッホ・ゴーガンに至る道のりは、ボードレールからヴェルレーヌ・ランボー
に至る道のりと全く同じだ、と。

純粋視覚の実験の道を一筋に進んだのはモネですが、ヴァレリーが見抜いたように、この手法は
人間の精神の一部しか関与しない弱点を孕んでいて、画家たちの反抗は早かった。

ヴァレリーの「ドガ論」を読むと、人間の全ての精神領域が関与する芸術を「大芸術」と呼び、
かつてはそういうものが存在していた、というようなことを言ってます。

ちなみに、ヴァレリーの「ドガ論」によると、写真術の発展は、「鳥の飛翔について、レオナルド・
ダ・ヴィンチと、浮世絵の正しさを証明するもの」だそうです。レオナルドは思索によって、浮世絵
作家は観察によって、真実に至る。


雑談めいた話で恐縮です。



246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 15:26:37 ID:ky2Kiedp
ランボーは見者になりたかったのだろうが
なれなかったんだよ、否、止めたのかな…
とにかく、預言者とか予知とかの謂じゃないよな
呆れた方向違いの議論をしてるぜ、あほだ

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 17:06:42 ID:oCHikiLu
>>234
>詩人の場合、そこからどうやって言語による表現に飛躍するのだろう。

だから、>>214が「凝視の上での錯乱の意匠でしかないという見方も可能だ」って言ってるじゃん。
表現にする以上、絵画であろうと文学であろうと(文学ならなおさら)、純粋経験とか基本的にあり得ないんだよ。
あるいは、本質とか純粋経験とか表現したつもりになっても、何か別の「意匠」になっちまうんじゃねーのかな?
だから俺は、そういうアクロバティックはダメだ、って口を酸っぱくして、いつも言ってるw

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 21:05:20 ID:U/sWGUJk
ランボーは結局のところ何になりたかったのか。
そのために取った手法とは。
またその手法は結果的に正しかったのか。

気をつけなきゃいけないのは、
ランボーの追い求めていたものに大仰で未知のもんを付加しようとすること。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 21:30:19 ID:i/1OQKN5
>>245
ランボーはフランスでも日本でも今なお研究が進んでいるので,
解釈の精密さという点で翻訳は新しいものほど良い。
(ヴェルレーヌは日仏ともに新しい文献がほとんどない。)

ヴォワイヤンの手紙も含めて,青土社のランボー全集が妥当だと思う。
いささか高価なのが難点だが,部数が出そうもないので仕方ない。
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%E9%A5%F3%A5%DC%A1%BC%C1%B4%BD%B8

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 22:52:44 ID:Eu3Jbxrg
>>247
ピカソの絵は、所謂意匠というようなものから、全く遠くにいるように思います。
やはりそれは、ある種の感覚行使の強行の結果としか考えられません。
(証明することはできませんが)

多くの亜流たちは、キュビスムを意匠あるいはアイデアとして受け取ったが、
彼らには、ピカソの製作の根本的動機が欠けている。

ランボーからは、ダダやシュールリアリスムが生じたとされるが、彼らもやはり、
ランボーの詩作の根本的動機を欠いている。これがマラルメの言葉の真意なのでは?


>>248
ランボーの追い求めていたものとは? 是非ご意見を聞かせてください。


>>249
ありがとうございます。早速注文して読んでみます。



251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 23:47:59 ID:waHyLf4M
>>250
まあね、単なる意匠ではない何かしら根源的なもの(根本的動機)があるように思わせることも才能であり力量だとも言えるからな。
俺はそれは幻想だと思ってるがねw
しかし、逆に考えてみれば幻想を喚起する「無」があるとも言えるかな? それを根本的動機と言えば言えなくもない。
ありきたりの陳腐な恋情とか切なさとか、そんなものを対象にしていないだけでも非凡かもな。
ピカソにしてもランボーにしても、実感をうまく表現する才には恵まれているかもしれん。それがあると単なる形式や意匠に堕することのない魅力のある作品に仕上がる。


252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 23:47:48 ID:iU8llrlY
>>245 非常に興味深い。

>「近代絵画」の中でか、あるいはなにかの対談だったか、次のようなことを言ってますね。
>マネやモネから、ゴッホ・ゴーガンに至る道のりは、ボードレールからヴェルレーヌ・ランボー
>に至る道のりと全く同じだ、と。

小林秀雄はベルクソンとヴァレリーを読んで批評家として自己形成した。
が,ここで留意すべき点がある。それは
ベルクソンもヴァレリーも共に「純粋○○」という用語を使ったのだが,その実質が異なることだ。
ベルクソンが「純粋経験」というときは,一般人として哲学的反省が働く以前の経験ということであり,
ヴァレリーが「純粋視覚」,「純粋詩」というときは芸術家の純粋な感覚経験ということであって
両者は字面は似ているが,非なるものだ。

哲学者であれ詩人であれ商売人であれ役人であれ,
人は普段の行動で哲学的反省などしないで単に経験している,それが純粋経験だ。
たいていは哲学的反省などしないし,しても文書に残らない。
その純粋経験を哲学者が反省する時に,知が経験にどれだけ肉薄できるかが試される。
これがベルクソン・小林の設問だ。

いっぽう,芸術家は創作の瞬間を生きる。
画家が純粋視覚を生きるのは絵筆がカンバスに触れる瞬間であり,
一筆々々が直前の一筆の訂正であり次の一筆への問いかけである。
画家は何かを見終わってから,描くのではない。
描きながら見て,描くことによって視覚がますます純化する。
これがヴァレリー・小林の設問だ。

詩人ヴァレリーにとっての純粋経験は
詩を書くときの語の取捨選択にしかない。
記憶を言葉によって再現する行為も
未だないあるべき姿を創造する行為と同等であり,
その行為は単語を取っては捨て,構文を組み替えていく行為,
すなわち詩作の現場にしかない。

ランボーの,ヴォワイヤンの詩法はどうなのか,
深く考える機会を得られてありがたく思っている。

(以上,引用なし(証拠なし)で述べたが,
求められれば引証の用意はある。)

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 01:05:12 ID:jq/kJSBB
なるほど、ベルグソンですか。ヴォワイヤンの詩論を考えるとき、ベルグソン的視点を
応用してみると、非常に面白いかも知れませんね。

「純粋視覚」を言うだけでは何か欠落感があるんですよね。


「ランボー全集」もう届きましたよ。じっくり読んでみます。







254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 02:50:05 ID:mqYz6xPi
ランボーを考える時、参考にしなければいけない哲学者はベルグソンじゃなく、デカルトとスコラ哲学だよ。
ベルグソンはあくまで小林。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 23:07:24 ID:jq/kJSBB
デカルトですか。ランボー研究では定説なのですか? 無知なものですいません。

ランボーには、デカルトの方法的懐疑といったものはあまり見当たらないように思いますが。

ぜひ、詳しく教えてください。


256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 23:47:11 ID:4mMjO73Z
>>255
いや、デカイ口たたいたけど、そんな深い意味じゃなく、時代的にベルグソンは後なのでw
それに「地獄の季節」の中だったか、カテシスム(デカルト主義)の単語が出てきたはず。
現代のフランスの学生に聞いても、デカルトは最も偉大な英雄的な哲学者と思ってるらしい。スコラは、キリスト教との関連ね♪

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 21:53:25 ID:ecAiz9bq
イザンバール宛て、見者の手紙。

私は考える、というのは誤った言い方です。ひとが私を考える、と言うべきでしょう。
私とは一つの他者なのです。


この部分は、通常、近代的自我批判、あるいはデカルト批判と考えられているようですが。



258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 01:18:16 ID:QoSygSgY
>>257
その通り。
でも批判から思考は始まるので、ランボーを考える上でデカルトは参考にすべき哲学者ではあるかもね。
ところで、「ひとが私を考える」の「ひと」とは何か?「私」でないことは確かだけど・・・

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 21:18:38 ID:t+GxyYxL
カテシスムとカルテジアニスムは別物ではないかと。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 00:01:15 ID:oLiou4yV
仏語わかりません。英語の think of me のイメージなのかな。

和訳だと、「私を」は、はっきりと目的格だが、英語だと、考えるという行為と私という対象
がなんとなく一体感のあるイメージがある。

原文のニュアンスはどうなんだろう。


261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 03:50:16 ID:5CmKEgTK
>>256
>>259
「俺は自分が地獄にいると信じている、だから俺は地獄にいる。カテシスムの実行だ。」
(小林秀雄訳「地獄の季節」より 地獄の夜 から抜粋)
これのことじゃないかな?
文脈から言って、このカテシスムはデカルト思想のことだろうね。
原文は手元にない。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 08:15:42 ID:oLiou4yV
もう一箇所、錯乱Tにも、「カテシスムを習いにいく少女のように」というのがあります。

カテシスムとは、公教要理のことではないですか? 

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 09:09:02 ID:OfrLMF/0
カテキズムではなくカテシスムか

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 10:48:29 ID:oLiou4yV
日本語の表記の違いで、同じ意味ですよね。

>文脈から言って、このカテシスムはデカルト思想のことだろうね。

ご説明をおねがいします。


265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 11:19:29 ID:Jj9OrA/s
>>264
「俺は自分が地獄にいると信じている、だから俺は地獄にいる」

「我思う、故に我あり」

文の構造、論理が同じですね。

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 12:54:28 ID:XfMsNyAB
カテシスムの辞書的な意味は公教要理で,
本来カルテジアニスム(デカルト主義)とは無関係だ。
>>262 の引用は本来の公教要理の意味で,
「信じやすいウブな少女」ということだろう。

>>261 の引用箇所では確かに公教要理とデカルト主義が絡んでいる。
キリストの教えを「信じる」ことが福音の道だという公教要理と,
我「考える」ゆえに我が存在するというデカルトの名文句が
絡み合っている感じだ。

原文で比較すると,
デカルト Je pense, donc je suis.
(私は考えている,従って私は存在している。)
ランボー Je me crois en enfer, donc j'y suis.
(私は私を地獄に於けるものと信じている,従って私はそこに存在している。)

構文はそっくりでデカルトのパロディと言えるが,
ランボーは「私を」「地獄に於けるものと」「そこに」
の語を添加している。「地獄」はデカルト哲学とは無縁の語彙であり,
さらに動詞を「考える」から「信じる」に変更して
「地獄の夜」の反キリスト教的な文脈になじませている。

とはいえランボーはデカルト哲学やカトリックの教義そのものに対して
哲学的にあるいは神学的に反論しようとしたのではなくて,
財産と参政権を得た近代ブルジョワジーの道徳的標語に低俗化し
成り上がり者の公教要理に堕落したレベルでのデカルトの文句
(たとえば「我,思想す,ゆえに我,〈一票として〉存在す」
などに容易に転化しうる)を皮肉ったものだろう。

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 12:54:58 ID:XfMsNyAB
>>257>>258 イザンバール充てのヴォワイヤンの手紙の
「人が私を考える」について。

意訳すると,
「他人どもが私が何であるかを考えてる,私の存在を規定しようとする」
といった意味になると思う。

もちろんデカルトの「我思う」の言い換えだが,
手紙の文脈に沿って理解する必要がある。
この手紙は,「人間は社会に責務を負っている」と
説教したイザンバールに対する,
「僕には僕自身が原理だ」という
ランボーからの反論だ。

おそらくイザンバールは,秀才ランボーに学歴を積んで
出世するように勧めたかったのだろう。
それがランボーの「責務」だと。
詩はせいぜい趣味にとどめておけよ,と。

しかし,イザンバールの言う「責務」,社会における個人の存在意義は,
「社会」という他人から規定されている。
にもかかわらず,イザンバールはそれを自己の意志だと思い込んでいる,
とランボーは言いたかったのだろう。
「無自覚な野郎は糞でも食らえ,自分でもわかっていないことに
詭弁を弄しやがって!」とランボーは罵る。
「あなたは僕にとって教育者ではありません」とも。
とんだ不良学生だとイザンバールは仰天しただろう。

いっぽう,ランボーは自分自身を原理として,
詩人であると自覚した。「現在,放蕩のかぎりをつくしている」。
しかし,自分が悪いわけではない。
自分を型にはめようとしている社会が悪い。

大体,こんなふうに読めると思う。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 13:39:04 ID:xPzSTV0J
ダンテのパクリ詩人か

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 14:22:47 ID:oLiou4yV
>「他人どもが私が何であるかを考えてる,私の存在を規定しようとする」
>「僕には僕自身が原理だ」というランボーからの反論だ。

そう考えると、それに先行する「私は考える、というのは誤った言い方です。」
が不可解になりますね。ここはやはりランボー的方法序説なのでは。
それにこの部分は、イザンバールに対する一連の苦情が終わり、見者を語るパラグラフ
のなかに含まれているのに注意してください。


>私は考える、というのは誤った言い方です。ひとが私を考える、と言うべきでしょう。
>私とは一つの他者なのです。

私、ひと、他者。

これにつずく木片とヴァイオリンの比喩と関連づけると、私=木片、他者=ヴァイオリン(=見者)
なのは明らか。

では「ひと」とは? 前後に関連しそうなキーワードを求めると、客観的な詩、別の手紙で
普遍的言語活動。どうもランボーは見者をある普遍的存在と見ていたふしがある。

おそらく、「ひと」も、客観化された見者。


270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 15:03:38 ID:XfMsNyAB
不可解ではないと思うが・・・
ごたごたするので反論はなしにしておく。

なお,パラグラフの区切り方は刊本によって違いがあり,
手書きから活字に起こす際に編者の意図が混入しているようだ。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 17:47:18 ID:OfrLMF/0
カルテシアン座標なら知ってる

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 18:16:44 ID:Lwe+nc0N
>>266-267
お見事。
ただし、「人が私を考える」については>>269の意見に賛同する。
この「人」を社会と捉えたのでは面白くもなんともないし、「私は一個の他者である」という台詞がこれほど人口に膾炙することもなかったと思う。
俺はこの「人」が「見者」か、もしくは、もっと抽象的で超越的な「何か」であると考えたいねw

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 02:35:44 ID:JWYnbA7H
人口に膾炙してないよ
高野悦子の日記で知られるようになったんだよ
カス

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 09:30:52 ID:+alKdAk5
>>273
お前がカスだろ。
無知な小僧がw

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 11:58:23 ID:/l6csUCR
たしかに「人が私を考える」より、「私は一個の他者である」のほうが世間で有名になってるね。

これがコギト批判ということなのだが、どういう意味だろう。ある解説によると、
「方法的懐疑の果てにたどり着く自我までも、疑わしいものと考える」とあるが、そうだろうか?

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 15:41:08 ID:VQx0MAQ1
高野悦子の日記て、中二か?www

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 16:29:24 ID:2xNVCLf0
コギト批判というのは、自我とか主体を相対化しようってことだと思うんだけど、

たとえば、大岡信は、「私は他者である」のこの「私」を言葉と理解してるみたいだね。
つまり、「私=言葉」の、イコールを取り去って、言葉を純粋な対象もしくは素材として扱う宣言なのだと。
だが、言葉は対象であると同時に主体でもあって、その言葉の本来的な性質によってランボーは裏切られた、と言ったような趣旨のことを書いてる。
でも、そう考えると、「私」(主体)を相対化する視点、つまりコギト批判の側面が消えてしまって、やはり一面的な見方でしかないと俺は思う。

278 :名無しかへらず:2007/09/30(日) 16:41:53 ID:rxZ7diDT
「私」というコトバを口にするとき、ヒトは他者のコトバで語る。
ラングがパロールを生成するのであって、ヒトはコトバの主人ではない。

詩人になる、ということは、コトバを原始的状態に返してやることだ。
いわば「集合的無意識」の原語で語ることだ。

279 :名無しかへらず:2007/09/30(日) 16:43:13 ID:rxZ7diDT
言語で

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 16:59:04 ID:+M3DOKak
>>277 大岡の論は読んでないけど,
その紹介のとおりだとすると
ランボーというよりマラルメかヴァレリーっぽいな。

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 17:18:30 ID:+M3DOKak
「私は他者である」が有名になったのは,
実存主義がここに行動原理を読み取ろうとしたからではないかな。
原文はいかにもある種の哲学者を刺激するような奇妙な文だ。

JE est un autre.

英語に逐語訳すると,

"I" is an other.

となるだろう。
この「私 je」はフランス語では主語としてしか使わない人称代名詞だ。
哲学用語の「自我」ではなくて,「話したり書いたりする主体」という
意味だろう。それを大文字で強調して JE と書いている。
また,be 動詞に相当する部分は三人称単数形になっている。

この文はイザンバール当とドメニー宛のふたつの手紙に出てくる。
特にドメニー宛では,「なぜなら私は他者である」というように
前の文章に対して「理由」を述べる接続詞がついている。
それぞれの手紙の文脈に即して理解したいものだ。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 17:18:56 ID:/l6csUCR
>>280さんの意見に賛成。ランボーにとって言葉とは、純粋な対象というよりは、
彼自身と分離不可能なほど骨肉化した分離不能のなにかではなかったか。

マラルメの「生きながらポエジーに手術される人間」とはそういう意味ではないか。


283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 17:44:30 ID:+M3DOKak
>>282 賛成していただけてかたじけない。

ただ,
>マラルメの「生きながらポエジーに手術される人間」
というのは小林秀雄の誤訳で,
「生きながらポエジーを切除手術した者」が正しい。
要するに詩を書くのも読むのもやめてしまった者という意味。
(平井啓之「テキストと実存」講談社学術文庫 331 頁以下参照,
この本はお勧め。)

マラルメが「切除手術」という言葉を使ったのは,
晩年のランボーが脚の切断手術を受けたことに引っ掛けたのだ。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 19:50:51 ID:+M3DOKak
私は他者である――
いろいろな読み方ができると思うが,
ランボーは案外単純なことを言っているような気がする。

ランボーは単に,自分が詩人であるということを発見して
おどろいたのではないか。

俺は自分で思ってもみなかった,とんでもない存在だ,
ということを発見した興奮が
あの奇妙な文になったのではないか。
このおどろきは青春の特権であり,
小さな端緒からやがて大きな成果
(「地獄の季節」や「イリュミナシオン」)
を成し遂げる,天才の目覚めの瞬間の言葉として読みたい気がする。

「僕はじぶんの思想の開花に立ち会っている」(ドメニー宛の手紙)

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 20:50:53 ID:FPIULBJq
>>278
>ラングがパロールを生成するのであって、ヒトはコトバの主人ではない。

しかし、ラングがパロールを生成する過程に、単独者の意識や主体、もしくは脳内現象?wがあることは無視できないからねぇ・・・
まあ、ランボーが口を利かない今となっては、これが絶対正しいと確定できるような問題でもないな。様々な意見や解釈が出るのは生産的ではあると思うが。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:08:06 ID:/l6csUCR
「私は一個の他者である」は、自我の相対化というデカルト批判ではなく、
私→詩人(見者)への変容を語る言葉。という解釈でいいのかな。
どちらの手紙も、ラッパやヴァイオリンの比喩が続くしね。



287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:20:15 ID:+M3DOKak
>>286 うん。そういうふうに読むと(私はしては)
ランボーの言っていることが腑に落ちるということだ。

ただ,実感というものはいったん言葉になれば,
というか,言葉にする段階で,
他の無数の文脈に関わってしまう。
ランボーが自分の感じたことを「我は他者なり」という
言葉にすれば,その時点でデカルトの言葉がどうしようもなく
絡みついてきてしまうし,
そういうことを引き受けなければ何も書けない。
ランボーもそのことは意識していただろうと思う。

だからデカルト批判という方向での読み方も
否定はできない。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:38:05 ID:/l6csUCR
ぼくも「私は一個の他者である」は、そう読むのが正しいと思います。

ここでまたイザンバール宛手紙に戻って、「人が私を考える」を考えて
みたいのですが、お説のように「他人が私を考える、規定する」と解釈すると
「私は一個の他者である」との意味のつながりが希薄になるような気がします
が、いかがですか?

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 23:42:59 ID:+M3DOKak
>>288 うむむ。ちょっとがんばってみる。

イザンバール宛の手紙を全体的に考える。

「人間は社会に責務を負う」と説教するイザンバールに対して
ランボーは反論しているのだが,その反論は
人間は社会に責務など負わない,という真っ向からの反論ではなく,
「僕は社会に責務を負っている,まったくだ――しかも僕は正しい」
という,論点を斜めにずらした反論となる。

それはもちろんランボーが単なる反社会的な人間になりたいからではなく,
自分なりに社会に貢献しようとしているからだ。
(たとえそれが社会からは認められないやり方だとしても。)
そして,それに加えて,学歴・職業・労働・詩人などに関して
ランボーとイザンバールとの根本的な見解の相違があり,
ランボーはそれを明らかにしながら
イザンバールを説得しなければならないためだ。

学歴・職業に対する反感はこの手紙だけでなく,
「地獄の季節」でも度々繰り返されるテーマだ。
以前に >>196 で書いたことも参照していただきたい。
また,詩人についてはこの手紙でイザンバールの詩の
主観的な味気なさを批判している。
もともと詩を作ることは学校の課題でもあり
(ランボーのラテン語詩はまさにそれだった)
教養人のステイタスのようなものでもあった。
ランボーが発見した「詩人」はそのようなものではない。
また,ランボーは「労働者」という言葉を
何か特別な意味をこめて,一般的な職業とは異なるものとして
さらに言えば,神聖なものとして使っているように思う。
ヴォワイヤンの手紙でも「地獄の季節」でも「イリュミナシオン」でも。
(続く)

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 23:44:41 ID:+M3DOKak
こうしてランボーは彼独特の「詩人」になりたいと宣言する。
職業にはつかない,ストライキ中だ,放蕩三昧だ,
詩人になる,ヴォワイヤンになる,
あらゆる感覚を開放して未知に達する,云々。

「僕はじぶんを詩人であると確認した」
――じぶんはじぶんをこう客観的に判断する。
「でもこれは僕が悪いわけではない」
――しかし,じぶんと社会とでは判断基準が違っている。
「我思う,というのは間違っている」
――社会は(イザンバールは)学歴・職業の志望を自己意志と思っているが
それは間違いだ。
「ひとが我を思うというべきだ」
――社会が個人を規定し,個人はそれを自己意志と思っている。
「駄洒落みたいでごめんなさい」
――デカルトの文句をひねったけれど,どうせあんた(イザンバール)には
わからんだろうな。

(ここで,改行があるが,刊本によってはつながっているかもしれない。)

そしてここで,
「『我』は一個の他者である」
という言葉が出てきて,
「木片がヴァイオリンであるとわかってもやむをえない」と続く。

この言葉は先の「詩人になる」から「僕はじぶんを詩人であると確認した」まで
の部分につながる,と私としてはとりたいと思う。
――俺はじぶんが「詩人」だと気づいたんだ。しかも
俺が言う「詩人」というのは,主観詩人のイザンバールよ,
あんたが思っている詩人とは大違いなんだよ。

で,それに続けて,
「無自覚な野郎は糞でも食らえ,
自分でもわかっていないことに 詭弁を弄しやがって!(改行)
あなたは僕にとって教育者ではありません」
と続く――

と,まぁ,以上のように読むのが,
(とりえあず)妥当なのではないかと思う。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 00:36:20 ID:fHTHGOe0
「僕はじぶんを詩人であると確認した。でもこれは僕が悪いわけではない」

この部分は、ドメニー宛の手紙「銅片が目覚めてラッパになっていても、少しも銅片が悪いわけではない」
と同じ意味合いの言葉と思われます。ドメニー宛書簡では、これに続くのは思想の開花の部分であるので、
そこから類推して、イザンバール宛書簡の上記の部分も、自我と社会性との相克という意味合いよりは、
自己の思想の開花(=見者への変容の兆し)についての記述と思われるのです。

「僕が悪いわけではない」とは、「わたし」にもどうにもならないあるものが「わたし」を突き動かし、
思想の開花に向かわせている感覚を言っている、と考えられないでしょうか?

考えているのは私なのか? と。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 01:53:46 ID:dxG9tfOg
>「僕はじぶんを詩人であると確認した。でもこれは僕が悪いわけではない」
>
>この部分は、ドメニー宛の手紙「銅片が目覚めてラッパになっていても、少しも銅片が悪いわけではない」
>と同じ意味合いの言葉と思われます。

たしかにそうだ。なるほど,と思った。こうなると本当に難しい。
ふたつの手紙ではまったく違う文脈で
「私は一個の他者である」の文が使われている。

イザンバール宛のこの前後の文脈を点検すると,

「じぶんは詩人」――自己認識
「僕は悪くない」――自己正当化
「我思うは間違い」――社会批判

「私は一個の他者である」――自己認識
「木材がヴァイオリンになる」――自己正当化
「無意識野郎は馬鹿」――社会批判

という同一パターンの繰り返しになっていると思う。
(社会批判という言葉を使うと論点先取りの誤謬になってしまいそうだが。)

いっぽう,ドメニー宛の手紙は文脈が異なっている。
「ロマン主義は誰も評価していない。批評家どもは論外。
ロマン主義者自身もじぶんの思想を理解せずに歌っていたのではないか」
と述べて(後段でヴォワイヤンの度合を物差しにしてランボー自身が評価する),
その理由として「なぜなら私は一個の他者である。銅がラッパであることに目覚めても,
銅が悪いわけではない」と付け加える。
つまり,ここではロマン主義の詩が(ランボーの尺度で)ある程度すぐれていることと,
それにもかかわらず当のロマン主義詩人たちがそれに無自覚であることが問題なのだ。
ロマン主義詩人たちはラッパであることに気付かない銅だというわけだ。
しかしランボーには彼らがラッパであることがわかる。
というのもランボー自身が銅からラッパになったことに気づいたからだ。
大略以上のように読めると思う。すなわち,

「ロマン主義詩人は無自覚」――社会批判
「私は一個の他者である」――その根拠としての自己認識
「銅がラッパになる」――自己正当化
「僕は思想の開花期にある」――ヴォワイヤンの理論への伏線

という図式になる。

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 01:59:15 ID:dxG9tfOg
>>292 の下から 5 行目

>「ロマン主義詩人は無自覚」――社会批判



「ロマン主義詩人は無自覚」――(社会批判に通じる)既成詩人への批判

に訂正。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 02:20:23 ID:+YI69PQS
なるほどね。
後の人たちの意図的な誤読がある気がしてきた。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 02:50:13 ID:VSUk0Ftf
私は自分が、人間社会に対する異分子・異邦人のような存在に生まれついてしまった事に気付いたが、
それは私が悪いわけではない。
私は自分を誤魔化して人間社会に適応することも出来るかもしれないが、
私にとっての自己実現はむしろ人間社会に敵対する者となることであり、
真の「詩人」になることである。
真の詩人になるとは社会的不適応者であり異分子である自己を実現する事に他ならない。
真の「詩人」より詩人気取りの世慣れた人間の方が評価されるのがこの世の常だが、
そんな世の中は糞食らえだ。
私にとっては世の中・社会から教えられたように考えることは
自己疎外でしかない、社会的な自我の「われ思う」は
実情としては、常識(万人に生まれながらに与えられているとデカルトが
言うところの)に従って考えさせられているだけであって、
それを「私が考える」というのは間違いだ。
常識が私の代わりに考えているのに過ぎない。
私は私自身の言葉で語りたい。
私は自分が「別あつらえの人間」であることを宣言する。
私は社会の中の他者であり、錯乱者であり、詩人である、と。

つかれた

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 20:52:59 ID:dxG9tfOg
>>295 うわーーー,すごい。
乱文を読み込んでくれて感謝。

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 00:11:32 ID:1K9auhuG
>真の詩人になるとは社会的不適応者であり異分子である自己を実現する事に他ならない。

これはどうなんだろう。たしかにランボーの言動は表向き反社会的なものとして現れるが、
根底にあるのは、ある普遍性への希求なのではないか。

「それゆえ詩人とは真に火を盗むものなのです。詩人は人類を担っており、動物たちさえも
担っているのです。彼は自分が案出したものを感じさせ、触れてみさせ、耳に聴こえさせねば
ならないでしょう」
「常軌を逸した莫大さがふつうの規範となり、あらゆる人々に吸収されて、まさに詩人は
進歩を倍増させる乗数になることでしょう!」



298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 01:14:50 ID:+9VfVxOO
>>297 適切な指摘だと思う。
社会的不適応者,という用語には
社会を上位,個人を下位と見て,
不適応者すなわち落伍者とみなすようなニュアンスがある。
(もともと落伍者を不適応者と言い換えただけなのかもしれない。)

しかし,ランボーのような,社会をまたぎ越してしまった者も
広い意味では社会不適応者と言えるだろう,と思う。

この場合,ランボーにも社会にも同等に,不適応の判子が捺されるのだ。

ランボーは社会からはじき出された落伍者ではなく,
シャルルヴィル中学校始まって以来の,
本当に末は博士か大臣かの秀才であり,郷土の期待だった。
にもかかわらず彼は,その立場をあっさり投げ捨てて,
海のものとも山のものともわからない,詩人を志望したんだった。
(校長やイザンバールはランボーが不良化して,ほとんど責任問題だっただろう。)
(優等独占・飛び級の秀才=エリートコース=郷土の誇り=わが校の誇り,が
(こともあろうに労働者=最下級の社会人(詩人という職業はない))
(になるなどと主張していたのだから。)
(実際,ランボーは高卒資格=大学入学資格バカロレアさえも放棄する。)
((中学・高校卒業の資格は現代と異なるが説明省略。))

しかし,ランボーは社会からはじき出されたのではなく,
社会をまたぎ越そうとした天才(詩人・ヴォワイヤン)だった。
(じぶんが天才だと気づいてそのままに行動した,
(まじめで一本気な才能あふれる若者だったのだ,ランボーは。)
(そういう若者はやはり本当に天才になってしまうのだろう。)
(天才なんて言葉を使うと小林秀雄っぽいな・・・)

>>297 は次の論点を端的に示している。その引用のように,
ランボーは自己の天才を深く自覚し,
たとえ社会からは認められなくても社会を
いやむしろ世界を変えようという大望を抱いた若者だった。
その内実は,ランボーが語る詩人・ヴォワイヤンとは何だったかを
読み砕くことによって理解されよう。

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 01:18:33 ID:+9VfVxOO
>>291 ここのところいつも貴君のおかげで刺激を受けてやっとのことで
今まで(個人的に)読めなかったランボーがどうしたことか読めるようになってきている。
何か不思議なめぐりあわせなのだろう。名前のない者同士の。
(まぁ,たぶん貴君という人間と私などという人間がいたとしての仮の話だ。)
(どうせ名前がないのだから。私もない。)
(そしてその他の,というか,いやもう
(私だか君だか彼だか君たちだか彼等だか私たちだか,わからない
(名前のない人々がいてそれが私でも他人でもなく
(目下の目的,ランボーの文章を読み解くとい目的のために
(利益も見栄もなく,意識を集中しているのだとすると,
(これほどの至福の瞬間はないのではないかと思う。)

(名前のないみんな,みんな,すばらしいだよ。)

それで,だが。読解は多数決では決まらないので
納得いくまでやろうと思う。
(中断あり,延期あり,中止もありで,ゆっくりやろう。)

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 01:48:49 ID:+9VfVxOO
>>291 それで,>>292 に途中まで書いたのだが,
ヴォワイヤンの手紙は
ドメニー宛の論旨とイザンバール宛の論旨とは異なっている。
「人が私を考える」という文言が現れるイザンバール宛のほうだけを見ると,

「じぶんは詩人」――自己認識
「僕は悪くない」――自己正当化
「我思うは間違い」――社会批判

「私は一個の他者である」――自己認識
「木材がヴァイオリンになる」――自己正当化
「無意識野郎は馬鹿」――社会批判

というように,段落を変えて同じ主張を繰り返しているように読める。
くどく念を押しているような書き方である。

ここで,「「無意識野郎は馬鹿」――社会批判」としたところは,直訳すると,
「自分自身まったく知らないことに詭弁を弄する(ergoter,エルゴする)連中などふん!だ」
となる。

「詭弁を弄する(ergoter,エルゴする)」というのは
デカルトの「cogito ergo sum,我思う故に(エルゴ)我あり」から出た,
デカルトかぶれの理屈屋をからかう言葉だ。

したがって,語彙レベルで検討しても
「我思うは間違い」――社会批判 ,の部分と
「無意識野郎は馬鹿」――社会批判,の部分は
俗流デカルト主義批判で重なる。

(なんというか,やたらに原語を根拠にするのは
(自分だけが有利な立場にいるようであり,
(議論としてはひどく卑怯な感じで,気が引ける。
(どうかお許し願いたい。
(できれば,すべて開示した上で,
(対等に議論し検討し,ランボーの文章を解明していきたい。
(でも物理的に不可能なのだ。



301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 02:10:39 ID:+9VfVxOO
>>291 それで,>>292 に途中まで書いたのだが,
ヴォワイヤンの手紙は
ドメニー宛の論旨とイザンバール宛の論旨とは異なっている。
「人が私を考える」という文言が現れるイザンバール宛のほうだけを見ると,

「じぶんは詩人」――自己認識
「僕は悪くない」――自己正当化
「我思うは間違い」――社会批判

「私は一個の他者である」――自己認識
「木材がヴァイオリンになる」――自己正当化
「無意識野郎は馬鹿」――社会批判

というように,段落を変えて同じ主張を繰り返しているように読める。
くどく念を押しているような書き方である。

ここで,「「無意識野郎は馬鹿」――社会批判」としたところは,直訳すると,
「自分自身まったく知らないことに詭弁を弄する(ergoter,エルゴする)連中などふん!だ」
となる。

「詭弁を弄する(ergoter,エルゴする)」というのは
デカルトの「cogito ergo sum,我思う故に(エルゴ)我あり」から出た,
デカルトかぶれの理屈屋をからかう言葉だ。

したがって,語彙レベルで検討しても
「我思うは間違い」――社会批判 ,の部分と
「無意識野郎は馬鹿」――社会批判,の部分は
俗流デカルト主義批判で重なる。

(なんというか,やたらに原語を根拠にするのは
(自分だけが有利な立場にいるようであり,
(議論としてはひどく卑怯な感じで,気が引ける。
(どうかお許し願いたい。
(できれば,すべて開示した上で,
(対等に議論し検討し,ランボーの文章を解明していきたい。
(でも物理的に不可能なのだ。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 02:11:37 ID:+9VfVxOO
>>291
>「僕が悪いわけではない」とは、「わたし」にもどうにもならないあるものが「わたし」を突き動かし、
>思想の開花に向かわせている感覚を言っている、と考えられないでしょうか?
>
>考えているのは私なのか? と。

正直いって,よくわからない。
むしろ,「わたし」以外の者が「わたし」を突き動かしているとすると,
ヴォワイヤンの手紙を読む上で,さらなる迷宮に迷い込むことになるように思う。

・カトリック的な(おそらくクローデルによる理解のような)
神がランボーを突き動かしているのか
・マルクシズムのような階級意識の代弁なのか
・精神分析学のように無意識か超自我が語っているのか

――以上のどれでもなくて
・ランボー個人を超えたヴォワイヤンがランボーを突き動かしている
ということなのだろうけれども,
だとするとヴォワイヤンとは何なのか,
イザンバール宛の手紙でのランボーの記述はあまりにも説明不足だ。
ランボーは思わせぶりなセリフで面子を保って
判断を相手に丸投げするような姑息な大人ではない。
この手紙はこの手紙で完結しているはずだ(と思う)。

イザンバール宛でもドメニー宛でも,ランボーはヴォワイヤンについて,
詩人になるために,これから苦労して体現しなければならない資質として
語っているのではないか。

(うーん。難しい。ランボーもまだこの時点ではもやもやしている。
(というか,実のある行動をする以前だ。)

(あぁ,駄文で終わってしまった・・・
(ほんとに難しい。)

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 22:18:24 ID:/Rg9fPel
ご丁寧な解説ありがとうございます。

ドメニー宛書簡での「私は他者」に関する解釈はお説のとおりで、全くその通りだと
思います。

このあとに続くラッパの比喩で、「銅片のせいじゃない」の部分ですが、前後の流れから、
この部分の自己正当化の根拠を「悪いのは社会で自分は悪くない」とするのは、やや
唐突な感があります。この部分の正当化の根拠は、「銅片をラッパにしたのは銅片
ではない、だから銅片のせいじゃない」の理屈のように思えます。それで同じ理屈を
イザンバール書簡、「自分は詩人、自分は悪くない」にあてはめると、「自分を詩人
にしたのは自分ではない、だから自分のせいじゃない」となり、さらに直後に「われ思うは
誤り」が続くため、>>291の解釈をしてみたくなりました。

ただ、ご指摘の通りここから先の合理的解釈は不可能なため、とりあえずこの主張はここで
終わりにします。(僕的には解釈保留です。>>272さんの言うとおり、「人」を社会ととらえ
ると、ちょっと面白味がないんですよね)

この部分についても、ご説はよく理解できました。ありがとうございました。


ところで、デカルト思想との係りで言うと、手紙の問題の部分は、正面からのコギト批判と
言うよりは、似非デカルト主義の中途半端な文化人を揶揄したものと受け取れそうですね。


ただ、世の中ではランボー=反デカルトの受け止め方が多いが、なにか理屈があるんだろうか?




