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仏壇・仏事・参詣・疑問あれこれ A

1 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 01:45:19
仏壇や仏事、家庭でのお勤めや参詣など様々な疑問をみんなで
考えるスレッドです。
前スレの『仏壇・神棚について 』の後継板でもあります。
智慧と知識を分かち合い、佛教信仰をより確かなものに・・・・
神道・神社・神棚などの話題は下記スレでどうぞ

前スレ
仏壇・仏事・参詣・疑問あれこれ @
 http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1131518991/
仏壇・神棚について
 http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1056614031/

関連スレッド
神社の御参りや神棚について
 http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1130301505/

2 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 11:59:48
>>スレ@/983
>総てお見通し?根拠は?弟子の採ってきた毒キノコを食って死んでるんだよ。

 まず、あなたが知っておくべきことは修行完成者である覚者(仏陀)というものは、自分の死期と
死に方は自らが選択しているということ。これが望みもせず不慮の死に至る、我々凡夫などとの
決定的な違いなのです。

 誤って毒キノコを差し出したチュンダを最大の功徳がある供養であったとして最大限の果報があ
ると称賛しています。これは悟りに至る過程で食したスジャータの乳粥と並び称するものだと。ゴー
タマはこのチュンダの差し出した食事によって、遂に肉体の無き完全なるニルヴァーナ、無余涅槃
へと到達できるわけです。
 ゴータマは教えをすべて説き終え、為すべきことをすべてやり遂げて使命を終えたと判断したの
で、この死を自ら選択したのです。しかも、誰かに素晴らしい功徳(果報)が与えられるような死に
方を。ついでにいうと、ゴータマは自分が望めば、もっと生存し続けることも可能であった、とも明言
しています。これは自分で死を選択したのです。

 『この二つの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物
よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。その二つと
は何であるか? 修行完成者が供養の食物を食べて無上の完全なさとりを達成したのと、および
(この旅の)供養の食物を食べて、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られたのとである。
この二つの供養の食物は、まさに等しいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりも
はるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる果報がある。』
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)

3 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:02:43
>>スレ@/994
>反対に質問しますが仏事と無関係な祖霊供養とは何ですか?

それは私側の主張ではありません。
祖霊供養は本来、仏教とは無関係に古来の日本で培われてきた信仰だというわけでしょう?
それが、後に仏教に取り込まれていったと・・・。

スレ@/995
>だったら、今まで偉そうに反論してきたのは何だったのですか?

揚げ足取りのようなレスはしないことです。
私は、過剰な祖霊供養に対する疑義、及びこれを仏教と関連付けることに対する危惧を提示しているだけです。
このことに疑問符を投げかける者がいても当然でしょう!どう、違いますか?

スレ@/996
>原始経典が釈迦の完全な実説であると世界中の宗教学者でも未だに
>証明できていませんよ、根拠とデーターをヒステリーに叫ぶ貴方が完全
>に証明ができていない事を偉そうに「すでに結論が出ています」とは
>どういう意味ですか?

では、あなたは証明されたものだけを信じていなさいな。
どうぞご勝手に!

>>スレ@/997
>貴方の言う仏教は何処の国の仏教ですか、私の言う日本の平安仏教と
>鎌倉仏教は檀家制度により先祖供養と習合しているので仏教と供養が
>関係あります、葬儀も法事も仏事が伴いますので

原始佛教(原始経典の説く教え)です。
誤解しないよう、ゴータマの説いたものしか仏教と呼べるものは存在しませんから。

4 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:04:55
では、いいましょう。
元々、ゴータマの在世当時においては仏教のサンガ/僧院というのは葬儀などはしていませんでした。
何故なら、仏教の死というものに対する態度は無常観であり、
死者の霊に対する特別な儀礼的儀式というものをまったく重視しません。
もしろ、ゴータマ最後の教えであるパーリ大涅槃経/マハー・パリニッバーナ・スッタンタでは、
弟子である僧侶たちに対し、「おまえたちは葬儀及び遺骨の供養/崇拝(の営み)には決して関るな」と、
釘を刺しているのです。

