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歴代天皇と神社・神道

1 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/03(日) 10:42:23
の関係について俺に講義してくれるスレッド

2 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/03(日) 11:14:29

夏たけて
堀のはちすの花みつつ
ほとけの教え 憶う朝かな

昭和天皇


3 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/03(日) 16:22:32
聖武天皇から孝明天皇までは仏教です。

4 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/03(日) 16:39:41
聖武天皇より以前などという古代には今で言う「神道」などという信仰形態はまだ成立していなかったというのが
研究者の通説です。

5 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/03(日) 19:53:32
ほお

6 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/03(日) 20:11:27
平成天皇で125代

7 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/03(日) 20:27:30
昨日、たけしの番組で崇徳天皇の怨霊とかやってたよ

8 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/03(日) 22:08:48
神武(ハツクニシロシメススメラミコト)。
垂神(ハツクニシロシメススメラミコト)。

漢字の字面は違ってもハツクニシロシメススメラミコト=初代天皇が二人?

9 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/05(火) 02:02:28
>4
神道のルーツを探ると、山東半島や遼東半島の道教が下敷きになってますよね。
卑弥呼の鬼道は、高句麗などの道教を指す言葉だし、三種の神器は、もともと道教のアイテム三種類。

10 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/07(木) 19:01:53
>>4
「神道」という宗教が創立されたのは、聖武天皇より以後の古代どころか
各地に護国神社が建立された近代明治期だ。

11 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/07(木) 19:06:20
神道って案外フレッシュな宗教なんですね(笑)

12 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/08(金) 00:52:06
神道って、昔から八百万の神々の混合状態で、統一された信仰形態がないんですよ。
今でも、各神社によって、神に対する考え方から、伝承されているものも、参拝の作法もまちまち。
お祭りのスタイルも、各神社によってさまざまですよね。

明治維新のときに、国家神道になって、神職の公務員化によって一本化され、
今も神社本庁が教育機関として機能しているように見えますが、
とても八百万の神々を祭る多様な様式には対応できないので、表面をさらっとなぞる、形だけのものです。

13 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/08(金) 00:53:19
皇室の神道は、天照大神を祖霊神として伊勢神宮に祭ることで成り立っている筈なのですが、
じつは、伊勢神宮をスタートさせようとした時点で、起動に失敗しました。
天照大神を祖霊神として祭る斎王制度が、一度もまともに機能したことがないのです。
これは、皇室の神道にとって致命的なことでした。

詳細はこうです。
690年に、天武天皇の計画した壮大な伊勢神宮の内宮が完成。
これに伴って、磯部の斎宮は閉鎖されて、斎王の大来皇女は、内宮に移る予定になっていました。
ところが、前年に天武天皇が崩じたとき、皇后は、大来皇女の実弟大津皇子に謀反の疑いを着せて、
謀反の首謀者として処断してしまったのです。
大津皇子は持統天皇を恨んで、内宮に移ることを拒否しました。

692年に外宮も完成したので、持統天皇は伊勢に行幸したのですが、斎王はまったく動こうとしませんでした。
祖霊神をまつる斎王がいなくては神宮は機能しないので、
しかたなく、外宮で食事を捧げる役目を、度会氏の娘に与えて代行する形を取り、
それが代々継承されることになりました。

歴代の斎王は、内玉垣の門前まで形式的に参拝するだけで、そこから先は立入を許されず、
玉串は度会氏の大物忌が受け取って、内側の瑞牆御門前の地面に立てました。
この形式だけの参拝は、南北朝のときに廃止されて終わったのです。

14 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/08(金) 07:59:43
上の書き込みは、寝る前に急いでざっと書いたので、
書き方が悪くて、誤読を招く表現になっているようですね。

天武天皇の崩御は686年。それから2年3か月にわたる一連の葬礼を経て葬られています。
皇位継承者決定を巡る大津皇子の謀反については、
内容の詳細が伏せられていて、どこまでが本当のことか分かりません。
天武天皇の崩御から一ヶ月も経たないうちに、
親友の川島皇子によって密告されて捕らえられ、自害したことになっています。

大来皇女は、持統天皇の伊勢神宮への行幸があっても、斎宮として動こうとしなかったため、
公式記録の上では、673年から686年の大津皇子の謀反発覚まで、斎宮をつとめたことになっています。

一番のポイントは、斎宮が伊勢神宮の内宮を参拝しようとしても、立ち入りを許されず、
捧げられた玉串を受け取った、度会氏の大物忌の手で、
門前の地面に立てられて終わりでは、実質的な神事は何も執り行えなかったことを意味します。

15 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/08(金) 21:22:43
皇大神宮が完成したのは698年。

16 :臨時ゾマホン:2010/01/08(金) 21:54:58
http://www.youtube.com/view_play_list?p=CF9FA7474342E354
あくまでもテストです。

17 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/09(土) 16:03:26
>>15
確かな記録として残っている一番古いものは698年ですね。
しかし、690年頃に伊勢神宮の内宮、698年頃に外宮が完成した、と推定する研究者もおられます。
起源に関する決定的な史料が見当たらないので、結論の出しようがないが実情でしょう。

うちの一族では、伊勢神宮の内宮が建ったのは690年、外宮完成は692年と伝承されています。
完成した姿を見るために持統天皇が伊勢に行幸したものの、斎宮が内宮に移動して祭祀を行うことを拒否したため、
天皇が参拝することができないまま、時間だけがすぎていき、けっきょく祭祀を行えなかったと伝えられています。