304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 00:38:57 ID:U8k6mHYw
不毛な人生ですな。

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:00:44 ID:Nnn2op6g
>>303 保留,でいいと思う。
もうこの先はないところまで議論できていると思う。

別の解釈の可能性も私は捨てていないし,
納得できる解釈ならコロリと寝返ってもいいのだ。
そして私もランボーの文に対して
>>303 のような読解上の「唐突な感」を感じている。
しかし,おたがいに手詰まりだと思う。
他の箇所,他の作品を読んで,空気を入れよう。

>>272 のようにもっと興味の深まるような読み方をしたいと思う。
ただ,個人的に不合理だけは慎むことを掟にしている。
というのもランボーは勝手気ままに読もうとすれば
いくらでも勝手気ままに読めてしまうからだ。
そういうわけで頑固爺みたいになっている次第。
>>272 のような発言は私もホッとできて,なんだかうれしい。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:02:14 ID:Nnn2op6g
さて。

>ところで、デカルト思想との係りで言うと、手紙の問題の部分は、正面からのコギト批判と
>言うよりは、似非デカルト主義の中途半端な文化人を揶揄したものと受け取れそうですね。
>
>
>ただ、世の中ではランボー=反デカルトの受け止め方が多いが、なにか理屈があるんだろうか?

私がイザンバール宛ヴォワイヤンの手紙について纏めようとしてきたのは,
この手紙の最も表面的な意味についてだ。
文章には様々な層がある。
いちばん表面的な層は「書き手から読み手へのメッセージ」の層だ。
私はひたすらこのことだけを明らかにしようとしていた。

しかし,「メッセージの元になった書き手の思想」の層とか,
「書き手が属していた階級,時代,地域,etc.」の層がある。
こういう第2,第3の層が,「地獄の季節」や「イリュミナシオン」を
読み解く上で重要になってくる。
特に,ヴォワイヤンの手紙以外に,ランボーにはまとまった評論文の類がないから
なおさら深読みが生じる。これは当然でもあり,正しいと思う。

イザンバールに手紙を書くとき,ランボーはじぶんの考えを言い表すために
どんな表現をとることもできた。しかし,その中で彼はデカルト批判の言辞を選んだ。
ということは,ランボーはデカルトにならって思考したのだ。

哲学の世界では,たとえばカントが純粋理性批判でデカルトを批判し,
20世紀になってからはフッサールがデカルトを批判というか現象学化しようとしている。
しかし,こういうそれぞれに極端までいってしまった精神になると
批判は否定ではなくて,自己形成以外の何物でもなくなる。

まぁ,はっきりいって,デカルトの理論はユークリッド幾何学みたいなもので
批判することはできても否定することはできない。
つまり,非ユークリッド幾何学を作る以外に,乗り越えられないのだ。

ランボーの「イリュミナシオン」他も非ユークリッド幾何学のようなもので,
その理解の助けとしてヴォワイヤンの手紙が引き合いに出される。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:09:08 ID:Nnn2op6g
追記。
>>306 のデカルト批判というのは
批判=検証
といった意味。

したがって,ランボーのヴォワイヤンの手紙の「デカルト批判」は
デカルトそのものを批判=検証しつつ,
同時代のデカルトかぶれを批判=否定する,
という方向に向かう。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:41:21 ID:Nnn2op6g
デカルトそのものと俗流デカルト主義とは違う。

デカルトは「我思う,故に我あり」と言ったが,
この「我」は,「思う」からこそ存在するのであり,
「思う」ことを止めたとたんに消えてしまう,
「我」とは,まさに思考という運動そのものだ。

しかし,デカルト主義はこの「思う」という過程を省略して
(証明済みの定理は改めて証明するに及ばず,
(幾何学でもそういう習慣だ。)
「我あり」を証明済みの,自明のこととして捉える。
そして,「我あり」ゆえに「我の思想あり,我に主張あり,我に権利あり」
と「我」の帝国を作っていく。

ランボーがデカルトを検証しつつ,デカルト主義を否定しようとしたというのは
このような背景のもとでのことだ。
そして,デカルトとデカルト主義との差異は不明確だったが,
ランボーがそういう形で批判したことで,両者の違いが明確になった。

「ランボー全集」の注などはややこしい書き方をしているが,
そういうふうに捉えていると思う。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:48:14 ID:Nnn2op6g
おもしろいことに気づいた。

デカルトは「方法序説」を匿名で出版したのだ。

名無しさんだったのだ。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 02:54:56 ID:+UrxiAb7
ランボー全集が青土社のものなら、解説には「コギトの明証性を疑い、異議を提起している」と、
はっきり書いてますが、「デカルトそのものを検証しつつ、同時代のデカルトかぶれを否定する」
のほうがはるかにしっくりきますね。

ランボーにはデカルトの方法的懐疑という態度は見当たらない、と前のレスで書きましたが、
その考えはいまも変わりません。それはデカルトかぶれを批判するということとは全く別のこと
と考えます。

画家も詩人も、外的事物の存在をまず受け入れていなければ、描けもしないし詠えもしない。
「言い表しようもない責め苦に耐えて」見者になろうという着想は、外的事物の実在に対する、
無条件の信頼がなければ有り得ない発想のように思われます。


「方法序説」は当時の慣わし(学術書はラテン語で書く)に反してフランス語で書かれていて、
小林は、「”私のやり方”くらいに訳すのがいい」と言ってます。


デカルトに絡んだ質問や書き込みも、僕としてはこれで最後にします。



311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 05:53:53 ID:ozGq0Omm
「我思う、故に我あり」は実存思想として読むと面白いし斬新なんだけど、デカルトは論理学として、そこから神の存在証明に逝ってしまったから、それが時代の限界なんだろうな。
天才といえども、いや、天才なればこそ、時代の刻印を明瞭に受けてしまう・・・

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 22:33:10 ID:1EoFJltY
>>310 読みに一貫性があって感心する。

>ランボーにはデカルトの方法的懐疑という態度は見当たらない、と前のレスで書きましたが、
>その考えはいまも変わりません。それはデカルトかぶれを批判するということとは全く別のこと
>と考えます。

そのとおりだと思う。
「手紙」という〈メッセージ〉にこだわって色々と述べたが,
ランボーの詩法を端的につかもうとする上では無用の議論だったかもしれない。

>画家も詩人も、外的事物の存在をまず受け入れていなければ、描けもしないし詠えもしない。
>「言い表しようもない責め苦に耐えて」見者になろうという着想は、外的事物の実在に対する、
>無条件の信頼がなければ有り得ない発想のように思われます。

まさにそうなんだろうな。
デカルトが外的事物をすべて捨象して,
自分自身も捨象して,単なる「我思う」に至ったのとはまるで別の方向だ。

以上,まったく同意する。

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 22:41:18 ID:1EoFJltY
>>311

>天才といえども、いや、天才なればこそ、時代の刻印を明瞭に受けてしまう・・・

いや,だからこそ天才は時代を変えられたんだろう。
時代と無関係に,影響も受けず,影響も与えず,
冷凍保存されて後世に伝わったら,
それは現代から見ても天才でも何でもないんじゃないかな。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 23:40:25 ID:+UrxiAb7
254で、デカルトの名が挙がって以来、とても興味深い検討ができたと思います。
ランボー自身がコギトの語彙や構文を下敷きにしてるわけだし、コギトが欧州近代哲学の出発点であるのは
疑いようもなく、その視点からの検討は無駄ではないと思いますよ。大変勉強になりました。感謝です。

やはり、皆で考えるというのはいいことですね。僕は教わってるだけですが。

「手紙」では、「あらゆる感覚の合理的濫用」解釈が中途半端なのと、「全ての毒を汲みつくす」が手付かず
ですが、少し休憩にしましょうか? 


>>311
神の存在証明という問題は、現代哲学では解決済みの問題なのでしょうか? まだ僕には生々しい問題のように
感じられます。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 00:51:25 ID:CROfAuf7
>>314 私も教わっている立場だ。
少なくとも,ここに参加してやっとランボーが読めるようになってきたと思う。
そのわりに偉そうなことを言っていて実に恐縮。

でも,ここでみんなの意見を読みながら,そしてここに書きながら読んでいると
実に考えが進んで(先走っているだけかもしれないが)
手ごたえがあるというか(すると先走りではないかもしれない)
地歩を確かめながら理解できていくような気がする。

マラルメのランボー論あたりからいろいろな論じ合いがあったが,
本題ははやり,>>234
>そもそも言語とは悟性の所産ではないのかな。あらゆる感覚の合理的錯乱から、
>言葉の錬金術に至る道とは?
だろう。ここにもどって話を進めるのが良いと思う。
>「手紙」では、「あらゆる感覚の合理的濫用」解釈が中途半端なのと、「全ての毒を汲みつくす」が手付かず
というのはこの問題への着手ではないか。

今まではこの問題の周辺を迂回しているばかりだった。
いや,その責任はだいぶ感じているのだが匿名だから無責任でいいのか,どうか。
ただ,基本的に何をどう読んでもよくて,
それでなおかつ合意できるところは合意したいという欲求があるだけなんだな。
このやりとりでどれほど触発されたことか。

>「手紙」では、「あらゆる感覚の合理的濫用」解釈が中途半端なのと、「全ての毒を汲みつくす」が手付かず
>ですが、少し休憩にしましょうか? 

休まずとも良いと思う。ここからはまた新しい問題であり,本来の問題,新鮮な話題だと思う。
いよいよ本題でもある。それぞれのペースでやっていければいいと思う。
ランボーを読むというのは多数決でもないし雄弁に言い張ったほうが勝ちというのでもない。
ただ納得できるまで読みたい。

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 00:06:32 ID:9CePekzw
なるほどね

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 08:35:12 ID:+a+aAqgM
>>281

>JE est un autre.

> 英語に逐語訳すると,

> "I" is an other.

> となるだろう。


"I am an another" とも言えるよね。

「私は一人の別人」

ここで主客分裂の概念を提示したデカルトが出てくるのはよくわかる流れ。

そうすると、それに関連する疑問を提示して考えた方がいいかもね。

"Who am I ?" (僕は一体誰なんだろう?)

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 18:55:37 ID:9CePekzw
ジーウーの表す物ってなんだろ

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 19:01:08 ID:++xg4fjn
>>317

>JE est un autre.

を英語で

> "I" is an other.

と置き換えてみたのは,
日本語訳では伝わらないフランス語の原文の文法的な異常さを
とりあえず英語に訳して伝えてみたかったからだ。
もしも原文が

Je suis un autre.

だったら,

>"I am an another"

と訳せた,というか,そう訳さなければ誤訳だ。
しかしその場合は,わざわざ英語に置き換える必要もなく,
「我は他者なり」等の和訳でじゅうぶんだっただろう。

>"Who am I ?" (僕は一体誰なんだろう?)

ランボーがそのような疑問をもったようには思えない。
彼は終始一貫して,自身に満ちていたのではないか。
回顧や反省にあふれた「地獄の季節」においてもなお。

とりあえず,デカルトに関連しての考察はこれ以上
行わないことにしたい。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 08:48:05 ID:ajlHm3xy
ランボーのたどり着いた先は唯物論の世界だよ
しかも何の救いもない厳しい世界だったんだよ
ひとはそんな処にゃ住めやしないのさ
大概の奴は自殺しちまうが、ランボーはそうじゃない
それこそが地獄なんだよ、だから地獄の世界なんだよ

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 09:43:24 ID:/nhfQd9e
未知を垣間見た詩人が行き着くところは唯物論かw
まあ、その悲壮な解釈は悪くないよ、うん

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 12:23:21 ID:Syom7dnk
>>320
>ランボーのたどり着いた先は唯物論の世界だよ
>>321
>まあ、その悲壮な解釈は悪くないよ、うん

ランボーのテクストに即してきっちり展開してくれ。
読解をすっ飛ばしてうなずき合われても
何のことやらわからんよ。

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 17:04:39 ID:m7r/E7wk
解釈保留と言いながら、やっぱり気になるので、全集の解説他を参考に自分なりにまとめてみた。

手紙には、ランボーが批判するものと目指すのもとが対比して述べられていて、それはどうも
「主観的自我」を超克し、「客観・普遍」へと至る流れのように見える。

最初の対比は、イザンバール書簡の前半、イザンバールへの苦言の中に見られる、「主観的なポエジー」
と「客観的なポエジー」との対比。「あなたの原則の中に客観的なポエジーを見る」とは非常に特徴的な
言い方。

次の対比は「私は考える」と「人が私を考える」の対比。「私は考えるは間違い」とは、「われ思う」の
自明性に無批判で無自覚な人を批判するもので、このような人から「主観的なポエジー」が生まれる。
一方、「人が私を考えると言うべき」は、通常「考える」の主格となるべき「私」を目的格に降格する
という言葉遊びを交えてふたたび「われ思う」に無批判な人々を揶揄するとともに、「客観的なポエジー」
に対応するもので、強いて言えば、普遍的な私が個である私を考えるように思考する、とでもいうべきか。
このような思考から「客観的なポエジー」が生まれる。

「われ思う」の自明性に無批判で無自覚な結果、「耄碌した馬鹿者たちが、自我について偽りの意味ばかり
見出し」「片目の知性の生産物を集めてはその作者だと名乗りをあげ」る。
一方、「普遍的な知性」に達した人々は、「客観的ポエジー」を生み、「普遍的なランガージュの時代」を
もたらす。

以上のように考えると、僕としては両書簡全体を、淀みない流れで把握できる気がします。

ここで、「人が私を考える」の解釈を>>290さんのように、
>「ひとが我を思うというべきだ」
>――社会が個人を規定し,個人はそれを自己意志と思っている。
としても、全体的な理論の流れとしては変わりないと思われ、全体として>>290さんの解釈に概ね合意です。


324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 17:08:49 ID:m7r/E7wk
但し、ここで批判されている「主観的自我」は、言うまでもなくデカルトの「我思う」の深度・純度に
達しておらず、正面からのデカルト批判と言うにはあたらない。


325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 17:48:28 ID:m7r/E7wk
しかしながら、絶対的与件として各個が与えられた「私」を否定することはできない。
それをランボーは「あなたの原則」と呼び、そこに「客観的ポエジー」を見るという、
特徴的な言い方になっていると思われる。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 21:08:48 ID:Syom7dnk
>>323 良いまとめだ。

>一方、「人が私を考えると言うべき」は、通常「考える」の主格となるべき「私」を目的格に降格する
>という言葉遊びを交えてふたたび「われ思う」に無批判な人々を揶揄するとともに、「客観的なポエジー」
>に対応するもので、強いて言えば、普遍的な私が個である私を考えるように思考する、とでもいうべきか。
>このような思考から「客観的なポエジー」が生まれる。

ここにも異論はない。というか,「ひと」を「社会」に直結させてしまった
>>290 の弱点が逆にはっきりしてしまうな。弱点といっても間違いというのではなくて,
この手紙(教師イザンバールに対する生徒ランボーからのメッセージ)の解釈に関しては有効だが,
詩人ランボーの形成の解釈に関しては広がりを持ちにくいということだが。

それはともかく,この手紙にアプローチするもともとの出発点が正反対にあったんだと思う。
ランボーの論理に直接焦点を合わせるか,手紙が書かれた理由や状況から攻めていくか。

>としても、全体的な理論の流れとしては変わりないと思われ、全体として>>290さんの解釈に概ね合意です。
両側からトンネルを掘り進めて,中央で合流できたような気分だ。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 21:25:04 ID:1Wc3AUkF
深い討論が進んでいるようで何より。

話題のネタになるかどうかはわからないけど、中也の訳詩集の
後記(御参考)。


「ランボオの洞見したものは、結局『生の原型』といふべきもので、
謂(い)はば凡(あら)ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、
それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも
出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道のわからなくなった
宝島の如きものである。(中略)
ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であったのも、恐らく
かういふ所からである。」

(『ランボオ詩集』 後記 中原中也)

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 22:38:23 ID:Syom7dnk
>>327 いいタイミングで適切な引用,かたじけない。

中原中也はその引用のちょっと前でこうも書いてる。

    〔……〕その陶酔の全一性といふことが全ての全てで,他のことはもうとるに足りぬ,
    而も人類とは如何にそのとるに足りぬことにかかづらってゐることだろう〔……〕

    所で,人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。
    ランボオの思想は,だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。

私はどうも,食うために感性上のことなんか犠牲にしている人類に対する
ランボーの関わり方に興味が傾いている(傾いていた)ようだ。

>「ランボオの洞見したものは、結局『生の原型』といふべきもので、
>謂(い)はば凡(あら)ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、
>それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも
>出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道のわからなくなった
>宝島の如きものである。(中略)

という部分はランボーの文章と同じくらい難しいと思う。
「忘れられもしないが又表現することも出来ない」『生の原型』――

「凡(あら)ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理」とも言われているが,
歴史的・考古学的に中世や古代や原始にさかのぼっても,きっと発見できないものなのだろう。
(もしそういう手段で発見できるのなら,
(ランボーは歴史家か考古学者にでもなっていただろう。)

『生の原型』は過去に限らず,同時代にありながらも,
「行き道のわからなくなった宝島」なのだろう。

「それを一度洞見した以上」といっても,
その存在そのものが「食ふために感性上のことなんか犠牲にしている人類」にはわからないし,
概念的にわかりやすく示すこともランボーにはできない。
というのもランボーにとってそれは概念的な理解ではなくて
「感性」や「陶酔」によって洞見したものだからだ。

中原はランボーが詩人になった理由,
ランボーと人類との齟齬をしっかり説明していると思う。

とはいえ,「ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であった」のは
(この「一生」の「急テムポ」には,早期の詩作放棄と夭折が共に含意されていると思う)
人類との齟齬(人類相手の勝ち負け)のせいではないと中原は考えたのだと思う。

    ヱ゛ルレーヌには,謂はば夢みる生活が始まるのだが,
    ランボオでは,夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかつた。

とあるように,ランボーは夢を
生活(そこには人類との駆け引きも含まれるだろう)に合わせることがなく,
夢は夢で,つまり詩は詩で,純粋に進化発展してしまったので,
その詩はあっという間に進歩してしまった,と中原の文章は読める。

――などと,つらつら考えてみた。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 21:05:25 ID:E1/jDTn4
中原のランボー解釈は、「名辞以前の手」という中原自身の詩観に通じるものですね。
言語による表現を突き詰めようとするものが、その発生状態に立ち戻ると言うのは、ごく自然な
ことなのではないでしょうか。

それを小林は、こんなふうに言う。

その昔、未だ海や山や草や木に、めいめいの精霊が棲んでいたとき、恐らく彼らの動きに則って、
古代人達は美しい強い呪文を製作したであろうが、ランボーの言葉は、彼らの言葉の色彩や重量
にまで到達し、若し見ようと努めさえするならば、僕らの世界の至る所に原始性が持続している
様を示す。僕らは、僕らの社会組織という文明の建築が、原始性という大海に浸っている様を見る。
(ランボー V)


330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 23:16:08 ID:ZxGiDoMi
>>329

>言語による表現を突き詰めようとするものが、その発生状態に立ち戻ると言うのは、ごく自然な
>ことなのではないでしょうか。
たしかにそう思う。が,「発生状態」とは何か。

小林からの引用文も難しい文だ。
「古代人達は美しい強い呪文を製作したであろう」,
これはあくまで推量。
「ランボーの言葉は……僕らの世界の至る所に原始性が持続している様を示す」,
こちらは断定だ。

(小林がマラルメの章句を「古代の戯れの厳密な観察者」
(と訳して援用したことについては
>>142-204 でさんざん議論したのでもう触れない。)

単純に歴史をさかのぼる方法については
>>224 でルコント・ド・リールの詩作法を紹介した。
ルコント・ド・リールの膨大な詩作は
ほとんど聖書や神話の語りなおしだ。
文献学・言語学・神話学の進歩がその背景にあったと言える。
(同時代のヴァーグナーの楽劇も同じ背景があってのものだ。)
ただし,語りの背後に近代的な虚無感あるところが新しい。
ランボーはこの方法には反対だった。

小林は後年,本居宣長を書いたが,
これも何か危うい領域をさまよっているように思える。
危ういというのは,科学的・合理的には検証できないという意味だ。
宣長が再発見しようとした古代は,その後,
当然ながら歴史学・考古学による合理的・科学的な推論にさらされるのだが,
小林はそういう批判にまるで興味をひかれず,ひたすら宣長の言葉をたどる。
そしてその「評論」は論評を放棄して,文体模倣にまで行ってしまう。
おそらく小林は江戸時代の「僕らの世界の原始性」を見つめる宣長に共感しつつ
昭和の「僕らの世界の原始性」を語り,「世界の原始性」の重なるところに
「血脈」あるいは「伝統」を見出そうとしたのだろう。

ピカソはアフリカの民芸品に触れて新たな画風を開拓したが,
彼も古代を歴史学的・考古学的に再現すれば,
人間の本質が表現できるなどと考えたのではないだろう。
単に同じ世界に古代が生きている証拠をつきつけられて,
「僕らの社会組織という文明の建築」が崩壊するのを感じただけなのだろう。

ランボーもピカソも小林も中原も,
ルコント・ド・リールとは違った形で古代を発見しようとした。
つまり,古代にさかのぼって,現代に古代を再現するのではなく,
現代そのものに原始性を発見しようとした。

うまく言えなくてもどかしいが,以上のように考える次第。

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 00:12:10 ID:3RFfB5AT
「発生状態」とは、名辞以前の手から、手という言葉が生じるその瞬間のことです。
中原は、「芸術というのは名辞以前の世界の作業」であると言うが、彼が詩人である以上、
彼の表現とは、「名辞以前の世界の作業」から持ち帰ったものに言葉を与えることに他ならない。
この名辞以前の世界から名辞へと至る瞬間のことです。

ランボーは、「彼方から持ち帰るものに形態があれば形態を与え、無形態なら無形態を与えるのです。
一つのラングを見出すことです」と書いてますが、これもやはり、名辞以前の世界から持ち帰るものに
言葉を与えるということですよね。よく似ていると思います。


>小林は後年,本居宣長を書いたが,
>これも何か危うい領域をさまよっているように思える。
>危ういというのは,科学的・合理的には検証できないという意味だ。
>宣長が再発見しようとした古代は,その後,
>当然ながら歴史学・考古学による合理的・科学的な推論にさらされるのだが,
>小林はそういう批判にまるで興味をひかれず,ひたすら宣長の言葉をたどる。

はい、100%同意します。しかし、真実とは、科学的・合理的な検証の中に在るのか? あるいは
「人が考え得たこと」の中に在るのか。どうなんでしょう? 小林は後者と考えていたというのは
確かだと思います。彼は文学者ですから。だからこそ、「ひたすら宣長の言葉をたどる」のだと思います。


>ランボーもピカソも小林も中原も,
>ルコント・ド・リールとは違った形で古代を発見しようとした。
>つまり,古代にさかのぼって,現代に古代を再現するのではなく,
>現代そのものに原始性を発見しようとした。

これもその通りだと思います。ただ、彼らにとって原始性の発見は目的ではなかったとは思いますが。


332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 21:00:05 ID:tKBxn4pw
>>331 いやいや,じつはよくわかっているんだ。
でも「名辞以前」が問題になるときにこそ「名辞」に固執しなければならないのではないかと思い,
あえて方法的懐疑(知らないふり)をしている。
でないと,以心伝心(なあなあ)になってしまうからだ。

「手」という名辞がある以上,名辞以前の「これが手だ」という手は
見出しにくい。まぁ,手なら無言でぼーっと見ていれば見出せるが,
名辞以前の人間存在や世界を見出すとなると
「名辞以前の世界の作業」には膨大なぼーっとした時間が必要になるだろう。

なおかつ,精神にとって何かが存在するとは
それを名辞に置き換えることに他ならないから,
名辞以前の何かは存在していると言えるかどうかも疑わしい。
その辺を小林秀雄の本居宣長論の危うさとして言及したのだ。

>中原は、「芸術というのは名辞以前の世界の作業」であると言うが、彼が詩人である以上、
>彼の表現とは、「名辞以前の世界の作業」から持ち帰ったものに言葉を与えることに他ならない。
>この名辞以前の世界から名辞へと至る瞬間のことです。
>
>ランボーは、「彼方から持ち帰るものに形態があれば形態を与え、無形態なら無形態を与えるのです。
>一つのラングを見出すことです」と書いてますが、これもやはり、名辞以前の世界から持ち帰るものに
>言葉を与えるということですよね。よく似ていると思います。

まったく,そのとおりだと思う。
そしてここで,ふたつの方向が見えてくる。
ひとつは,「名辞以前の世界の作業」「彼方」の詩人による個性(プラスアルファで言語や時代性など)。
もうひとつは,「名辞以前の世界から名辞へと至る瞬間」の詩人ごとの個性(同上)。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 21:00:45 ID:tKBxn4pw
>しかし、真実とは、科学的・合理的な検証の中に在るのか? あるいは
>「人が考え得たこと」の中に在るのか。どうなんでしょう?

これは真実・真理とは何かという,歴史的に(様々な時代に)限定される答えしか出てこないと思うが,
さすがにここで歴史を総ざらいすることはできない。

とりあえず,現代の「科学」は,一応真理の規範であり権威でもある。
(その点でランボーが「地獄の季節」でさんざん悩まされている「科学」と変わりない。
(いっぽう,フッサールが記述学と名づけた領域のように言葉の組み合わせだけによる「科学」もある。
(形相学においても純粋数学はたとえコンピュータを使っても基本的には紙と鉛筆だろう。)
が,もうちょっと踏み込んで「科学」にとって真理とは何か,と探ってみると――
たとえば,天気予報のように予めはずれることも前提として
成り立っている思考が「科学」だと言うことができる。
予測の不的中,推論の誤謬,その他,間違いがあったとしても
それを吸収して進んでいく思考が「科学」だと言える。
「科学」はその都度暫定的な真理であって(従ってその都度暫定的な権威ともなる),
なおかつ,理念的に,漸近線のように真理に近づいていくものとして定義される。

このように,「科学」はじつにお利口さんな地位にある。
けれども,このような考え方は対象が文学であっても踏襲されていく。
テクストの確定,異本文の比較,新資料の発見,批評・読解の革新,等々。

さて。小林が読んだ宣長はどうだったか。

まず前提として,宣長は当時として最も文献に精通していて,
古事記に関してはあらゆる資料を調べつくした,
言わば最も「科学的」に正確な学者だった。
とすると,その時の「暫定的な真理」だったと言える。

ここで方向がふたつに分かれる。
ひとつは真理への方向で,宣長以降,新たな資料や読解法が現れれば更新されていく。
(この方向で学問的なダイナミクスを実感できる名著に
(梅原猛「水底の歌」新潮文庫がある。強く推薦。)
もうひとつは(小林のとった方向だが),資料の多寡にかかわらず宣長が見て取っただろう
古代のイメージを追体験しようとする方向だ。
不正確な引用だが小林はどこかで
「宣長には古道は何かと問われればたなごころを指すように明確なイメージがあった」と
述べていたと思う(「これが手だ」という中原の言葉と遙かに共鳴する)。

言葉は感受性でもあり論理でもあり,物でもあり空理でもある。
さまざまな層に従って歴史が積み重なり,
科学という実質,文学という実質になって個々人に受け継がれているのではないか。

(ランボーからだいぶ離れてしまった。)

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 21:07:37 ID:tKBxn4pw
>>332 と >333 で
両方とも「方向がふたつに分かれる」云々と書いてしまったが,
その両方はまったく別問題なので,
それぞれのふたつに分かれた方向が交わるものではない。
わかりにくい書き方で申し訳ない。

>>333 はランボーとの関りが少ないので,とりあえず無視して,
>>332 のほうに話をつなげていってください。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 19:22:56 ID:yCoWy/4K
ランボーの「彼方」とは、中原の「名辞以前の世界」のようなものなのだろうか?

だとすると、ランボーは「あらゆる感覚の長期にわたる合理的濫用」によって、
「名辞以前の世界」に至るということになる。

それはそれで頷けることではあるのだが、どうなんだろう。



336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 00:51:55 ID:ROCvN4fZ

ttp://www.litteratureaudio.com/go.php?http://litteratureaudio.free.fr/rimbaud-une_saison_en_enfer_intro.mp3

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 11:04:26 ID:TRA4q099
真理は数学の中にしかないとランボーは言っているし
科学はなぜ曲がらないのかと嘆いてもいる。
これを唯物論と言ったのだが
中原や小林の言葉をロマンだと言ったら怒るのだろうか?
デカルトの「われ思う」云々もランボーからすれば甘いのじゃないの?

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 00:13:20 ID:ryq8oCSD
>>335
>ランボーの「彼方」とは、中原の「名辞以前の世界」のようなものなのだろうか?

「のようなもの」なんだと思う。
が,もちろんその実質は詩人ごとに違う。国も時代も違う。
そこを突き詰めていくのが面白いんだな。

じっさい,ランボーも中原も「神童」と呼ばれた秀才であり,
共に詩人となって,共にすぐれた詩を残し,共に夭折したが,
教育の質も,親しくなった人々の質も,反発した対象も違うだろう。
目指したものも違うだろう。
そういうことはテクストの細部を読み込んでいかなくてはわからない。

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 00:15:28 ID:ryq8oCSD
>>337
だれが怒るのか,
デカルトがなぜ甘いのか。

失礼ながら,それこそ文章が甘くて意味が伝わらない。

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 00:16:32 ID:ryq8oCSD
ううむ,うっかり age てしまった・・・

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 00:49:40 ID:YLCwIlik
ふむふむ、確かにランボーの詩は明治以前だ・・・

冗談はさておき、名辞以前の世界って、動物の見ている世界と同じようなものかな?
認識以前の世界って訳じゃないよね。それこそ未知なる世界に決まってるしね。認識のない世界なんだからw
俺はそういうアクロバチックな観念解釈で作品を評価はできないなぁ・・・
たとえば、柿本人麻呂の作品、
・東(ひんがし)の野に炎(かげろい)の立つ見えて 返り見すれば月傾(かたぶ)きぬ
こんな作品に、科学的知見が浸透する以前の古代人の自然感覚を感じて、いいなぁ〜と思う。
ここには小賢しい理屈も観念的な解釈もない。
イリュミナシオンにこの感覚があるようには見えないな。斬新ではあるが、結局、19世紀末の意匠でしかないって感じがするね。

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 01:15:48 ID:ryq8oCSD
おめでたい。

東野炎立所見而反見爲者月西渡

この白文の読み下しにどれだけ問題があるか
分かる奴だけが分かればよい。

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 13:48:02 ID:127K+nbG
ボードレール
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1139650517/

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 16:08:24 ID:yQMEH04q
>>342
だから何?
文献に詳しいのが自慢なのか?

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 16:29:44 ID:qiS//Brj
千里眼とか、名辞以前の世界とか、生の原型とか、
日常の感覚を越えた客観自体とか、本質とか、
本気でイリュミナシオンにそんなものがあると思ってるのか?
ランボー信者は、ランボーの子供っぽい手紙と、小林に毒されてるんだよw
一種のカルトだ。

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 17:46:57 ID:xw20N6Gn
ランボー自身が書いてるだろ。錯乱だって。
アシッシュを飲んで、クラクラする眩暈の中で、
あるいはそのようなランボーらしい独自の強引さの中で情景を詠んだ詩がイリュミナシオンだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
変な理屈をつけるからカルト的になるんだ。
ただ、それまでにこんな作品を書いた詩人は他にいなかった。
その魅力、先進性、斬新さは今でも光り輝いている、まさにイリュミナシオンだ。
そこには確乎とした詩美の世界が確かにある、・・・と思う。

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 20:45:42 ID:RYHlHVxn
う〜ん、「彼方」も「名辞以前」も彼ら自身が言ってるんだし、全然アクロバチックとか
カルトではないと思いますよ。そこらへんのWEB詩人なんかを論じてるのとは違います。

でも、確かにランボーの「見者の手紙」は、子供らしさと不可解さが渾然とした不思議な
ものですね。


>>337 さんは、ランボーがたどりついた「彼方」は、数学的・科学的世界という解釈ですか。
>>320 を書かれた方ですよね。


348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 21:39:00 ID:6zRd2Knc
>>347
名辞以前って、言葉で世界を分節する以前って意味じゃないの?
だとしたら、名辞以前を名辞で(言葉で)表現することなんてできるの?
仮にそんな世界を認識できたにしても、言葉で表現することはできないのでは?
(哲理として説明することならできるかもしれないけど)

>そこらへんのWEB詩人なんかを論じてるのとは違います。

ランボー信者って言われるよw
そういう問題じゃないと思うけど

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 22:03:38 ID:oz/kWjTf
ランボーが名辞以前に至ってると考えるのは自由だが、ガキどもが、それ以外の詩人たちを名辞以前に至っていない凡庸な詩人として蔑視するのは我慢ならんw
実は、俺自身が十代の頃そうだったw
今は妄想から目覚めたけどな。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 22:53:39 ID:RYHlHVxn
>名辞以前を名辞で(言葉で)表現することなんてできるの?