あなたがいう檀家制度と先祖供養との習合の話は、この中でも解説されています。

 『仏教には"お盆"という風習は無かった ---仏教、本来の目的は「心(精神)」の修養にあり、「魂の浄
化」や祖先供養にはなかったことは理解しておく必要がある。
 仏教伝来より1500年もの間、葬儀や先祖供養が仏式で行われてきている日本の状況は一朝一夕に
変わるものではない。しかし、本来「魂の浄化」は神様にお願いすべきことなのだということは是非とも
知っておく必要がある。』(『日本民族について』)
http://www.ryujinsogusha.or.jp/HTML/sun-god/japan6.htm

>>スレ@/998
>それで、結局、六道輪廻するから先祖供養は不要だとお釈迦様は
>説いているわけ?

こう解釈すると良いと思います。
つまり、「不要」というよりは「必要」だとする教えを説きませんでした、と。

 では、もう少し具体的にやりましょうか!
 「供養」供養・・といいますが、これは正しくは「追善回向」(追善供養)のことなのです。もう、亡くなら
れて自分で善行を行うことができなくなった死者(祖霊)に対し、代って自分(子孫)が積んだ善行の
功徳をそのまま自分が受けるのではなくて、この本来、自分に返ってくるものである功徳を死者(祖霊)
へと向かわせるということ。これにより、死者(祖霊)がより高き界へと上昇できるようにするものです。

 エッ、素晴らしいじゃないか!って??
これが事実(実際にできること)であれば、ですけれどね・・・。

5 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:08:08
 確かに、ある程度については死者(祖霊)を宗教的な儀礼/霊的なパワーで以って救済することも可
能ではないか、という見解はこの私にもあります。しかしながら、ただの一般人のシロウトがお仏壇前
で供物をあげて読経し、最後に「回向」(文)を読誦したくらいで、それができるとすることには疑問符
がつきます。

 まず、お供物を捧げる意味は解るとしても、“読経すること”が善行なので功徳があるとすることには、
やや懐疑的です。ゴータマは読経しなさいとか、それが善行となるといった教えは説いていない。要
するに、(バラモンたちが行っていた)儀礼的な行為の一切について推奨しなかった。
 ただ、ゴータマはヴェーダ(バラモン教の聖典)の達人であり、これを称賛されていることからみて、
ヴェーダ読誦の行為も善いことと見なしていた可能性はかなり高い(『スッタニパータ』)。また、“真実
語”(真実を言葉にして発する)には、“一定の力がある”ともいっている(『マッジマニカーヤ86』アング
リマーラ経)。
 では、仏教聖典の読誦は尚更ではないか!と、いいたいところですが、本来、仏教の教え(経典に
編纂された)というものは読誦するためのものではなく、読んでその内容を実践するためのものです。
 更に、現実問題としては、我々が日常、読経用として手にしているお経のいずれもすべてが、生前
のゴータマの語った教えが記されたものではなく、また随所にいいもしなかった勝手なデタラメが記
載されたものです(これら大乗経典群はすべて非仏説)。
 それから、仏教のブの字も知らないでいたような人間が死後には仏典(お経)に関心を抱き、お仏
壇で漢訳経典を読誦したものなんかを聞いて理解するのか?または、大乗経典の読誦にはそういう
霊的な力が発揮すると?本当ですか?

6 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:11:59
 そして、これが最も重要事項なのですが、そもそも善行の功徳を(自分にではなく)他の人へと向け
る、といったことは本当に可能なのか?ということ。
 宗教的な力の中にはそういう法はあるかもしれないことを私は否定しませんが、けれども、お仏壇
前でお供物をあげて読経したくらいで、最後にただ回向文を読み上げたくらいで本当にそれができ
るのかどうか?
 まず、“因果の道理”によれば、自己の行為の結果はすべて己れに返ってくるもの、ということが何よ
りも基本であり、これをより理解することが仏教における主眼なのだ、ということ。
 その上で、できれば日常生活の中で本当の意味での善行を積んで、お祈りの一貫としてその功徳
で死者(祖霊)がより高い界へと行けるよう合掌することは、一つの美徳であるという見方はできると
は思う。