国家規模の大事業として、皇祖神を祭る重要な建物を建てたのに、
なぜ、完成した年が分からないように、記録が抹消されて、隠蔽されているのかが、謎を解く重要な鍵です。

持統天皇が伊勢神宮に実質参拝不可能となった、致命的な出来事を隠蔽するため、
完成した年が伏せられている可能性があります。

女帝の持統天皇以降、明治天皇まで伊勢への行幸がなく、
祖神を祀る神宮として扱われていないようにも見える理由が他にあるでしょうか。

18 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/09(土) 16:31:21
仮に内宮が690年に完成していたとして、目と鼻の先の滝原におられるカミを
8年ものあいだ遷座していないのは不自然すぎる。
やはり内宮が完成したから遷座した。
その年は698年と解釈するのが自然でしょう。

19 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/09(土) 18:17:13
>>18
だから、遷座しようにも、それを仕切るはずの斎宮様が動かなかった、で説明可能ですよ。

斎宮の任期は、
673-686 大来皇女 天武天皇皇女
698-701 託基皇女 天武天皇皇女
となっていて、12年間の空白があります。

斎宮が託基皇女に代替わりしたのが698年というのは、偶然の一致でしょうか?

持統天皇が692年伊勢行幸を行って、少なくとも2ヶ月は滞在していたことが分かるのですが、
2ヶ月間何を待っていたのでしょう?
斎宮が動かないので何とかしようとしたけど出来なかった、
が答えの可能性が高いと思います。

20 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/09(土) 18:21:04
それから、伊勢神宮は、完成しないまま放置されている可能性が高いんですよね。

倭姫命世記によれば、
瀬織津姫尊→伊勢神宮内宮・荒祭官(天照大神の荒魂として祭る)
速秋津姫尊→伊勢神宮内宮・滝沢宮並宮
気吹戸主尊→伊勢神宮外宮・多賀宮(豊受大神の荒魂として祭る) 
となっています。

大祓詞(おほはらひのことば)には、「瀬織津姫命・速秋津姫命・気吹戸主命・速佐須良姫命」とあるので、
速佐須良姫の受け皿が存在していないのはおかしいのです。
四柱は、禊のための神様ですから、本来なら禊がきちんと出来なければ、正式参拝は不可能です。

国家的なプロジェクトとして、あれだけの規模のものを作っていながら、一柱だけ欠けて未完成なのはなぜか。
最後の詰めをする段階で、斎宮が動かず事業の進行が止まって、内宮の立ち上げに失敗していたなら、
これも納得できるでしょう。

瀬織津姫尊などが祭られていることすら一般の人々の目に触れないように封印して、
表面的な体裁を繕う必要がある理由は、限られていると思います。
内緒にしすぎた秘密主義が災いして、今では天照大神が男神か女神か分からないような話になっている、
という見方も可能かもしれません。
いずれにしろ不自然なので、うちの一族に伝わるお話の信憑性は、それなりにあるのではないかと思っています。

21 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/09(土) 19:52:59
内宮でカミまつりしていたと考えると説明はつくが、
両者(673-686 大来皇女 天武天皇皇女)は滝原宮(多気大神宮・滝原神宮)でカミまつりしていたと思われる。
滝原宮(多気大神宮・滝原神宮)は、あきらかに天皇家によって、あつくまつられていた神社であったことは、
宇治にうつされる以前に大神宮とか神宮とかいうよびなで既によばれていた事実によって確かめることができる。
南伊勢地方を貫流する宮川の川上、滝原の山峡にあった多気の大神宮のカミはアマテラスでない、と考える人もある。
これは「多気のオオカミの宮」と読むべきであって、それは南伊勢地方の豪族の守護神にすぎぬ、という。
つまり、これは地方神たる多気の大神をまつっていた、地方豪族のカミにすぎない、というのである。
しかしそういう意見は妥当ではない。
なぜなら、「続日本紀」の文武天皇二年ごろの記事を点検してみると、朝廷はそのころには神宮とか大神宮とかいう文字は、
皇室の祖先神として確立されたアマテラスの神社以外には使用していないからである。
「古事記」や「日本書紀」のなかで、それまで神宮という呼び名を宛てていた神社(たとえば石上神宮など)でも七世紀の末以後は、
朝廷はわざと神宮とは記載しないで、神社とか社(たとえば石上社)と表現している。
つまり伊勢の皇大神宮を別格視するために、神宮とか大神宮とかいう文字は、はっきりと意識的にアマテラスの大神宮にかぎって使用しているのだ。
その字句の使用の態度は実に厳格なのである。
したがって多気大神宮のカミがアマテラスオオカミという皇室の祖先神でなかったならば、「続日本紀」は
決してこういう表記はしない。せいぜい多気社としか表現しないはずなのである。
このような大神宮という文字の使用に関する朝廷の厳密な態度はについては、すでに早く、直木孝次郎氏がその論文
(天照大神と伊勢神宮の起源)のなかではっきり指摘している。