できません。「名辞以前」を言葉で表現しようとは言ってませんよ。目的は「見者の手紙」を
読み解いてみることです。手紙のなかの「彼方」とは中原の「名辞以前」のようなものかと、
問いかけただけです。

>>348さんは、ランボーが辿り着いた「彼方」とはなんだと思いますか。


>そこらへんのWEB詩人なんかを論じてるのとは違います。
これは確かにWEB詩人の皆さんに失礼ですね。ごめんなさい。


351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 23:31:41 ID:EcbNronm
ランボーは挫折したのか・・・

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 14:52:04 ID:nShvNapy
数学者でもないのに数学的世界に辿り着く筈がなかろう>347
ランボーの求めた真理が数学的なものの中にしかなかったつう意味だよ
芸術やら人生やらの先には、そんな世界しかないのさ
それを理解した後の世界を描写したのがイルミナシオンだと思うよ
つうか、これを言ってもしょうがないが…

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 01:52:14 ID:VufuChWK
>>352
数学的世界?

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 15:53:58 ID:3o7S7FKI
じゃあ、数学的なものを追求したら何があるのかな?

それは個人的な印象でしかないな

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 11:46:56 ID:A/mgv+oM
誕生日記念

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 15:50:12 ID:rIMQl7/t
数学とか麻薬体験とか、解釈としてはアクロバチックで無理があるなw



357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 23:41:59 ID:mqYho+tw
C'est aujourd'hui son 153ème anniversaire.

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 14:14:58 ID:KBIplrYY
>>337
>真理は数学の中にしかないとランボーは言っているし
>科学はなぜ曲がらないのかと嘆いてもいる。
>これを唯物論と言ったのだが

このあたりの出典は,ドメニー宛のヴォワイヤンの手紙

  この未来は唯物論的なものとなろう,お分かりのように。
  ――つねに「数」と「諧調」に充ちたこれらの詩篇が,作られ残っていくだろう。


および『地獄の季節』,「悪い血」

  科学,新たな貴族階級! 進歩。世界は行進する! なぜ〔世界は〕回らないのかね?
  それはさまざまな数字の〔さまざまな数字がもたらす/さまざまな数字に対する〕幻想だ。
  われわれは「精神〔精霊〕」へと進む。それはじつに確かなことだ,おれが言うことは神託だ。

だと思われるが,正確に読む必要があるだろう。
ドメニー宛のヴォワイヤンの手紙における「数」は
詩篇の均整(音綴数・詩行数などの構成美)を示す。

「悪い血」では科学と進歩を揶揄している。
「なぜ回らないのかね?」の主語は「世界」であって「科学」ではない。
(地球の自転・公転がランボーの念頭にあったのかもしれない。)
「さまざまな数字の幻想」の部分は多義的だが,
たとえば当時スエズ運河の開通に続いてパナマ運河の工事が行われていたが,
そのような「進歩」に伴う「科学」の数字,資金の数字がいかに膨大だったかは想像に難くない。
成功するか失敗するかにかかわらず,数字信仰が「世界」を動かしている,
そのことへの批判を,「悪い血」のこの箇所に読むべきだろう。

他の出典があるのだとしたら,ご教示いただきたい。

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 15:19:13 ID:NFaZuo82
ランボーが唯物論という言葉を持ち出したのは、自己と外的事物との関わりにおいて、
思考ではなく感覚(物性)により結びついているということからだと思う。

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 17:12:53 ID:KBIplrYY
>>359 同感。

ついでだが,
科学が思弁ではなく実験と観察に基づくものだとすれば,
感覚を重視したランボーと根本的には重なる部分があるのだが,
ランボーは「進歩」のイデオロギーというか
スローガンになった科学を批判したのだろう。

それにまた,ランボーは性急だったので,
科学の発展の速度にいら立っていたようだ。
(『地獄の季節』の「不可能」の終りのほうと
「閃光」の始めのほうに,そういう言葉がある。)

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 17:15:45 ID:4gIYKsc6
唯物論っていう言葉(思想)は、範囲が広いから気をつけねば。
一切を物体として見る思想から、神秘主義、超越主義的なものでないかぎりは精神的な存在はもとより、心霊的な存在も認める唯物論もある。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 11:34:10 ID:sK8MUX6E
どうも唯物論つう言葉がいけないようだ
でも他に適当な語彙を思いつかない
ランボーは幸福の魔法とも言っている
その欲求はよく理解できる
希望とか夢とか、耳ざわりのいい言葉の裏側には闇が拡がっている。

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 16:17:36 ID:bpHE0z+a
ランボー4マダーーーー?

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 21:49:34 ID:1/AaLTIp
たしかに唯物論というのはきっちり限定して使わないといけないのだが,
ランボー自身が matérialiste という用語(形容詞)を使っている以上
(ドメニー宛ヴォワイヤンの手紙)使わないわけにもいかない。
ただし,用例は上記の手紙以外には韻文・散文・手紙いずれにも見当たらず,
あまりこの用語に拘泥する必要もないと思われる。

要するにランボーは哲学者でも神学者でも社会主義イデオローグでもなかったので,
「唯物論的」という用語もその詩の理解に資する足る範囲で取り上げればよい。

もっとも,>>320>>337 には別の考えがあったのかもしれない。

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 22:35:15 ID:1/AaLTIp
>>362 = 320 だったのかな。
だとしたら >>364 の末文は余計なお世話だっただろう。失敬した。

>ランボーは幸福の魔法とも言っている
>その欲求はよく理解できる
>希望とか夢とか、耳ざわりのいい言葉の裏側には闇が拡がっている。

このへん,わかるような,わからないような。
もう少し展開してほしい。
ランボーの欲求やその表現の闇を理解しようとこまごまとした読解を
重ねているのだ。

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 19:49:01 ID:YmblxpzV
アル中の乱暴ね

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 05:54:24 ID:IXrCIBap
>>365
乾きしかないって小林もいってるだろ?
17歳のランボーにありえるのは乾きと条件付きの客観だけ
それが大人の認識論

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 14:57:43 ID:NIgiEKTY
ランボーがどうして前期の韻文詩から地獄の季節へと飛躍できたのかが
よく解らない
ベルレーヌなんてそんな相手じゃないだろう?
薄っぺらなロマンチストじゃないか…

俺は母音の色を発見したと言い、つまり詩の秘密を理解したんだ
でも翻訳は保留したと言い放ち、結局、詩なんてどうでもよかったのさ
自分が幸福の魔法にかかっていたのを理解したんだよな?
ランボーの乾きと言ったところで、そいつは父親への憧憬だったと
解釈されてもいいようなものだろう? 
そうゆう心理分析的な言葉をランボーは残していない
いきなり地獄の季節でありイルミナシオンで
突き抜けてしまった…これが不思議だなぁ…。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 20:52:14 ID:YDys6iMh
べつに不思議ではない。ヴォワイヤンの詩論の発見と、その実践とが飛躍の理由ではないか。

それとも、ヴォワイヤンの詩論など、実体のない戯言とお考えか?

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 11:13:30 ID:w5aJ/Md4
詩論とか、ランボーは論理的ではない
つうより論理を当てにしてはいない
デカルトなんかにゃ師事しちゃいない
その論理の飛躍に戸惑っているのじゃないの? みんな
なにせいきなり地獄の季節だ

 おお季節よ!  おお城よ! だからな…

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 22:31:31 ID:E02oksUM
何を言いたいのかよくわからんが、飛躍の謎解きを「見者の手紙」に求めてはいけないのか?

彼自身の宣言を黙殺して、飛躍の根拠を他所に求めようとしているのかね?

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 00:24:16 ID:inMvSzVR
見者の手紙は、
ただ単に、見たものは見たんだ、詩人は新しいヴィジョンを見なければならない、
詩人が見たヴィジョン、詩人が作った表現こそが人類を進歩させる、
詩人は命を賭けて未知の世界へ行く、俺は詩人だ、詩人は俺は未知の表現で未知の認識を人類に与える、
そういうことを、十代の天才が熱狂的に言っているだけのことです。
だからこそ、魅力があるんです。
しかも『酔いどれ船』が創作されていたことを考えると、既に実践したことを語っているといえる。
別に何の理論もなく、ただ自分の文学的情熱と、未知の類の詩を創ったという激しい体験を、とり憑かれたように、書きなぐったようなものだと思う。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 14:31:24 ID:R168z1aY
ランボー=地獄の季節なわけで
前期の韻文詩に何を求めるつうのだい?
仏文に進んだ同級生がいたが、韻文詩を読んで面白くないって言いやがった
あたりまえだつうの

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 23:58:09 ID:LkQIy9RT
いや、どっちかつうと、ランボー=イリュミナシオンだろ。彼の芸術の到達点はこっちだぜ。

「地獄の季節」は、彼の心理的自叙伝であり、文学への絶縁の書でもある。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 22:55:10 ID:KzCONOnh
再び...

「あらゆる感覚の長期にわたる合理的錯乱」について語れ。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 14:20:28 ID:ohFO0QvW
>>375
あんまり、少年のたわごとを大の大人が本気にしていると笑われるぞ、
彼の詩の魅力はそんな箴言めいた語句の内容にあるんじゃない。


377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 14:27:56 ID:d28JRuKx
どうでもいい俺もランボーを嵌めてみたかった。

378 :ゆう:2007/11/01(木) 15:04:09 ID:R+BBidB/
http://blogs.yahoo.co.jp/yutoyuto26302630

現役高校生のブログです。
自作詩からメンタル系まで幅広いです。
宣伝でスマソ。

379 :◆yxoSe0qFeA :2007/11/01(木) 16:55:28 ID:T0YPNZNC
宣伝便乗。

酔いどれ未成年、早のブログです★
ランボー大好きです。ニーチェスレよく荒らしてます。
http://beatriceuplift.blog122.fc2.com/
論文・詩・小説・SS
芸術/哲学/心理学/神話/宗教

宣伝失礼しました。

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 15:42:56 ID:JDYzRdy5
イルミナシオンは到達点ではなく
引き返した後の心境みたいなもので
言わば酒をしこたま飲んだ翌朝みたいなもので
二日酔いで頭ガンガンなんじゃないの? w

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 00:21:31 ID:E6NDKEnn
どうもみんな斜に構えるのが賢いとでも思ってるのかな。
なんかつまらんな。

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 02:36:32 ID:Ml7GeoEo
イリュミナションは、大麻(ハシシュ)の影響も大きそう。Hっていう詩は、ハシシュの頭文字ていう説もある。

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 10:34:59 ID:X1VnN8Zu
ラテン系の言語ではHは発音しないので、アシッシュだな

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 13:47:40 ID:K//XtEr2
†haschi(s)ch (m.)

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 03:35:49 ID:1zAu0QGr
ボードレールにも「人工楽園」という薬物依存書があるよね。
ランボーは彼の事を「真の神です」とまで言っていたようだけど、
どこらへんまで影響を受けているのだろう。

1857年初版の「悪の華」は、早い時期から入手して愛読は
していたのかな。

学生時代の詩「太陽と肉体」は、ボードレールの「無題(僕は
好きさ、太陽神フェビュスの奴が・・・/堀口大学訳)・・「呼応」の
次に来る詩」の模作とも言える雰囲気だし、後期の「告別」も、
「秋の歌」の雰囲気。

「献身(妹ルイズ・ヴァナン・ド・ヴォランゲムへ・・・/小林秀雄
訳)」も、ボードレールの「燈台(リューベンス、これは忘却の大河
・・・/堀口訳)の、誰かの名前を上げては箇条書き的に記述する
やり方が酷似している。

手紙や言動等に何も残されていないけれど、かなり愛読して
影響を受けていたような気がする。


386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 04:54:13 ID:7kBOjRxg
>>385
ランボーはボードレールからうまれた。
これは定説だろ?
しかし、ボードレールとはまったく違う独自の詩美を打ち立てた。
本当なら、十代のガキができるこっちゃない。やはり天才というしかないな。

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 15:36:40 ID:3cRTAFsc
韻文詩はボードレールだろうが
んなこたあ関係ねえ
問題は地獄の季節なんだからな

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 20:41:48 ID:zZg973KB
今は紅葉の季節なんだからな

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 15:13:45 ID:hxXKzU2l
いったいみんなはランボーのどこを読んでいるの?
そらあ前期の韻文詩だったら所謂「詩」だが
あの「地獄の季節」でランボーは詩なんかじゃないと思ったのでは?
自伝的な回想なんて意見もあったが、それだけじゃないだろう?

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 01:25:10 ID:nnYHIm7A
>>375
まだヴォワイヤンの手紙は語りきれていない。
近いうちに議論を再開したい。365より後の書き込みをざっと見ると
どれも丸投げというか理解の放棄だな。
まぁ,自分だけはわかっているということなのだろう。
残念ながらあまり参考になる意見はなかった。

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 19:35:24 ID:T/ORjDIH
>>390
いやいや・・・
詩人の熱に浮かされた手紙は、詩以上でも以下でもありませんよ

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 22:16:15 ID:mcJgXf3V
391のような人多いね。ランボーが見たものは何か? みんな興味ないのかな。

>>391
いままでの議論で、「手紙」の全体の流れはおよそ掴めたと思うが、核心部分に
切り込んでいくのはちょっと骨の折れる作業ですね。

その前にどこか点検しておく部分はありますか?


393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 23:16:48 ID:mcJgXf3V
失礼、アンカー間違えた。

>>390
いままでの議論で、「手紙」の全体の流れはおよそ掴めたと思うが、核心部分に
切り込んでいくのはちょっと骨の折れる作業ですね。

その前にどこか点検しておく部分はありますか?


394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 00:08:36 ID:cUx7/DMP
ランボー者

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 06:58:55 ID:NNbWix4E
>>393
「見る」という行為が単純すぎて,どうにも理解が難しい。
ロマン派も写実派も科学者も凡人も「見て」はいるのだが,
何を見ているか,どう見ているかは異なっている。
その辺をきっちり分けていくと
ヴォワイヤンが何をどう見る者なのかが
はっきりしてくるのではないか。

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 12:11:12 ID:0dWhALbC
青空なんぞは暗いのだ、ってか

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 15:17:08 ID:GQ5Jzs0r
何をどう見るじゃなくて、すべてを見る者だろう
すべての物を自分の思う通りに見るにゃ
すべて他人の見方を止めなきゃならねえ
つまり、すべてを一から自分で構築しなきゃならねえ
…そら諦めてしまうわな、翻訳は中止だな

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 20:58:14 ID:NNbWix4E
その後(>>227>>229以来)
ヴォワイヤンという用語の用例がたまたま見つかったので引用しておく。

  芸術は,完全かつ真実であるならば,
  超越的〈現実〉の宗教的な啓示を人間に与えねばならず,
  〈民衆〉の,――〈ヴォワイヤンたち〉の普遍的な〈一体化〔コミュニオン〕〉
  であるこの理想的な民衆の知性に捧げられた信仰でなければならないと,
  彼〔ヴァーグナー〕は理解した。

    (エドゥアール・デュジャルダン,「バイロイト――ヴァーグナーの理論」,
    「ヴァーグナー評論」,1885年8月8日,206頁)

ランボーがヴォワイヤンの手紙を書いてから14年後だが,
イザンバールがその手紙を世に知らしめるより27年前なので,
デュジャルダンは知らなかったはずである。
ここで言われている宗教はキリスト教ではなく,
代替宗教としての芸術の神聖化のことだ。
ここでのヴォワイヤンの意味は,神たるヴァーグナーの楽劇を理解できる者,
ひいては象徴主義の詩を理解できる者,
芸術に関して先見の明のある者といったほどのことだろう。
とりあえず,ヴォワイヤンという語が,
宗教ないし反宗教あるいは代替宗教の文脈で使われることの例にはなると思う。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 22:19:23 ID:NNbWix4E
見ることが身上なのはランボーに限らない。
およそ見るということが,知全般のメタフォールだからだ。

ヴィジオネールと称されたユゴーは近代的な共和制のヴィジオンを見て政体の流れ行く先を示した。
「現実」を見た写実主義者は現代の芸術から娯楽に至る嗜好の主流を決定した。
科学者は望遠鏡や顕微鏡でしか見えない世界を見た。

彼等はいずれも世界を変えたと言える。
政治は力で決まるのが現実とはいえ,現代ではヴィジオンのない政治はありえない。
対外侵略と奴隷経済を基盤とする古代・中世は別として,
フランス革命は先行きのヴィジオンがなかったので恐怖政治に帰着した。
それ以前の王政は漠然とした未来と延命策があったのみ。
ヴィジオンがなけれは成り立たない政治はロマン主義以前には存在しなかった。
また,「現実」に立脚しない(リアリティのない)芸術は現代では主流となりえない。
平等の原則(誰でも理解できること)を基本にして,成功か出世か金儲けか恋愛か結婚か,
あるいはその逆に,誰の身にもふりかかる不幸を主題にするのが
現代の文学,映画,その他の主流というか商業的成功の共通項となった。
科学者が見えない世界を見えるようにしたことで世界が変わったことには贅言を要せず,
遺伝子科学もインターネットもない現代は考えられない。
これらがすべて見るという知の働きに還元できる。

さて,これらに比べてランボーは何をどうやって見たのか。
たとえばランボーの作品とユゴーの「レ・ミゼラブル」と比較しても,
ユゴーはランボーの二十倍も書き続けたのだから当然と言えば当然とはいえ,
ランボーよりユゴーのほうがはるかに多くを見ている。
しかし,ランボーがユゴーにはない感動を残したことも確かである。
はたしてランボーは何をどう見たのか。この問いは不可避である。

以上はランボーに対する,その業績と後代への影響の規模という点での批判ではあるが,
ランボーが書き残した物はいまだに多くを埋蔵したままの鉱脈だと思う。
わずかに見えるものを頼りにその鉱脈をさらに深く掘り続けていきたい。

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 23:33:20 ID:NNbWix4E
>>385
「悪の華」は一部削除されたとはいえ発禁書ではなかったから,
ランボーが読む機会はあったはずである。
ただし,カトリックのインデックス(禁書目録)に載っているので,
家庭環境から見て,自分で買うことはできなかっただろう。
イザンバールかドメニーかから借りて読んだのではないかと思われる。
(きちんと調べてなくて面目ない。)

「太陽と肉体」は,古典派からロマン派・高踏派を経て象徴主義まで
伝統的に続くギリシア・ローマ崇拝の流れを汲んだ作品。
古代と現代との比較という主題はルネサンス以来ある。
ボードレールの「無題(僕は 好きさ、太陽神フェビュスの奴が・・・/堀口大学訳)
は,現代において人間の裸体が見られる場所(見世物小屋か娼館か)を
喚起したところが脱神話的でショッキング。
ランボーのほうはまだ習作で,まだこの時点ではボードレールには染まらず,
懸命に(当時の)現代詩に追いつこうとしているように見える。
(ボードレールに長大な詩は少ないが,ユゴー,バンヴィル,ゴーチェ,
ルコント・ド・リールなどは延々と長大な思想詩を書いていた。)
フランス語の詩としての出来栄えもあまりよくない。
同時期でも「初めての宵」,「感覚」,「オフェリア」などは出来が良い。

「献身(妹ルイズ・ヴァナン・ド・ヴォランゲムへ・・・/小林秀雄訳)」
は教会に奉納する願掛けの絵馬のスタイルを模したものとされている。
日本でも神社に行って絵馬を読むと馬鹿馬鹿しいことを真剣に願掛けしている文言に
呆れたり笑ったりするものだが,ランボーはそうした馬鹿馬鹿しさと真剣さのもつ
奇妙な味を散文詩に生かそうとしたのだろう。

>後期の「告別」も、
>「秋の歌」の雰囲気。

サルトルのマラルメ論によると,フランスの詩人が秋を愛好するようになったのは
ヴェルレーヌやマラルメの頃からだそうだ。
そのお手本がボードレールなので,ランボーもボードレールに倣ったのだろう。
春夏秋冬は,カトリックの象徴解釈によると,少年・成年・老年・死に対応し,
秋を共感的に歌うのはデカダンスだった。
ただし,「地獄の季節」は夏なので,必然的にその終章が秋になったとも言える。
ランボーにはパスティッシュの才能があった(学生時代の課題詩・課題作文)ので,
その逆に,影響を見破られないようにする韜晦の技術もあったと見るべきだろう。

ランボーがボードレールを「真の神」と呼んだのは,
後者の反カトリックなモラルと
コレスポンダンス(万物照応)の詩法が理由ではないかと思われる。
共にボードレール解釈の要であり,奥が深い。

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 23:59:00 ID:NNbWix4E
再び>>385

>ボードレールにも「人工楽園」という薬物依存書があるよね。

「人口楽園」は,むしろ薬物依存への警告の書だ。
トマス・ド・クインシーもボードレールもランボーも
麻薬を試みたとはいえ,それが偉いわけではない。

「私は沈黙を,夜を書いた,言い得ぬことを記録したのだ。眩暈を定着したのだ」
とランボーは言った。重要なのは書き,記録し,定着したことであって,
酒や薬に酔ったことではない。酔うだけなら凡人か廃人であり,
覚めて書いたからこその詩人だ。

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 07:54:19 ID:JgiNFl3s
>何をどう見るじゃなくて、すべてを見る者だろう
>すべての物を自分の思う通りに見るにゃ
>すべて他人の見方を止めなきゃならねえ

すでに>>225で言われていることだが、ランボーの「見る」は、「現在の事物の観察に基づく探究」なのであって、
その方法自体の個別性を論じなければ意味がない。

さらに先走って言えば、おそらく彼が見たものは、その見方を自分自身で自由に選択できるようなものでは
なかったと思う。確かに「あらゆる感覚の… 」は、彼の発明であったとしても、その果てに何を見るように
なるのか、彼自身にもはっきりとはわからなかった筈だ。でなければ、「見たものを理解できなくなっても… 」
が不可解になる。


403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 07:59:45 ID:JgiNFl3s
「傍観者に、私の絵を私が生きたように生きることをどうして期待できよう。絵は、何マイルも遠くから
私のところにやってくる。どんなに遠くかわからないが、私はそれを感知し、見て描く。しかも翌日になれば、
私は自分の描いたものを見ることができない。他人がどうして、私の夢、私の本能、私の欲望、私の思想
(成熟し、陽の目を見るのに長い時間を要した)の中に這入って、私が恐らく自分の意に反して尋ねていたものを、
捕らえることができようか。」

これはピカソの「声明」のなかの言葉だが、おそらく全く同じことをランボーも言えた筈だ。
ランボーの詩を理解する困難の本質がここにあるように思う。だだ、読み手に強烈な印象だけは残る。

ピカソの言葉は54歳のときのものだが、ランボーの場合、思想の成熟は異様に早く訪れた。


404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 12:03:54 ID:Yt8C++C2
>>403
ピカソの文章はいつも晦渋だなw
これもヴォワイヤン故か?

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 13:49:32 ID:Ozuz29Qd
詩人にとって,物の見方は表現の仕方と切り離せない。
ランボーはヴォワイヤンの手紙で

  このような言語は魂から魂へ向うだろう,
  思考を引っ掛け引き出す思考の,
  芳香,楽音,色彩といった,すべてを要約しつつ。

と述べているが,ここにはボードレールの
「照応〔コレスポンダンス〕」の詩法の影響がうかがえる。
これに関して最も充実した詩論は
「エドガー・ポーに関する新たな覚書」の特に後半。
(筑摩版ボードレール全集,または筑摩学術文庫)

さらにこの「覚書」の元になった
ポーの詩論「詩の原理」。
(創元社版ポー全集または創元推理文庫)

以上,最低限の参考資料。

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 14:03:16 ID:Ozuz29Qd
>>403 同じ方向に顔を向けていても,
物が見えている人間もいるし,まるで見えていない人間もいる。
さらに後者はこの事実が認識できない分,二重に物が見えていない。

「私が恐らく自分の意に反して尋ねていたもの」とは名言だ。
ピカソの眼はピカソ本人が辟易するほど勤勉な眼だったのだろう。

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 15:41:07 ID:EQt6YL2E
>>406
よく分からんのだが、
自分の描いたものすら見ることができなくなってしまうほどのものを、まして他人がどうして、私の夢、私の本能、私の欲望、私の思想の中に這入って、捕らえることができようか?
また、その上なおさら、私が恐らく自分の意に反して尋ねていたものをまで、捕らえることができようか?

ってな具合に意訳してOKか?

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 17:56:36 ID:Ozuz29Qd
>>406 その意訳のほうが難解なのだが……。

>>403から細切れに引用させてもらうが,

>傍観者に、私の絵を私が生きたように生きることをどうして期待できよう。

簡単に言えば,ピカソは自分の絵は他人にはわからないだろう,と言っている。
しかし,これは絵のわからない他人を馬鹿にしているわけではなくて,
創作の状況をたどりなおすことは誰にとっても絶望的に困難であり,
むしろ不可能であることを認識した言葉だ。
ピカソがどういう手順で描いたか,そのタッチのひとつひとつをたどりなおすこと,
そのとき彼の眼がどのような順序と注意力で対象とカンバスを行き来したかを再現すること,
すなわち彼の絵を彼が生きたように生きることは,彼自身にもできない。

>絵は、何マイルも遠くから 私のところにやってくる。
>どんなに遠くかわからないが、私はそれを感知し、見て描く。

この「絵」という用語が紛らわしいが,
完成したカンバスのことではなく,描く対象,描かれるべきもののことだろう。
日常的な視覚と絵を描くときの視覚との次元の違いを
「何マイルも遠く」という比喩で表している。

>しかも翌日になれば、私は自分の描いたものを見ることができない。

これも完成したカンバスのことではなく,描かれるべきだった事柄のことを言っている。
絵を描き終わると,もはや描かれるべきものは残っていない。

>他人がどうして、私の夢、私の本能、私の欲望、私の思想
>(成熟し、陽の目を見るのに長い時間を要した)の中に這入って、
>私が恐らく自分の意に反して尋ねていたものを、捕らえることができようか。

「私の夢、私の本能、私の欲望、私の思想」は
「成熟し、陽の目を見るのに長い時間を要した」という。
それは再現不可能なタッチの無限の積み重ねのうちに出来上がったということだ。
「私が恐らく自分の意に反して尋ねていたもの」も,描かれるべきだったものだ。
ピカソの眼は彼の意に反して物が見えすぎる。
そのために描く過程は本人にも再現できないほど複雑になる。
ましてや他人にそれが捉えられるはずがない,ということだろう。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 19:39:32 ID:JgiNFl3s
「絵は、何マイルも遠くから私のところにやってくる。」この「絵」は、言うまでもなく意識の集中
(彼は注意力と言う言葉を使う)の中で、彼の視覚がつかんだあるヴィジョンだ。彼は極度に注意力を
集中しているので、このプロセスを意識しない。本当に絵が何処かから現れるように彼には感じられたに
違いない。

これを画布に定着した後、注意力の集中が解かれると、おそらく彼はそのヴィジョンを失うのだ。
もう一度これを得ようとするなら、再びモデルを前にして注意力を集中させなければならないのだが、
昨日得たヴィジョンをもう一度彼の視覚がつかむとは限らない。これが、自分の書いたものを明日は見ることが
できないという意味だ。


「歴史を蔑み、諸原理を忘れ、数限りない幻は、常々俺の所有であった。(小林訳)」
これは、ランボーはランボーの象徴の森を通過したと言う意味だね。

「最初の見者」ボードレールに、ランボーが出会った場所に違いない。

「エドガー・ポーに関する新たな覚書」は読んでみます。


410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 20:01:39 ID:yVUqBbuA
昔、NHK教育の番組で断片だけれどピカソがキャンバスに描いていく
様子を反対側から記録撮影した映像を見たことある人なら何となく
わかるかもね。
ピカソは新しい線が出来て何かを構成しそうになると消しては描き直す
事を繰り返していた・・・。

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 20:02:29 ID:yVUqBbuA
追記

それはまるで描きながら思索しているようだった。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 00:47:59 ID:2OVDiz0+
このピカソの文章って、ランボーより、モーツァルトの語っていることと似てるな。
出典を出せないのだが、「音楽が天から舞い降りてきて、自分に曲を書かせる、それはなんて極楽なことなんだろう。誰かそれを分かってくれ」みたいな文章をどっかで読んだ記憶があるw

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 01:35:21 ID:adQJSj2X
>>412
そんなもの古代ギリシャの昔から、西洋人がよく使う常套句だよ。

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 12:11:59 ID:qJYl4tbp
僕が知りたいのは、こういうことなんだ。

ピカソとランボーの場合で、感覚行使の方法は同じ種類のものなのかどうか。
同種の方法の裡にあって、掴んだヴィジョンに画家の色彩やフォルムに関する技術が応じれば
ピカソの絵になり、修辞の技術が応じればランボーの詩になるということなのか?

あるいは、ランボーの「あらゆる感覚の…」とは、ピカソが言ってるような事とは、全く別の何かなのか?
別のものとすれば何なのか? 

これを追求した論文や研究がきっとあると思うのだが...


>>405の言うように、もっと言語表現というものに即して考えなければいけないと思っているのだが、
僕には掘り下げていく力がない。


415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 12:19:32 ID:qJYl4tbp
414は、イリュミナシオンなどで、視覚的なイメージを強く感じさせる詩についてのものです。

「全ての毒を汲みつくす…」について、また別の観点からの検討が必要になると思います。

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 15:28:50 ID:wRxfsQXs
>>414
>これを追求した論文や研究がきっとあると思うのだが...

確かに,ありそうだが,なかなかない。ランボーもピカソもあまりに大物すぎて,
学術的に厳密に論証していくのが大変だからではないかと思う。
小林秀雄のように,それほど厳密さを要求されない評論という形で論じたものなら,
美術批評などで見つかるかもしれない。
それはともかく,芸術技法的な側面について,
ポー,ボードレールをもとに考えられることを以下に記してみる。

ポーは精神世界を,純粋知性,美意識,倫理意識に分類する。
これはカントの批判哲学の系統を継いでいて,伝統的な真善美の分類に対応するが,
創作の分野でこの分類を徹底したことは大きな一歩だった。
詩は宗教や道徳や教育から独立した価値をもつという宣言だった。
ボードレールは,ポーの詩論をポーの人生とともに,宗教や道徳や教育,
要するに社会から逸脱し迫害された詩人の運命の典型としてヨーロッパ社会に紹介した。
これがランボーら後続世代の反社会的な詩作と人生を後押しすることになる。
が,それだけでなく詩論の内容も重要である。
ボードレールは「ポーについての新しいノート」でポーの詩論をもとに次のように敷衍した。

「この讃嘆すべき,この不死なる,〈美〉への本能こそ,
われわれをして,地上とそのさまざまな景観とを,
〈天〉への一瞥とも,〈天〉の照応物とも見なさしめるところのものだ。
彼岸にあるところの,そして生が啓示するところのものすべてに対する飽くところなき渇望は,
われらの不死性の,最も生き生きとした証しである。
墓の背後に位置するもろもろの荘厳を魂が垣間見るのは,
同時に詩によりまた詩【を通じて】,音楽によりまた音楽【を通じて】である。
そして一篇の至妙なる詩篇が目の縁に涙を誘う時,
これらの涙は過度な享楽の証しではなくて,
むしろまことに,苛立たしめられた憂愁を,神経の請願を,
不完全なるものの中に流謫されて,しかもまさしくこの地上で,啓示された一個の天国を
即座にわがものにしたいと望む天性を,証言するものなのだ。」
(「エドガー・ポーに関する新しい覚書」,阿部良雄訳筑摩ボードレール全集第II巻173頁)
(【を通じて】の部分は原文では傍点。)

「地上とそのさまざまな景観と」に対する「〈天〉への一瞥」や「〈天〉の照応物」は
ランボーやピカソのヴィジオンに相当するだろう。
「照応」は諸感覚の混淆(コレスポンダンス)で,
ランボーのいう「諸感覚の……合理的錯乱」の出発点になっている。
また美術への言及はないが,「詩によりまた詩【を通じて】,音楽によりまた音楽【を通じて】」
という箇所は,ヴィジオンが諸芸術に固有の具体的な技法によることを示している。
ポーの「詩の原理」ではさらに次のようにある。

「詩的情緒は,絵画,彫刻,建築,舞踊,とりわけ音楽に,また変わったところでは,
広い場所をとって,庭園の造築にと,さまざまな形式をとって現れることは言うまでもない。」
(「詩の原理」,篠田一士訳,創元推理文庫『ポオ詩と詩論』,249頁)

要するに,詩も絵画も根本では同じなのだろう。ただし,ピカソについては,
ランボーを詩人たちの系譜から理解しようとするのと並行して,
画家たちの系譜をたどり,絵画論を整理して位置づけるべきだろう。
その上でランボーとピカソを比較できれば万全だ。残念ながら,私にはできないが。

ひとつ付け加えておくと,ポー,ボードレールは真と善に対する美の独立を表明したが,
ランボーでは,美による真と善の改革とでもいうべき過剰かつ過激な傾向が生じている。
建設と破壊の交替の連続に「地上とそのさまざまな景観」が雲散していくような詩の数々は,
このような価値観の転覆から生じているのではないか。

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 15:41:42 ID:yDifizOl
なぜランボーとピカソを並べるのか理解できない
あらゆる詩の理論とか神の啓示とか荘厳とか
本当にランボーすなわち地獄の季節を読んでるの?