7 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:34:13
>>6追記:
>そもそも善行の功徳を(自分にではなく)他の人へと向ける、といったことは本当に可能なのか?ということ。
>宗教的な力の中にはそういう法はあるかもしれないことを私は否定しませんが、

あくまでも、これは死者の霊に対する話です。
生存中の人間に回向できるとする意味ではありません。
災難を最小限にしていくべくような宗教的な祈願力は存在するでしょうが、
善行の功徳の回向といったものは不可能でしょう(それは因果の法を無視した見解です)。

また、
>先祖は皆、すでに別人として転生しており、
>いつまでもお供物を捧げるような対象がいないのです。>>スレ@/975
と、私は主張し、その根拠を原始仏典から引用、列挙しました。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1131518991/989-992

死者に対して、その霊存在に対して永遠に供養し続けるなどという、
つまり、死者の霊存在の恒常性といった考え方については、
ゴータマは「常見」という間違ったものごとの見方であるとして、これを完全否定しました。
(反対に、死後には肉体が分解するだけで何も残らないとする見解(唯物主義)を、
「断見」と称して最も厳しく批判しました)

8 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:39:32
*これで私の主張はほぼ終わりです。

ただ何も考えることなく、お仏壇前の供物と読経が先祖供養になり、
しかも、これを永久に必要とされている行為であるとすることに対する素朴で率直な疑問を提示したのです。
もしも、考えたこともなかった人には、これが良い機会となればと思います。


以上


9 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:54:37
追記:

 “追善供養”の起源はゴータマ仏陀の教えではなくて、後代の中国で成立した『梵網経』にその
根拠があります。これは偽経(ゴータマの教えを示したものではない)だと明確に判定されていま
す。中国の思想と当時の中国仏教が置かれた諸事情(死者に対する無関心を当時の中国の庶
民に批判された)によって書かれました。

 『ぼんもうきょう 《梵網経》---中国で成立した《梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十》の略称、
2巻。クマーラジーバ(鳩摩羅什)の訳とされるが、<孝を名づけて戒となす>など。中国的発想が
随所に見え、5世紀の劉宋期に中国で撰述された偽経の疑いが大きい。本経の特徴は、10重戒、
48軽戒という大乗菩薩戒にあり、父母、師僧、三宝に対する孝順を強調する在家戒はとくに注目
される。したがって、中国、日本の仏教で重要視され、天台智ギの《菩薩戒義疏》をはじめ、多くの
注釈がつくられた。』(『世界宗教大事典』)

10 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 13:01:43
>>8
>>スレ@/997
>貴方の言う仏教は何処の国の仏教ですか、私の言う日本の平安仏教と
>鎌倉仏教は檀家制度により先祖供養と習合しているので仏教と供養が
>関係あります、葬儀も法事も仏事が伴いますので

>原始佛教(原始経典の説く教え)です。
>誤解しないよう、ゴータマの説いたものしか仏教と呼べるものは存在しませんから。
      ↑
ええ、ですから原始経典がゴータマが直説なのか、どうか、未だに不明ですから



疑問を持ってもらうのは勝手ですが、読経するな、供物を供えるな、先祖供養をするなと
釈迦が説いているわけ?

釈迦の実説だと証明もされていない原始経典の立場からのみ
先祖供養や日本の仏教を判断されても困りますね

やたら、ヒステリーな長文、御苦労さん

11 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 13:07:06
>では、あなたは証明されたものだけを信じていなさいな。
>どうぞご勝手に!

ご勝手に!、だったら何でアホくさい長文をタラタラ返してくるの?
インドネシアでもタイでも行ったら?原始仏典、原始仏典うるせーよ



12 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 13:10:32
> 確かに、ある程度については死者(祖霊)を宗教的な儀礼/霊的なパワーで以って救済することも可
>能ではないか、という見解はこの私にもあります。しかしながら、ただの一般人のシロウトがお仏壇前
>で供物をあげて読経し、最後に「回向」(文)を読誦したくらいで、それができるとすることには疑問符
>がつきます。

根拠は?宗教的な霊的パワーって何?