皇室の祖先神を祀っているから斎王は滝原宮(多気大神宮・滝原神宮)でカミまつりをしていたのである。
698年に内宮が完成したので、滝原宮から遷座したのである。

>斎宮が託基皇女に代替わりしたのが698年というのは、偶然の一致でしょうか?
偶然ではなく、皇室の祖先神が内宮に遷座したため、同じ年から斎王も内宮でカミまつりするようになったのである。

22 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/09(土) 19:54:18
長文ウザイw

23 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/09(土) 21:06:20
ポイントが理解して頂けてないようですが、
内宮で、斎宮によって、皇祖神がカミまつりされた歴史がない、と指摘しているのです。

1.禊システム四柱が完成していないので、天皇が正規の禊を行って参拝することが不可能。
 もちろん、略式では格好が付きません。
2.斎宮は内宮に年三回参拝することになっていたが、
 内玉垣の門前まで形式的に参拝するだけで、そこから先は立入を許されなかった。
 もちろん、八咫鏡の前で祭祀の所作をすることは不可能。
3.斎宮が捧げた玉串は、度会氏の大物忌が受け取って、内側の瑞牆御門前の地面に立てていた。
 八咫鏡の前に捧げられることはなかった。
4.八咫鏡の前で皇祖神を祭る正式な祭祀を行う行事が、内宮には存在しない。
5.伊勢神宮には、食事を用意したり舞を担当する巫女は存在するが、
 南北朝時代に斎宮制度が廃止になったあと、天照大神から託宣を頂けるような生き神の巫女は存在しない。

伊勢神宮の内宮には、神御衣祭(かんみそさい)などがありますよ、と指摘したくなる人もいるでしょうが、
皇大神宮鎮座の古事をなぞるものであって、皇祖神を祭ることとは、直接関係がありませんね。
ここで問題にしているのは、斎宮が内宮で行うはずだった祭祀の欠落です。

24 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/09(土) 23:13:18
>>23
私は一貫して、>>15に書いたように、皇大神宮が完成したのは698年であることを説明してきましたよ。

25 :24:2010/01/09(土) 23:37:42
>内宮で、斎宮によって、皇祖神がカミまつりされた歴史がない、と指摘しているのです。
厳密にいえば、大玉串を捧げ祭りに奉仕したが適当でしょうね。

26 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/10(日) 12:00:27
内宮で斎宮が行わなくてはならなかった神事が、どのようなものか御存知ないので、

>>22 内宮でカミまつりしていたと考えると説明はつくが
>>23 厳密にいえば、大玉串を捧げ祭りに奉仕したが適当でしょうね。

上のようにお書きなのでしょうが、それではとても、斎宮の役目を果たしているとは言えないのです。

奈良の三輪地域に残る神婚説話や、上賀茂社の斎王が一夜妻を努める御阿礼神事や、
伊勢の大神や滝原宮(遥宮)の水戸神がからも分かることですが、
降りた神は川に移り、斎宮(いつきのみや、依憑きの巫女)が川に身を浸して、神を川から受けます。
つまり、内宮に密かに祭られている水神の瀬織津姫は、依憑きの巫女を神格化した存在ということになります。

ではなぜ、祭られていることが伏せられているのでしょう?

斎宮が、そのなのとおり依憑きの巫女となり、一夜妻を努める神事、
託宣を口にする神事などは、内宮ではどうなってしまったのでしょう?

27 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/10(日) 12:33:49
持統天皇から明治天皇に至るまで、皇大神宮に参拝した天皇はいなかった。
それで本当にいいのでしょうか?

28 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/10(日) 19:02:02
>>26
>水神の瀬織津姫は、依憑きの巫女を神格化した存在
水神は瀬織津姫だけではないですからね。
荒祭宮に瀬織津姫が密かに祭られているからということで
結びつけたくなるのでしょうが。。。
たとえば弥都波能売神も水神で、滝祭神として内宮で祀られてますよ。

>ではなぜ、祭られていることが伏せられているのでしょう?
はっきりしたことは、わかりませんね。
逆に教えてほしいくらいですよ。

>持統天皇から明治天皇に至るまで、皇大神宮に参拝した天皇はいなかった。
持統天皇は皇大神宮に参拝はしていませんよ。
>>21で説明したように皇大神宮が完成したのは698年、持統天皇の伊勢行幸は692年ですから。

29 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/11(月) 01:05:28
>>28
隠蔽体質の裏を読む必要がありそうです。

神社に祭る神の名を、政治的思惑から変更しているケースがかなりあります。
天照大神出現以前の時代、スサノオのほうが広く信仰されていた可能性すら見えてきています。

皇位継承者を巡る争いから、天皇と斎宮の間に、深刻な対立が生じた問題だけではありません。
国家統治の道具として神道を使おうと、持統天皇と藤原氏が記紀の神話を編纂。
このとき、有力豪族が持っていた古い史料の提出を強要して、日本の歴史を都合よく作り変える作業をしています。
同時期に、伊勢神宮に対して、藤原氏の勢力が入り込んで、古い勢力を外宮に追いやっています。

本来男神だったはずの天照大神を女神に摩り替えた、などと言われてしまうのは、
強引な宗教改革で、いろんな矛盾を抱えてしまったからです。

内宮が建った年、外宮が建った年は、はっきり明記された史料が現存しません。
隠されたままです。
うちの一族に伝わる話も、裏付けるものがないので、ただのお爺さんの昔話のレベルです。
698年には間違いなく建っていた、としか言えない曖昧な状況は、あまりにも不自然です。