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 16:48:32 ID:wRxfsQXs
>>417
九月にさかのぼるが>>142あたりから読み直せ。
小林秀雄「近代絵画」も参照のこと。
ランボーに限ったことではないが,
本当に読むというのはそう簡単ではないのだよ。

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 19:12:24 ID:qJYl4tbp
>>417
並べてるって言うより、「全ての感覚の…」に非常に類似の経験を語っている言葉として、
ピカソを挙げた。つまりヴォワイヤンの詩論を読み解く助けになるのでは、ということです。

もし、全然違うというなら、是非理由も挙げて説明をしていただけるとありがたい。



420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 19:32:04 ID:hEBf2vrl
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
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○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 23:18:29 ID:wRxfsQXs
>>415
>「全ての毒を汲みつくす…」について、また別の観点からの検討が必要になると思います。

この箇所は多分にジャン・バルジャン像が反映しているように思う。
同じ手紙で「『レ・ミゼラブル』は真の詩だ」とも言っている。

また,篠原義近『ランボー「地獄の季節」探照』(国文社昭和56年)は,
『地獄の季節』の「悪い血」にある,囚人への讃嘆,囚人が
滞在した場所への歴訪の記述の裏にも同じ読書体験を読み取っている。
首肯すべき説だ。

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 01:22:00 ID:ruFgZ339
思ったより伸びてんじゃん
このスレ

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 18:27:32 ID:Mgj0cvuV
いやぁ、皆さんのお陰だす。
これからもあんじょう頼んまっせ。

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 01:41:31 ID:LIRL/mG5
>>401 (麻薬の話題)に関連しての雑談になるが,
ランボーというと不良少年で無頼のイメージが強い。
しかし,彼はどれほどハシシュに耽溺したのだろうか。
むろん,どれほど耽溺したとしても構わない。
結果としてあれだけの作品(イリュミナシオン)を残したのだから。
麻薬は知らないが,酒に酔っ払って言い散らしたり書き散らしたりしたものなど,
たいてい翌朝になってみれば単なる醜態,他人に見せれば赤っ恥をかくに決まっている。
ランボーは幻覚を見たとしても,覚めてから書いたに違いないと思う。

それにまた酒も煙草も(当時は主として葉巻であり,紙巻きでもライトやマイルドはない)
二十歳前の青少年が詩を書くほどの余裕をもって楽しめるようになるまでには
結構,暇がかかるものである。ハシシュも似たようなものだったのではないかという気がするが,どうか。
『地獄の季節』の「不可能事」には,「飲酒!煙草!無知!献身!
――これらすべては原初の国〈東洋〉の叡智からかなり遠いのではないか?」
とあるが,あんがいランボーは酒も煙草も受け付けない体質だったのかもしれない。

初期作品はもとより,「後期韻文詩」にせよ『地獄の季節』にせよ『イリュミナシオン』にせよ,
原文に当たると,きわめて完成度が高い。酔っ払って書き散らしたどころか,
二度三度ではおさまらない推敲を経ているとしか思えない。
(『地獄の季節』の一部には草稿が残っていて,これは非常に完成度が低い。
(また,「後期韻文詩」のうち『地獄の季節』「錯乱II」に採録されたものは
(推敲されてより良くなっている。)
こうしたものが赤貧の放浪生活のなかで書かれたこと自体が驚異だ。
ハシシュに陶酔している暇があったのかどうか,疑問に思えるほどだ。
机に向ってペンを走らせるに必要な時間と,作品の分量を物理的に比較してみると
ほとんど暇さえあれば書いていたのではないかと想像される。

で,ヴォワイヤンの手紙に触れると,
彼が「詩人になろうとする人間の第一の研究は自分自身の全的な認識だ」とか
「あらゆる感覚の,長く,広大な,合理的な錯乱」とかと言うとき,
問題となるべきは,そのデカダンな見かけよりも,生真面目さではないかと思う。
同級生のドラエーはランボーがいかに几帳面な優等生だったかを伝えている。
ランボーの個性は無頼や乱脈ではなく,
異常な生真面目さにあったのではないかという気がする。
彼にとって放蕩とは,自分の面に疣を植えて育てて観察することだった。

ランボーは,ありふれた不良少年ではなく,
むしろ逆に,社会生活に支障をきたすほど几帳面で真面目な,
真剣に悪行を試みて冷静かつ精力的に自己を観察する若者だったのではないか。

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 01:53:05 ID:LIRL/mG5
うぅむ,ageていないのに上がってしまった……

上記は,麻薬体験を否定しているのではなく,
それ以上に生真面目さがランボーのデモンだったのではないかという仮説だ。
恋愛詩人は一度の片思いで何十篇もの恋愛詩を書く。
それになぞられてもらいたい。

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 01:57:30 ID:LIRL/mG5
いやはや,駄文に時間を費やしていると地獄の業火に焼かれたくなるものだな。

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 03:43:52 ID:vpvINYi4
>生真面目

パラノイアとも言えるね。実際、ランボーも天才の例に漏れず生真面目だったのさ。
人生をバランスよく、己が才能を過信し、斜に構えた人間が一番天才に遠い。

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 04:57:19 ID:ny+bV5Cl
>彼岸にあるところの,そして生が啓示するところのものすべてに対する飽くところなき渇望は,
>われらの不死性の,最も生き生きとした証しである。
>墓の背後に位置するもろもろの荘厳を魂が垣間見るのは,
>同時に詩によりまた詩【を通じて】,音楽によりまた音楽【を通じて】である。

これが、ランボーの言う、「不可視のものを綿密に検査するということ、これまで聞いたことのない
ものを聞くということは、… 」(ドメニー宛て書簡)に応じる部分、すなわち「ボードレールこそ
第一の見者」とする所以のものなのかな。

かなり難しい表現ですね。われらの不死性… 墓の背後に位置するもろもろの荘厳…


筑摩文庫では、ボードレールの評論文は4冊に分かれているけど、今は分売はしてないね。
4冊まとめて買った。たぶん明日には届く。美術評論が多いので、そっちも楽しみ。

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 15:55:40 ID:fz4hJdPz
ランボーがボードレールを崇拝していたのは
地獄の季節の前までじゃないの?
アデン・ハラル時代にゃボードレールどころか
詩そのものを書いてないからなぁ…
子供の頃に憧れた汽車の運転手とか、どうでもいいじゃん
まあ、ボードレールを読んでないからつうこともあるがな

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 21:13:59 ID:ny+bV5Cl
十九世紀後半のフランスにおける、印象主義とか象徴主義と呼ばれる新しい芸術的潮流の
先駆がボードレールだ。ランボーももちろんこの濃密な気圏の中にいたわけで、
ボードレールの詩論を検討するということは、ランボーが実際に生きた空気を
我々も呼吸してみるとうことに他ならない。無駄なこととは思わない。

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 22:27:06 ID:LIRL/mG5
>>427 たしかにパラノイアだな。天才と呼ばれる人間たちは本来,実に謙虚で
知りたくもなかった自分の天才に気づいて,律儀にそれに付き合った阿呆だとも思える。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 22:27:45 ID:LIRL/mG5
>>428 あぁ,なんだか余計な買い物をさせてしまったようで申し訳ない。
ポーの詩論はあまり神学的ではないのだが,
ボードレールはそれを翻案するさいにかなりカトリックに引き寄せている。
(ボードレール自身がカトリック左派というか悪魔主義的だったためだろう。)
後のマラルメの詩論になるとポーより脱宗教的になる。
アクの強さではボードレール翻案のポー詩論(「エドガー・ポーに関する新たな覚書」)
が一番だろう。それだけに難しくなっているが,
ランボーの『地獄の季節』も同様の反カトリックの悪魔主義なので,
両者は文学的な親子作品と言えると思う。

ボードレールが詩論において絵画への言及を避けていたのは,
もともと詩人として以上に美術批評家としてデビューしていたので,
そちらでの主張と詩論とが無用にごたまぜになるのを避けたのかもしれない。
もしボードレールの絵画論に興味を持ったなら,
同じ筑摩文庫の阿部良雄『群衆の中の芸術家』を強く推奨する。
マネやクールベといった反体制画家を擁護し,近代的視覚を言語によって定着した
美術批評家としてのボードレールを描いた批評書であり,
写実主義,印象主義,それぞれの頂点を浮き彫りにした名著だ。

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 22:30:06 ID:LIRL/mG5
>>429 ランボーは汽車の運転手つまり多数の中の無名のひとりで終わったのではなく,
同時代の詩人のうちで最も後世に名を残したのだから,重みが違うのだよ。
ランボーは当時の大多数の詩人が汽車の運転手だったのに
わずか数年で宇宙飛行士になってしまったような存在なのだ。
もうその先がないから詩を止めたのだ。
汽車の運転手にさえなれないで大人になった幼児とは次元が違う。

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 22:31:48 ID:LIRL/mG5
>>430 御意。まさにそのとおり。お気づきの点があればご指摘を乞う。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 22:39:31 ID:LIRL/mG5
>>428
>かなり難しい表現ですね。われらの不死性… 墓の背後に位置するもろもろの荘厳…

カトリック的には,「死後の永遠の魂… 死後の天国の栄華…」といった意味か。
詩論的には,「俗界にはない永遠の美… 俗界の背後にある芸術世界の荘厳…」と翻訳できよう。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 15:32:03 ID:zNdhQXnD
印象主義、象徴主義の先駆がボードレールつうのに異論はないよ
でもそれに影響されたランボーの逝きついた先はボードレールではないよ
だからボードレール云々が無意味だと言っているのだよ
ランボーの言う見者がピカソの見る目と関係ないのと同じだ
しかもランボーは宇宙飛行士になってないし、機関車の運転手にすら
なっていないよ

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 15:34:56 ID:zNdhQXnD
舌足らずを補足するが、ランボーは商人になっている
しかもかなり実直だ
つまり実社会を知っている、霞を食っていない、驚くべきことだが…

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 17:58:50 ID:lDB8Wj8u
>>436-437
何を言いたいのか、さっぱり分からんw

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 22:38:29 ID:ymd5fAyR
まぁ,ともかく分かりにくいものは分かるところから詰めていくしかない。
で,ヴォワイヤンの手紙(ドメニー宛)について。

「ギリシアにおいては,詩句〔韻文〕は〈行動〉を韻律化していた」
とあり,さらに何段落も後で,
「〈詩〉はもはや行動を韻律化しないだろう,それは先駆するものとなろう」
とある。

これが非常に分かりにくい。
とりあえず,大文字で書かれた「〈行動〉」と小文字の「行動」は
同じことを示しているだろう。
また「詩句〔韻文〕」と「〈詩〉」も同じことなのだろう。
この時期のランボーはまだ韻文詩を作っている。

ギリシア云々はまだ分かる。ホメロスやアイスキュロスが
過去にあった神話や英雄の事績(つまり行動)を
叙事詩や悲劇にしたこと(つまり韻律化)を言っているのだろう。

「〈詩〉はもはや行動を韻律化しないだろう,それは先駆するものとなろう」
という文が分かりにくい。というか個人的に分からなかった。
ギリシアはともかく,ランボーの時代において詩と行動とのそれぞれの意味は何か。
なぜ詩と行動との前後関係をひっくり返したか。
また,分かりにくい理由として,詩と行動とが同時であるような中間項が
語られていないということがある。
それでちょっと調べてみた。(つづく)

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 22:40:29 ID:ymd5fAyR
ランボーがギリシア以来の詩作を総ざらいしたのは,
ひとつには彼が文学を根本から考えようとしたからだろう。
また,当時の高踏派(ランボーの言う「第二期のロマン派」)が歴史主義だったからだろう。
しかし,詩と行動という二項はヴェルレーヌの処女詩集でも問題とされていた。
「サテュルニアン詩集」の「序詩」に,

    今日,〈行動〉と〈夢〉は砕けた,
    原初の契約が諸世紀によって使い古されたのだ

さらに続けて,詩人だけが夢の凶暴さを馴致できたのであり,
行動はいまや混乱に陥ってしまった,とヴェルレーヌは歌う。
そして行動と夢の乖離を踏まえて新しい詩人のグループの到来を讃える。

    世界は,彼らの深遠な言葉に困惑させられたので,
    彼らを追放する。彼らは彼らで世界を追放するのだ!

これは詩人の,世界あるいは社会に対する独立宣言である。
芸術至上主義による芸術家の社会からの離反宣言である。
なぜ,これまでヴェルレーヌの詩集が全訳されてこなかったのか,まったく不思議だ。
おかげで彼は漠然とした感情を歌うロマン派崩れのへぼ詩人にしか思われていない。
しかし,ランボーはおそらくこのヴェルレーヌの宣言に打たれたのだ。(つづく)

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 22:41:05 ID:ymd5fAyR
ヴェルレーヌが詩と行動との乖離を歌った背景には,
ボードレールの歎きがある。
『悪の華』所収の「聖ペテロの否認」で,彼はこう歌った。

    確かに,私はどうかといえば,出ていくだろう,満足して
    行動が夢の姉妹ではないこの世界から

そしてボードレールの満足=諦念の対立項として,
前世代(ランボーの言うロマン派の第一世代)すなわちユゴーやラマルチーヌの世代がある。
この世代は詩作と芸術の革新,社会の革命,詩人自身の出世が一致した世代だった。
ユゴーもラマルチーヌも大臣になったのだ。
それに比べてボードレールの世代には(さらにヴェルレーヌの世代,さらに遅れて
ランボーの世代になると),詩と行動の関係は離反ないし無関係となっていた。
>>439末尾で言った中間項に相当する。))

ヴェルレーヌと同時期,マラルメもボードレールの詩句に反応して
初期詩篇「窓」を書いている(その創作動機はマラルメの死後に刊行された書簡に
明らかにされた。ランボーがそれを読んだ可能性は皆無である)。
おそらく,ボードレールの詩句とともに,
ヴェルレーヌやマラルメの世代に,詩と行動をめぐる議論が広く生じたに違いない。
ランボーはその議論の延長で,詩と行動をギリシアに遡って論じたのだろう。

ロマン派第一世代において詩と行動とは一致していたが,
後続世代のボードレールは詩と行動の不一致を嘆いた。
ヴェルレーヌとマラルメの世代は詩と行動の不一致にむしろ居直って,
芸術至上主義,俗世間の蔑視の方向を選んだ。

こうした流れから,ランボーの主張が分かってくるように思う。
彼はロマン派,ボードレールの詩と行動をめぐる議論の末に,
ヴェルレーヌやマラルメのように芸術至上主義に立てこもるのではなく,
さらに新しく動的な詩人と社会との関係を構想した。
それが,詩が行動に先駆する,詩が新たな世界を作り出すという主張となったのだろう。
(おしまい)

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 10:08:48 ID:qEGeO8Mi
「もう秋か。---それにしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか、俺達はきよらかな光の発見に
心ざす身ではないのか、---季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。」

ランボーも結局は大衆離反に行くのだが、「手紙」を書いた時点では、大衆離反の考えはなかったのは
確かだ。「他の恐るべき労働者達があとに続いて… 云々」「普遍的なランガージュの時代… 云々」

俺は、ランボーのこの変化が、詩作放棄となにか関係があると思っている。


さて、<詩が行動に先駆する⇒詩が新たな世界を作り出す>と考えるなら、<詩句は行動を韻律化していた>
とはいかなる意味だろう。ギリシャにおいては、芸術は、生活(行動)を模倣、あるいは再構築するもの
に過ぎなかったと言う意味だろうか?


443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 11:03:06 ID:qEGeO8Mi
>ロマン派第一世代において詩と行動とは一致していたが,
>後続世代のボードレールは詩と行動の不一致を嘆いた。
>ヴェルレーヌとマラルメの世代は詩と行動の不一致にむしろ居直って,
>芸術至上主義,俗世間の蔑視の方向を選んだ。

ふむふむ、これはよくわかる考え方だ。俺はロマン派詩人はほとんど読んだことがなくて
申し訳ないが、音楽や絵画などロマン派芸術全般を考えれば、まさにその通りだと思う。


一般的現代人の芸術観に、いまだにロマン主義の影響が根強いのは、まさに、
>ロマン派第一世代において詩と行動とは一致して いるためだろう。



444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 12:59:32 ID:ijc7NxOL
>>442 「ギリシアにおいては,詩句〔韻文〕は〈行動〉を韻律化していた」
これについては >>439 で触れたが。
国家・社会を支える基盤となった戦争や政変,神話的な闘争の数々を
事後的に叙事詩や悲劇などの韻文作品に仕上げたということではないか。

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 12:52:54 ID:8Ux2Tuse
>>443 ロマン主義の詩は長詩が多くて,(そのせいか翻訳が少なく,)
今から見ると中編・短編小説かエセーか評論で書けばいいようなことを
わざわざ韻文で書いたようなものが多い。
詩的というより物語的あるいは思想的なものが多い。
しかし現代の小説やエセーより語り手のテンションがはるかに高い。
逆に言うと現代文学は読者大衆に対してかなり卑屈に構えている。
ロマン主義の時代は偉い人の立派な言葉を民衆がありがたく拝聴するという
受容形態が一般的だったのだろう。
(クラシック音楽などは今でもその傾向があると思うが。)

ランボーの初期の長詩はそういうロマン主義の作品を模倣している。
「遺児たちのお年玉」,「鍛冶屋」,「太陽と肉体」。
これらから類推されたい。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 14:17:12 ID:NALQovw3
だから初期の作品なんてどうでもいいじゃん
ガキの習作だよ

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 22:23:54 ID:X3XfItWB
>>446 それでは後期の作品についてお説を承ろう。

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 23:04:38 ID:NzRfPYB5
>>446
ランボーは詩と決別した時でさへ、肉体年齢的にはガキなんだけど。
「どうでもいい」という思考停止の言葉が安易に出るようじゃ、あんた駄目だな。

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 23:22:15 ID:X3XfItWB
いろいろ考えさせられるコメントだったので遅れたが,

>>442
>俺は、ランボーのこの変化が、詩作放棄となにか関係があると思っている。
同感。ランボーの詩作放棄は
ひとつに大衆との距離(「他の恐るべき労働者達があとに続いて… 云々」)
また詩作そのものの問題(「普遍的なランガージュの時代… 云々」)
があるだろう。
それからまたヴェルレーヌおよび詩壇との個人的付き合いの破綻と
ランボー本人の生活手段(リセ中退で食うにも困っていた)
もあるだろう。
しかし,後二者は前二者を理解するための補助線ぐらいにしか興味を惹かれない。
前二者は「地獄の季節」や「イリュミナシオン」を慎重に検討しつつ
確定していきたい課題だ。できるかどうかはわからないが。

>>443
ランボーに対する現代の見方もかなりロマンティックだと思う。
つまり,ヴォワイヤンの詩法という「詩」と,詩作放棄という「行動」とを
「詩と行動の一致」の「失敗」と見て,
言わば敗者に対する優越の視線で見ているのが大勢ではないか。
そのような見方でランボーを見ても何も得られないだろうと思う。
なぜなら,詩と行動に関して,
ボードレールとも,ヴェルレーヌ,マラルメとも,ランボーとも異なる
彼らを超えた立場には誰も立てていないからだ。
それゆえに,彼らの誰もまだ過去の人物ではないのだと思う。

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 00:50:27 ID:hBdreRto
ランボーは一度だけ若さに甘えた。
最初にバンヴィルに手紙を書いて「高踏詩集」への掲載を乞うたときだ。
ただし,そのときでさえ15歳を17歳と逆に水増しして子供ぶりつつ大人ぶった。
まぁ,これは15歳の子供だからまだ微笑ましい。
それ以後は子供ぶりもしなかったし,大人ぶりもしなかった。
そして大人も子供もなく人を動かすわずかな詩を残した。

マラルメは52歳になったとき,ようやく大人宣言をした(講演「音楽と文芸」)。
そして実際に若手詩人たちの擁護者となり,多くの俊英を育てた。
その詩と詩論は今もなお汲みつくしえない泉となっている。

自他共に,大人とか子供とか言うにはよほどの覚悟が必要だ。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 01:16:06 ID:hBdreRto
>>449 うっかりリセと書いたがコレージュだった。訂正してお詫びする。

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 01:27:34 ID:t5U1L5v4
>ランボーに対する現代の見方もかなりロマンティックだと思う。
>つまり,ヴォワイヤンの詩法という「詩」と,詩作放棄という「行動」とを
>「詩と行動の一致」の「失敗」と見て,
>言わば敗者に対する優越の視線で見ているのが大勢ではないか。

はいはい、その通りだと思います。

>そのような見方でランボーを見ても何も得られないだろうと思う。

まさにそのとおりだと思いますね。
それほど、ロマン主義的芸術観・人生観は、知らず知らずに現代人の思考に強く根付いている。



議論の趣旨とあまり関係ない話だが。。。

ドビュッシーのピアノのお弟子さんが、師匠の作品に関する本を書いている。この本の中で、
「古典主義」を次のように定義している。うまい定義だと思うので引いておく。

「表現力への欲求がどんなに強くなろうとも、常に統率の意思が勝る」

この定義に従えば、ベートーベンはまさしく古典派だ。これに続くロマン主義の時代は、
「表現力への欲求」と「統率の意思」が徐々に逆転していった時代だと言っていいだろう。
音楽は、ワーグナーに至って圧倒的な表現力を身につけたが、またあまりにも非音楽的なものを
抱え込み過ぎたとも言える。


さて、青年ボードレールが、ワーグナーの音楽のうちに見たものはなにか? 
(ロマン主義に対する)ボードレールの新しさとは?
評論集買ったのはいいが、まだあまり読めていない(汗)



453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 22:51:16 ID:hBdreRto
私はあまりボードレールを読み込んでいないので,詳しい知人に訊いてみた。
ボードレールのワグナー論はフランツ・リスト(ピアノの魔術師にしてワグナーの義父)
の批評の焼き直しらしい。「エドガー・ポーに関する新たな覚書」はポー自身の詩論の
焼き直し。また,「人工楽園」はド・クインシーの焼き直し。
それらの典拠とボードレールの文章とのミクロな差異にボードレールの独自性が窺えるのだとか。
ただし,美術評論はまったくのオリジナルだそうだ。
美術評論にこそボードレールの独自性が表れているらしい。
ディドロの美術評論(岩波文庫で出ていて,私は最近入手した)と並ぶ,
美術評論史に残る傑作だということだ。
以上,専門家の話を聞いた上で(専門家はわかりきったことのように言えてうらやましい),
ボードレールの美術評論の「色彩について」などは文章自体がドラクラワのタブローを
模倣しているような,じつに壮麗なる文章だと思った。

美術や音楽の欠点(?)は色彩や音以外に言及すらできないことだが,
評論家が比喩的に他の媒体に言及することによって,
人々は当たり前のように絵画と音楽と詩とを同列に論じられるようになった。
評論家はその意味で新たな感受性と言論の場を作った詩人だったと言えるだろう。
また,ボードレールにとって「照応(コレスポンダンス)」の原点は絵画だったのだと思う。
詩人として,絵画では表現しえない音楽や香りを詩で表現したのではないか。

ボードレールが読んだワグナー,
ワグナー論者としてのボードレール,
については,ラクー・ラバルト『虚構の音楽』(谷口博訳,未来社)が秀逸。
(他にマラルメ,ハイデガー,アドルノのワグナー受容を論じている。)
まぁ,参考書誌として。ランボー関連では,さしあたり必要なし。

>>452
>評論集買ったのはいいが、まだあまり読めていない(汗)
ゆっくりやってくれ。冬の夜長はこれからだ。
ちらっと見るだけでも小林秀雄「近代絵画」がボードレールの章から始まる理由が
わかると思う。小林秀雄の批評の手本だ。要熟読。
そしてまたランボーも読んだに違いないし,
ピカソが読んだかどうかは分からないが,画壇の常識となっていたはずの評論だ。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 23:05:40 ID:hBdreRto
>>452
>議論の趣旨とあまり関係ない話だが。。。

触発されて同じく関係のない話になるが,
わが国の「海潮音」以後の新体詩を読むと,ベートーヴェンみたいな
統率の意志を感じる。七五調と漢文と欧文脈の構文のごたまぜが
新時代の抒情を形成している。これは個人主義的あるいは庶民的な
抒情の基盤ともなったが,それ以上に軍歌の基盤でもあった。
(軍艦マーチとか加藤隼戦闘隊とか。)
近代においては産業化と軍国主義化がイコールだったのだな。
ベートーヴェンを聴くとたしかに感動はするが,
あの執拗なリズムに「働け,働け」という掛声が聞こえてきて
うんざりしたりもする。

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 23:58:43 ID:9eE0NkWM
>>454
音楽の話が出たついでに脱線。
剣豪作家にしてクラシック音楽・オーディオにも造詣が深かった
五味康祐が書いていたね。

青春時代を彩った音楽がモーツァルトなのかベートーヴェンかで
生い立ちがわかると。

日本の昔は貧しかった。名曲喫茶で明日の下宿代や故郷の親の
苦労して送ってくる仕送りを待ちわびながら苦学生達が髪をかき
むしり聴いている音楽は決まってベートーヴェンだったと・・・。
昔の日本人の大多数はベートーヴェンの音楽こそが青春にふさわ
しかったとね。

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 01:04:07 ID:FaYOcsJS
音楽といえば,ヴォワイヤンの手紙でランボーは
「ぼくは楽弓を一弾きします。すると交響曲〔シンフォニー〕は
奥深くで鳴り始めるか,あるいは一挙に舞台の上に躍り出します。」
(青土社,ランボー全集,2006年)
と述べているが,どうもヴァーグナーを思わせる表現だ。
バイロイト祝祭劇場のオーケストラは舞台下の「奥深く」に位置しているし,
音楽が劇となって「舞台の上」に現れるというのがヴァーグナーの楽劇理論。
しかし。バイロイト祝祭劇場のこけら落としは1876年で,
ヴォワイヤンの手紙より5年も後だ。
前々から気になっているのだが,とりあえず無関係としておく他ない。

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 07:57:54 ID:CZ+1ijxN
ワーグナーは、シンフォニーは若い頃書いたのが一曲あるだけで、ランボーは聴いてないだろう。
超マイナーだ。

オペラハウスでは、バイロイトに限らず、オーケストラボックスは舞台下の配置だよ。


458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 15:06:20 ID:Mlh3TiY8
ピカソとかワグナーとか、ランボーと関係あるのか?
いったいランボーの何を読んでいるの?

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 18:44:53 ID:tQQxhpJU
ランボーを語るためには同時代の文化的現象を比較精査することも
必要だと思うけどな。
批評の第一歩は分類と比較からなんだよ。

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:13:10 ID:htrqsRhG
>>457
たしかにそうなんだが,ここでランボーが言っているのは
あまり厳密な意味での交響曲ではなくて管弦楽の曲ぐらいの意味だと思う。
ちなみにリトレ辞典で symphonie を調べてみると,だいたい以下のようになる。

1. 合唱,合奏(原義)。
2. 古代音楽において,不協和音に対する協和音。
3. リュリのオペラの成功以後,十七・十八世紀において,オーケストラだけで演奏される音楽。
4. 十八世紀末以後,ソナタの形式,すなわち性格の異なる三楽章ないし四楽章からなるオーケストラのための器楽合奏。
5. 声楽を伴奏する楽器。しばしば管楽器に対して弦楽器のこと symphonie と言う。管楽器は harmonie と呼ばれる。

ヴァーグナーは 1861 年に『オペラの四つの詩』〔トリスタンなどの台本の仏訳〕を
刊行するが,その書簡体の序文で詩の革新(もちろんヴァーグナー流の楽劇による革新だが)
を述べている。これをランボーが読んだ可能性があるかな,思ったのだ。
もし読んでいたら,後者の詩形の改革に前者が何らかのヒントを与えたかもしれない。
まぁ,確証が得られないので,「とりあえず無関係」とした。
ボードレールのヴァーグナー論は読んでいたかもしれないが,これも不明。

ランボー自身は「古臭いオペラが好きだった」と『地獄の季節』で述べるが,
これもどんなオペラなのかよくわからない。
オペラよりもっと通俗的なメロドラームのことかもしれない。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:14:51 ID:htrqsRhG
>>458
ヴォワイヤンの手紙を読んでるんだよ。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 02:41:56 ID:gKzv1EYG
1871 年 5 月 15 日前後のメディア情勢・社会情勢を調べるために
フランス国立図書館の ttp://gallica.bnf.fr で当時の新聞を読もうとしたが,
このコミューヌの時期はヴェルサイユ政府の統制で長期にわたる休刊が続いていた。

3/18,国民軍のパリ反乱,ティエールはヴェルサイユに逃亡。
3/21,「ル・フィガロ」紙 ,休刊(〜 5/29 の間,ただし 3/30 と 5/15 は刊行)。
5/7,「ル・タン」紙,休刊(〜 5/29 の間)。
5/13,ランボー,イザンバール宛のヴォワイヤンの手紙。
5/15,ランボー,ドメニー宛のヴォワイヤンの手紙。
5/21,ヴェルサイユ軍パリ侵入,市街戦,血の一週間。
5/30,新聞各紙,刊行再開。

新聞が唯一のマスコミであり,手紙が唯一の通信手段だった時代,
内戦下の新聞各紙の一斉休刊は高揚と不安と注意力を異様に駆り立てたに違いない。
ランボーはこのように情報を遮断された状況であの手紙を書いていた。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 15:17:37 ID:9uxaZ9Oc
地獄の季節を読まないで手紙を読んでるのかよ
勝手に読んでろよ

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 22:25:19 ID:H8BSPygE
地獄の季節を素人がいきなり語るより、成立状況が追える
手紙も含めて考察した方がいいと思うよ。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 22:39:50 ID:cFB0gc1s
>>460
>ランボー自身は「古臭いオペラが好きだった」と『地獄の季節』で述べるが,云々
と書いたが,ヴェルレーヌが 1872 年 4 月 2 日付のランボー宛書簡で,
シャルル・シモン・ファヴァール作と見られる「忘れられたアリエット」
に言及している。ランボーがこの作品をヴェルレーヌに送ったことへの返礼で,
歌詞だけでなく,楽譜もついていたようだ。

とすると,「古臭いオペラ」はファヴァールの作を指していると推定できる。

残念ながら「忘れられたアリエット」は特定できなかったが,
ファヴァールの作品はほぼすべてオペラ・コミック。
同時代のモーツァルトの「魔笛」をフランス語でやっているような感じらしい。
参照できたファヴァールの原書(台本だけで譜面はない)によると,
セリフの合間に歌が入り,そこには「何々の曲で」と注意書きがあって
歌詞が書かれている。音楽は使い回しだったようだ。

芝居も歌詞もかなりくだらなく,俗っぽくて愉快な感じだ。
ざっと見たところ,ヴェルレーヌの『無言の恋歌』やランボーの後期韻文詩に
かなり影響を与えているように思われた。

(オペラ座近くのホテル・ファヴァールに泊まったことがあるのを思い出した……。)

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 22:45:03 ID:cFB0gc1s
ランボーが何らかの形でヴァーグナーの楽劇理論に触れた可能性が残っているが,
この方面に関してはとりあえず追及手段がない。

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 15:56:57 ID:z7OGCfrS
ランボーの手紙を考察して地獄の季節が理解できるのなら
地獄の季節そのものが要らないじゃん

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 20:40:41 ID:LTbdg5+w
>>467
その自分では気の利いた言い方かと思ってるのか知らんが
幼稚園児みたいな例えは失笑買うだけだからやめとけ。

「どうせ風呂に入ってもまた垢が出るんだから一生風呂に
入る必要は無い」という莫迦げた例えと一緒だぞ。

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 20:50:40 ID:o/vSXlpt
「万物照応」の詩観が、ワグナーの総合芸術論に応ずるところがあるみたいだね。

だがランボーになると、ワグナーとは遠い気がする。ワグナーの音楽は、非常に観念的で、かつ饒舌だよね。
ランボーは、毒舌を吐いているときでさえ、なぜか饒舌からは遠い気がするんだな。
間違ってるかもしれないけど、なにか古典に通じるような矜持があるような。

ボードレールはやはり十字路だね。いろいろな複雑な要素が絡んでいるように見える。


>>467
地獄の季節をどのように理解したか、ぜひご高説を賜りたい。


470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 22:52:23 ID:LTbdg5+w
>>469
ロートレアモンの「マルドロールの歌」も、直接は関係ないが
ボードレールから派生した変種の一つだから、併読すると
ランボーとどこか共通する面白い感覚が味わえるかもしれないね。

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 23:51:15 ID:YQf5zsIy
>>469
うん。当初からランボーがヴァーグナーを聴いたことがあったとしても,
共感的な方向で影響を受けることはなかっただろうと思っている。
ただ実際に知っていたかどうかをチェックしておきたいのだ。
逆に知らなかったと確認できれば,それはそれで解釈上の基点になる。
たとえば「古臭いオペラが好きだった」と書いた時に,
ヴァーグナーの当時最新の理論がランボーの念頭にあったかどうかは
(最新の理論に対抗する意図で書いたのかどうかは)
かなり大事なことだと思う。(まぁ,なかっただろうけれども。)

とりあえず,ランボーが知っていた音楽は
初期詩篇にあったような軍楽隊の野外音楽会と
オペラ・コミックの伴奏音楽,これぐらいだったのかな,と考えている。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 23:52:10 ID:YQf5zsIy
>>470
ロートレアモンも難しいねー。
というか,個人的にはほとんど読めない。全編,謎だ。
魅かれてはいるんだが。

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 02:38:39 ID:KENwUHPE
ヴォワイヤンの手紙で,ランボーはミュッセをぼろくそに批判している。
後者の作品でも特に「ロラ」をやり玉にあげているので,
どんなものかと読んでみた。これがなかなか面白かった(笑)。

かなり長い詩で,毎ページ 31 行で 30 ページあり,五部からなっている。
いかにもロマン派の詩らしい,語り手の自己主張が大半を占める物語の形式である。
全訳掲載は無理なので,梗概をまとめると,

I 古典古代や中世ヨーロッパの精神世界を長々と喚起しつつ,
語り手がイエス・キリストの言葉をもはや信じていないことを述べる。

II ジャック・ロラの人生。彼は金持ちの親に甘やかされて育ち,
情念のおもむくままに過ごして散財し,身を持ち崩したならず者だった。

III 貧しい乙女マリの寝室。(語り手の妄想が膨れて,かなりエロティック。)
そこにロラが入ってくる。彼は最後に残ったピストルを売って彼女を買った。

IV 語り手は神を信じられなくなった現代社会の不幸を延々と嘆く。

V 翌朝,ロラは自殺することを漏らす。それを聞いたマリは心を痛め,
金はないので首飾りを金に換えて用立ててくれるように申し出る。
ロラは微笑して服毒する。「一瞬だけ,二人は愛し合ったのだ」。

…………

なんというか,崇高なる絶望と,猥褻な妄想と,ありえない美談と
で成り立っている妙ちくりんな恋愛物語だった。

気を取り直してランボーの作品を思い浮かべると,「最初の聖体拝受」が
作品の雰囲気としては(語り手の主張の多い物語という点で)
似ていると思ったが,こちらはいかにもありそうな深層心理の暴露であって,
ミュッセとは方向がまるで正反対だ。

詩人ランボーでなくて不良少年ランボーとしても
ロラの駄目さ加減は絶対に認められなかったに違いないと思った。

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 03:25:54 ID:KENwUHPE
「どんな乾物屋の小僧でも『ロラ』式の呼びかけ法を繰り広げられる」云々
とランボーは書いているので,該当箇所を抄訳しておく。
日本語にすると見慣れない修辞だが,古典古代の文献や聖書の文言を
学校教育で強制されていた当時のフランスの中高生にとっては
(内容的には当時の宗教に異を立てるものだったとはいえ)
紋切り型の羅列だっただろう。

ミュッセ「ロラ」の冒頭から。


諸君は懐かしむのか,天が大地を歩み
神々の群れに交じって憩っていた時代を。
塩辛い波の娘,ウェヌス・アスタルテが,
まだ処女なのに,母の涙を振り払い,
髪を編みながら世界を豊かにしていた時代を。
(中略)
諸君は懐かしむのか,野蛮な世紀から
さらに豊かで美しい,黄金の世紀が生まれた時代を。
年老いた宇宙がラザロとともに
若返った額で墓石を打ち砕いた時代を。
諸君は懐かしむのか,われわれの古い恋歌が
魅惑された世界に黄金の翼を広げていた時代を。
(中略)
おお,キリストよ,私は祈りに導かれ汝の無言の寺院へと
震える足取りでおもむく者には与しない。
私は汝のカルヴァリオ〔ゴルゴタ〕の丘に行き,
心臓を叩きながら,汝の血濡れた足にくちづけする者に与しない。
汝の忠実なる民衆が,黒い柱門を取り囲み,
さらがら北風と葦の群生のように,
賛美歌を呟きながら吹きさらしに背中を丸めているとき
私は汝の聖なる柱廊に立ち尽くすばかりだ。
私は,おお,キリストよ,汝の聖なる言葉を信じていない。
老いぼれすぎた世界に私は遅く来すぎたのだ。
(下略)