原始経典と根拠とデーターでのみ物事を語るのがアンタのスタンスじゃ
なかったのか?いい加減や奴だな

物知りじゃなくてお前はただのコピペ名人だな

13 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 13:28:33
>>9

そもそも、原始経典や南伝仏教を取り上げて他の国の仏教や
民俗信仰は間違いであると断言するのは無理があります

それはただの批判です

14 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 14:44:02
追善供養を否定してるが、ペータヴァッツは貴方の中でどんな扱いなんだ
原始仏教にもちゃんと在るぞ。

15 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 15:32:07
私からの主張(疑義)については、ほぼ終了です。
尚、質問があれば答えられる範囲で返答します。

>>13
ゴータマの教説以外は仏教とはいえないということ。
尚、仏教ではない他の宗教はまったくの無価値であるとか、
思想としていることのすべてが間違いである、という意味ではありません。

先祖供養は美徳(日本人の持つ善き)であるとして、私もこれを認めています。
ただし、基本的な認識と見解の必要性、及び過剰なもの(これを利用する宗教ビジネス)
に対しては見直しの必要性を主張します。
日本仏教は民衆の信徒獲得のためにこれを利用した部分があるともいえます。

>>14
これは、あとで返答(解答)します。

16 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 17:28:21
>>15
>先祖供養は美徳(日本人の持つ善き)であるとして、私もこれを認めています。
>ただし、基本的な認識と見解の必要性、及び過剰なもの(これを利用する宗教ビジネス)
>に対しては見直しの必要性を主張します。
>日本仏教は民衆の信徒獲得のためにこれを利用した部分があるともいえます。

これには同意。特に真宗はご先祖さんにお経上げるわけじゃなく阿弥陀に上げてる訳で
この辺をウヤムヤにして門徒からやれ何回忌だとお布施巻き上げてるのが許せない。

17 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 17:43:23
檀家を辞めればいいやん!! 必要な時だけその宗派の坊さんに頼めばそれでいいだろ。

18 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 20:16:35
>15 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2010/07/24(土) 15:32:07
>私からの主張(疑義)については、ほぼ終了です。
>尚、質問があれば答えられる範囲で返答します。

ただのコピペ野郎が先生口調で調子こいてんじゃねーぞ

>>13
>ゴータマの教説以外は仏教とはいえないということ。
>尚、仏教ではない他の宗教はまったくの無価値であるとか、
>思想としていることのすべてが間違いである、という意味ではありません。

結論から言うと貴方は南伝仏教や原始経典は、中国、日本、朝鮮などの
外国の儒教、道教、祖霊崇拝、民俗信仰、葬儀とは関係ないと当然の事柄を
指摘いるに過ぎないのです、それで?だから?

誰もが本場の仏教そのままを要求しているわけでも何でもないの
その国その国に合わせた仏教に発展して何が悪い、カレーだってそうだろ



19 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 20:17:38
それに、日本の葬式仏教を批判するが、そんな事を言い出したら中国仏教なんて
日本以上に儒教思想が色濃く反映されていて日本以上に先祖供養を重視しているぞ

お前は世界各国の仏教を批判して飛行機に乗って原始仏教でも
布教してろ

>先祖供養は美徳(日本人の持つ善き)であるとして、私もこれを認めています。
>ただし、基本的な認識と見解の必要性、及び過剰なもの(これを利用する宗教ビジネス)
>に対しては見直しの必要性を主張します。
>日本仏教は民衆の信徒獲得のためにこれを利用した部分があるともいえます。

お前は宗教と慈善事業の区別もつかないのか?日本は資本主義なんだよ
1人で勝手に見直ししてろよ、僧侶に依頼する供養、自分でする供養
色々、日本の伝統文化は複雑なんだよ、解ったか!インド野郎


20 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 20:33:12

>日本仏教は民衆の信徒獲得のためにこれを利用した部分があるともいえます

これは違うな、そもそもが徳川幕府による檀家制度で仏教と先祖供養が
合体した葬式仏教が誕生した

しかし、その宗教政策がインドの東インド株式会社や中国のアヘン戦争敗北
のようなキリシタン布教を口実にした、西洋列強による植民地支配を防いだ

一国家にせよ、一家庭にせよ、基盤である先祖先亡を供養する事は
家庭や地域社会の結束力を固めるのに役立つと言えよう

お前は仏事や読経による供養を無駄だと言っていたが、幕府の命令で
平安、鎌倉仏教が庶民の先祖供養を担当する事になった既成事実がある以上
仏事や読経以外に仏教徒としてどんな供養法があると言うのか?