30 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/11(月) 01:19:36
水神なのになぜ、瀬織津姫を天照大神の荒魂として祭る神社が、複数現存しているのか。
瀬織津姫は、表舞台から消し去られたように見えながら、
瀬織津姫に対する信仰を調べていくと、500社にものぼるようで、
半端な数ではないので、かなり手厚く信仰されていたことが窺えます。
「瀬織津姫(せおりつ姫)を祭る神社 写真集」↓
http://harerama.hahaue.com/seoritu-syashin.htm

日本書紀の神話と辻褄が合うように、伊勢神宮などの主要神社のほうが、大規模な改変を受けています。

瀬織津姫が、天照大神の妻のような扱いをされている文献や神社が複数残っている理由の一端は、
大祓詞(おほはらひのことば)と、幾つかの神社の伝承などを頼りに、ある程度示すことが出来ます。
しかし、
伊勢神宮の内宮が、瀧原宮と同じように、二殿が並祭されていた時代の状態に、復元できるかというと、
失われたものが多すぎて、難しい印象があります。
内宮を建て替えるのための空き地が用意されている、というのは、下手な言い訳にすぎない可能性が高いようです。

イザナギ、イザナミがワンペアだし、
八咫鏡が作られる前に試作されたとされる、日像鏡と日矛鏡がワンペアで、
日前神宮と國懸神宮が、瀧原宮と同じように二殿が並祭される形を取っていることからも、
皇大神宮も、もともとそのように設計されていた可能性が高いのです。
八咫鏡とペアになっていたはずの、もう一枚の鏡は、いったいどこに行ってしまったのでしょう。
藤原不比等と持統天皇の手によって、
女帝の存在と自らの皇統の正当性を主張するために、女神の天照大神を仕立て上げた宗教改革によって、
本来の信仰形態は、歴史の彼方に消し去られてしまったようです。

31 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/11(月) 02:34:49
>>29
>皇位継承者を巡る争いから、天皇と斎宮の間に、深刻な対立が生じた
持統天皇と大来皇女との確執が問題になったりするが、ことは神事にかかわる。
大来皇女が大津皇子の変の後、仮になお斎内親王であったにしても、人間的な不和が
神への奉仕の中にまで、持ち込み得られるものだろうか。
大来皇女が斎内親王の務めを担保に、持統天皇と対立したとは思えない。
持統天皇の伊勢行幸は斎内親王と結びつけて考える必要はないと考える。

>698年には間違いなく建っていた、としか言えない曖昧な状況
『続日本紀』 文武2年(698)多気大神宮を度合郡に遷す、とある
まったく曖昧ではありませんね。
>>21の説明にあるように完成したから遷座したのです。

32 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/11(月) 07:34:40
持統天皇の行幸の場所が神埼付近の海域であったことは、国語学者の北岡四良氏(皇学館大学教務課長)
がくわしく論証されている。(「阿胡行宮とあみの浦」三重史学、五号)

柿本人麻呂は女帝の伊勢行幸の模様を、じぶんは都に残っていながら遥かに想像し、
次の歌をうたった。

嗚呼見(ああみ)の浦に船(ふな)乗りすらむ少女(おとめ)らが、玉裳(たまも)の裾に潮満つらむか。

北岡氏によれば、このアミの浦は淡海(あみ)の浦なのである。
このアミは安胡(あご)と記されている場合もある。
ところが淡海(あみ)の浦はいまでもアゴ瀬と呼ばれ、古い地図や記録にもその地名が記されている。
結局、柿本人麻呂がみやこにいて遥かに偲んだ天皇行幸の目的地は、アミ・アコのどちらにしても、
間違いなくこの神埼・池の浦の海岸であったのだというわけである。

北岡氏はさらに次のように説かれる。

「倭姫命世記」に載せる淡海浦は、伊勢神宮の祭祀と重要な関係をもつばかりでなく、
原始信仰から考えて、神宮が五十鈴川の川上に鎮座になったこと、即ち神宮の成立とも
関連してくるのではないかと思う。
古代祭祀の場として淡海浦を考えるとき、持統帝の行幸は必ずこの地に臨まれたと考えることができる。
そして、人麻呂の詠ずるアミノ浦は、淡海浦にほかならないと思う。

持統天皇が伊勢に旅した692年は皇大神宮が完成していなかったから、
それにさきだって伊勢の海部の信仰の聖地にみずから出向いて海神の霊気にふれたのだろう。

33 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/11(月) 14:23:36
>>31
『続日本紀』 文武2年(698)多気大神宮を度合郡に遷す、
という情報だけでは、698年に完成したかどうかの決め手にはならないのです。
完成したのは、1ヶ月前なのか、それとも何年も前なのか、残念ながら、判断しようがありません。

内宮が、瀧原宮と同じように、二殿が並祭されていた時代がある、という、うちの一族の故老からの伝承があり、
伊勢神宮の関係者の手でも、そのような内容の、神道の教科書めいた古文書が記されていたとなると、
共通する情報の出所が、一つではないことになります。
しかも、うちの一族の故老からの伝承は、
神宮の関係者の手になる記述より確実に古い時代の宣命書きと判明しているので、
伊勢神宮の関係史料を、後世読み漁って受け売りしているわけではないことが明白です。