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 03:35:46 ID:KENwUHPE
ついでなので,ミュッセ「ロラ」の第 II 部と第 III 部からも抄訳しておく。
ランボーが口をきわめて貶した作品をささやかながらもご賞味あれ。

II

最も安い値段で何でもやりたい放題ができる
この世の都会のありとあらゆる放蕩者の中でも,
最も古くから罪深い都会の,最も豊かな都会の,
つまりはパリの,――最も大した放蕩者はといえば
ジャック・ロラの野郎だった。――あちらこちらの居酒屋で,
さえないランタンの揺ら揺らした灯に照らされて,
熱く女を口説いたりサイコロ賭博をしたりするテーブルに
奴より手に負えない餓鬼が肘をついていたためしはなかった。
奴の人生を支配していたのはジャック・ロラではなくて
奴の情熱だった。――奴は寝ぼけた牧童が小川の流れを見ているように
情熱が勝手にふるまうにまかせていたのだ。
(下略)

III

(前略)
彼女は眠っている,よく見たまえ,――なんと気高く無垢な額だろう!
いたるところ,透きとおった波にただよう清らかな乳のように,
天は美の上に恥じらいを注いでいる。
彼女は心臓に手を当て全裸で眠っている。
夜が彼女をいっそう美しくしたのではないか。
このやわらかな光は彼女のまわりで鼓動しているのではないか。
まるで,心ならずも,宵闇の暗い精霊が
この美しい身体の上で黒い衣が震えるのを感じているようだ。

囲いの中の司祭の足音を殺した歩みは
神聖ならざる恐怖で心臓を縮みあがらせるものだ。
おお,処女よ,おまえの軽い寝息のほうがずっと神聖だ。
見たまえ,この寝室とこのさわやかなオレンジの木,
この書物,この手芸品,古い十字架に
涙しながらお辞儀をしている聖なる枝を。
この物憂く貞淑な天国には
マルガレーテの糸車があって然るべきではないか。
〔注,ゲーテの「ファウスト」の登場人物〕
幼い眠りは清らかではないだろうか。
天は守りとして美を賜ったのではないか。
処女の愛は天上の愛のように
憐憫なのではないか。そして彼女に近づくと,
彼女が吸っている空気の中で,傍らで見守っている
嫉妬深い熾天使セラフィムの翼が震えるのを感じないだろうか。
(中略)

静かにしろ。誰かが扉を叩いている。――暗い敷石に
夜気を震わせて足音が響く。
揺らめく灯りがふたつの影とともに近づいてくる。
貴様なのか,痩せこけたロラよ,貴様はここに何をしに来たのか。
(下略)

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 14:40:11 ID:Bt3gL4e1
くだらない文章をコピペしてランボーを理解できるのか
お笑い種だな

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 21:27:27 ID:3h+Aecbi
俗物の>>476よりかはマシだと思うよ。




478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:39:58 ID:KENwUHPE
同じくヴォワイヤンの手紙(ドメニー宛)でのユゴー評。
「ユゴーは,我が強すぎるが,最近の本ではよく〈見て〉いた」と
かなりの留保つきでランボーはユゴーをヴォワイヤンとして認め,
実例として「『レ・ミゼラブル』は真の詩作品 poème だ」と言う。

「我が強すぎる」とは,ユゴーが他者たる我に対して
認識不足だとの批判だろう。

また,『懲罰詩集』から「ステラ」を取り上げ,
この詩篇で「ほぼユゴーの視覚の程度がわかる」としている。
『懲罰詩集』は皇帝ナポレオン III 世を批判した詩集で,
第二帝政下では禁書だったが,この時期には合法になっていただろう。
詩集の政治的な意図に照らしてみれば,
コミューヌ派のランボーにとって,
ユゴーの共和主義はまだまだ反動的ということだろう。
実際,第三共和政がコミューヌを潰す側になるのだから。
芸術的な面としてはどうか……。

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:40:55 ID:KENwUHPE
この詩篇は短いので全部訳してみた。



ステラ

私はその夜 岸辺の近くでまどろんでいた。
さわやかな風に目覚め,夢を脱した。
眼を開き,朝方の星を見た。
星はやわらかく果てしなく魅惑的な白さにつつまれ
遠い空の奥で輝いていた。
北風の責め苦は消え去った。
輝く星は雲を羽根布団に変えていた。
それは思考し,生きている光だった。
星は波の砕ける岩礁を静めていた。
真珠を透かして魂を見る思いがした。
まだ暗かったが,闇の支配もむなしいものだった。
空は神々しい微笑に輝いた。
微光は傾く帆柱の頂を銀に染めた。
船は黒く,それでも帆は白かった。
断崖に立つ鴎たちは,
重々しく注意を払って星を見つめていた。
火花でできた天上の鳥を見るように。
民衆に似た大海原は星に向って馳せ,
低く唸りながら,星が輝くのを見つめ,
星を消し去るのを恐れているように思われた。
名状しがたい愛が空間を満たしていた。
足もとの青草は狂おしく震えていた。
鳥たちは巣ごもりして語らっていた。一輪の花が
眼を覚まして私に言った,――「あれは星,私の姉」と。
すると闇が長い襞のあるヴェールを上げていく間に,
星から声が聞こえてきた。

(つづく)

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:42:15 ID:KENwUHPE
その声はこう言った,――「私は最初に来た星だ。
墓穴にいると人から思われながらも出てきた星だ。
私はシナの上で輝き,タユゲテの上で輝いた。
〔シナ,不詳。バビロニア,アッシリアの月の神 sin か〕
〔タユゲテ,ギリシア神話,プレイアデスの姉妹のひとり〕
私はさながら投石器を使って,夜の黒い額に,
神が投げる黄金と火でできた礫だ。
私は世界が破壊された時に再び生まれてくるものだ。
諸国民よ,私は熱烈な〈詩〉だ。
私はモーゼの上で輝き,ダンテの上で輝いた。
大海の獅子は私に恋い焦がれる。
私はやって来た。立ち上がれ,徳よ,勇よ,信よ,
思想家よ,精神よ,塔に昇り,哨戒に立て。
まぶたよ,開け,ひとみよ,燃えろ,
大地よ,畝を動かせ,いのちよ,轟音を立てろ,
立て,汝ら眠れる者よ。――私に続くものは,
私を真っ先に使わしたものは,
これぞ〈自由〉という天使,〈光明〉という巨人なのだから。

ジャージー島にて 1855 年 8 月 31 日

(おしまい)

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:57:26 ID:F7H38a7z
>>477
いや、幾ら無駄な知識があろうがある種の精神状態に到達しない限り未来永劫ランボーは理解できないよ


482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 23:21:30 ID:3h+Aecbi
>>481
ランボーを研究しているのであって、君がこの21世紀に
ランボーの精神状態に到達しようがしなかろうが、そんな事は
どうでもいいことなんだな。
変にランボー気取りの奴はこれだから困る。

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 23:45:22 ID:F7H38a7z
>>482
お前本当に解ってないのな
サルトル辺りから読み直してみろよ
結構解るようになると思うから

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 05:41:39 ID:Hw7y+1fD
>>483
お前こそ議論の流れで突拍子もない事をほざく奴と
周囲から思われるような、KYヒキコモリ出身っぽい発言
してるよん。
早く自覚しようね〜。

485 :484:2007/11/30(金) 09:37:06 ID:o4EUwxfM
>>484
邪魔なら消えてやるけどお前らのやってる事ってホントにバカだよ


486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 09:40:15 ID:o4EUwxfM
483だった
>>476のがまだこのカスみたいなスレよりはマシだな

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 01:12:32 ID:En58sBU6
ランボーのドメニー宛のヴォワイヤンの手紙で言及されている
二次文献を訳載してきたが,今回のアルベール・メラで一段落する。
メラはこの手紙の末尾のほうでヴェルレーヌと並べて賞賛されている。
(ただし後者には「真の神」という賛辞がつくが前者にはつかない。)

メラの詩は概して短く,風景や室内を的確に歌い込んでいて
気持ち良く読めるものが多い。
政治思想・道徳思想などの長広舌は見られない。
忘我の瞬間や,忘れたことを思い出そうとするときの気持ち
といった,曰く言い難い思いを詩句に造形している。

以下,第二次『高踏詩集』から「流れ」と題するソネ――


都市を去るには,帆もなく櫂もなく,ゆるやかに
水をたどる古い船が必要だったのかもしれない。
女たちと同じだけ白い,白い雲の上で,
夏空は,青空は上着を広げていたのかもしれない。

花崗岩に万力のように挟まれて,
大河は岸を噛みさざ波を立ててすべっていく。
そこかしこで長旗をひるがえす青い屋根の都市は
舞台に上がったように騒々しく格好をつけている。

もう桟橋はない。二階建ての家々,両の岸辺。
柳の木,樺の木,元気な西洋サンザシ,
愛しいフランスの風景の片隅。

ポプラの木は高く,丘は青い。
私が通り抜けていた群衆のざわめきは,では今どこに?
はたして何里進めたのか私にはわからない。

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 01:15:26 ID:En58sBU6
失敬,一部訂正。
>>487
ヴェルレーヌは「真の神」ではなくて「真の詩人」だった。

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 03:11:31 ID:oNRk2PlE
怒りのアフガン

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 14:19:28 ID:44y3l4dv
お前ら、ランボーを馬鹿にしてるだろう
ランボーはそんなにヤワじゃないぜ
死を賭しても、理解できない奴には理解できない類なものだ

491 : ◆VTwxA4gAm. :2007/12/03(月) 16:19:48 ID:ocTQveR5
ランボーや神秘主義が大好きな未成年が書いた短編小説です。宣伝失礼します。
『狂人の遺書』http://beatriceuplift.blog122.fc2.com/blog-entry-78.html
毒・憎悪・性的表現・過激な比喩、あります。
あくまで小説ですが、象徴主義や神秘主義の理解への参考になれば幸いです。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 14:38:12 ID:YdbYxr+h
>>490
お前、分かってないだろうw

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 23:24:14 ID:WazvrkTS
>>490>>492 五十歩百歩だな。抽象論に抽象論で答えているだけだ。
分かっているなら地獄の季節なりイリュミナシオンなり
どの個所をどう分かったのか具体的に言え。
どうせ「分かるやつだけが分かる」などと言い逃れるだけだろうが。

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 05:11:23 ID:UcHtAu+Z
>>491
削除依頼を出しておけ。迷惑。

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 14:19:34 ID:KmoGbmrA
これからランボーを理解しようとするすれなのか? ここは
違うだろう?
十代で地獄の季節に出会い、二十歳すぎてようやく解り
その苦闘があったからこそ、その後のハラルでの生活も容認できる
そんな輩が集まるところじゃないのか?

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 22:11:32 ID:rC+aZVHk
>>490 必死のメロドラマ乙。
「死を賭しても、理解できない奴には理解できない」何を理解したのか。

>>495 同じく苦闘のメロドラマ乙。
「十代で地獄の季節に出会い、二十歳すぎてようやく」何を解ったのか。

ランボーのどの作品のどこをどう理解したのか具体的に言え。

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 16:19:59 ID:A+btIp0j
ランボーの詩よりも、ランボーが詩を書くのをやめた後の人生そのものに
興味があるな俺は。

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 21:59:50 ID:F0h7C7Hb
ボードレールのワグナー礼賛について一言。

ボードレールのワグナーに対する評価というか態度は、ドラクロアに対するそれと、同じ目線から
のものだ。ドラクロア評のなかで、ボードレールはドラクロアを最大のロマン派画家と位置づけ、
激賞するのだが、ドラクロアの中に、決して「未来」を見ているわけでない。

ボードレールは「モデルニテ」を具現する新しい時代の画家・マネをやがて発見することになるし、
文学の世界においては、自ら新しい時代の詩人となった。

しかし、彼は、音楽の世界では、ついに新しい時代の芸術家に出会えなかった。ドビュッシーのアンチ
ワグナー思想の結実「ペレアスとメリザンド」は、ボードレールの没後はるか後、1902年の発表だ。
ドビュシーのワグナー批判は徹底したもので、面白いことに、けなし方が、ボードレールのユゴー批判と
そっくりなのだ。


499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 22:03:19 ID:P0gCOojJ
>>498
近親憎悪じゃない?
ドビュッシーは最初はワグネリアンだったと聞いた事があるけど。

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 22:20:59 ID:F0h7C7Hb
いや、近親憎悪というものではない。彼の芸術観は、ワグナーを、「旭光と見間違えられた美しき落日」
として過去の時代に封印し、ワグナー以後の新しい世界を模索するという意識に貫かれている。

初期作品でさえ、すでに象徴詩派とのつながりが極めて強いのだ。


501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 22:46:40 ID:P0gCOojJ
吉田秀和さんの本か何かで読んだけど、ワグナーは当時考えられる
全ての技法をぶち込んだごった煮というか、究極の書法にまで達して
しまっているので、その後に出てきた作曲家達はみんなそれを突破
するのにもがき苦しんだらしいよね。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 23:52:33 ID:CMc7ejle
ボードレールは気違い。超バカ。

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 23:55:39 ID:nAS6le5J
>>502は軽〜くスルー


504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 08:34:13 ID:CXq2656p
>>498
たいへん興味深いが,ボードレールによるユゴー批判は
ランボーによる両者の評価とどう関わてくるだろうか。

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 16:39:24 ID:Qdjx1zmX
>496
何でも教えてもらおうなんて考えてる?
人の生き方まで教えてもらえるとでも思ってる?
それよりお前の「地獄の季節」を語れよ

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 17:05:31 ID:CXq2656p
>>505
>>496 は,じぶんのことを語っていないでランボーのことを言えという意味だ。
ちゃんと読め。

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 18:11:03 ID:zvamPSbd
>>499
ドビッシーは当時隆盛を極めた後期ロマン派に
当初は心酔し、その後強硬な反対派にサイドチェンジ
印象派の創始者として立場を取った
だから雅楽とかガムランから影響を受けた

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 18:48:47 ID:lle5RK6G
ボードレールのユゴー批判は
「不潔。」
というものでしたよね。
ボードレールの方がよほど不潔だと思うんですけど。

ボードレールはフランス文学〜世界文学を駄目にした
張本人のひとりとして認識されるべきだと思ってます。

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 22:55:20 ID:LWRW6JVH
ボードレールのユゴー批判についてひとつ確認したいことがある。
498は、ちょっと適当に書いてしまった。詳しい方がいたらご教示願いたい。

ボードレールがユゴーを批判しているのは、1846年のサロンに寄せた美術評論中である。
彼の文筆家としてのキャリアのごく初期にあたる。
「氏(ユゴー)は、創意的というよりも遥かに器用な職人であり、創造家というよりは
腕の確かな労働者なのだ。ドラクロアは時として不器用だが、本質的に創造家である。
        ・・・(中略)・・・
ドラクロアは自らの詩のなかで、この上もなく旅好きな想像力にとっても十分に深い
道筋を開く。前者(ユゴー)はある種の平静さ、傍観者めいた自己中心主義のような
ものを楽しんでいて、そのせいで彼の詩の全体の上には何やら知れぬ冷たさ、落ち着き
のようなものが漂う・・・」

これは、ランボーの「ユゴーは,我が強すぎるが・・・」と、同じ感想のように思えるが
どうだろう。

この時点では、ユゴーはまだフランスに居て、まだ「諸世紀の伝説」や「レ・ミゼラブル」
は書いていない。

(つづく)

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 23:10:08 ID:LWRW6JVH
ところが、ユゴーがいくつかの主要作を書き上げ、逆に「悪の華」を絶賛されたりもした後の
1861年の「わが同時代の数人についての省察」では、ユゴーについて、
「ユゴーは、当初からして、最も天賦の才に恵まれた人、詩によって、私が生の神秘と呼ぶ事に
するものを表現するべく、もっとも明らかに選ばれた人・・・」と持ち上げている。

これはどういうことだ? 後年の主要作に接して考えが変わったのか? 提灯持ち記事なのか?
「悪の華」を褒めてくれた先輩に対するお礼なのか?

解説できる方いませんか?


511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 00:41:52 ID:qvBE9v7c
>>509-508
難問だ。ドラクロアについては知識がないのでパスする。

>「氏(ユゴー)は、創意的というよりも遥かに器用な職人であり、創造家というよりは
>腕の確かな労働者なのだ。

というユゴー評は納得できるように思う。
ユゴーも元は学校時代から秀才で,詩作に秀で,学友を集めて劇団を作っていたという。
詩作の才と政治の才があったわけだ。
その詩作とはもちろん韻文詩で,ユゴーは決まった形式で文章を作るという
職人芸に秀でていたわけだ。ユゴーは,
高尚なものから低俗なものまで,あらゆる雑多な思想を韻文で歌うことができた。

ユゴーの転機はナポレオンIII世のクー・デタだろう。
ここから亡命中の共和国の「王」としてのユゴーが始まる。
(むろん共和国に王など存在しないので,象徴的な「王」としてである。)
その後のユゴーは個人的な悲哀から共和国という人類の理想までを歌う幻視者となる。

ボードレールにとっては,ユゴーをその時々で評価すればよかったのではないか。
伝記作者ではなかったのだから。
また,ボードレールは,たとえ共和制に阿呆らしさを感じていたとしても,
後のランボーのように社会主義を夢想しうる現実の事態には間に合わなかった。
そのあたりから,ボードレールのユゴーに対する評価の時期による違いが
生じているのではないかと思う。

(つづく)

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 00:42:47 ID:qvBE9v7c
ランボーのユゴー評,「我が強すぎる」云々は,
まず何よりも,ユゴーの共和制至上主義に対するランボーの批判であり,
その主義主張が詩に現れていることへの批判だと思う。

まず,政治的な主張として,ランボーは共和主義ではなかった。
彼はナポレオンIII世の帝政には反対していたが,
ティエールの第三共和政にも反対していたのだ。

それからユゴーの詩そのものへの批判だ。
ランボーはユゴーの「ステラ」を例示している。
>>479 にその前半があるが,これは(つまらない叙景詩のようだが)
自然から得られた感覚を表現したもので,
ランボー好みの詩行である(初期詩篇「感覚」に通じる)。
しかし,>>480 のようにユゴーは自然との接触を
既成の概念・思想にただちに変換してしまう。
(自然から政治思想に飛躍するところがユゴーの幻視家たるゆえんだったが,
(ランボーはそこに照準をあてて批判していると思う。)

芸術作品を作って,それについて素人から「これは何を表現しているんですか?」
と問われて(問うほうも問うほうだが)
「自由です」とか「愛です」とか「平和です」とか答えるような
(答えるほうも答えるほうだが)
作品を既成概念,既成思想にまとめてしまうようなところがユゴーにはある。

ランボーが「ステラ」について「ほぼユゴーの視覚の程度がわかる」しているのは,
こういったことではないかと思われる。

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 01:06:41 ID:qvBE9v7c
それにしても,ボードレールはドラクロアを「本質的に創造家である」
と看做しておきながら,そこに「未来」を見ていなかったというのは,
どういうことなのか。

ものすごく興味深いが,すごく難しそうなので,
もし余裕があったら教えていただきたい。

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 05:30:31 ID:zlI7aiwW
http://webupd.sv1.sp-land.net/up/201201.jpg

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 00:18:48 ID:FmQ5cGdC
ドラクロワ

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 22:36:33 ID:XDVqnB8/
ボードレールが評論文を書き始めた19世紀半ばは、ロマン主義芸術の爛熟期(末期とも言える)で、
駆け出しのボードレールにとっては、それこそがまさに“今”の芸術であったはずだ。
芸術史を俯瞰することができる我々は、時として現実に彼らが生きた時間とは逆の方向から彼らを
眺めてしまうことがある。

「印象主義」「象徴主義」を知っている我々は、それを通して19世紀半ばという時期を見てしまう。
つまり、ドラクロアを絵に描いた文学として古いと思ってしまうのだ。
ボードレールはその後の時代の推移を知るべくも無く、ワグナーやドラクロワをその時点での最高
の芸術として正しく評価していたということだろう。

ところが、ドラクロワ論を見てもわかるのだが、ドラクロワが扱う絵の主題、いかにもロマン主義
の画家らしい「ダンテとウェルギリウス」とか「キオス島の虐殺」とかを論じる一方で、ときおり
その絵が内包する予言的な性格への言及が見られる。
「ドラクロワにとって、自然とは一冊の巨大な辞書であり、彼はそのページを繰っては、確実で
深いまなざしをもって参照するのだ」
「あるドミナントを正当に際立たせることは、その余の部分を犠牲にすることによってしか成り立
たない。・・・ 傑作とは常に、自然からの、その度に異なった抜粋に他ならない」

(つづく)

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 23:11:16 ID:XDVqnB8/
ただし、ボードレールが見抜いたこの性質は、過去の優れた画家達が、その描く主題とは関係なく、
本能的に行ってきたことで、ここに、新たに意識的な光を当てたことに、ボードレールの新しさが
あるといえるだろう。

ただこれだけなら、ボードレールは、洞察に富んだ一美術批評家で終わっていただろう。彼はやがて
ギースという画家と出会い、「現代生活の画家」を書く。有名な「モデルニテ」の論はこの中にある。
マネとはこの時点ではまだ出会っていないようだ。

この辺のところはもう少し読み込んでから、また機会があれば書いてみたい。ボードレールの思想的
変遷がよくわかってくると思う。

(中途半端におしまい)

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 23:26:56 ID:XDVqnB8/
>ランボーのユゴー評,「我が強すぎる」云々は,
>まず何よりも,ユゴーの共和制至上主義に対するランボーの批判であり,
>その主義主張が詩に現れていることへの批判だと思う。

なるほど、そのような詩があるのですね。ユゴーは全然読んでないので議論にならず申し訳ない。
手紙の中の文脈からは、「我が強い」→「我思うの自明性に無批判で無自覚」と考えたのだが。

「ステラ」は、なんだかよくわからない(笑) 

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 19:17:45 ID:pc106S8y
ランボオは自ら詩を書いたのではなく、何らかの力によって書かされただけなのか。
だから、僕は他者だおって言ったのか。そんな事どうでもいいか。

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 02:51:40 ID:JzauhCSl
悪魔主義とは、

裏口から基督教に入る道である。



521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 03:31:14 ID:JRuqZ3Z2
成程

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 04:20:18 ID:Ien6mLwj
>>520
ユダヤ教の段階で悪魔はいるんじゃなかった

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 22:31:58 ID:JzauhCSl
>>522
そうだけど、ここはランボーのスレなので、欧州人のなかでの悪魔主義といえば、キリスト教
との関わりになってくる。

ボードレールなんかが「悪」を言うときに、それとキリスト教との関わりというのは、我々の
想像をはるかに超えて複雑で切実であるらしい。


524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 19:05:53 ID:o+DG1B7Y
お話の途中でスミマセン<(_ _)>

皆さん、どうか教えて下さい。
1980年前後のコーヒーのCMで、ランボーを扱ったのがあったはずなのです。
(サントリーのCMじゃなくて)
で、そのCMでランボーの4行詩をナレーターが朗読するんだけど、
当時は頭かち割られるくらい衝撃的だったんだけど、
30年近く経った脳みそでは思い出せません。
「天使のように残酷で」みたいな始まりだったと思うのですが・・・
どなたか知りませんかぁ(>_<)

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 23:56:05 ID:JYYrbJsU
>>524

http://www.youtube.com/watch?v=YotCl8xcRtk

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 00:01:23 ID:XQWTt8Ra
ああ、サントリーじゃなかったのか。スマソ

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 10:55:13 ID:yi05K1KB
サントリーじゃん
しかしなんだこの陽気な雰囲気はw

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 15:06:25 ID:wjIcmt15
>>525様、ありがとうございます!

このCM自体は自分で調べていた過程で知っていたのですが、
私の記憶には
「黒い空とオレンジの太陽を背景に
 『天使のように残酷で
  悪魔のように大胆で』(この詩はどうしても思い出せない!!)
 というランボオの4行詩が縦書きで流れて、
 渋い男の声でその詩が朗読される」というシーンだったのです。
だから、このCMとは違うんだと勘違いしておりました。

やっぱりこれですよね。
私の記憶違いです。

本当にありがとうございました<(_ _)>

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 00:39:53 ID:rrrLwcNf
おお、おれもこのCMは印象に残っとったわ。
ランボーの原書がかっこいいって当時思ったな。
ランボーの全集出してるガリマール社っていうのは
日本でいうと新潮社みたいなもんなのかねえ。

>>528
なにか他のCMか何かの記憶も一緒になっちゃってるのかもね。

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 01:32:45 ID:ZHXetYWu
新潮より岩波のイメージのが合う、かな


531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 04:11:14 ID:+TcmW6M6
ちくま文庫だったりして。

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 07:33:05 ID:rrrLwcNf
ああ筑摩書房っていう線もあったか。

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 10:15:36 ID:lYXsaVhf
堀口大学はいいと思う

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 10:28:55 ID:C0to5CQy
裏口中学

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 11:16:45 ID:vWVSrfHC
http://shiga.s287.xrea.com/upload/src/up1985.jpg

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 18:11:15 ID:lYXsaVhf
乱暴な乱暴で乱暴

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 23:40:35 ID:l5odCzK0
アル中乱暴

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 22:29:15 ID:GnWmX0SM
  ランボオの表現は、何処を見ても、極点に咆哮する態の緊迫性を持っております。驚くべき
果断な断続性をもって現れる色彩の流絢にも、凡そ凶暴と見えるまで、装飾をかなぐり捨てた、
無色な片言にも、いつも満を持して放たぬ緊迫性があります。こういう調子だけならば、日本語に
うつしても全然でないわけではないのです。だが、ランボオには、もう一つの重大な調子(トン)
があります。それは、この緊迫の底に、いつも流れている、洵にやわらかい叙情のひびきであります。
彼もまた、すべての第一流詩人のもっていた、生々しい人間叙情のしらべを、その絢爛な衣の下に
かくしているのであります。
  この二つの調子(トン)の奇妙な交錯が、彼の文体に、無類の魅惑を与えているのであろうと
私には思えます。ところで、この魅惑が、私の日本語訳では到底わかるまいと考え、まことに私は
残念に思います。これは、苦心したが私の力ではどうにもならなかったのです。



539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 01:15:41 ID:mq0CZurS
はいはいw
ランボーは確かに魅力的な詩人ですが、伝説や思い込みの虚飾を取り払って評価しましょうね。
もう20世紀じゃありませんので・・・

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 08:13:01 ID:YGDx4Quq
伝説や思い込みの虚飾(=箔付け)を取り払って評価されたら、
いちばん困るのは今生きて活動しているアーティスト(と称する人達)だろうな・・・

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 17:15:21 ID:E5Z35Hik
新潮文庫は装丁が変わったね

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 23:10:26 ID:NQJqUZDF
>もう20世紀じゃありませんので・・・

では、何ゆえ19世紀のランボーを読むのか?


543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 16:08:55 ID:iofNfeXc
21世紀の今でも、一歩でもランボーよりも先に出た者はいない
後を辿るばかりだ

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 05:47:31 ID:L4LMZWT3
同じ世界の中の話ならそうだ。もう世界が変わってしまった。


545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 09:17:54 ID:6QBM/USQ
世界は幾つもある。

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 13:44:53 ID:votZw+z/
ランボー信者と宮沢賢治信者は狂信的なので、良識ある人からは嫌われていますね…

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 14:10:35 ID:JVm/0hkX
>>546
賢治の方はまだ優しい
ランボは破壊的だからね

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 03:11:23 ID:OBSC5P2A
>>546
良識w

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 14:13:51 ID:utLPLrq1
良心なんてない。あるのは神経だけ

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 12:41:17 ID:kkfIVawI
>>548-549
あっ、良識ない人発見www

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 16:07:57 ID:QpxI4m9T
宮沢賢治と比べるセンスが解らんぞ
まあ、ランボーを読んでないのは判るがな

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 21:21:25 ID:kkfIVawI
>>551
あっ、ここにも良識ない人がいた!w

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 13:26:19 ID:OiF+Z40G
>>552 = 季節のなかに死滅する人

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 16:44:15 ID:882K4V/0
>>553
あっ、永遠の太陽を惜しむ良識ない人だ!www

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 17:46:46 ID:1SOJmwSo
イクナイw
仰るとおりw

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 23:59:24 ID:WnAhC8LG
ランボー者ばかりだから良識が無くて当たり前 w

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 02:06:54 ID:WMWjM9R1
>>556
乱暴者で、粗々しい現実を抱きしめようと、土に還える良識ない人だ!w

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 12:28:55 ID:KbG6Jh1N
>>557
ツマンネ

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 14:25:31 ID:WMWjM9R1
>>558
お約束どうりのレスをする良識ない人ですねw

560 :リア・秘蔵映像:2008/01/06(日) 21:12:56 ID:vQwdGxRQ
http://topartists.myspace.com/index.cfm?Mytoken=60D4F587-71BC-4E6C-A9D170E3758A18CF24083799&fuseaction=music.topBands&page=2&GenreID=35&Country=JP&state=&zip=&distance=0&localType=state&xargstringp=&xargstringn=&lastpagesent=1

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 23:24:04 ID:HFLCKbPf
>>559
ツマンネ w

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 23:25:38 ID:HFLCKbPf
>>546 = 良識の無い俗物


563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 05:31:28 ID:ymHZBk/u
大泉

死んで下さい

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 23:19:44 ID:hHCUDn0Y
ランボーやヴァレリーを語る一方で、志賀直哉を賞賛する。

なるほど、小林の場合もボードレールと事情は似てるわけか。


565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 14:38:26 ID:O0xhIGRO
不可能読みたくて、何方かこぴぺしてください

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 05:22:23 ID:8zUqDM6j
アル中・乱暴

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 23:35:38 ID:If9k0Poi
ちょっと

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 20:43:46 ID:MWuoTphA
訳は堀口がいい

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 23:08:55 ID:h111jk/n
ランボ

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/26(土) 14:21:12 ID:KrV/19J3

ttp://www.mag4.net/Rimbaud/nav/titrebleu.jpg

571 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/01/28(月) 01:22:56 ID:eV9d0SWe
ちょっとログ習得のために横切る。

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 15:12:51 ID:pxAs88PR
俺は粟津訳で読んだんだが、他にアワズで読んだ人いる?

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 19:14:37 ID:cxiVwB9C
粟津どこがいい?訳はひととおり読んでるよ。

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 23:55:52 ID:Kq/JlPzy

ttp://www.rimbaud-arthur.fr/medias_hi/snd/danseur2.mp3
ttp://rimbaud-arthur.fr/medias_hi/snd/danseur.mp3

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 13:00:40 ID:ucV2Oo5a
篠沢教授も訳してたっけ

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 15:37:26 ID:yoSNnYNZ
粟津の訳、他のを読んでないから良し悪しは判断できないが
その視点が、なんつうか、頭にくる、冷静だから
特にイルミナシオン、解説での距離感が頭にくる
どっぷり嵌ってもがいているこちらを嘲笑うかのようだ

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/04(月) 13:58:58 ID:TKBfEtz7
>>576
学者は学者で
存在意義がある

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 17:18:56 ID:8M/xZdG6
粟津に対する意見、同意します。学者しかいないんじゃないかな。ランボオでしっかりもがいてるようなのはやっぱり小林しかいない。他にいるんなら教えて欲しい。



579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 20:21:15 ID:Kf9TjI6C
>ランボオでしっかりもがいてるようなのはやっぱり小林しかいない。
同意する。

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 22:11:59 ID:AGZwc594
ランボー信者は、やはり良識ない人たちが多いようですね。
小林のランボーVが、絶妙の距離感をとって、ランボーを突き放しているのが見えないようだw

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 07:48:51 ID:U6YANGj/
>>573
アワズの訳は装丁(駒井哲郎)が良い。
訳は小林訳の改訂版て感じだが。悪くは無い。
>>580
ランボー自身に良識('Bon' sense)がないから。

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 11:50:46 ID:0VOq+54W
ランボーのような天才ならまだしも、凡人は良識を持った方が良い詩や批評が書けますよ〜♪

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 12:07:49 ID:qcM2yMWR
>>582
残念だが、ここにいる凡人は君だけなのでな。。。

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 12:34:50 ID:U6YANGj/
>>582
しかも、ここで良識を持っていないのも君だけだな。。。

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 13:53:00 ID:qcM2yMWR
>>584
君だけだけどな。。。

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 13:54:40 ID:qcM2yMWR
>>584 スマソ
>>582の間違い。。。

587 :584:2008/02/08(金) 13:58:47 ID:U6YANGj/
私も良識の無い凡人だけどな。。。

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 16:15:06 ID:Y1pR/Ne2
みんなに聞きたいんだが、どの訳が一番いいんだ?
おれは日本ででてるほとんどの訳読んで比較してるんだが、ろくなのがないと思ってるんだよ。
訳に対するみんなの意見聞かせてくれないかな。


589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 20:22:49 ID:wL0DCEna
ランボディアン

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 20:44:01 ID:Cw/Fqpyb
>>586
アンカーを間違えて失礼な良識ない人w

>>587
自分で認めているので、確かに良識ない人w

>>588
じゃあ、英語訳で読んでみたら?
日本語に拘る良識ない人w

>>589
洒落にもなっていない意味不明なことを書く良識ない人w

591 ::2008/02/08(金) 21:47:07 ID:dGxx36dA
と、ゴミ屑からの精一杯の自己主張でした。w














   ↓

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 21:48:41 ID:ENyrYzvz
>>588
私だったらそういう場合、自分で訳してみるが・・・

>>589はたぶん"Rimbaudian"のことだと思う。
すくなくとも意味不明ではない・・・なので
>>590
よく確かめない良識ない人w

593 :592:2008/02/08(金) 21:52:08 ID:ENyrYzvz
あ、私がゴミ屑だ・・・

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 23:20:02 ID:0+kYtAy1
>>590
良識ない人って、ランボー・ファンには最高の褒め言葉だな!

サンキュ!

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 23:53:26 ID:dQY/jxvY
>>592

訳してるよ。訳してる?
というか、やっぱりみんなこれがいいっていう訳あげられないんだな。
それが知りたかったのよ。ありがとう。


596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 00:21:47 ID:D2gc4EAd
自分の好きな詩を自分で訳すなんて最高の趣味じゃん

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 00:32:17 ID:0e6DNX82
訳せるくらいならそのまま読めば。

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 00:55:10 ID:NgG0q6OX
>>596

そうだね。ランボオはまだ訳す可能性が残ってる気がするんだ。
定訳がないっていうのは、すごいことだと思うんだな。

>>597

いや、日本語にするのは、原詩でも読む以上の快感なんだよ。
解釈、解読、鑑賞、それよりも翻訳が一番おれは好きなんだ。


599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 01:05:38 ID:VA+RJEpD
>>591
無駄に行を空けて目立とうとする良識ないゴミ箱に住んでいる人w

>>593
前のレスをよく確認せずに書き込む良識ないオッチョコチョイな人w

>>594
意地を張って強がって見せるオナニー好きな良識ない人w

>>595-598
ちょっと良識の芽生えの見える人

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 11:17:10 ID:uMNpjzE9
>>599
良識君、他者の批評より自分の意見を語りたまえ
そうでなければ君はただの荒らしだ


601 :名無しさん@お腹いっぱい、:2008/02/09(土) 14:28:04 ID:vg7tN4/c
良識ない人、はココでは褒め言葉?