護摩供養か?流水潅頂供養か?放生供養か?仏教徒が仏事以外に何を
して供養すると言うのだ?それに素人の読経は意味がないとほざいた
が出家在家問わずに檀信徒は仏教徒である

21 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 23:01:39
>>12
>根拠は?宗教的な霊的パワーって何?

この場合は二つの意味合いがあります。
一つは法を修する側の神通力というものであり、
もう一つは儀式祭典の呪法による効果というものです。
儀式における一定の作法(その中に様々な知識とテクニックが組み込まれている)に則ることで、
自然界の霊的な生命体(デーヴァ・エレメンタル)に働きかけるものなど・・・。
当然、その持つ意味合いというのは、
唯物主義では否定される物質科学では説明のつかない超常的な作用をいう。


>>14
 この中に登場する、布施の供養によって餓鬼が救われる話というのは、正確には、布施の行為
(善行)による功徳が向けられて(つまり、追善/回向されて)救われたのではありません。
 この場合は、自分を救済するために親戚縁者たちによって行なわれた布施であることを知って
大いに感激し、その喜びを所縁にして心を善に向かわせ、善趣地に転生できたというものです。
これを「得達の随喜」(pattanumodana:自ら得たものを喜ぶ)という。

 基本はあくまでも、「悪行を犯して死んだ人間を、供養をすることによって助けることはできない。」
「悪行を犯した人間を、別の人間が清めることはできない。」というのが仏教の教えです。

 尚、自称仏教徒(原始経典の学習を含め)の中には、ゴータマは霊存在を説かなかった(そんな
ものはないから)などとしたり顔でいう者も多いのですが、これは完全な間違いです。転生していく
ので常住ではない、というだけです。事実、ペータヴァッツの逸話の他にもゴータマが死者(死霊)
と会話している様子などが紹介されています(『マッジマニカーヤ18』ジャナヴァサバ神霊との対話)。

22 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 23:02:26
>>16
まったく、その通りだと思います。

たぶん、真宗の僧侶側にも言い分(言い訳)はあるでしょう。
これは庶民の祖霊に対する思い、その信仰心(祖霊信仰)からの望みと願望を受けて、
その希望を適えてあげているのだと。つまり、ニーズに合わせていると・・・。

けれども、自分らが本当に自派の教えを信じるならば、
僧侶、自らが教えに沿った行動をとり、
間違った世間の価値観にある信徒を正そうとすべきが本当でしょう。
僧侶がそれをしないで誰がするのですか?
要するに、あなたのご指摘の通り、お布施と称して祖霊供養の一貫にあやかっているだけです。


>>20
私は“祖霊供養は仏教ではない”といっているだけです。

 では、仏教徒の祖霊に対する態度とは如何にあるべきでしょうか?
 当然、やはり今よりもより良き高き界へと移行できるよう願うというのが、子孫としての祖霊に対す
る感謝や尊崇の念の自然な流れと顕れでしょうね。それはどのような行為や表現としてなされるの
かというと、それが現在、今日の日本に見られる大乗仏教における庶民の日常信仰の姿となって表
れています。
 要するに、生前はいろいろあったが・・・せめて死後は仏門をくぐり、受戒し得度して仏道修行を邁
進し、今よりもっと良き世界に行って欲しい、という願いです。これが死後に受ける戒名(法名)の習
慣となり、仏道修行に励む祖霊に読経を日々聞かせて・・・といったものになったのでしょう。