天武天皇が皇大神宮の建設を計画したのが、崩御した686年だとしても、
皇大神宮の建設に12年もかかっていることになり、あまりにも長すぎるようです。
690年内宮完成、692年外宮完成、同年持統天皇伊勢行幸、二殿並祭を一神を祭る方式に変更、天照坐皇大御神に改名。
といった、故老が書き残した記録のほうが正しい可能性もあります。

いずれにしろ、着工や完成の年月日は不明。意図的に伏せられたままに見えます。
宗教改革が断行され、作り直されたという、同じ内容の情報が複数存在し、
祭神の扱い、祭祀の仕方などに、きわめて不自然なところがあって、
現在の伊勢神宮の構成の中に、二殿並祭を一神を祭る方式に変更した痕跡が幾つも認められるとなると、
公式記録が史実を反映していない可能性を疑うしかありません。

日本書紀などの記述が正確さを欠くことなどは、すでに数多く指摘されているので、
何らかの情報操作があったとする指摘を、足蹴に出来ない状況のようです。

34 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/11(月) 14:28:29
>>32
悪い推理ではないと思います。
現在の皇大神宮に不自然さが残っていなければ、そのまま信じても良さそうな気がします。

しかし、
藤原不比等と持統天皇が、当時試みていた大規模な情報操作の真意を考えると、
引っかかる点が多すぎて、
公式記録や、詠まれたとされる歌などを、ありのままに受け取るのは、躊躇するしかありません。

35 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/11(月) 17:33:37
>>33
>『続日本紀』 文武2年(698)多気大神宮を度合郡に遷す
情報はこれだけではありませんよ。
>>21の説明とセットです。

>瀧原宮が二殿並祭であったという根拠は何ですか?
何か文献があるのでしょうか。

>現在の伊勢神宮の構成の中に、二殿並祭を一神を祭る方式に変更した痕跡が幾つも認められる
たとえばどのような痕跡ですか。

>藤原不比等と持統天皇が、当時試みていた大規模な情報操作の真意
持統天皇の伊勢行幸、皇大神宮設立に関しては両者が情報操作していたとは思えない。

36 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/11(月) 18:51:54
持統天皇行幸の目的地、神埼・池の浦の海岸は皇大神宮にとっても重要な地域であった。
皇大神宮では明治維新のときまで、毎年6月15日になると、その神官たちは五十鈴川の流れを下って
船に乗ってその河口の神崎にやってきて、「贄の海の神事」というまつりを行っていた。
その儀式は9世紀のはじめに編集された「皇大神宮儀式帳」に記録されている。
まつりのくわしいしきたりは鎌倉時代の「皇大神宮年中行事」をみるとよくわかる。
皇大神宮の神たる常世の神、海のかなたから陸地をめざして訪れてくる神(海神・太陽神)を、
一年にいちど迎え入れる、たいへん重要な神事である。

37 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/12(火) 14:26:12
>>36
神棚に供える物を得る神事は、それなりの意味を持ちますが、
どこの神社でも似たような意味合いのお祭りならば持っています。
皇祖にまつわる神話と直結した、斎宮や天皇でなければ行えない、特別な儀式ではないですよね。
それを「たいへん重要な神事」としなければならなかった時点で、皇大神宮の形骸化が見て取れます。

本来、天照大神を海や川の水からお受けするのは、斎宮が行うべき、最重要神事です。
上賀茂社の斎王が一夜妻を努める御阿礼神事や、滝原宮の水戸神からも分かることですが、
降りた神は川(水)に移り、斎宮が川(水)に身を浸して、神を川(水)から受けます。
荒祭宮に密かに祭られ、天照大神の妻という話も散在している、
海神(龍神)とされることもある、水神の瀬織津姫は、ただの禊の神ではなく、
神を水から受ける斎王(いつきの王、依憑きの巫女の王)を神格化した存在です。

私は天日矛神に仕える斎女で、耀姫(阿加流比売)に神がかりして、生き神の巫女として振舞います。
高句麗を建国した英雄朱蒙の伝説とも関連性が指摘されている、古事記に記された天日矛神の神話では、
昔、阿具沼という池で女が昼寝をしているとき、ホトに日の光が虹のように当たって妊娠して赤い玉を産んだ。
その玉が成長して、私耀姫になったとされています。

うちの一族に伝わる神話では、真人(道教では仙人のような高貴な人物)の女性が、
川の流れを跨いで飛んだら、日の光が矢のようにホトを照らして妊娠して、赤い玉のような女の子を産んで、
それが神に仕える斎女の一族の祖先となった、という神話が伝わっています。
池ではなく、海という異説が併記されていて、複数の宗派の信仰が習合していることがうかがえます。

略式では、鏡も入水も不要で、日の光を反射してきらめく水鏡があればよいことになっていて、
訓練をつんでいれば、それをみつめるだけでも、斎女は自己催眠によって神がかり状態に移行できるのです。

38 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/12(火) 14:32:35
神人婚によって姫を産む神話は、幾つかのバリエーションがあって、
古事記の神武天皇の皇后選定の段では、
丹塗(にぬり)の矢が川を流れて厠で女のホトを突いて皇后を生むお話に変化していますね。