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 16:22:33 ID:9DXbZS90
このスレの転がしオモチャの良識君のダンスが見られるスレ

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 17:34:57 ID:kH+HscWD
自分の目の前に、ランボーという、一人の天才少年詩人の言葉がある。あるのはそれだけ。
ランボーの詩は、例えば聖書の言葉ではない。そこに天国や地獄や神を見るように、過剰なものを見ることを諌めたいだけなのです。
狂熱を持って過剰なものを見ることが詩の了解ではない。それは時代錯誤でしかない。
美しい花がある。花の美しさというようなものはない。どうしてランボーの詩に「無」を見ることができないか?
ここの凡人たちは、異教の砂漠の地へ、一切を侮蔑しながら遁走したランボー自身から一番遠い所にいることが分かっていないのです。
これは日本におけるランボー受容をレベルアップさせるための良識運動なのです(^ ^)♪
赤信号を涎を垂らしながら突っ走るのは止めましょう!

ダンス、ダンス、ダンス、ダンスw

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 20:43:18 ID:O19VEDbB
禿同!
良識賛成w

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 22:55:22 ID:0e6DNX82
ランボーの詩をただの言葉遊びと見ることの、なにが良識なのかね?

小林の言葉を引用しつつ、小林批判ですか?

606 :'Bon' sense友の会会長:2008/02/10(日) 00:22:53 ID:4eDOJONC
>>605
( ・Д・;)
もはや良識以前w

以降、誠に勝手ながら、気が向いた時に、それぞれのレスにつき良識ランク付けをいたします♪
詩人・最初の人々> A > B > C。それ以下は、百姓・ゴール人・黒ん坊 ・阿呆・季節の上に死滅する人・奴隷ども・外道の言葉・非道な病人・仔犬どもの一団・・・などと評価認定いたします!
さあ、どんどん投稿してください!w

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 00:30:44 ID:MP+WU47y
このスレも腐ってきたな。


608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 01:23:29 ID:13svoR8v
まあ、ランボー崇拝ばかりだから仕方ない。

まともなランボー批判は一つもお目にかかったことないし。
ランボーで卒論書いた俺としては、>>603の意見は分からないでもない・・・


609 :仔猫どもの旅団:2008/02/10(日) 01:51:57 ID:Pgq48aza
>>608
詩を書くのは詩人、卒論を書くのは学生さん。

どっちが偉いとかじゃなくて、
全然違う世界に住む全然違う二つの生き物。

せっかくだから
がんばって学者さんになればいいのに。


610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 03:43:25 ID:Lii3R4WM
>>606は「良識」というキーワードでこのスレをさばきたくて仕方ないのさ。w

ちなみに>>606の良識は0点


611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 03:44:28 ID:Lii3R4WM
そして三島由紀夫の歌は「音楽以前」w

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 07:45:26 ID:K5c5uWK1
>>609
つまり、ここに集ってるのは学生や学者じゃなくて詩人って訳か?
詩人ならランボー崇拝するのが当然と?
頭おかしいんじゃないのか? えっ?

613 :'Bon' sense友の会会長:2008/02/10(日) 08:11:42 ID:f2kLb+FQ
>>607
さあさあ、腐ってないで生産的なレスをお願いいたします。
あなたは、「非道な病人」です!

>>608>>612
B認定。ただ学生なので「詩人・最初の人々」にはなれません!

>>609
あなたは、「仔犬どもの一団」です。
精進しましょう♪

>>610
C認定。
もっと頑張れ!

>>611
確かに。
C認定。

皆さんの言葉には、今ひとつ、良識の熱い魂が感じられません。
仲良く、喧嘩せずに生産的なレスをお願いいたします!

614 :仔猫どもの旅団:2008/02/10(日) 12:12:27 ID:Pgq48aza
>>612
このスレのどこにランボー「崇拝」がある?
目が腐って爛れ落ちてんじゃねえのか?
くそつまらぬ卒論書いたくらいで調子に乗って
まともな批判がどうのこうのとは片腹痛いわ

ってこと。

615 :仔猫どもの旅団:2008/02/10(日) 12:15:32 ID:Pgq48aza
>>613
おめえもオレのレスからHNパクっておいて
偉そうなことぬかしてんじゃねえよ田吾作が

616 :仔猫どもの旅団:2008/02/10(日) 12:15:59 ID:Pgq48aza
>>613
で? 認定は??

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 12:19:05 ID:MP+WU47y
'Bon' sense友の会会長 うざすぎる。基地外か?


618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 17:30:21 ID:XD/MxZHL
>>613
ツマンネ

619 :'Bon' sense友の会会長:2008/02/10(日) 22:52:51 ID:/VGGLWvn
>>614-616
頭が悪い上に切れてしまいましたねw
あなたは「朝鮮人」認定です。

みんな仲良くお願いいたします・・・

620 :612:2008/02/10(日) 23:15:15 ID:ELcVNUFw
>>614


621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 00:27:56 ID:FHjnHPcj
>>619
ツマンネ

622 :仔猫どもの旅団:2008/02/11(月) 01:57:02 ID:11Yf3gOD
>>619
もう少し見所あるかと思ったら
こいつぁ救いようのねぇチンコロだな。
てめえの腐ったアバタ面で雪掻きでもしてろ
このスンタコブドーフ野郎。

>>620
どーした? 鼻詰まったかタコ坊?


623 :仔猫どもの旅団:2008/02/11(月) 01:58:10 ID:11Yf3gOD
忘れてた。
age

624 :仔猫の旅団:2008/02/11(月) 02:02:42 ID:11Yf3gOD
HNマイナーチェンジ・・・

625 :仔猫の旅団:2008/02/11(月) 09:34:36 ID:Ihl401X5
>>619
>>620
すまん。
一晩寝たら自分が悪かったことに気づいた。
反省してる。

カキコミはやめないけどね。


626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 13:36:29 ID:ac1zVX9B
'Bon' sense友の会会長 ウザス こいつ早くいなくならねえかなー


627 :仔猫の旅団:2008/02/11(月) 14:53:18 ID:kzhz91+2
オレもうざいのかな・・・やっぱ・・・

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 19:06:12 ID:ac1zVX9B
いや、君はそうでもないよ。

629 :仔猫の旅団:2008/02/11(月) 20:54:18 ID:VAtm6WVu
感涙・・・

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 21:57:59 ID:ac1zVX9B
>>580
>小林のランボーVが、絶妙の距離感をとって、ランボーを突き放しているのが見えないようだw

どういうこと、詳しく教えて栗。


>>629

ID変わってるところがちょいウザかな。


ボンサンスが来ませんように。

631 :仔猫の旅団:2008/02/12(火) 22:37:37 ID:V6qRJ6Dy
>>630
すまん・・・
以後IDはなるべく変えないようにします・・・

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 22:52:29 ID:bDbFt0r2
いいねえ

633 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/15(金) 08:17:15 ID:3FHgpdPt
『飾画』の「少年時」はこれかな。概念自体は余り興味ないんだが。

意識の流れ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E6%B5%81%E3%82%8C

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 08:24:30 ID:U2fcJiM4
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    ∬ヽ
     ∫
     ∬

















ソーダ水の空色

635 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/16(土) 19:14:42 ID:j6IFSB8a

 下 釣
 り ら
 ゆ れ
 く ゆ
 湖 く
   名
   無
   し

636 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/16(土) 19:20:30 ID:j6IFSB8a
あ、逆だな。ルーブルの逆さピラミッドみたいな心象。

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 02:56:09 ID:HKC9h9qC
もまえらに良識はないのか!
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     J

638 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/17(日) 06:44:17 ID:xiaqPKnY
日本が始めて参加した1867年パリ万博の時はランボーは13才。
「岬」はその時の体験かな。

639 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/17(日) 06:45:32 ID:xiaqPKnY
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     J

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 10:46:18 ID:AU84KoTd
>>637
>>639
   ハアハア・・・
(*´д`*) 良識、13才・・・

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 20:22:09 ID:hFqCjVIx
神経ならある

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 01:28:25 ID:pddVMU32
重慶なら我が国アル!

643 :'Bon' sense友の会会長:2008/02/21(木) 18:58:29 ID:OEgDLYR8
やはりこのスレには良識が必要ですね・・・

>>630
小林は、ランボーT、Uを若気の至りだと考えてVを書いたのさ。ランボーが詩から逃れたように、小林はランボーから逃れようとしたとも言えるね。
実際、Vの文章で小林は何も結論を下してはいない。
「俺には何も言うことはできない。ただ確かにランボーはランボーだ」小林の言ってることはそれだけだよ。
こういう言い草は、何かを否定せずに、そこから逃れようとする人間の典型的な主張パターンなのです。
>絶妙の距離感をとって、ランボーを突き放している
と言うのはそう言うことです。
例えば、他界とか、客観そのものとか、空前絶後の何か・・・そんなものをランボーの詩に見てはいけませんよw
良識ある詩の読解は、そのような理屈付けをせずに遂行しなければなりません!w
さあさあ、みんな良識を持って仲良くお願いいたします・・・
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644 :'Bon' sense友の会会長:2008/02/21(木) 19:23:00 ID:i0uHRqlO
>>643
良識の無い偽者ですね

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 21:36:53 ID:iop7mLBX
参考になるのは小林だけだな。

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 00:09:24 ID:cVRHq3G/
[927]処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 [age] 2008/02/15(金) 20:52:07
AAS
牛の涎の如く駄文を垂れ流すがよい。

647 :仔猫の旅団:2008/02/22(金) 01:19:24 ID:G+FTo3t+
ランボーの他界観は客観そのもので空前絶後だな。

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 01:29:19 ID:ikK/9OV0
ランボーの他界観ってなあに? 詳しく説明して。

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 08:14:47 ID:ImZKsS4p
おまえら、しっかり釣られているじゃあないか

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 21:15:18 ID:KSN6IKb/
>>643
超つまんね

651 :'Bon' sense友の会会長:2008/02/23(土) 02:04:19 ID:DE2C7kNl
はいはい、あなたがたは、
>>648>>649を除いて、毒をポケットに隠し持った中国人ですw

個人攻撃はやめましょうねw
みんな仲良く!

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 08:13:33 ID:DeolD4ci
>毒をポケットに隠し持った中国人ですw

これは攻撃じゃねえのかよ。おまえが消えろや。カス



653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 10:13:53 ID:MgdpFkSQ
ランボーとヴェルレーヌはウホッ?
SとMでバッチシだし

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 20:28:08 ID:zH7trk65
>>651
ボン俗のダニはあっち行って w

655 :'Bon' sense友の会会長:2008/02/23(土) 21:26:37 ID:JtQ8poTj
カスとかボン俗のダニとか、それしか言えない低脳は詩を語る資格はないですねw

仲良く、生産的なレスをお願いします・・・

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 22:42:01 ID:DeolD4ci
おまえうざいから、マジでもうくんなよ

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 03:34:39 ID:1SASfCWa
>>655 ← '凡' sense友の会会長


658 :'Bon' sense友の会会長:2008/02/24(日) 05:39:30 ID:kHG1sT01
総じて言えることは、
みなさんは言葉に操られ易いようです。
ランボーの詩からアクロバティックな世界へ飛んでしまったり、私のレスなど無視すればいいものを、真に受けたりw
でも、それは出発点です。詩人たる者、言葉を操る高みに達しなければなりません!
いつまでも売り言葉に買い言葉では、最初の人々にはなれませんね・・・

さあ、まず、良識から鍛えあげましょう!

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 09:03:09 ID:/IYwURlk
嫌われ者 ボンサンス

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 09:46:59 ID:TIQ6Vc8i
>>658 ← 凡俗三品 w


661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 22:50:45 ID:7M47EK/e
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこの糞スレ・・・・

もうね、金融工学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・
高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・

っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 23:57:29 ID:KTOsSgKo
>>661
Adieu

663 :仔猫の旅団:2008/02/25(月) 02:42:29 ID:bH3oH8fl
文面から察するに>>661は中卒の体育会系なのかな?

664 :'Bon' sense友の会会長:2008/02/25(月) 18:07:53 ID:mZ3Avrhn
>>661
かわいそう人だ・・・
おそらくあなたは、零細の町工場を継いだ在日の二代目社長さんとお見受けいたします。
毎日毎日、自転車操業でバランスシートを見つめながら、頭を抱えていらっしゃるご様子w

でも決して自暴自棄になったりせずに、冷徹なるランボー読解と良識を忘れずにいてください。
さようなら・・・ノシ

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 22:09:34 ID:pANE0Ehj
と、朝鮮人=>>664からのおかしな日本語レスでした。


666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 00:01:59 ID:hY5DetX6
野糞ボンサンス 笑

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 01:45:00 ID:XRVFI7xD
>>664
かわいそうな人はおまえだろwww

おまえもさよならしろよw

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 15:03:13 ID:ix/DKe7i
EGR

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 01:20:21 ID:qniJ5sUO
'Bon' sense友の会会長 :2008/02/25(月) 18:07:53 ID:mZ3Avrhn

忌み嫌われる人間典型。

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 21:10:25 ID:A6XZ4b/U
僕は小さい頃から女の子みたいだったんだよ。
頭髪は柔らかく薄く、肌は女子がうらやむほど白くムッチリでした。

兄の頭に髪の毛はゼロですが、57歳の僕は10代と変わらず、フサフサ黒々。
柔らかく薄いので、若ハゲするとみんなに言われたのに、この結果です。

僕は女性ホルモンが極めて多い体質じゃないんでしょうか。
すね毛はずっと前からほとんどありません。


671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 22:45:29 ID:oBPmlCfX
途中まで良スレだったのに、愚劣なボンサンスなどが湧いてきて
スレが過疎っちゃったね。
高級オーディオも途中に劣化パーツが混じると、サウンドがその
レベルに落っこちちゃうというのと同じ w

672 :子猫の旅団:2008/03/13(木) 15:11:39 ID:THOjD/7Y
私は劣化したレコード針…(-_-;)スマン


673 :'Bon' sense友の会会長:2008/03/13(木) 21:42:56 ID:u9dstdS+
>>672
まあまあ、反省しているのだから、皆さんも許してくれると思います。
私も皆さんと共に不快な思いもしましたが、許してあげます。
これであなたも、良識へ一歩近づきましたね。
ランボーの本質がもうすぐ見えてくるでしょう・・・

674 :子猫の旅団:2008/03/13(木) 22:18:31 ID:Frlopdui
>>673
お前にだけは言われとうないわ!

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 05:58:15 ID:0afPNVwR
>>673 = 俗物。
抜本的にランボー理解の仕方が間違ってるw

以上


676 :'Bon' sense友の会会長:2008/03/14(金) 12:58:08 ID:XXek7Qqg
皆さんに、次のニーチェをもじった言葉を進呈しましょう。

俗物と闘う者は、自らが俗物にならぬように注意せよw


私は深淵なり・・・

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 20:34:51 ID:h84NLNs2
と俗物が申しております w


678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 22:59:57 ID:XudP8A5w
>>675
理解ということは出来なくて
いろいろな解釈があるだけだろ
公式解釈というものは無い

もちろん批判は自由

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 23:38:56 ID:zIFqSjHV
ボンサンスは俗物ではない。俗物以下ww

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 21:15:32 ID:ftHDppsM
僕は横浜の公園で出会ったホモに殺されそうになったことがあるんだよw。

公園で話しかけられて、人当たりが良さそうなんで、話してたら終電も終わり。
そいつの知人所有とかいうマンションに連れ込まれて、そこでインスタント・コーヒー
出してくれたんだけど、何故か作るところを見せないよう不自然な行動をしてたんだよ。
そいつ、医者らしいんだけど、好きな手術の話とか自分を精神異常と診断した心理学者の
悪口とか喋り続けてたから、何かヤバイと思って絶対に飲まないようにしてたんだ。
でも、妙にしつこく薦めてくる。「一口だけ、一口だけでも」って・・・・。
かなりヤバそうなんで、「いや、苦いの嫌いなんで」って断っても、ずっとコーヒーの話を
続ける。
んで「寝られなくなるから」と言うと、そいつ睡眠薬をくれると言い出した。
「睡眠薬って効くのか?」って訊いたら、そいつどうしたと思う?
今さっきコーヒー作ってたところから睡眠薬の錠剤を出してきやがったw。
「お前・・・・さっき、もっただろ!」
心の中で叫びつつも何も言わずに振りほどくようにして逃げ出した。
タクシーを拾って車中で気を失って眠り込んでしまったのは、断りきれずに一口だけ飲んだ
コーヒーの所為だと思うが、もし飲み終えてたら今頃僕は生きてなかっただろう。

そいつ、患者の皮膚を切るのが快感で溜まらないって言ってたからな・・・。
ちなみにその部屋には、叔父の所有だというスキー場のポスターがあった。
悪戯した後はそこに遺体を捨ててるのかもね。
知らない男について行くのはヤバイ。 とくに整形外科の医者。 ご用心!


681 :'Bon' sense友の会会長:2008/03/17(月) 12:12:47 ID:QT4AHvNo
俺はパリで出会ったホモに殺されそうになったことがあるんだよw。
ふたりで旅の途中、ブリュッセルのホテルに連れ込まれて、そこでハシッシュを
出してくれたんだけど、何故か取り出すところを見せないよう不自然な行動をしてたんだよ。
そいつ、詩人らしいんだけど、好きな芸術の話とか自分を精神異常と診断した心理学者の
悪口とか喋り続けてたから、何かヤバイと思って絶対に飲まないようにしてたんだ。
でも、妙にしつこく薦めてくる。「一口だけ、一口だけでも」って・・・・。
かなりヤバそうなんで、「いや、もうそんなんで詩は書かない!」って断っても、ずっとハシッシュの話を
続ける。
んで「寝られなくなるから」と言うと、そいつ睡眠薬をくれると言い出した。
「睡眠薬って効くのか?」って訊いたら、そいつどうしたと思う?
今さっきハシッシュ取り出したところからピストルを出してきやがったw。
「とにかく、俺はパリに帰る!」
心の中で叫びつつも何も言わずに振りほどくようにして逃げようとしたんだ。
そしたらあいつ、ピストルを俺の顔の前にちらつかせるんだ。
そして、「これは僕のため、そしてお前のためだ!」とかって叫びながら、
ぶっ放しやがった。

・・・・中略・・・・

良識ない男について行くのはヤバイ。 とくに禿で肥満気味のWEB詩人。 ご用心!


以下、無視するとか、「ツマンネ」って書くのは禁止!w

682 :子猫のソテー:2008/03/17(月) 23:01:32 ID:/RqXiQqq
ツマンネ。

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 09:04:22 ID:ckBji3kU

ttp://www.rimbaud-arthur.fr/medias_hi/snd/danseur2.mp3
ttp://rimbaud-arthur.fr/medias_hi/snd/danseur.mp3

684 :'Bon' sense友の会会長:2008/03/20(木) 13:41:51 ID:Iv0a+3y0
>>683
お・ま・え・・・
私を異次元に吸収させる気だな・・・

だが、良識は、エ・イ・エ・ン な・・・り!











685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 10:12:34 ID:CV9By/2U
>>684
オマエは阿頼耶識(あらやしき)の彼方にでもブッdでろよ w

686 :子猫のソテー:2008/03/22(土) 14:06:32 ID:xHcr35GG
>>684
番町阿頼耶識。
一枚…二枚…良識が足りない…

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/26(水) 20:33:26 ID:krvnfX31
実を言うと、僕は女子中学生も大好きで追っ掛けするぐらい大好きなんだよ。
バアサン(妻)に秘密でガンガン行っちゃいます。

僕の部屋にはチンコやキンタマの写真に加えて、女子中学生の体操着姿や制服姿の写真、そして八ミリ
やデジカメで撮った物でいっぱい。
顔の表情や胸、下半身も撮りまくりました。大人の女性と違って肌の張りがスベスベ。 うへへへへ
最近、また少女写真集買っちゃいました。
50才超えてからロリコン病がますますエスカレート。
今では還暦前ですが13〜4才の裸体は欲情します。
泉明日香は14才なのにダイナマイトバディですね。

泉明日香!
た・・・たまらん!

僕の部屋は彼女や女子中学生の写真やDVDだらけ。
体操着姿で走らせてる姿、ダッシュさせたりおどらせてる姿など満載です。
孫以上に年が離れてる女が大好きなんだよ。


688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 06:07:56 ID:f2aqzPGX
ランボーな性妄想のコピペだなw

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 20:27:23 ID:MMzEOs5f
>>687
もうすぐ50ですが、かなりガッチリしてます。こな3できたえまくってます
結婚してますが彼女もいます。おとこも時々いきます。
でもオナニーもしてます。お金はまあまあもってます。




690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 03:42:14 ID:oXPGrxBJ
良識ボンサンス発狂w

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 09:30:40 ID:fQOQaZLD
ボンさん、異次元に呑まれて消えた?

692 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/03/31(月) 23:05:17 ID:lLvMi2yh
マトモな神経で2ちゃんねるはやれないよな。

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 22:13:16 ID:jPuaudym
僕のフェラ初体験は社員旅行だったんだよ。
この時をずっと狙ってたんだが、宴会の後みんなで雑魚寝。
バク睡してる同僚にコッソリ近付いてパンツずらしてみると・・・う!くっさー
目を覚まさないように気を付けながら、チンコを口に含んだりキンタマを揉んでみたり・・・


694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/02(水) 02:11:06 ID:Dws8jyqj
ボンサンスじゃないが、良識の必要性を感じるw

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 05:42:18 ID:VwUXwI+y
ああ・・
ランボーか
酒でも飲めよおまえらよ

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 10:30:50 ID:wBEq2MUe
ラムボーの好きな酒はなんだ

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 12:46:38 ID:NJmXEeCO
紫葡萄酒の染みや反吐が舵も錨も散らさんばかりに. おれを洗う。 それからというものこのおれは詩のなかに身を浸す。 綺羅星が降り銀河を想わせ緑の空を貪り喰う海の詩の中に

アブサンだな

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 14:43:52 ID:EtvCwnd5
大関

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 20:51:02 ID:VAplhqR2
日本で旨いアブサン買えるかな

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 21:39:50 ID:g7Pm7qMa
>>699
http://www.rakuten.co.jp/malt-takamura/436321/437250/437256/

旨いかどうかは知らない

701 :仔猫で@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 01:41:59 ID:2hH47TtN
電気ブラン。

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 22:36:44 ID:ffluggy4
test

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 22:37:58 ID:ffluggy4
test

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 19:21:29 ID:MLMx2cc1
去年の忘年会で僕の部下が酔った勢いで童貞であることを告白したんだよ。
僕はその事がずっと忘れられないんだ。

39歳の彼はホモですかね?

どうせ僕はもう定年だし、思い切って犯してみて彼がこっちの世界に目覚めてくれたら、
今後の僕の人生はバラ色なんだが。


705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 01:08:12 ID:lwVEJi2b
そんなことして、先端で刺され、刺しつつ、そらええわ。

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 04:43:30 ID:LVAti8WQ
ランボーはヴェルレーヌ以外に、どんな男たちと寝ていたのかナッ?


707 :'Bon' sense友の会会長:2008/04/08(火) 16:53:08 ID:39xt8XuM
ランボーは宮本武蔵!

はぁ、私が異次元に呑まれて留守をしている隙に、皆さんは良識の欠片もなくしてしまいましたね・・・



708 :仔猫で@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 20:37:36 ID:gP4oM0Mj
ツマンネ。

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 03:44:04 ID:An3S9dB+
ランボウに良識を問うのかね


710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 20:24:31 ID:xrtPagUQ
もう40年くらい前・・・。場所は蒲田の映画館の近く。

僕は、未明〜早朝、始発の出る前後1時間あたりに歓楽街の路地やベンチで寝てるリーマン、大学生などのチンコを
つまみ出して触ってたんだ。
早朝でもそれなりに人通りはあるが、コソコソせず上着などを腰の辺りに掛け、介抱しているフリをすれば誰も気にしない。
上着をめくると既にチンコ丸出しだったりする訳だが。

でも、一度チンコさわってるところを見つかって、殴られ蹴られて鼻血で血まみれになって病院行ったら、鼻骨骨折してて
大変な目にあったんだよ。
何と言っても、相手も触られ犯されるのを察して必死だったからね。
一度だけ僕も勝負に出たんだ。若かったから・・・。

「オラ!ぶっ殺されたくなかったら大人しくしろ」ってね。


711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 07:10:15 ID:3fHTgRnQ
60近いジジイの醜態ヴァロス w


712 :仔猫(-_-)ノシ:2008/04/18(金) 03:25:14 ID:qVrEh4iD
ランボーはいずこ?

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 15:11:22 ID:a02BWHDx
ランボーの「母音」は、アブサンの影響下で書かれたという話がありますが、本当でしょうか?

714 :'Bon' sense友の会会長:2008/04/19(土) 02:16:11 ID:aXcvvGbe
乱暴にボインを扱う奴はアブサンの影響下でマスかいとけ!




・・・えっ、いや、私もたまには良識を失い、かようなツマンネ言葉を書いてしまうこともあります。
やはり、良識は必要ですねw
以下、輪をかけて「ツマンネ」って書くのは禁止w

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 16:06:26 ID:DjQYOLGR
>>714
超ツマンネ

716 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/20(日) 23:24:07 ID:jviDepdY
「ところかまわずしけこめ」。

717 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/20(日) 23:26:10 ID:jviDepdY
小林訳ね。

718 :仔猫(-_-)ノシ:2008/04/22(火) 13:51:06 ID:J9O1VhH2
>>714

あえていう。
「KY」

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 00:45:04 ID:zDaU6/cs
>>714 = ゲロ俗物w


720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 10:46:16 ID:YPBZRPX9
高い塔の上から吐いた
道端では泥酔して寝た
知らない部屋で目が覚めてうんこもした

でもランボウにはなれねえよ

721 :'Bon' sense友の会会長:2008/04/25(金) 11:09:05 ID:BGR4f5xp
>>720
そんな乱暴な生活を送っていたら詩人にはなれませんねw
良識とKYを大事に!

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 15:18:33 ID:YPBZRPX9
Arthur Rimbaudにそれ程の良識があったら
詩人にはならなかったと思います

誠実にして淫ら寛容にして貪欲
明晰と鈍磨
漆黒の闇の薔薇

なんてw


723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 06:25:34 ID:+WaBKUcw
>>721
生理臭い女の様な
お小言は謹んでな w

724 :'Bon' sense友の会会長:2008/04/26(土) 16:52:56 ID:R10UOh7m
>>723
生理中の女を侮辱する良識ない人ですね。
これだから童貞さんは困りものですw
童貞人生で斜に構えて生きてもランボーにはなれませんね・・・

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 05:53:45 ID:cxuhPluz
>>724
童貞人生の奴は
お小言は謹んでな w


726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 01:48:58 ID:H2fgRQj1
だれもランボーなんて読んでないだろw


727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 01:13:50 ID:yhq12T7X
ランボーもOK

728 :'Bon' sense友の会会長:2008/05/07(水) 07:45:53 ID:9Vc/5JZV
最近このスレ、以前のような、真摯な議論を見かけなくなってしまいましたね。
残念な事この上なし!
ランボーと客観、ランボーと異界、ランボーとデカルト、ランボーとキリスト教的世界観・・・

ああ、季節よ、城よ、無垢な心はどこにある?
時よ来い! ああ、陶酔の時よ、来い!


729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 07:48:57 ID:gErC5FnC
胸に手をあてて(ry

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 22:40:14 ID:p4M4LtDd
小林秀雄ですか

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:15:23 ID:WJ4mVWQe
酔いどれランボーという表題のニュース記事見たら
スタローンだったよ
バカ

732 :'Bon' sense友の会会長:2008/05/07(水) 23:39:58 ID:y5KY4IYT
>>729
熱い良識の鼓動が響いてきました・・・

>>730
そうです、基本、秀雄です。
もちろん私はフランス語ペラペラなのですが、邦訳では秀雄です。

>>731
その心の痛みは、ランボー好きな人は何十回、何百回となく繰り替えされるのですね。
そうやって人は成長してゆくのですねw

733 :'Bon' sense友の会会長:2008/05/07(水) 23:50:19 ID:y5KY4IYT
そういえば最近、'Bon' sense友の会副会長の仔猫氏の姿が見えませんね。
未だにこのスレを荒らしたことを後悔しているのでしょうか?

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 00:10:55 ID:7WI6IO9H
>>732
もしかしてそれは、
「フランス語はペラペラ」だけど頭はヘロヘロと解釈して宜しいでしょうか?

The person who wanders the dark and dark so end.

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 03:44:55 ID:euCgz0Zp
>>734
いいぞ!

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 08:40:21 ID:z6nFbsqG
>>733 = ハゲ


737 :仔猫がここに:2008/05/09(金) 06:24:55 ID:URi8//Bt
副会長はさいきん介護鬱…。

>>733
Vous allez bien Monsieur le CON SENSE ?

ボンちゃん相変わらずだな(笑)
文句があるならヴェルサイユへいらっしゃい。



738 :'Bon' sense友の会会長:2008/05/09(金) 19:37:03 ID:/0QKHzKZ
一度はこの俺にも、物語を想い、英雄を想い、幸運に満ち満ちて、黄金の紙に物書いた、――愛らしい少年の日がなかったろうか。何の罪、何の過ちあって、俺は今日の日の「良識」を手に入れたのか・・・

さて、
>>734
残念です。私は日本語とフランス語とスワヒリ語はペラペラで、どんな難しい微積分の方程式も解いてしまうのですが、英語は分かりません。

>>735
何がいいのか、さぱーり・・・

>>736
私はハゲではありません! ボーボーです。
毛髪の先端まで良識の爽やかなエキスが染み渡っているからです。

>>737
私は強靭な良識に支えられて、いつも健やかです(^0^)(^0^)(^0^)
ヴェルサイユは臭いので行きません。
介護疲れは確かに鬱になりますね。良識のある私は当然、介護の経験があります。被介護者の気持ちを完璧に酌んでやるのは不可能です。
結局、大切な人の介護といえども、日常生活の中で、システマティックにこなしてゆくことしかありません。――家庭の子らは、どいつもこいつも知ったのだ。人間の介護、これが折々俺の、お前たちの深淵に光を放つ爆発だ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、私はスレ主でもないのに、なぜ、几帳面にこんな返レスをしているのでしょうか?w
詩文学のランボースレなのに、ランボーの作品にまったく踏み込むこともせず、良識を気取ってする、このようなレスは荒らしに相当するのではなかろうか?
いやいや、そんなはずは無い・・・
ただ、解からせようにも良識の言葉しか知らないのだ、ああ、もう喋るまい・・・

739 :仔猫がここに:2008/05/10(土) 05:47:15 ID:j4Bw+C3z
がんばれ>>738

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 09:00:40 ID:BwfX1tfl
糞ボンサンス乙w

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 09:23:44 ID:y3FWnfiq
>>738 = チビ w


742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 01:39:02 ID:AH1LxqV/
test

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 17:32:01 ID:54197rai
ゆやーんゆよーん


744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 23:12:42 ID:9YTFq7ay
誰かボードレールスレ建てろや

745 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/05/17(土) 00:00:21 ID:5KTLaXtZ
そこで見者の書簡の出番ですよ・・・。

746 :'Bon' sense友の会会長:2008/05/23(金) 21:44:10 ID:wKyA3DXu
千里眼でなければならぬ。千里眼にならなければならぬ、と僕は言うのだ。詩人は、あらゆる感覚の、長い、限りない、良識的な乱用によって千里眼になる。(・・・以下、略)

ここで大事な点は、「道」に到達すると言うことなのですね。
詩人は「道」に到達することで、世界に新たな秩序と衝撃をもたらす最初の人々なのです。
ところで、こう書くと、「秩序」の部分にカチンと来る人がきっといますねw
でも、それは混沌さえ規制の秩序の中に組み込んでしまう資本主義の真実なのです。みながランボーを真似て詩を書き、みながランボーの詩集をお金を出して買いますねw
はめられているのです。はめられているのです。(二度書きます)
良識の極限を追求する者のみが、資本主義を超越した地点で、すべてを納得した上で、一切を拒否し、一切を享受する喜びに至れるのです・・・

747 :仔猫が:2008/05/24(土) 01:08:45 ID:4snoor/S
復活w

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 12:30:50 ID:A02nGhcC
>>747
あっ、いや、>>745のレスが長らく独り寂しく打ち震えていたようだったもので、我慢しきれずにレス古事記してしまいますたw
これも良識のなせる因果でしょうか・・・

749 :'Bon' sense友の会会長:2008/05/24(土) 12:32:03 ID:A02nGhcC
>>748
動揺したせいで、名前を入れるのを忘れたorz

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 17:46:46 ID:H4D2ANMt
ランボーはどう見ても機知外のようだ

751 :仔猫が:2008/05/24(土) 20:37:05 ID:qnx9KIW7
>>749
意外といいやつだなw

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 00:15:05 ID:MtjkMp3a
ランボーの未発表の詩が出てきたね


753 :仔猫が:2008/05/26(月) 04:10:09 ID:SEfZ4yu5
>>752
訳してくれw

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 00:56:27 ID:clmFavXc
>>749
まったく良識のない人ですね。
出直してきなさい w

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 00:21:14 ID:qJTDXQcx
>>746
10代のランボーに良識はあったのでしょうか。
詩の事しか考えていなかった様に思われるのです。


756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 00:18:18 ID:ojFHLplx
こんばんは、鈴木信太郎です

757 :仔猫が:2008/06/01(日) 00:54:55 ID:d1FH3Pde
>>756
およびでない

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 00:50:13 ID:7txZGgLX

ttp://afp.google.com/article/ALeqM5iVS9vdXnRnuyX6S9EnN_0RBXesEA

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 00:29:57 ID:SWzW5rd5
おほう

760 :仔猫で@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 18:49:24 ID:9UpEqfJr
ボンちゃ〜んどこいった〜?
さみしいぞ〜(ToT)

良識があるならレスするように(笑)

761 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/27(金) 00:13:34 ID:GFY8A8CF
黙ってマタを開け・・・。

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 10:32:14 ID:eyRkBf39
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・)
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
死ぬとき このレスの事思い出してから地獄へ行けよ

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 19:49:29 ID:kIKX3z69
>>762
ああ
全てをささげたがなんと乱暴な愛た゜らう

764 :仔猫で@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 04:35:23 ID:UVB4X8Xm
死に死に死に死に死に死に死んで死の終わりに暗し

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 00:46:06 ID:IasJ4z+s
ttp://wma.nowok.net/gm/18253/6.wma
ttp://11111.6621.com/5oo5/kup/6621_22568/26621.wma
ttp://ls1.qq190.com/wma/qq130p/418/4.Wma
ttp://8.mtv200.com/20099/2008-2/12436/2.wma
ttp://wma.my51t.com.cn/25/4581/29039/91724006.wma
ttp://zb57.530.ok168.com/0613/wma/xieshou.wma
ttp://wma.31tt.com/2007/X/200711306324560/63292037.wma
ttp://dns8.st020.cn/gm/16586/7.wma
ttp://cn.79tt.com/rm/20061201/mtvtop_52/deyongyingming10/010.rm

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/01(火) 00:10:37 ID:boj29Q7v
がっぺっぺ

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 00:57:15 ID:erdXiEBe
le
la
les

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 07:05:08 ID:wwu66CVx
嗚呼
またやって来た
あの残酷な理と世界が
俺が命を捧げた歴史は失われ惨めにも無くなった
さうだ無くしたものはここいらの塵と同じだ
悲しむことは無い
業病にとりつかれて
狼のようにまた吼えるさ



769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 03:29:16 ID:b0R4W/y1

http://jp.youtube.com/watch?v=2tXNb2Dty9g

Sensation

Par les soirs bleus d'ete, j'irai dans les sentiers
Picote par les bles, fouler l'herbe menue:
Reveur, j'en sentirai la fraicheur a mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tete nue.