 私は、これが悪いなどとはいってない。
 本質であるところの仏教の教えを蔑ろにして、ただ祖霊信仰に重きをおく今日の状況を嘆くだけです。
これがキッカケとなって、仏教の教えの面にも触れていければいいのですが、この重要な部分を僧侶
は疎かにしてのん気に過ごし、ただ祖霊供養のためのお布施にあやかっているというのが実情ではな
いか?そして、過剰な祖霊供養は如何なものか?と、問うているのです。

23 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 23:03:14
 仏教は本質重視なので、祖霊供養や儀礼儀式に重きを置きませんが、本質をなおざりにしないなら
ば、本人が希望であればしてもいいのです。
 また、ゴータマがすべての祭式を否定し、禁止したものと思っている仏教は誤解しています。行いの
正しいバラモンによる心の篭った儀式には効力があることをゴータマも認めています(『スッタニパータ』)。
ただ弟子には、「その必要はない」といい、注意(集中力)が削がれるからするな、といったのです。

24 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 23:11:24
>>17
そうなんですが・・・
実際、自分の家族から死者が出てお世話になった場合には、
なかなかそういうわけにはいかないのが実情。

25 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 00:49:33
利他行を否定してる時点でちょっと貴方大分凝り固まってるね。
自分で書いているのに認めたくないのか解らないけど。
随喜するにも布施の回向がないと随喜しようがないよね。回向なしで転生が直ぐに出来るなら
餓鬼は誰も、助けを求める必要がないから、話が成り立たない。
多分勘違いしてるのかな。悪行そのものは確かに別の人間が取って代わることはできないし、
悪行そのものも消える訳ではない。大体がその因果で餓鬼道に落ちているのだから。
但し、更新はできる。諸行無常であるから。状況は変えられる。だから実際に餓鬼たちは
天上界に行けた。ただ、餓鬼たちは自分たちで状況は変えられない。悪業の因果を受けなければならないから。
だが、他人が供養し回向してやれば、その功徳によって悪業は更新される。
あと、貴方が大乗非仏説を取る理由を教えていただきたい。


26 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 01:45:39
この餓鬼の救いの逸話というのは、
回向によるものではないといっているのです。
尚、布施の行為は結果的には意味(その甲斐あっての効果)があったということ。
ただし、勘違いされては困るのは、あくまでも功徳の回向という見解について否定されているということ。

>あと、貴方が大乗非仏説を取る理由を教えていただきたい。

 簡単なことです。ゴータマの教説でなければ仏教ではないからです(宗教の一つではあるが)。
その重要性とは、仏教とは解脱を果たしてニルヴァーナに到達した仏陀が、自らの経験によって、
その仏陀となるための教えを説いたものだからです。
 要するに、仏陀でない者にはその経験を語ることは不可能であり、勝手に書かれた大乗経典と
いうのは、その経験値の裏づけなしに空想や創造、願望によって書かれています。
 従って、仏陀になるための方法論としては信頼性のないものです。尚、これ(仏陀になる=成仏す
ること)以外に仏教の目的というものはありません。

 仏陀であるゴータマ生前の教説が弟子によって死後(100年後くらい)に編纂され、纏められたも
のが原始経典群です。大乗の諸経典類はそのまた後代に、原始経典を奉じていたのとは全くの別
グループが勝手に書き上げたものです。これが近代仏教学の研究によって明らかになった事実で
あり、少なくても現代における定説だということ。

 これ(解脱成仏すること)以外のすべてについては、仏教の観点からは副次的なものに過ぎません。

27 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 01:46:35
>>26は、>>25へのレスです。


28 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 05:46:05
>>26

これはテーラワーダ協会などに洗脳されている人の典型的な主張パターンですね

原始経典は釈迦の実説であると未だに認められたわけではないのです
あまりにも考え方が排他的で凝り固まっており独善的ですね

29 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 06:04:20
>>22

>私は、これが悪いなどとはいってない。
> 本質であるところの仏教の教えを蔑ろにして、ただ祖霊信仰に重きをおく今日の状況を嘆くだけです。
>これがキッカケとなって、仏教の教えの面にも触れていければいいのですが、この重要な部分を僧侶
>は疎かにしてのん気に過ごし、ただ祖霊供養のためのお布施にあやかっているというのが実情ではな
>いか?そして、過剰な祖霊供養は如何なものか?と、問うているのです。