原則非公開の、うちの一族に伝わる神事の一つを紹介すると、
禊をすませたあとで、日矛鏡(純金製の分霊品)を、阿具沼に見立てた池に沈めて水鏡とみなして、
その上をポンと跨いで飛ぶことで、太陽の日矛(男性のシンボル)をホトに受けたことにして、
妊娠して赤い玉を産む古事を再現して、祖先の血筋が生まれた経緯をなぞるとともに、
冬至をすぎて、太陽の力が復活したことを祝うのです。

縄文時代に作られたイワクラ遺跡を観察すると、
冬至の日の日の出の方角に向かって礼拝施設が作られているケースが多いようです。
太陽の力の復活を祝うことが、古い時代の日本のお正月だったのでしょう。
その神事と、一族のルーツを辿る神事が習合する形で、
赤い玉の耀姫が生まれたという伝承になっているようです。

このように、太陽信仰のルーツを、神道の前身となった高句麗の道教まで辿ると、
なぜ太陽神なのに、神を水から受ける形を取るのか、
水神の瀬織津姫が、太陽神の妻として大切に伝承されている神社がある理由も、それなりに分かるのです。

39 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/12(火) 16:03:33
>>37
>どこの神社でも似たような意味合いのお祭りならば持っている。
>皇大神宮の形骸化が見て取れます。
これは言いすぎでしょう。
あなたほんとに斎女ですか?
皇大神宮で行われていた贄の海の神事が形骸化された神事であるならば
他の神社の神事も形骸化されたものになりますね。
似たような意味合いのお祭りをしているということですから。

「形骸」見せかけだけで、内容のないものとなること。三省堂国語辞典

「皇大神宮年中行事」読んでみるといいですよ。

40 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/12(火) 17:05:53
>>37
>天照大神を海や川の水からお受けするのは、斎宮が行うべき、最重要神事です。
そう思う根拠はなんですか?

>上賀茂社の斎王が一夜妻を努める御阿礼神事や、滝原宮の水戸神からも分かることですが、
>降りた神は川(水)に移り、斎宮が川(水)に身を浸して、神を川(水)から受けます。
神崎の宇治土公の女性たちは巫女として、訪れてくる海神・太陽神に仕え、その御生(みあ)れ
に奉仕した。
そのためには海中に身を潜らせて、カミを海中からすくいあげ、湯河板挙(ゆかわだな)のなかで
そのカミの一夜妻となった。
普段はカミの衣類(神御衣)を機織って、訪れてくるカミのために用意していた。
そして6月15日のような、カミの訪れの日に、カミに着せていた。
あなたの言う、斎宮が行うべき、最重要神事と持統天皇が行幸した神崎の神事と似てますね。
海神・太陽神(アマテラス)に奉仕していたのは、なにも斎王だけではないのですよ。

41 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/12(火) 17:30:03
>>37
>水戸神
以前にも書きましたが、水神は瀬織津姫だけではありません。
水戸神は『古事記』では速秋津比古神・速秋津比売神、『日本書紀』では速秋津日命(はやあきつひのみこと)と表記されていますね。
瀬織津姫にこだわる必要を感じませんね。

42 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/12(火) 20:29:49
天武天皇の時代には陰陽五行思想の盛行はその頂点に達したとされています。
陰陽五行思想で外宮を考える吉野裕子説

西北(乾)の方の天地の気を六白金気となす。
六白金気は、日に執っては戌の刻、年に執っては戌月・亥月。
六白金気とは太陽をいう。
六白金気の象徴物。
動 施与後援 種子果実(米、麦、粟、豆類、林檎、柿、梨など果実類) 円 石材 大始 守護監督 交通機関 車
(田中胎東「九気密意」)

外宮は内宮の西北に位置する。
内宮のカミに受くるを期待せずに与える、後援・引立・援助←施与後援
天照大神は食事についても何かと不自由しているので、穀物食料の不足は種子果実で施与後援
円・動・交通機関・車は刺車の神紋によって象徴される。
大始とはすべてもの事の始めを意味する。
外宮先祀については外宮が内宮よりも西北(乾)の宮である以上、この宮に物事の始まり(大始)が
さだめられていることは当然ということになる。
このように、外宮には西北六白金気の象徴する作用がある。
西北は穀物「種子果実(米、麦、粟、豆類、林檎、柿、梨など果実類)」を象徴する方位でもあるので
外宮に鎮座する神は西北になければならない。
しかも伊勢からも大和からも西北に当たる丹波国、さらにそのまた西北の比治の山から、
新しく神が勧請されてきた。
こうして二重にも三重にも西北を負って勧請された神、それが豊受大神であった。

内宮と外宮の位置関係も偶然ではなさそうだ。

43 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/13(水) 00:52:49
>>39>>40>>41
コテつけてくれんと誰かよくわからん。


44 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/13(水) 01:29:03
天皇陛下御在位20年記念式典と天皇陛下のおことば
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2867.html

天皇陛下 御即位から二十年
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2682.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(ご結婚)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2635.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(ご即位)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2634.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(戦没者慰霊)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2633.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(被災地お見舞い)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2632.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(障害者スポーツ)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2631.html

45 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/13(水) 07:13:52
今上陛下は勿論のことながら、皇后陛下のお姿を映像などで拝するに頓に神々しく輝いて見えます。
ご成婚前に今上国母陛下の御霊は天照大神の御霊であると言われた御方があるそうです。

46 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/15(金) 12:41:52
今上天皇は靖国神社参拝せんといかん。