Je ne parlerai pas, je ne penserai a rien:
Mais l'amour infini me montera dans l'ame,
Et j'irai loin, bien loin, comme un bohe'mien,
Par la nature, - heureux comme avec une femme.

夏の青い宵に 僕は行くだろう、小径をとおり、
麦の穂につつかれ、こまかな草を踏もうと、
夢想家の僕は、草の夕べの冷気を足に感じ、
風にあらわな顔をまかせたまま。

僕は話すまい、 何も考えまい、
しかし無限の愛が魂にこみあげてくるだろう
そして僕は行こう、遥かに遠く、ジプシーのように、
自然のなかを、女の人と一緒のように幸せに。

by : フランス 四季と愛の詩

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 10:58:38 ID:9Y5jPs8I
途中までとても良いスレだったのに、ボンサンスが
荒らしてから廃スレになっちゃったね

771 :仔猫で@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 11:32:11 ID:eZ7McYYf
荒らすだけ荒らしといていなくなっちゃうし…。

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/28(月) 23:20:44 ID:Cz9WQmfT
ボンサンスは秋葉原の大量殺傷犯と同類のメンタリティを持ってるカス凡俗 w

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/30(水) 02:23:21 ID:Ev2bzRN1
Suntory Whisky Royal CM -Arthur Rimbaud- (LongVer.) 1982
http://jp.youtube.com/watch?v=YotCl8xcRtk

774 :'Bon' sense友の会会長:2008/07/30(水) 13:58:53 ID:Z2eq5m+q
>>770-772
        _______∩_∩
     /   ノ ヽ (  ノ⊂ ̄))) ̄⊃
     /|ヽ  (_ノ  ._ ̄  0'ヽ 0'   ごめん、不快なことがあって
    / |ノ  .)    (_)  ヽ  i (   ムシャムシャしていた
 ∋ノ |  /――、__  ./(∩∩)  草なら何でもよかった
      / /| ヽ__ノ   | / ./     今は反芻している・・・
    | (  | ( 良識    | ( /
    |__ヽ. L_ヽ        Lヽ_ヽ
''" ""''"" "'''''" ""''"" ''" ""''"" ''" ""''"" ''" ""''"" "''

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/30(水) 20:43:47 ID:Ev2bzRN1
ゴダール『気違いピエロ』のラストより
http://jp.youtube.com/watch?v=37dsovRf9PM

(女)見つけた
(男)何を (女)永遠を
(男)それは海
(女)そして太陽

Elle est retrouvee.
Quoi ? - L'Eternite.
C'est la mer allee
Avec le soleil.
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/rimbaud/9.html

また見つかった、
何が、
永遠が、
海と溶け合う太陽が 
(小林秀雄訳)

776 :仔猫で@お腹いっぱい。:2008/07/30(水) 23:40:35 ID:nFXmI/T+
気狂いピエロを見てセリーヌに興味を持った。

このまえ気狂いピエロのDVDを買ったんだけど
介護で忙しかったり鬱で寝たきりだったりして
暇なときに見るのを楽しみにしていたのに
結局見ないまま10年以上たってしまった…。
そんな未開封モノが山のようにあるので死ねない。情け無い。

777 :'Bon' sense友の会会長:2008/07/31(木) 05:59:21 ID:wQFeU0l8
>>776
「このまえ」と言いつつ、「10年以上たってしまった」とは、これ如何に?w

778 :仔猫で@お腹いっぱい。:2008/07/31(木) 13:24:35 ID:jz1sV4df
光陰矢の如しw

このまえ買ったのは「はなればなれに」でした。
コレもまだ見てない…(-_-)

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/01(金) 23:46:47 ID:VsNwQ+xu
気違いピエロ観てみる

780 :仔猫で@お腹いっぱい。:2008/08/02(土) 00:30:26 ID:d/WA3iZH
気狂いピエロは良い。人生観変わる。

781 :'Bon' sense友の会会長:2008/08/02(土) 01:54:25 ID:LgegPb83
良識ピエロ・・・

782 :仔猫で@お腹いっぱい。:2008/08/02(土) 12:34:04 ID:ndMLzAGF
ボンちゃん…

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/03(日) 04:02:52 ID:FsTJ/3XT
ボンサンスは秋葉原の大量殺傷犯と同類のメンタリティを持ってるカス凡俗 w


784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/03(日) 15:14:00 ID:wgveUKUH
同じレスをするな、、
おまえも同類の荒らしになるぞ

785 :'Bon' sense友の会会長:2008/08/03(日) 21:26:55 ID:9vOnuIZq
>>784は良識のない馬鹿な人ですね。

786 :'Bon' sense友の会会長:2008/08/03(日) 23:45:29 ID:Eco71QNu
もう一度探し出したぞ
何を
良識を
それは太陽と番った雲丹だ!

>>785
まあまあ、'Bon' sense友の会会長さん、仲良くやりましょうw

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/04(月) 02:53:59 ID:v2zwGzoh
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・)
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
死ぬとき このレスの事思い出してから地獄へ行けよ
ニヤ(・∀・)ニヤ(・∀・)

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/04(月) 06:08:07 ID:lubvfQHR
ボンサンスは秋葉原の大量殺傷犯と同類のメンタリティを持ってるカス凡俗 w

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 16:13:41 ID:UdpyPT5S

Vous ?tes sur une haute tour au
Lonely dans la ville de destruction et de meurtre

Grande ivresse.
C'est le ciel?
Dieu n'a pas besoin
L'alcool et le cannabis et la coca?ne dans sa vie ? gagner.

Pour d?truire la femme

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 21:20:29 ID:PxFmVuqi
ハゲ w

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 21:51:44 ID:UdpyPT5S
はいはいハゲねw

792 :仔犬どもの一団@会長:2008/08/25(月) 01:19:45 ID:ty8YpxBK
私はボーボーです・・・

それにしてもランボーは、何故、突然に『イリュミナシオン』のような詩篇を造ろうと思い立ったのか、良識に照らして考え中。
見者の手紙をその根拠に据えようとしても、そのヴィジョン不可解・・・

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 02:56:43 ID:GMhOjlHV
イリュミナシオンに関する考察

ランボウにとっての識者賢者とはまさしく見る者
彼が滅びた街の城壁で歌う言葉と
高みの塔から世界を発見したときの言葉
それは彼自身を滅亡に導くものでしかなかった

ああ彼方の幻の都市よ、失われた古代の神々の王国

そして静かに死は訪れた

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 13:21:41 ID:lYDGAttC
ランボー以前に、イリュミナシオンに先立つような作品って何かあるか? 内容だけじゃなく言葉の扱い方も含めて。
確かに突然現れた感じだね。ボードレールの散文詩とも明らかに違うし。

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 03:08:38 ID:/u6TZZaW
言葉に色があるというのは理解できなかった
彼の持つイメージなんだろうけど
英語の辞書で各色について、その色の持つイメージについて載ってることがあるけど
フランス語でもそうなのだろうか
日本ではそこまで色に意味を持たせていないように思う

796 :仔犬どもの一団@会長:2008/08/27(水) 15:41:26 ID:53ThtPSt
>>795
共感覚ってヤツですね。本当に文字に色がついて見える人がいるらしい。ランボーがそれであったかは分かりませんが・・・
それと、『イリュミナシオン』に表れるヴィジョンの多くが『悪の華』に負うところが大きいようですね。『悪の華』を読んでいて、今更ながら、それを感じました。


797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 10:35:05 ID:nQVA6o8+
結局、ヴェルレーヌとランボーって穴兄弟だったの

798 :仔犬どもの一団@会長:2008/09/01(月) 01:58:58 ID:H3KNxGQd
たぶん、何度かは掘り合った仲だと想像しておりますw
ついでに言えば二人とも両刀使いだと私は信じておりまする・・・


799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 07:22:56 ID:NBJi0dTn
二人でやってれば美味くいってたのに、
もっと美味いの食いたいってランボーが言い張るんで、
ヴェルレーヌも渋々自分のカミさんを誘って3Pを企てたんだが、
3Pの素晴らしさを識らなかったカミさんが断固拒否し、
ランボーとの関係遮断を求めた。

おい、おまいら、短い人生だぜ、異性しか識らないなんて勿体ないよな。


800 :仔犬どもの一団@会長:2008/09/04(木) 20:36:11 ID:a7unC5ru
両刀なら、その分、ノーマルな人より2倍、ときめきが多いのだろうか?
しかし、ノーマルな人に、両刀の奨めをしても絶対拒否となる・・・
欲望は広ければ良いというものでもない。ない欲望は生み出せない。

ああ、季節よ、城よ・・・

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 09:50:02 ID:ioKUgDiA
メリッサローレン

802 :sage:2008/09/07(日) 13:25:16 ID:EAgXhml0
俺がランボーだったら山に篭って戦うな
熊とかゲリラとかと戦ってな。
で、たまに街に下りて大暴れする。

Oh, vous saison du ch?teau.
Toutes les d?pouilles mortelles sort

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 22:36:01 ID:gWRbhLso
はっきり言う
ここが廃スレになったのはボンサンスのせいではない
この板自体が廃板www

804 ::2008/09/14(日) 09:09:12 ID:VsEk187m
ボンサンス本人w

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 22:23:37 ID:xzz/kii1
今日も今日はで

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 14:10:30 ID:A84luI1G
つまらん。

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 18:44:21 ID:0ETfDzzv
ランボウの詩を考えること自体が間違い

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 16:41:46 ID:ZjRl0ryk
いまこそラムボウを謳う時だっ
なんだっけ

わたしは野蛮なゲルマンの砦
適当に業病になるので
歌でもうたうぞ
お前たちも歌いなさい


809 :ラマルメ:2008/10/20(月) 00:10:58 ID:Rh62XRBU
Webにある『骰子一擲』
http://xima.jp/

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 10:29:57 ID:ou4lsMEa
ボンサンスを虐める奴のせいで、ここ、廃スレになっちゃったね

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 13:41:46 ID:TZReWRfD
ようやく探し出したぞ

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 19:16:17 ID:OsrDXTJQ
〜 糸冬 了 〜

813 :仔犬どもの一団@会長:2008/12/24(水) 03:29:41 ID:7Fx8GoHR
ごめんなさい、
>>810は私の自演ですたw

814 :◆2lZL.15SIs :2009/01/02(金) 21:00:33 ID:vVozHR8P

哲学板ニーチェスレに住んでる早(はや)です。
http://academy6.2ch.net/philo/1225129014/
17・18のときにランボー読みました。日本語だけど破壊的に影響受けました。21才、今でもランボーぞっこん中。

http://hp.kutikomi.net/beatrice/?n=column12
ここにランボーの詩について、小林秀雄のランボー理解を参考に哲学的に評価しながら書いています。

「詩人の賭博」
http://beatriceuplift.blog122.fc2.com/?mode=m&no=119
ランボーの詩論(文壇に送った手紙とか)に触発され、ランボーにとって詩人とはどんな職業かを想像しながら書きました。
この文章の後半は、マラルメの必然と偶然の考えに影響を受けた考えです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ブログ
http://beatriceuplift.blog122.fc2.com/

詩・小説・散文・エッセイ・論文・絵・楽曲 / 哲学・芸術・神秘主義・ロック
ランボー・尾崎豊・ジョンレノン / ゲーテ・ニーチェ・ユング・ショーペンハウアー・ベルクソン

メルマガ
http://46.xmbs.jp/waderfulalice-159354-ch.php?guid=on
空メールよろしく。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

何か意見あればブログかニーチェスレにお願いします。さようなら。

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 15:29:28 ID:t0dRCH/X
チラッと覗いたが、とてもランボーを理解しているとは思われないなぁ…

816 :にいせ:2009/01/10(土) 17:49:42 ID:O2SPEKIq
俺も詩人には向かない。


817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 13:46:58 ID:HmdS9Du+
>>814
ランボーを乱暴に理解している

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 16:08:20 ID:cWOPuV5V
涙と おお季節 を比較してみてください。400字以上で

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 02:11:23 ID:dAWWXibj
詩とは小説を濃縮にして数行でまとめたものと言うらしい
濃縮還元小説=詩

アルチュールランボーの詩を見て幾つかに重なった心情に触れて
今までの自分の詩のようなものと見比べたら全然違うことがわかった
あの何層かに跨る濃厚な詩の奥にあるものは何なんだろう
たった一行に四方から迫る何かを映す言葉ってとっても難解だ
映画一本分入るかのような一つの人生を見たかのようなものが
詩には込められてる

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 02:15:33 ID:dAWWXibj
幸せな詩であれば心は静まり荒れる神のような詩であれば波立つ
視界に捉えたそれは脳裏に奥行きを映すそーだいだいな映像受信

そしたら一番文字数多くて沢山の人に語り継がれてる聖書なんか
詩文にいいのかもしんないな。小説模様ではなく濃縮して脳裏に還元して

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 18:33:08 ID:xej0uQEf
>>819-820
うんうん、でも君は句読点を打つことと、誤字脱字を見直す習慣を身につけるのが先だと思うよ・・・

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/22(日) 22:27:50 ID:oHg/Z8bJ
こんばんは、鈴木信太郎です

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 02:42:24 ID:HqQq2bJq
どいつもこいつもくろんぼうだ。

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:22:41 ID:G5bsOlpF
>>823
おまえこそ、いかさまのくろんぼうじゃないか!

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 18:09:11 ID:qWiPJ+Fj
ランボオは、フランス語の原文で読むと、以外にパッとしない。
小林秀雄の翻訳で読むほうが、カッコいい。

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 21:48:26 ID:VDEYIn2E
>>825
他の人の飜訳は意外に普通の散文だもんな。
俺は原文は読めないが、だいたい想像はつく。
小林訳は、不良背徳青少年らしい独特のコブシが効いてる感じだな。

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/28(土) 03:22:39 ID:e013/eNB
>>825
小林秀雄の訳が一番だと思うけど、わたしは中也の訳のほうがいいと思う詩もある

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 02:39:46 ID:e1+D14zV
>>825
シルクでケツを拭くようなもんか。

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 03:47:36 ID:ZNb07wZk
ランボー読むためにフランス語勉強して(シルクで)、それなのに、パッとしない(ケツ拭く)って意味ですね、分かります。結構、難しいメタファーですね。

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 09:58:36 ID:e1+D14zV
いや、最近見た映画のセリフなんだけど(汗

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 22:08:59 ID:4hx4UeO3
小林訳だと、颯爽とした不良少年的イメージがあるが、原文はわりに
古典的な詩法に基づいたもので、けっこう真面目な感じがするよ。

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 02:36:38 ID:Xy+mExkf
「俺」ではないんだろうな。俺の持ってるイジドール・デュカスの
『ポエジィ』は「ぼく」でも充分、パンクっぽい。

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 08:35:07 ID:Mdyzp2yW
ロートレアモンはパンクだな、確かに。ランボーはハードロックってかんじがする。

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 12:06:20 ID:Xy+mExkf
『地獄の季節』は有名だが、本当に凄いのは『飾画』だろう。

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 12:09:30 ID:Xy+mExkf
ロートレアモンも「解剖台」は有名だが「ポエジィ」は境界例で
なきゃ書けないような言葉がある。

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 21:13:10 ID:Mdyzp2yW
「ポエジー」は、あふぉなリズム。
栗捨て婆ぁがスゲーって言ってたけど、真似すんなよ。
丸怒ロールも二番煎じは価値なし! WEB上では、そんな小説とも散文詩ともつかないようなガキどもの狂った長文テキストがいっぱい蔓延ってるけどな。

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 14:27:38 ID:1IVRd50q
「僕の文章は感情と理性における魂の擬人化である」って箇所はすごいと思うけどな。

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 16:49:09 ID:+60FqkVN
ロートレアモンがランボーの二番煎じって評価は否めないがね。

『地獄の季節』で超越的な反抗の叫びを上げて、『飾画』で
その景色を書き残してランボーは詩と決別した。ロートレアモンも
同じ。今は『地獄の季節』が『飾画』より先に書かれたって
のは定説だよな。

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/04(水) 13:33:29 ID:Wx4OLOel
>ロートレアモンがランボーの二番煎じって評価は否めないがね

意味が分からん
デュカスの詩作期1866年〜1870年
ランボーの詩作期1870年〜1874年

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/04(水) 21:04:08 ID:xQXQI0pk
ホー、そういやそんなボンヤリした記憶もないでもないな。

>>836
見者の世界は分かりますたね?

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 05:50:07 ID:ZiXxtZso
分かりますたね?

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 17:31:31 ID:ZiXxtZso
科学、新貴族、なぜ後戻りはいけないのだらう?

そんな季節ですね。

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 22:27:28 ID:ZiXxtZso
ああ、>>62にあった。

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 00:49:25 ID:iPgYo+TA
ジャアナリスティックな話題ばかりで申し訳ないがな。

『種の起源』で激論が始まったのが1859年、続いてフランスでは
ルナンが1861年に合理主義の立場からイエスを偉大ではあっても
しかし人間であると宣言して着任早々、大学を追い出された。
真正面から奇跡を迷信扱いする『イエス伝』出版はその翌年。

150年も経つと信仰と科学のダブルスタンダードにヨーロッパは
麻痺してしまう。

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 11:42:09 ID:9zVV3Xrk
アメリカなんて、未だに進化論否定派が圧倒的多数だからなw
それでいながら、ノーベル賞受賞者はアメリカが半数を占めてる。
訳分からん、ものすごい国だ・・・

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 14:37:37 ID:iPgYo+TA
ルナンが大学に復職したのがランボーが詩作を始めたとされる70年。
科学は勝利し、神のいない近代聖書学の幕は切って降ろされた。
ダーウィンを中心にした進化論論争は

「自然選択説」対「創造論」

から

「自然選択説」対「進化論的創造論」

に横滑りしながら継続中。

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 05:15:19 ID:PcimhAeS
昔、年上の人にランボーを知らないの。可哀想にって言われた。
内心、ふむと思ったが。

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 05:25:55 ID:PcimhAeS
詩人と言えばラムボウだらう。

ああ、芥川か。

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 11:33:45 ID:3re/R3dP
詩人といえば、ギョーテだろ

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 23:11:04 ID:WW+b6JTb
ランボーたんとアッー!したいお

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 00:20:18 ID:20+Zo0sj
おまえは、う゛ぇるれーぬか!

852 :お約束さん:2009/03/15(日) 04:29:07 ID:c7OGbTe8
ウホッ!

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 19:40:04 ID:mnFjg6Ve
俺たちが愛したように、この国にも俺たちのことを愛してほしい。

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 15:43:38 ID:MMyeQZXa
十分、愛されていますよ。

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/23(木) 00:29:00 ID:e1dBm487
「見者の手紙」解釈を再開しよう

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/24(金) 23:37:50 ID:FJtt63e0
>>855
百番台から五百番台までさんざんやったけど
教養不足で口をはさめない人たちのひがみが凄いのよ。
雑音が多すぎてね。
だからもうやる気が失せた。

どうしてもということならお付き合いするが
2ちゃん離れたほうがいいかもね。

どうする?

というかひがみたい人たちはどう思ってるのかな?

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/25(土) 03:17:08 ID:aFQ5ZzQ6
コミューン時期のパリ出奔が絡んでると思うよ

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/25(土) 08:47:50 ID:S8xWnb0j
教養のあるなしはわからないけど、手紙をまともに論じようとすることに
否定的な人が多いのには驚いた。

ランボー本人の言葉を辿ろうとすると、ガキの戯言を真に受けるなとか
アクロバチックな解釈で余計なものを付け足すなとか。

そういう人は、どういう経緯で手紙を戯言と考えるに至ったかとか、
説明して欲しかった。


>>857
コミューン時代の影響とは?


859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/26(日) 18:06:57 ID:/d8/1Fnx
1871年3月コミューン成立。コミューン軍が日給で傭兵を募集していることを知り
徒歩でパリへ向かう(4月)。義勇兵部隊に加わり、パリをうろつきまわりながら、
兵舎では「共産主義政体試案」などを書き上げる日々。

しかしやがて幻滅が来る。同じコミューンの理想を掲げるはずの同士らの醜態・卑猥。
「俺の悲しい心臓が船尾で反吐を吐く」「伍長に噎ぶ」

戦時下の厳戒の中をシャルルヴィルへ帰還(5月)。ほどなく故郷でコミューン崩壊の
報に接し大いに失望。まるで人が変わったようになったという。

イデオロギーは人を真に変革しない。かけがえのない自己の肉体の裡に成熟していく
思想だけが真に人を変革するのだ。

1871年5月、見者の手紙。「僕は自分の思想の開花に立ち会っている」

コミューン参加から手紙までの経緯はおよそ以上のようなもの。


860 :モオツァルト:2009/04/28(火) 22:05:33 ID:+8rqGhku
クラ板からきました。
ここでよろしいのでしょうか?

861 :モオツァルト:2009/04/28(火) 22:59:14 ID:+8rqGhku
クラ板「モーツァルト」スレにお声がけして下さった方はこちらの住人でしょうか?
ランボーは、ずっと以前に、小林秀雄訳の『地獄の一季節』を読んだだけです。
精緻なボードレールのガラス細工を粉砕した天才美少年として、モーツァルトを連想しました。
私のような門外漢でもよろしければ、『ランボーの美と本質』、受講いたしたく存じます。

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 00:01:15 ID:KP6OOUX1
おお、ほんとうに来てくれたんですね。確かに異様な早熟と他に比べるもの
の無い幻惑するような美しさ(美と呼んでいいかどうか)は通ずるものが
あるかもしれません。

で、このスレでは100番台から500番台で、ランボーが16歳のときに書いた
所謂「見者の手紙」の解釈をめぐって議論してきましたが、途中で中断
してしまったんです。

もしよかったら、スレを遡って読んでみてください。知的暇つぶしには
最適だと思いますよ。

ところで、こっちでもコテ使うんですね。


863 :モオツァルト:2009/04/29(水) 00:37:32 ID:y+zabGko
いや、コテは、「私、来ました」の目印にすぎません。今後は名無しでゆきます。
气宴塔{ー氈Aフランス語さぼった事を悔やんでます。
高校生の頃から気になっていた存在なんです。

何と言っても、あの美形。それが秘めている凶暴性(詳しくは知らないんです、単なる直感です)。

ガラス細工詩人ボードレールを粉砕した天才(これも単なる直感)!

GWでもありますし、一仕事片付いたところですから、これも何かの縁だと思います。よろしくご指導お願い致します。

やはり2ch.「タンノイスレ」で偶然知り合った方(現在アメリカの大学の物理学の教授をされておられる方です)とは、現在もメールのやりとりをさせて戴いてます。
ご専門のお話だけではなく、人生の師ともなって戴いてます。

まずは 100番台〜以降から拝読させて戴きます。

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 01:26:51 ID:KP6OOUX1
いやいや、僕も全くの素人なんですよ。なにしろ理系ですから。
フランス語も読めません。原語は、詳しい人がいて、引用して教えて
くれてました。

僕も以前はタンノイユーザーでしたよ。今はWilsonAudioですけどね。


865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 03:00:49 ID:y+zabGko
400番台の途中でしたが、感性が拒否しました。

モーツァルト宸フ中に、バルトーク」が入り込んでくるんです。

この時間、いつも、モーツァルトの『至純な美』に溶け込み、心がとても静かになる時間。

また、明日にします。

『千里眼』『圧縮』
Key Words は、いただきました。

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 16:13:43 ID:KP6OOUX1
>>856
たまにスレ覗いたりされてるんですね。ここもすっかり過疎って、僻む(?)
人も少ないので、ここでもいいかとは思いますが。それに他の人の視点も
重要ではないですか。
(2ちゃん以外だと何処ですか?)

ただ、手紙の核心部分についての解釈は非常に困難と思われ、なにか
今まで以上の展開があり得るのか? あまり自信はありません。


867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 17:02:37 ID:y+zabGko
いままでスポーツセンターでストレッチを中心に鍛えてました。

また、読み始めるつもりですが、『日常の言葉が私たちの言葉に対する感受性を縛る』『あらゆる感覚の合理的乱用』のふたつに私の感性が反応しました。

すべて目を通し、また夜にでもレスいたします。

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 21:46:49 ID:y+zabGko
一応ざっと目を通しました。
どこも同じなんですね。

何年かぶりに 2ch.に寄ってみましたが、『ほんと。ほんと。』って感じました。

ここで「ランボー」は…

老婆心ながら、や・め・た・ほ・う・が…

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 00:48:29 ID:nNKGKBJy
モツスレ114さんは、私をこの板に招待して下さった方かと思います(間違いでしたらお詫びします)。

数多の論理を圧縮したレトリック(感性)…
説明不可能な感性は、「論理」からの逃避…

昨日お話した『人生の師』として私が敬愛する科学者の方にも、三年ほど前に、似たことを言われました。

私が「Emotional Content」こそ、私の信条!と申しましたら、『Emotional Control』こそが肝要!と看破されました。

お言葉、肝に命じます。

ありがとうございました。

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 01:35:30 ID:nNKGKBJy
あ、それから、なにやら「私の英語力と音楽に対する造詣を試したい」とかで、つまらない英文を訳せとか言ってる人がいたんです。

私、あのスレに「さよなら」した後で、もう出れないし、こちら携帯なもので、原文見れないんですけど、
確か…
「1820年頃まではオーケストラに指揮者なんて者はいなくて、オペラのような大人数の編成が必要な曲なんかの場合やピアノ協奏曲なんかの場合は、通奏低音担当者などが曲のリズムを管理したり、
またピアノ協奏曲ならピアノ奏者がその役割を担ったりしたらしいとのこと。
特に導入が難しい曲の場合はコンマスが弓で団員に合図したり、オリジナルの楽譜や初版の楽譜なんかには、この曲は小編成用なんて指示が付け加えられたりしてたんだって。」なんて英文だった気がします。

とにかく、入試には縁のない駄文でした。

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 23:13:54 ID:hxNI0Z+C
>>866
ごぶさたしてました。

たまたま覗いて反射的に不穏当なことを書いてしまったのだけれども
やはり文体はわかるというか,引き付けあうところがあるのだろうか。

他所といっても改めてサイトかブログかになるので
多少の手間になる。ここで駄弁かたがたが良いのかも。

貴君の読解力分析力想像力にはかつてたじたじとなった思いがあり
語り合った経験は非常に(そう,確かに,常に非ず)愉しいものであった。

もし,あまり求心的にならず,結論は先延ばしで良いという
気楽なスタンスなら,またここで繰り返しても良いかな,と。
(他の場所となるとブログとか多少の手間になる)


872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 23:45:07 ID:hxNI0Z+C
>>869

うーん。なんか音楽の話題かな?
音楽も多少わからんではないけど(知識は全然ないけど)
個々の芸術分野での文脈というか発展の度合いにズレがあるだね?

なので大幅に話はずれるが,とりあえず,ランボーの時代だと
・文学の主流は演劇と詩。小説はサブカルチャーのレベル。
(ただし,数年後か十数年後には小説が演劇と詩を追い抜く。)
・時代の進展により,「Emotional Content」も増大したが,
同時に、『Emotional Control』の技術が探求されるようになった。

ランボーの時代は,(日本でいえば幕末だが)
・庶民レベルで文化水準が高まり
・早い者勝ちで文学的に大衆感情をわしづかみにできた
という時代なのだね。
(その背景は1804年以降の義務教育制の実施で,
(ランボーの時代になって初めて「読み書きできる爺さん婆さん」が出てきた。
(そう思って「渇きの喜劇」を読むと面白い。)

特に出版文化が発展してきて新聞・雑誌でかなり自由にものが言えるようになった。
現代のインターネットみたいに。
さらに,それまでは第二帝政で検閲が横行していてやたらと抑圧的だったのが
コミューヌでいわゆる言論の自由がやりたい放題になってきた。

という感じで,
ランボーは一歩先んじて自由を希求してきたものとして,
遅れて自由を求めようとしている大衆を牛耳ってやろうとしたのではないかな,と
思ってみたりした。

でないとあの見者の手紙やイリュミナシオンの高い調子が理解できないように思う。


873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/01(金) 00:23:31 ID:UhWk1sp+
ランボオが嫌いといわれると引いてしまう。


874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/01(金) 01:11:43 ID:yICp91V7
871〜873さんは、私をクラ板からこの板に招待してくださった方かと思います。
貴方様のような方が、『ランボー』について講義してくださるとは、幸運の限りですが、ここは 2ch.、雑音(私はバルトーク」と比喩しましたが)が多すぎてストレスにならないかと…
私は2006年にラファなるコテでカキコした所、基地外、基地外の嵐で、「荒らし屋」呼ばわりでした。

今はもう慣れたもんで、「噛み付いた」ふりをしながらモーツァルトの『ピアノ協奏曲22番の3楽章(きわめて愉悦感溢れる曲です)』などを聴いて、ストレッチしたりしてます。

もしご迷惑でなければ、ランボーについての講義、宜しくお願いします。

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/01(金) 02:01:19 ID:NGaAOsX4
カラマーゾフの兄弟で、次兄イワンが弟アレクセイに語って聞かせた「大審問官の劇詩」

「おまえ(イエス)が自由の名の下に人々に与えたものは、ありとあらゆる異様な、
謎のような、取り留めのない、人間の力にそぐわぬ或るものだ」
「おまえは、人間の自由を支配するどころか、自由を増大してやった。そして、
その苦しみによって、永久に人間の精神の国に重荷をつけたではないか」
「人間は、おまえの考えたより、遥かに弱く卑劣に創られている。暴徒に創られては
いるが、やはり奴隷には相違ないのだ」
「我々はもう、八百年の間、おまえを捨てて、奴(悪魔)と一緒になっている」
「我々は、おまえの事業を訂正して、それを奇跡と神秘と教権との上に打ち立てた」
「こうして全ての人間は幸福になるだろう。併し、彼らを統率する幾万人かの者は
除外される。つまり秘密を保持している我々ばかりは、不幸に陥らねばならぬ。
何億かの幸福な幼児と、何万かの善悪認識の呪いを背負った受難者とが出来るわけだ。」
云々…

さて、ランボーにおける「自由」とは?


876 :ラファ:2009/05/01(金) 02:09:34 ID:yICp91V7
いま私に言えるのは…

『「悪魔」とは…知性に反逆する原理的な力』だということだけです。

一日、時間をください。

久々に胸が高鳴ってきました。

877 :ラファ:2009/05/01(金) 02:26:51 ID:yICp91V7
いま、閃きました。


『孤独』

です。

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/01(金) 22:39:05 ID:LVWdNnIw
>>874

>871〜873さんは、私をクラ板からこの板に招待してくださった方かと思います。
いえいえ違いますだよ。>>866>>862>>858>>855こそ
比類ない情熱,論理としての実在であり,
そしてまたおそらくは貴殿を呼び込んだシレーヌである。
私も呼び込まれそうでちょっと困っている。

>>875
いきなり大審問官にぶつけるとは。
そういう大上段な問いかけは面白いねー。
ランボーは「地獄の季節」でキリスト教と取っ組みあったけれども
大審問官のような,わかりやすい(けれども歪みだらけの)展開はしていない。
「地獄の季節」は歪みだらけでなおかつわかりにくい,理屈になっていない理屈と飛躍だ。

で,ランボーが究極的に求める自由は何かはわからないので
さしあたり,歴史的状況に照らして言ってみると,
・(門地ではなく学歴による立身出世すなわち自由がほぼ実現されたのを受けて)
学歴という外部(国家など)からの承認に拠らない頭脳的な実力の自由
・普仏戦争後,第二帝政時代の芸術的表現に対する検閲の廃止による自由

大審問官のテーマに比べて矮小であるように思われることと思うが,
ドストエフスキーのほうも時代の現実的な自由に置き換えてみると
まずは同じようなことが出てくると思う。

そのうえでまた超歴史的・全人類的な「自由」という大いなる幻想が浮上してくる。


879 :ラファ:2009/05/01(金) 23:15:05 ID:yICp91V7
私はドスト氏は、高2の時に読んだ「罪と罰」以来、縁がありません。

ただ「自由とは?」と聞かれ…

自由のアントニムは『欲』→そこから一気にモーツァルトが舞い降り…

『自由のシノニムは孤独さ』ときました。

私の信条でもあります。

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/01(金) 23:59:45 ID:LVWdNnIw
>>879

読みなおすべし。

高校生のときなんか(私もそうだったが)何も読めてないだよ。

いい年食ってから読み直すと
文豪さんも大詩人さんも
何だ,けっこう世の中のしがらみにあくせくして
それでこんなこと書いてたのかよ
と思うところがいっぱい出てくる。

それに年を食うと二次文献もいろいろ読めるようになる。

で,そのうえで
彼らの理想とは何だったのか,が透けて見えてくる。

それはともかくとして
>自由のアントニムは『欲』
というのはなかなか特殊だね。
普通,自由の反対は外部からの拘束だと思う。
欲は自我の内部にある。すなわち外部でなく内部に拘束があるということか。
>『自由のシノニムは孤独さ』ときました。
ますます特殊だね。
なぜなら孤独はある意味自由の極致とも解し得る。

「孤独かつ無欲」は確かに「自由」かもしれないけど
「何でもできそうだけど何もできない状態・可能性に満ちた不能」ではないか。

私は自分自身,けっこうな中年なので
そういう「何もできない自由」もそれなりに楽しめる境涯にある。
だから幾分か共感できる。

しかし,ランボーやイヴァン(大審問官の)は
青春真っ盛りで,そういうのは「自由」とは思わなかったに違いない。
彼らの自由は独善的で破壊的だったと思うだ。

881 :ラファ:2009/05/02(土) 00:10:10 ID:ucQs9m4Q
880さんへ。

わかりました、出なおします。

青春真っ盛りですか。


私の一番苦手な『論理の圧縮』を試みてみます。


2〜3日ください。

与えて戴きました「文のみ」から、試みます。

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 00:33:51 ID:hTWbZQly
>>881

うんうん。ゆっくり。気長に気楽にねー。

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 08:42:32 ID:sYOWYWiy
見者たらんとする熱望以外に、ランボーが激しく希求したものが「自由」であったことは間違いないと思われる。

それが彼にとってあまりに自明のことゆえか、彼は「自由」ということを説明する言葉を残していない。

しかし、自由という概念は、なかなか一筋縄ではいかない。

自由への希求は、外部から自己を規定しようとするものへの反抗・反逆として表面化する場合が多い。

「大審問官」との対比や、「地獄の季節」での反逆といった切り口から、ランボーの「自由」について点検してみたいと思う。



884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 08:48:40 ID:sYOWYWiy
>>874

>ドストエフスキーのほうも時代の現実的な自由に置き換えてみると
>まずは同じようなことが出てくると思う。

同意。細かく点検したい。

いま旅行中なので資料がない。明日帰宅したらまた書き込みます。


885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 10:41:09 ID:UKOjALwd
ドビュッシーが十代の頃ピアノ習ってたモーテ夫人って、ベルレーヌの
義母なんだってさ。(女房の母)

丁度習いだした頃にその家にかって同居していたベルレーヌがランボーと
同性愛から来る発砲沙汰起こしてトラブった後らしい。

あそこらへんはみんな繋がってるね

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 13:39:20 ID:erZLOz/6
>>876
狡猾な悪魔は“知性に付け込む”のです。

かつて、人類創生以前に「黎明の子、明けの明星よ」と称えられた大天使を
見縊ってはいけません。


887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 13:57:28 ID:erZLOz/6
>>885
調べてみたら、モーテ婦人はショパンの弟子だったそうだ。ドビュッシーは彼女
から多くを学んだに違いないが、ヴェルレーヌのことはなんて聞いてたんだろう?