物事にはその場に応じたニーズと言うものがあります、それを考えずに
自分の主義主張を他に押し付けるのは賢い人間のすることではありません

日本人が宗教に求めているのは知的満足ではありません、知識の暗記と哲学
で霊は救われません

日本人が仏教に求めているのは信心と先祖供養であり教学ではありません

南伝仏教や原始仏典ではこうだから、他が間違い、だからこうしなさいでは
そういった物事の考え方では宗教えはなく、もはや全体主義または共産主義に
なってしまうのではないのかな?

周囲の意見に聞く耳を持たないのに何故レスを繰り返すのですか?
同じ主義主張ばかりいい加減、飽きました、消えてもらえませんか

30 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 09:05:28
今話題になっているのは、これかw

「功徳はなぜ廻向できるの?―先祖供養・施餓鬼・お盆・彼岸の真意
ttp://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=aw_mp_1/?a=4336048053&uid=NULLGWDOCOMO

31 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 09:20:16
密教にしても、秘密仏教といってバラモン教と習合しているわけ
ですよね

つまり、中国仏教にしても朝鮮仏教にしても日本仏教にしても
釈迦仏教をベースにはしているんだけど、その国独自の宗教で
あり別個の概念です

それを認めずに原始経典がこうだから、これ以外は間違いと
主張されても、はあ、そうですかとしかお答えのしようが
ありません

32 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 10:02:53
>>28
>原始経典は釈迦の実説であると未だに認められたわけではないのです

原始経典というのは内容が(大乗とは)異なり、そして一貫しています。
これは大乗の諸経典とは違います。これまで原始経典だったものが、
大乗へと分類変更されたりすることもありません(逆もなし)。
少なくとも、生前の史実のゴータマの教説について研究しようとする場合に、
大乗経典を対象にする仏教学者などは皆無です。
全世界においてもなし。


>>29
>物事にはその場に応じたニーズと言うものがあります、--中略--
>日本人が仏教に求めているのは信心と先祖供養であり教学ではありません

だから、ニーズに合わせてるでしょう!
けれども、仏教は祖霊供養のためにあるのではないのです。
これを知り、学んでいく必要があるのであり、僧侶がこれをしかなければならないのが本来の使命です。

>南伝仏教や原始仏典ではこうだから、他が間違い、だからこうしなさいでは--中略--
>周囲の意見に聞く耳を持たないのに何故レスを繰り返すのですか?

これ以外に仏教はないからです。
勝手デタラメは仏教とはいえず、従って解脱成仏ができません
(死後に供養によって迷わず霊界に届ける意味ではない)。

33 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 10:14:55
よって、
日本人としての祖霊供養の習慣の継続と大乗信仰は続けられてもいいのです。
肝心なことは、ゴータマの教説である原始経典の教え(の内容)が知られ、普及していくことです。
本来であれば僧侶の役目の筈ですが・・・今、レスを返してくる若干名のように、
反発意識を持つか、または無関心の状態あるだけ。
現実には、大衆に知らせようとしているのは近代仏教学の研究者側による出版活動ということです。

祖霊供養、先祖供養がダメという話をしているのではなくて、
仏教の価値観が間違って受け取られている現状に疑義をていするということ。

---ということで、あと特にご質問があければ・・・
 もう繰り返しになったので、これにて“終わり”にしたいと思います。


では、
良いお盆をお過ごし下さい>>各位all m(__)m


34 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 10:21:57
追記:

>>31
密教には密教の素晴らしさが別にあります。
これが混迷を極めてインド大乗が最後に世に放った集大成でした。
インド仏教の存続をかけて原点回帰(古代バラモンの叡智を拝借)を図ったのです。