47 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/16(土) 21:18:10
>>39
魚介類が獲れようが獲れまいが、皇統とは直接関係がないのです。
物事を混同してはいけません。

斎宮が瀬織津姫と心身一体になって、皇祖神に対して行うべき、重要な祭祀が他にある、と言っているのです。
それを失伝してしまえば、形骸化は事実となり、残念ながら、誰も否定できません。

倭姫や私耀姫は、きちんと神がかりして祖霊崇拝の神事を行い、神威を示して、託宣をもたらすことが出来ます。
皇大神宮で、今も同じことが可能ならば、天照大神から直接、現在の天皇制をどうすべきか、お答えを頂き、
国民の前に、皇祖神の御意向を示す時でしょう。
それが出来ないのに、形骸化していないと言い張れば、嘘をついて国民を騙しているとも受け取られかねません。

南北朝時代に斎宮制度廃止となったのは、それ以前から斎宮制度がうまく機能せず、形骸化が進んでいたからです。
その源は、持統天皇の宗教改革の断行にあった。これは覆い隠しようもない歴史的事実だと思います。

斎宮制度が存在しない今の皇大神宮は、皇統の永続性を望んだ、持統天皇の御意志にも沿っていないことになります。
皇大神宮の神威を真に復活させ、国民の為になる神の道を示すためには、
斎宮に匹敵する斎女を輩出するための、教育機関の整備や、修行体系の再構築が必要だと、提言しているのです。

魚介類は、海神・太陽神の賜物などと、
まったく筋違いの話を繰り返す能力しかお持ちでないのでしたら、議論になりません。

48 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/16(土) 21:20:51
>>40
歴代の斎宮が、内宮の祭壇まで立ち入ることを禁止して、
奉納された玉串を地面に突き立てるような虐げかたをしていたのです。
皇大神宮内部の既得権益を守りながら、斎宮の真似事をしようと試みたものの、
技術の継承に失敗した勢力が存在していました。

持統天皇が、天照大神に神がかりして、何かした記録があるでしょうか。
または、その他の巫女が、一夜妻をつとめて、結果何か得られたのでしょうか。
形式的に真似ても、直接先代の斎王から伝えられなければ、出来ないこともあるのです。

49 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/16(土) 21:23:17
>>41
他の水戸神と瀬織津姫は別格の扱いだった事実を無視して、無茶を書いてますね。
瀬織津姫を祭る神社が500残っていることは、指摘済みです。
他の水戸神も、天照大神の妻と言われたり、広範囲で祭られていた痕跡がありますか?

記紀という、藤原氏が捏造した怪しげな国史の書に登場する、一般的な水戸神は、
神産みの段でイザナギ・イザナミ、二神の間に産まれた男女一対の神とされているので、
天照大神とペアを組むことなどありえません。

藤原不比等と持統天皇が瀬織津姫を消し去った動きを、
この期に及んでもまだ無視しようと試みるのは、故意の情報操作にしか見えません。
皇大神宮が形骸化した現状から、本来の姿に復元させたくないと望む、あなた真意はなにですか?

いずれにしろ、事実を都合よく無視して、
真実を見ようとしない素振りをするあなたとは、議論になりません。
宮内庁の役人によくあるパターンのやり取りになっていると感じます。
時間の無駄と判断します。

50 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/16(土) 21:37:15
ウザいな

51 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/16(土) 22:08:27
>>42
柿本人麻呂が「大君は神にしませば」で始まる歌を読み、
天武13年(684年)10月「伊勢王等を遣して、諸国の堺を定めしむ」とあることからも、
天皇の宗教的権威が高められ、斎宮が制度化され、伊勢神宮の祭祀が重視されていったことが分かります。

武徳に優れるだけでなく、天文・占星の術を得意と天武天皇ですから、
陰陽の考え方でいけば、陽の代表格の太陽神が女神なんて話は、ありえませんよね。

陰陽両性を備え、人の前に姿を見せるときだけ、女性の姿を取るとされていた太陽神を、
常時、女神としてのみ祭る、理屈に合わない宗教改革を断行してしまったのは、

現代風に言えば経世会のような、傀儡を背後で操るキングメーカー型の政治家集団藤原不比等一派と、
神輿に乗せられた持統天皇でしょう。
天武天皇の発想には見えませんね。

52 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/17(日) 04:03:25
>>47
>魚介類が獲れようが獲れまいが、皇統とは直接関係ない。
あなたの言う皇統とはなんですか?
>>37のレスに皇統が入っているんですか?
定義付けもしないで、まったく筋違いの話と言われてもね。

>斎宮が瀬織津姫と心身一体になって、皇祖神に対して行うべき、重要な祭祀が他にある
その重要な祭祀はどの文献にのってるのですか?