想像するとちょっと面白いかも。


888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 14:28:34 ID:pQWZKDpO
Debussy

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 15:58:46 ID:lUEjDT1F
意外な繋がりがあるんですね。

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/03(日) 10:12:46 ID:Ek5HGW3m
>婦人
>婦人
>婦人
>婦人
>婦人
>婦人
>婦人
>婦人
>婦人

夫人と婦人を間違える奴って見てていらっとする

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/03(日) 18:30:00 ID:B4bXXqvW
農奴制廃止と立憲政治の確立を目指し蜂起した十二月党員の処刑によって
始まったニコライ1世の統治下のロシアにおいて、急速に発展した工業資本
主義は、自由雇用労働者と市場とを必要としていたが、堅牢な濃度制度を
揺るがすには至らなかった。

ニコライは、露骨な外交政策による国外市場の占領により、国内に芽生えた
工業資本主義を保護発展させる政策を選んだ。一方、発展途上の工業資本は、
その組織化のためにインテリゲンチャを必要としたが、ニコライの軍服と
笞刑とを背景に誕生したこの知識階級は、はじめからニコライの秘密政治警察の
不断の監視下にあったのである。

このような状況下にあっても、青年等の頭脳は西欧政治思想の理想に燃え
上がり、自由な意見交換の場として結社というものが発達するのであるが、
ドストエフスキーが参加したぺトラシェフスキー会は、そのような結社の
ひとつである。

う〜ん、ここから「大審問官」までいくのは大変だなあ。


892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/03(日) 19:21:11 ID:B4bXXqvW
1848年、2月革命の勃発と第二共和政の成立。この影響は全ヨーロッパに
伝播したが、ロシアでは何も起こらなかった。結社に集う青年らには、
まだ政治的革命の実行など、まだ思いもよらぬことだったらしい。

しかし、革命の連鎖を恐れた秘密政治警察は、周囲に不穏分子を捜し求め、
ぺトラシェフスキー会は、スパイの報告による摘発を受け、ドストエフスキー
は仲間とともに逮捕された。

ドストエフスキーは裁判により銃殺刑を宣告されるが、ニコライによる恩赦
を受け(これは最初から仕組まれたもの)、4年の懲役とその後の兵役勤務
に軽減された。

4年の懲役期間の体験は「死人の家の記録」として残されているのは周知の
とおり。またこの期間に許された読書は、聖書だけである。この聖書は、
当時、刑期を終えたが、なお警察の監視下でシベリアに留まっていた12月
党員の妻達が、ドストエフスキーと面会した際、彼に渡したものである。

この4年間に彼の思想に大きな変化が訪れたという。


893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/04(月) 00:23:48 ID:dCJIHcjY
>>892
どういうところに着地するのか興味深いのでぜひ続けてください。

894 :ラファ:2009/05/04(月) 00:49:38 ID:ItGkwmDR
ドスト氏は無論、天使と来たら、私の携帯の待ち受け画面になっている『レオナルドによる天使ウリネル(ロンドンナショナルギャラリーの方です)』位しか思い当たらないほど無知な私に言えるのは…
(すみません、あの「大なんとか」の文、まだ熟読してません)


自分が18〜20才の頃求めた「自由」というか「生き方」は、『生きた毘沙門である謙信』でした。

その気になれば信長など一捻り、しかし、利のための戦は決してせず、常に『義』の為に戦い、連戦連勝。
信玄は『理』に生きた武将。謙信の最大の宿敵。

私はその頃、謙信の生き方に『毘に通じる美』を感じ、そのように(つまり自分が欲するままに、つまり『自由』に)生きるためには『力』が必要だ、と思い至りました。

自由とは力、権力はともかく、実力、金力の裏付けなくしてはありえない!と心得ました。

『自由とは、self-control の知恵を失うことなく、好きな時に、好きな事を、好きなだけし、しかも自足できる状態である。』

これが20才の私の『自由』です。

20才のランボーの『自由』が、私の自由とはまったく異なるなら、ランボーは、私には不要な存在ということになります。

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/04(月) 02:23:21 ID:7y57Qmqt
ドストエフスキーの逮捕(28歳)から刑期満了(33歳)までの期間で、
注目すべきなのは、進歩的政治思想への傾倒と転向という、ランボーとの
共通点が見られることです。

ランボーの場合は、コミューン軍への参加後、わずかひと月で故郷へ帰還
するなどしており、傾倒といっても徹底を欠くほか、転向については、
まともにそれについて語った言葉が残されておらず、この点での統一ある
理解が非常に難しいのであるが、僕は、ドストエフスキーの思想が、ある程度
これを代弁し得るものと考えている。

と言うよりも、正直に言うと、ランボーが、まるで、老成した大思想家の
掌中で踊る子供のように見えてしまうのだ。



896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/04(月) 02:48:40 ID:7y57Qmqt
>>894
ランボーの「自由」とは何か? それはこれからの議論であって、どういう
結論がでるのか、僕にもよくわかりません。

それと、自分と異なるなら不用という考え方は不毛では?
自分と異なるもののなかにこそ、学ぶべきものがあるのではないですか。


897 :ラファ:2009/05/04(月) 02:54:33 ID:ItGkwmDR
はい、仰る通りだと思います。

明日より、ご提供戴きました文、「熟読」いたします。

悪い癖がでました。時間をか・け・ま・す。

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/04(月) 14:07:35 ID:65Zo7qvD
あほ

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 01:13:49 ID:52pxh/lh
>>895
コミューンは鎮圧されたから仕方がないでしょう。
ヴェルレーヌとイギリスに行ったときコミューンで亡命した人とかと会っていますよ。
ヴェルレーヌ自身も、コミューン参加しており、そしてそれがばれると、失職という社会情勢です。
基本、コミューンは戦争末期の内乱です(マルクス「フランスの内乱」)。
マルクス自身も蜂起以前は、蜂起するな、とインターがら呼びかけていたくらいですから。

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 02:03:05 ID:RJKx8X6w
「大人」「子供」ってのはいかにも2ちゃんな罵言になりやすいからやめておきたいが
ランボーはたしかに子供で大人には書けないような
そして並みの子供には書けないような詩を書いたのよ。
ドストエフスキーは大人になってから子供(学生・白痴・未成年・部屋住みのボンボン)を主人公にして
これでもかこれでもかと大作を書き続けたけど
ランボーみたいな子供はとうとう書けなかったのではないか。

というかランボーとドストエフスキーでは最強同士の異種格闘技戦だな。

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 04:11:31 ID:52pxh/lh
社会制度設計としては
ドストエフスキーの
大審問官でしゃーないな、と思うけど、
個人的な人生としては
まったくつまらんw
ランボーが好きだね。

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 09:26:30 ID:aPGp6Uan
>>1-1000

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 11:15:55 ID:F11RXgPg
>>899
するとランボーは、依然として急進的政治思想家ということになりますか?

それは、作品や行動のどんなところに現れていますか?


904 :ラファ:2009/05/05(火) 11:37:44 ID:NHKF6VTw
本質的に欲の奴隷である人間は、自由(自分の意志で行動する、或いはしない自由)を得たことにより、より迷いが深まるというパラドックスに陥った。
欲を捨てたくとも捨てられぬ重荷を背負う羽目にもなった。

イエスを神の子と認め、その受難によって、人間はイエスを信じれば「幸せ(善悪認識の出来ない状態)」になれると悪魔は仕向け、それにより99%の人間はその道を選んだ。

しかし、俺(ランボー)は、「善悪認識の出来る」不幸を背負う1%の受難者たらんとした。


『始まりの特異点』
「この世界はなぜ存在するのか?」
「一体何のために?」

俺は、それを問い続ける人間でありたい。
たとえ地獄に落ちようと。

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 16:17:02 ID:F11RXgPg
>>900
イワンの苛立ちと懐疑とは、「地獄の季節」でキリスト教に言及するときの
ランボーと、とてもよく似てるように思いますが。どうでしょう?


906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 16:41:16 ID:F11RXgPg
>>904
>『始まりの特異点』
>「この世界はなぜ存在するのか?」
>「一体何のために?」

ランボーは、形而上学をさまようロマンチストではないと思いますが、
ランボー自身の言葉(詩作品や書簡など)に即して説明していただけると
ありがたいです。


907 :ラファ:2009/05/05(火) 17:07:25 ID:NHKF6VTw
906氏へ。

私、ご提供戴きました文のみからの考察を試みました。

手元には書簡はおろか詩集すらございませんので、明日にでも書店に出向きたいと思います。

ネットも、この携帯で、たまに2ch.に触れるだけで、自室のマックは仕事用に使用するのみの状態ですので。

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 17:40:43 ID:F11RXgPg
>>907
ああ、思わぬ出費ですね。すみません。

もしランボーへの情熱がおありならぜひどうぞ。ただ、ランボーの書簡は
置いてない店が多いです。ネットで探すのがよいかと思います。

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 21:30:44 ID:52pxh/lh
>>903
そうは思いません。
というか「急進的政治活動家」って何でしょうか。そのイメージは分かりません。

ランボーがおこなったのは例えば「急進的政治活動家」という言葉を使うことで固定されるイメージ(既成のものに無意識に寄りかかってしまう)、
でなく、
そのような社会にあふれるイメージじゃないリアルなものを見、そこから行動したかったのだと思っています。
・・・これは基本的前提だと個人的には思いますが、テキストに即さなければならないですか?

910 :909:2009/05/05(火) 21:33:04 ID:52pxh/lh
>>903
ちょっと言い方きつかったですね。
失礼しました。


911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 21:42:06 ID:52pxh/lh
>>905
なるほど、そういえばそうかもしれませんね。
ただ、地獄の季節は、より一層、そんなことは分かっているんだよ!的に奇妙に演劇的に誇張されていて、
大審問官的なところからつきぬけたいんじゃないかと思っています。

たとえば、「地下室の手記」のたえざる自己懐疑と、「地獄の季節」の
即座の自己嘲笑と自己撤回はあきらかに違いますよね。


 


912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 23:21:05 ID:fPtH9vnr
>>895で、進歩的政治思想への傾倒と転向という、ランボーとの共通点が見られる

それへの反論と思われる>>899で、コミューンは鎮圧されたから仕方がないでしょう。
ヴェルレーヌとイギリスに行ったときコミューンで亡命した人とかと会っていますよ。

それを受けた>>903で、するとランボーは、依然として急進的政治思想家ということに
なりますか?

この流れで意味が分からないと言われると、ちょっと困ってしまう。

>そのような社会にあふれるイメージじゃないリアルなものを見、そこから行動した
>かったのだと思っています。

これこそイメージ分かりませんよ。

>リアルなものを見 何を見たのですか?
>そこから行動したかった どんな行動ですか?


913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 23:48:29 ID:52pxh/lh
そうですか。
じゃあ不毛になるのでやめましょう。

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 01:03:36 ID:2N5DMmJd
ランボー怒りの・・・

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 01:06:39 ID:Dkd3elxT
在日は不毛が好き


916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 01:20:59 ID:9cSDSd0O
900を書いた者だ。

>>905
苛立ちと懐疑といった色合いは反キリスト教が当然帯びる色調として似てはいるが
やはりランボーとイヴァンは違うと思うな。

イヴァンのほうは,「子供の涙を犠牲にして理想社会を作るか否か」とか
「神がいなければ何でも許される(親を殺しても良い)」とか
究極の選択を対話の相手に強いていて,
いざスメルジャコフが親殺しをしたら足場がぐらぐらになってしまうね。

ランボーはそもそもそういう問いを立てないというか,
キリスト教社会に対して異邦人(彼の言う「黒人」)だったと思う。

つまり,社会の内部で本人の意思にかかわらず二律背反の論理をもてあそんでしまったイヴァンと
社会に対して部外者としてしか存在できなかったランボーとの違いだ。

というか,やはりランボーと比較するなら
登場人物じゃなくて作者ドストエフスキーとだろう。

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 01:23:42 ID:9cSDSd0O
それから「急進的政治思想家」云々だが
>>895>>903>>912さんは筋道が立ってる。
ただ,もともとランボーは政治思想家じゃないし…というところが疑問。
また,>>899>>909さんにはコミューヌとランボーの関わりについて
今少し語ってほしく思う。

ランボーは「地獄の季節」や「イリュミナシオン」を書いたけれども
(仮に詩人であり続けたとして)その後に何をやりたかったのかは,まるでわからない。
ここがマラルメとの違いで,マラルメは未完成作品が多かったし
難解な評論を書いたおかげで,その空白の分野がけっこう探求されてるんだが。
ランボーはさっさと詩を捨ててしまったせいで,
研究のほうもランボーが詩人として何をやろうとしていたのかの探求をさっさと捨ててしまっているようだ。

何をやりたかったのかな。ランボーは。
詩壇の英雄になったとして,その先は。
あるいは革命に加担したとして,その先は。

結局,何にもなれなかった,詩人としてさえ未完成のまま,詩を捨ててしまった,
だからランボーをどう定義していいのか,はっきりしない。
最低限,詩人志望者であり(というのは広い社会からそう認知される前にやめてしまったから),
なおかつ,並の詩人以上に優れた詩を書いたというのがランボーの身上書だ。
「政治思想家」ではないし,むろん「政治家」ではなく,「活動家」ですらない。

駄文御容赦。

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 01:30:52 ID:9cSDSd0O
>>905さん

>>900
>ランボーみたいな子供はとうとう書けなかったのではないか。
などと言っておきながら
>>916
>というか,やはりランボーと比較するなら
>登場人物じゃなくて作者ドストエフスキーとだろう。
と言うのは大バカ者でした。ごめんなさい。
この箇所はなかったことにしてください。

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 02:09:50 ID:L0fREToJ
>>917
いい文章ですね。
>>899ですが、現代的な問いだと思いますよ。私も聞きたいくらいですねw本当に。

その意味で>>895さんのイヴァンとの対比はなかなかいいなと思いました。

研究に関しては、そうですね、多分アラン・ボレルとかでは満足しない人でしょう。
ピエールブリュネルが90年代初頭に、フランスで地獄の一季節校訂版を出していて、
そのなかの半分以上をしめるコメンタリーでは、バフチン、ロシアフォルマリズム、ドゥルーズ、ポリフォニー
つまり、60年代の研究手法は全部消化されていました(過激な人ではありません、ソルボンヌの常識的な先生です)
つまり、いわゆる68年的な発想と言うのは、
システム内部に入っているんですが、
しかし「地獄の季節」はそれを超えているというwコメントでしたw。それだけをおそらくこの時期いいたいがために出版したんだと思います。
一般にどこでもこの時期で文学研究の手法的な革新、あるいは文学そのものの革新は、なくなっていると
私には思えるのですが、
おそらくマラルメ研究も内部的にはそうではないでしょうか?
追っていませんけど。




920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 15:21:51 ID:JF2Apycs
ランボーは詩ではなく文学でもなく、謂わば哲学してしまったんだよ
人は何で生きているのか、意味はあるのかないのか
んなところまで突き抜けてしまったんだよ
幸せの魔法にかかるのは嫌だ、騙されるのは嫌だと
宗教にも文学にも哲学にも反抗したのさ、アホだな…

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 16:05:02 ID:L0fREToJ
まあ、確かにアホといえるかもしれませんが、
宗教や文学や哲学というものの権威が、現在社会的には事実上なくなっている
わけで、
そこへの「反抗」「反逆者」という視点から読み解いても、果たして面白いかという疑問がありますね。

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 17:20:28 ID:nefZZ1+1
米国から英国に帰化したT.S.エリオットは、エドガー・アラン・ポーが
仏蘭西の詩人達から神のように崇められているのを奇異に感じていた
らしい。

彼には、ポーは単なる怪奇作家とそのグロテスクな資質を反映しただけの、
単なる通俗的な詩人にしか映らなかったらしい。

彼は後年「フランスのポー礼賛はボードレールのポー訳の絶大な影響
によるもの」と断定した。
「ボードレールの訳によって、ポーのありきたりな文体が、美しいフランス語に
置き換えられた賜物」というわけだ。

ランボーでも、フランス語の原文では2ch語のような、幾分かは子供が
ふざけ散らして書いたような破格の文体や、背伸びして書いた哲学的
文章が、実体以上にイメージ豊かに受け取られている部分も少なからず
あると思う。

これは「受容」の研究課題となるのだが。

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 01:36:42 ID:/fRoJXOn
>ランボーでも、フランス語の原文では2ch語のような、幾分かは子供が
ふざけ散らして書いたような破格の文体や、背伸びして書いた哲学的
文章が、実体以上にイメージ豊かに受け取られている部分も少なからず
あると思う。

それはありますね。しかし、なぜマラルメが
「おそるべき通行人」と称したか。シュルレアリストやダダイストがなぜランボーを喜んだか。
この国では、小林秀雄が
シュルレアリストの詩はランボーに比べると児戯にすぎない(だったかな?)といったか?
ゴダールの気狂いピエロのエンディングが、なぜランボーの「永遠」なのか?
いい年したさえないおっさんのソルボンヌの先生が、
あられもなく、研究書で、「文学」の歴史はなくなっても、ランボーは残るだろう、と
20世紀末にもなって、えらい情緒的なことをういうのか?

そしてこのような天才神話への回収こそランボーが毛きらいして罵倒するものだったか?
いかにそれを慎まなければならないか?

とかいう発想をしてしまいます。

・・・ちょっと恥ずかしいですねw

まあ





924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 02:05:21 ID:/fRoJXOn
パリコミューンとランボーに関しては、つっこんだ研究はおこなわれていないとおもいます。ランボー側の資料が少なすぎるという点と、
コミューンを正面きって研究する・位置づけるという作業はいまでも、難しいんじゃないでしょうか?
わりと本国では避けられている印象があります。

20年前のものですが
http://books.google.co.jp/books?id=q61sTwxpkLsC&pg=PA339&
dq=Kristin+Ross++The+Emergence+of+Social

とかがあります。ただしNY大学。
私も最近かれの他の翻訳が雑誌に出て、存在を知りました。

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 14:12:19 ID:7LFNPP3z
ドリルチンポ

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 23:12:43 ID:t2v/fyJY
「職に就くなんて真っ平です」を生活信条とし、他人の金をあてにして
平然と生活していた当時のランボーが、プロレタリアート革命をどれくらい
真剣に考えていたか、大いに疑問です。

コミューンとの関わりを探っても、詩人ランボーの理解を深めるうえで
(少なくとも地獄の季節・イルミナシオンの理解を助けるような)有益な
何かを発見するのは難しいように思いますが、どうでしょうか?

ドストエフスキーは、「大審問官」のなかで、「教室で一揆を起こし先生
を追い出す小学生の自慢」というふうに、自身の青年時と自身関わってきた
革命的政治思想とを非常に辛辣に総括してます。

ランボーのコミューン参加なんかは、何か確固とした思想的背景というより、
子供らしい熱狂に突き動かされたもので、熱狂が冷めれば関心もうすれて
いくような、そんなものではなっかたのかな。

まあ、感想に過ぎませんが。


927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 23:41:50 ID:t2v/fyJY
>>916
>苛立ちと懐疑といった色合いは反キリスト教が当然帯びる色調として似てはいるが
>やはりランボーとイヴァンは違うと思うな。

そうですね、まったく同じというわけではないですが...

ええと、まず、イヴァンは、単純に反キリストと言っていいかどうか?
「劇詩」の最後のほう、大審問官は、ずっと無言で彼の言う事を聞いていた
キリストに接吻され、ぎくりとなった、とあります。
また、「悪魔の三つの試み」について述べる部分、「ただ三つの言葉で、
世界と人類の未来史を悉く表現しており、地上における人間性の解決できぬ、
一切の歴史的矛盾を尽くした三つの形態が現されている」

単純な反キリストはこんなことは言わないのであって、こういうところに
イヴァンの複雑な性格が見て取れると思います。うまく説明できないのですが、
ここがイヴァンの苛立ちと懐疑が、その独自性が生まれ深化していく原点に
なっていると思います。



928 :ラファ:2009/05/08(金) 00:59:46 ID:ndPnvOez
ランボーの詩集も書簡もまだ手に出来ないでおりますが、今後の考察の指針は決めました。

【考察指針】 @「幸せ」とは、善悪認識が出来ない状態と解釈出来るか?

A99%の人間が、キリストを信仰する道を選んだのか?→Noである。では、現実の人間の姿は?→98.9%の恐らく『欲の奴隷』と、0.1%の『欲に支配されない誰か』

Bランボーが持ち続けようとした善悪認識とは何か?

そもそも「善」とは?「悪」とは?

⇒善と悪の対立概念に対して、『真』『美』の位置は?

C『真』について
→この世界の始まりとされる所謂「ビックバン理論」は、

Rij‐1/2 gijR =‐kTij
に基づく仮説とされているが、ビックバン理論は、物理法則の成り立たない『始まりの特異点』の課題を避けられない事をオクスフォード大学のロジャー・ペンローズ博士が、証明してしまった。

つまり、「この世界がどのようにして(How)始まったか?」に対して、科学は答えを出せない。

更にその先にある『Why』には到ることは決して出来ない。

仮に、何らかの方法で、『How』が証明できたとしても…

それは、人間の『脳』の認識にすぎない…のではないか?


ランボーの詩、言葉、行動に基づいて考察します。

929 :いけぬまてんす:2009/05/08(金) 12:23:12 ID:boB/vScO
  _ (^q^)__  
 イ  ゝイノ | ヽ
 || ヘ      | /|   ぼきはいけぬまてんす(16)
 || |    /  | |   ふもうなくそすれをめぐるたびをつづけている
 |  |   /  |  |   きょうはここをおとずれることにした
 |⌒|     |  |
 \|` ヽ   ヽ/
 /|\人/\| 
 || || | | | | 
 ||/|| | | | | 
   || | | | | 
   ヽ| | | |. 
    ヽ| | |  
     | | |  
     | く__く  
     \  > 
      `ー'


930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 15:02:37 ID:RbeYeMal
お前ら本当にランボーを読んでいるのか?
前後期の韻文詩とかいらんぜ?
地獄の季節、これだけだ
イルミナシオンは荒地から引き返してきたランボーの感傷だ。

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 15:16:22 ID:VcCEIX+K
>>930
能書きはいいから、地獄の季節を読み込んだ感想や、
理解したことを具体的に書け。

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 15:34:09 ID:RbeYeMal
ランボーの善悪認識とか言ってるアホに教えるのか?
無理ぽ

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 18:58:42 ID:VcCEIX+K
参加したいんだろ。とにかく何か書けよ。

934 :ラファ:2009/05/08(金) 21:11:16 ID:ndPnvOez
『ランボー全集(青土社)』入手しました。

ある芸術家に関する評論の類いは一切触れずに『作品のみ』から結論に到るのが「私の流儀」です。
レオナルドしかり。モーツァルトしかり。

この本にある詩集および書簡のみから昨日述べました指針の考察を試みます。

まずは全詩集を熟読することから始めます。

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 21:23:06 ID:unh9ldBq
幻なのか?
本当にラファエロさん?
体は本当に大丈夫?
もう一度、知り合いに2chをしていいか確認した方が良いと思うよ。



936 :ラファ:2009/05/08(金) 21:34:52 ID:ndPnvOez
21時に仕事終了し、これから帰宅します。
ご心配ありがとうございます。

お陰さまで、心身ともに健康です。2ch.はGW期間限定の予定でしたが、このスレには、結論に到るまで、しばらくお邪魔することにしました。

あと、タンノイスレ(でなくともいいのですが)、フランチェスコとは話がしたいので、たまにAU板にもお邪魔させてもらいます。

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 21:40:20 ID:unh9ldBq
くどいかも知れないが本当に、
もう一度、知り合いに2chをしていいか確認した方が良いと思うよ。

938 :ラファ:2009/05/08(金) 21:47:01 ID:ndPnvOez
え、「知り合い」って…


『相☆紗☆+★北★希÷2』さんの事?


えーうそァでしょ…ィ

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 21:57:20 ID:unh9ldBq
相変わらずだね。

940 :ラファ:2009/05/08(金) 22:46:21 ID:ndPnvOez
相変わらず…か。



わかったよ。


「僕という人間をよく知る人」


3人(内2人はお会いした事ありませんが)しかいない。


みなさん、「やめたほうが…」と言われますね。

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 23:17:55 ID:unh9ldBq
君は「僕という人間をよく知る人」と言うけど、
俺は、人を知る事が出来る程偉くは無いんだよ。

942 :ラファ:2009/05/09(土) 00:48:02 ID:gIsaUFj9
「言葉の挙げ足とり」は本位ではないが、「偉くはない」は、完全な的はずれ。「思い上がってない」が、正しい。

とにかく2ch.はやめる。決めた。君の言葉がきっかけになった事は確か。

迷いが消えた。

ランボーは踏み込んでみる。2ch.とは関係なく。報告もしない。

きっかけ、感謝する。

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 08:15:22 ID:CL8Vji29
俺も君には、とても感謝しているよ。
では。

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 23:50:07 ID:CL8Vji29
ラファエロさん
最後に、
誤解を恐れず君に言う。
『レオナルドやアルチュール、死んだ奴の事より、君が生きている方が、どんなに素敵な事だろう』
と俺は強く感じる。

何も言わずに飲み込んで。

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/10(日) 12:54:24 ID:RlOglQ0y
なにこのすれきもちわるい

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/15(金) 11:17:42 ID:qgPZTl/V
http://www.youtube.com/watch?v=aXzAQyt1qLE
ランボーはとりあえず、この映像に新鮮さを覚える人向き。
音声消してみてもいい。

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 09:29:29 ID:2QElIA4q
いいね
ゴダールか

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 21:58:30 ID:eP6lFnJV
どーでもいいがなんでここの奴がピュア板のタンノイスレに着てまでやってんだ??
こっからでてくんなや。目障りだ。

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/22(金) 10:38:02 ID:vgmyjO5N
>>948
能書きはもういい。参加したいんだろ?とにかくランボーの感想を早く何か書けよ?




950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 20:19:05 ID:kuws5P47
感想?

乱暴ってことただそれだけさ

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 05:52:56 ID:5fIWiopG
それもアル中のな

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 16:08:15 ID:p27Mp8ZP
ツマンネ

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/16(火) 08:40:53 ID:pb3XyhB/

ttp://farm3.static.flickr.com/2270/2159562917_55e1f97672_o.jpg

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/10(金) 07:35:00 ID:e6ZQo4fS
でかっ

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/12(日) 13:10:36 ID:lUV7/yhU
肉が食いたい

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/18(土) 00:17:57 ID:c1uglfuf
今、ランボーみたいな詩を書いてるやつ、知ってる?

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/18(土) 09:13:09 ID:cxf4cH2k
物真 似太郎(ものま ねたろう)

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/19(日) 22:40:48 ID:Ds5pJeL0
らんぼう

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/06(木) 13:45:04 ID:b+Cm4KAw
ランボーは眼前のものを歌おうとする域に到達したが、ドストエフスキーの人物は、どこまでも神の観念世界の中で踊ってるだろ。
唯一、カラマーゾフのイワンが若葉の輝きに引きつけられる感性を吐露してるが、結局、発狂して自殺してしまう。

だから私は、以前、良識の大切さを主張したのに、排斥されてしまった・・・

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/07(金) 21:46:55 ID:BnDzdacj
だから、ランボーは神なんて糞食らえなんだよ
ドスト? 関係ないんだよ

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 22:51:53 ID:PW+yRzu/
1000になるまで、ランボーに関するものなら、
なんでも質問に答えます。
よろしくお願いします。

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 02:08:18 ID:KVIthzQI
>>961
ランボーを読もうと何度挑戦しても、難しくて最後まで読み切れんのです。
どうすればいいでしょうか?
何か読むためのテクストはありますか?

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 03:21:29 ID:ZKoiZAKw
今年いちばん笑った動画です!おひまならどうぞ!
http://www.youtube.com/watch?v=ldeoIB8f0r0

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 05:36:36 ID:RgBsRj/i
>>962

書き込むのはほとんど初めてなので、へたかもしれませんが……

翻訳で読むのはけっきょくむずかしいと思います。
好きな詩を一篇、辞書を、
せいぜい50回くらいだと思いますけど、
引いてみながら読んでください。
そしていくつかの翻訳と較べてみてください。
翻訳では魅力はわかりますけれども、
「読み切る」ことは出来ません。
詩でしたら、
そこまで文量があるわけではないので、
どうか原文で読んでみてもらいたいです。

また、ランボーの解説でもっとも良心的で、読みやすいものは、
篠原義近著の『ランボー『地獄の季節』探照』だと思います。



965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 06:07:19 ID:VGnMPMPA
「永遠」を思い起こす度に仕事辞めたくなる罠・・・

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 10:36:07 ID:oagKd4dH
今「自由からの逃走」読んでるけどこれ読んだら辞めたくなくなるよ

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 17:59:33 ID:VGnMPMPA
>>966
エーリッヒ・フロムの?

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 21:29:49 ID:ON9E7Wzs
アワズの翻訳で全てを賄ってるんだが、だみ?

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 21:39:06 ID:RgBsRj/i
だめじゃないです

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 23:11:15 ID:ON9E7Wzs
質問
ランボーは矢張り親父に対する憧れはあったのかな?
最後にハラルなんかに行ったのは、無意識だったのか意識だったのか

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 23:26:29 ID:RgBsRj/i

>>970

ランボーはアメリカ海軍に入隊申請するとき、
父親の軍歴を書いているくらいですから、
相当、父親に関する情報は集めたのでしょうね。
ランボーの父はコーランの翻訳をしていますが、
そういったものをかなり意識していたようです。
コーランを読みましたが、
かなり影響されていると思いました。
影響はかなり強かったと思います。

ランボーの父はアラビア語の達人です。
憧れは強かったでしょうね。

詳しくは水声社からでています『ランボーと父フレデリック』を
御覧になるとおもしろいと思います。

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 16:55:37 ID:bTUtz2OS
>>964
原文ですか!
予想外ですが、たしかにオリジナルを読むべきですね。
和仏辞典は持ってるので挑戦してみようと思います。ありがとうございました。

>>970
ランボーの家族のことなんか考えたこともなかったな…
作品にしか興味なかった。

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 20:40:04 ID:OGJAXQmy
>>971
へぇ〜、親父のこと、そこまで分かってんのか、知らなかった。
何年頃、どこで没ってんの?


974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 21:08:05 ID:SMz8AM3n
>>973

1878年11月17日にディジョンで65歳くらいで死んでる。
使用人と二人暮らしだったみたいだ。
アルチュール(25歳)はそのときジェノアあたりにいて葬儀には出席せず。
ちなみに二人とも10月に生まれて11月に死んでる。
これ豆知識。



975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 21:53:55 ID:o0tWei+m
親父のランボー大尉は、今で言うグリーンベレーみたいな軍人だったと言われている
アラビア工作に従事していたようだ。家にはアラビア語の辞書もあったらしい。
んなものを見た息子のアルチュ―ルが興味を示さない訳がないな
それやこれやでアビシニアを彷徨ったのだと考えざるを得ない。

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 23:38:06 ID:GZwDfu+I
ランボーはお袋との確執ばかり注目されてきたが、親父さんとの関係も意外に深いものがあったんだな。
キリスト教の狂信世界(母の領域)から異教・異国への逃亡(父の領域)
簡単に図式化できて怖いくらいだ。人生って意外にそうなんだよなw


977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 10:05:16 ID:CUc3bkN5
そんなに物分り良く書かれてもなぁ
ランボー自体がんなもの糞食らえって言いそうだしな
実際の業績も父母とか関係ないし
アビシニアを彷徨ったのも郷愁みたいなものだったろうし
エチオピアの王様を応援したのもロマンみたいなものだしな

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 18:33:35 ID:uYeKtB5L
>>977
もちろんそうだが、人生は暗示的だっつーことだ。

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 23:41:43 ID:CUc3bkN5
人生とか、そんなものを糞食らえって叩きつけたのがランボーなんだが
いいか… 読んでないのだろうし…

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 23:54:07 ID:hZrqboxa
ランボーの人生ってわかりやすいじゃん




981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 23:57:42 ID:CUc3bkN5
パリコンミューンでお釜ほられてホモになって
ベルレーヌとの生活が始まったと?
俺はランボーが猫じゃないと思うがなぁ…

982 :978:2009/08/15(土) 04:01:13 ID:O7ARnAav
>>979
なに俺に因縁つけてんだ?
あふぉか?
ランボーは20年も前から読んでるよ。

>人生とか、そんなものを糞食らえって叩きつけたのがランボーなんだが

そんな台詞はランボーのどこを探しても見つからねーぞ。
仮にランボーがそう思ったとしても、だから彼の人生が糞喰らえになるもんじゃねよw
ガキは消えろや!


983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/15(土) 08:54:55 ID:1W/dBAH+
バカバカしい

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/15(土) 22:03:15 ID:C9CYT28S
訊いてみたいのですが、
ランボーのあたらしい翻訳って必要ですか?
また、もしそれが出るとしたら、
どういうところに期待しますか?


985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/16(日) 10:24:19 ID:hPR7qARe
>>984
なぜにランボー…
ランボーなんて一番翻訳に向いてない詩人で
どう翻訳してもどうにもならない筆頭だろうに
小林秀雄も「若いから出来た」的なことをどこかでいってたような

いってみれば若気の至りで突っ走らないと
翻訳になんか取り掛かれない詩人だと思う

それでも小林・中也・大學の翻訳で物足りなく
もっと出来るっていう自信があるならやってみたら良いと思う

いずれにしても個人的欲求から以上の理由で
公に翻訳しなおす必要は無いと俺は思うけどね

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/16(日) 11:28:46 ID:ea1KV7sa
>>984

ありがとう。
でも、〈一番翻訳に向いてない〉というのはどういうことだろう。
どこからそう思うのかな。


987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/16(日) 21:50:16 ID:ea1KV7sa
ランボーを原詩で読んでいる人って2chにはいないんでしょうか。

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/17(月) 11:07:43 ID:UMRQbO84
いると思いますよ。
朗読CDを聴きながら、原詩を読むと尚いいですね。

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>>1っていうあほな選手が居ったんですよ。」
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