一部に、バラモンと習合した外道扱いする人がいますが、
この私は“大乗の中”では最上位に見ています。


35 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 12:36:16
>>33

>祖霊供養、先祖供養がダメという話をしているのではなくて、
>仏教の価値観が間違って受け取られている現状に疑義をていするということ。

仏教は宗教である、先祖供養は民俗信仰である、日本では二つの概念が同居
しているので宗教的な概念だけでを先祖供養における仏事を否定する事はできない

日本の葬式仏教とは教学のみで成り立っているものではない

宗教と民俗信仰は本来は別個の概念である、それを原始経典のみで
物事を解釈しようとする貴方はただの強引バカである

客観的に判断して、日本の平安鎌倉仏教が原始経典を拠り所としていない
とする理由だけで先祖供養、民俗信仰、各国の歴史文化習俗までも否定する事は
不可能である

仏教は中国、朝鮮、タイ、ベトナム、それぞれが違う発展を遂げている

いくら、説明しても貴方は原始経典とは違う、原始経典とは違うと
まるで真っすぐ走る事しか知らない猪のようですね

36 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 16:58:48
誰かと思ったら宝珠かよwww

神仏板にちょっかい出すのはやめとけ。

37 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/26(月) 10:37:16
>>35
>宗教的な概念だけでを先祖供養における仏事を否定する事はできない

先祖供養を否定しているのではなくて、
本質(仏教本来の教えと目的)がなおざりにされている現状を憂ているのです(これは僧侶が悪い)。
また、過剰な祖霊信仰には信仰心を利用した宗教ビジネスが蔓延る、という警鐘です。
バランス良く程度をわきまえ、ホドホドであれば、別に何ら問題はない。

>>36
あらヤダぁ・・。
覗き見してたの?(;´Д`)

こちらは初盆にて、この春に亡くなった父を楽しく迎えるべく(地方の遅れ盆)、
私、主導で初めてのなるべく本格的な精霊棚を飾ってみようかと、今から忙しく準備中ですよ。
「白提灯」「水の子」「蓮の葉」「ミソ萩」「真菰(まこも)」
「青竹」「鬼灯(ほうずき)」「麻幹(おがら)」「焙烙(ほうろく)」・・・ですか。
これは-なかなか面白いですねぇ。ま〜原始仏典にはなさそうだけど楽しく準備してます^^

では、ごきげんよう |Д´)ノ

38 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/26(月) 10:45:53
お盆のお供えのセット(果物とか野菜とかほおずきの籠盛みたいなの)に
蓮画像の一派手前みたいなまだ青い蓮の花托(はちすって言うんでしょうか?)が
入っていることが多いのですが、あれには何か意味があるのでしょうか?
蓮の花はわかりますし、もう少し熟してるものだったら実が食えると
聞いたことがありますが、青い蓮の花托も野菜として扱ってるんでしょうか?

39 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/26(月) 14:05:08
>>37

>過剰な祖霊信仰には信仰心を利用した宗教ビジネスが蔓延る、という警鐘です。

宗教は慈善事業ではありませんので、何事に関しても無料は無理です
それはテーラワーダ協会でも同じではないのでしょうか

私が言う供養は写経、読経、霊場巡礼、本山参り、仏壇の御給仕、墓参りなどお金よりも労力と
時間を必要とするものです、寺に永代供養を依頼すればそれでよしとは
考えておりません

私は浄土宗の檀家ですが、葬儀や法事でもない限りは年間の護持会費
や盆の棚経の布施が必要なだけで金額的にしれてますけどね

寺の瓦の葺き替え、本堂の修復などに一軒あたりに寄付を要求
される場合もありますが金の用意のができない人は無理に請求されません
まあ、何十年に一回の事ですけども

檀家からの布施の管理は、檀家総代や事務が行い住職の手元に
全額渡るわけではなく、住職寺族は檀家から寺を預かっているに
過ぎません

伝統宗派の場合、保育所、学校、介護福祉施設等の運営、布教
先祖供養における仏事などありとあらゆる事を担当しているわけです

私が所属している寺の住職は身体障害者の施設で介護をして働き
クタクタになりながらお寺を運営してみえますけどね、生活費は自分
で稼がないとお寺の運営など無理なのではないでしょうか

40 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/26(月) 18:51:56
>>39
了解しましたm(__)m

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