>きちんと神がかりして祖霊崇拝の神事を行い、神威を示して、託宣をもたらす
斎王の務めは神がかりや託宣をもたらすものであるというのは思い込みでしょう。
斎王の務めは祭祀に奉仕することで、神がかりして託宣をもたらすことは義務付けされていないと思います。
もし義務付けされていたら、歴代斎王は務めをはたしていないことになりますからね。
斎王の務めは祭祀に奉仕することです。
それは歴代斎王の務めで、形骸化などされていないものです。

53 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/17(日) 04:07:00
>>47
>誰が国民に示すんですか?
政府ですか、天皇ですか?
どこぞの巫女が神がかりして、祖霊崇拝の神事を行い、神威を示して、託宣をもたらしました。
皇祖神の御意向によると天皇制はかくあるべきですとのお告げです、と天皇あるいは政府が国民に示すのですか?
天皇や政府がそんなことしませんよ。

いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
現代では憲法は、特定の宗教を信じ、または信じないことを信教の自由として保障しています。
憲法が、この政教分離の原則を規定しているのは信教の自由を確実なものにするためです。

>国民の前に、皇祖神の御意向を示す時でしょう。
>それが出来ないのに
祭祀が形骸化しているとかしていないとか、そういう問題ではないでしょう。
憲法に政教分離の原則があるからできないのです。

>嘘をついて国民を騙しているとも受け取られかねません。
誰が誰に嘘をついているのですか?

>持統天皇の宗教改革の断行にあった。これは覆い隠しようもない歴史的事実
そのような事実が書いてある文献があるのですか?
何一つ示せていませんね。
覆い隠しようもない歴史的事実などとよく言えたものです。

54 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/17(日) 04:48:11
>>48
>持統天皇が、天照大神に神がかりして、何かした記録があるでしょうか。
以前に、海神の霊気にふれたのだろう、と書きましたがこれは想像です。

>その他の巫女が、一夜妻をつとめて、結果何か得られたのでしょうか。
巫女が海神・太陽神に奉仕した事実を書いたのみで、その結果何が得られたのかはわかりません。

>形式的に真似ても
別に真似てはいませんよ。

>直接先代の斎王から伝えられなければ、出来ないこともあるのです。
何ができないのですか?

55 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/17(日) 05:31:12
長文ウザい

56 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/17(日) 07:18:37
>>49
>水戸神が別格?
なにを根拠に言ってるのですか?
>瀬織津姫は別格の扱いだった事実
別格とかではなく、度会氏や御師による宣伝効果だと思いますね。
伊勢神道を普及させるためです。
内宮荒祭宮の祭神、天照大神荒御魂を瀬織津姫であると言い出したのは、度会氏でしょう。
倭姫命世記も鎌倉時代、伊勢外宮の度会氏が編纂したものとされる。
宣伝の結果、瀬織津姫を祀っている神社が、天照大神荒御魂に祭神変更したり、その逆であったり、
一緒に祀るようになったりした可能性がある。
ところが、度会氏が天照大神荒御魂を瀬織津姫とした根拠が伝えられていない。
誰にもわからない。
そのような状況で、瀬織津姫を重要視する必要があるのかと思うわけです。

>藤原不比等と持統天皇が瀬織津姫を消し去った
言いきってますけど、そのようなこと、どこの文献に書いてあるのですか?

>皇大神宮が形骸化した現状から、本来の姿に復元させたくないと望む、あなた真意はなにですか?
あなたの言う本来の姿の説明が疑問だらけなのですよ。
真実か事実かわからないのに、それが本来の姿ですねと、判断するつもりはありませんよ。

>事実を都合よく無視して、
>真実を見ようとしない素振りをするあなたとは、議論になりません。

脳内妄想を事実と判断し、それを真実と言い切るあなたとは議論にならないですね。

>時間の無駄と判断します。
同感です。

57 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/17(日) 11:42:51
時間の無駄と判断します

58 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/17(日) 12:13:05
両陛下は、毎年、春のお彼岸の前後に、八王子の多摩御陵にある、昭和天皇、香淳皇后の御陵に、
お彼岸のお墓参りということでお参りしているそうだ。

59 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/18(月) 11:27:54
神宮の天照大御神は皇祖神ってことになってる。
朝廷は重要視していたのかなと思いきや、

・天皇の伊勢神宮参拝が明治天皇の参拝以前は一度も行われていなかった。
・朝廷で行われる重要な祭祀があると全国の有力社に神祇官から幣帛が献じられたが
 その順番が宮中神→山城・大和など畿内の神社→伊勢神宮。
 この順番について「古語拾遺」で斎部広成は憤慨している。

実態はそれほどでもなかったとみえる。

60 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/18(月) 17:19:23
>>52-53
持統天皇のことを話題にしているのに、
皇統が、定義しないと分からない言葉と言い張る主張は、暴論として無視します。

>斎王の務めは神がかりや託宣をもたらすものであるというのは思い込みでしょう。

斎宮以外に、天照大神に神がかりして、託宣をもたらす適任者はいません。
そして、祭祀の様式が確立されなかったからこそ、残念ながら斎宮制度を廃止するしかなかったのです。
形骸化して廃れたことは、確定した過去の出来事なので、どのように取り繕うことも出来ません。
あなたは、形骸化していないと強弁なさっているようですが、
史実を見ようとせず、故意に嘘を流布していることになります。

審神者(さにわ)が同席しない場で、普通の巫女が天照大神に偶発的に神がかりして、
万が一、皇位継承問題に触れる発言をして、それが人々の間に広まってしまったら、世の中が混乱します。
したがって、斎宮以外の巫女が、非公式な場で天照大神への神がかりを試みるなど、あってはならないのです。
この重みが理解できず、普通の巫女でもオーケーというスタンスを取るのは、問題がありすぎます。

重大な思い間違い、心得違いに気付くべきでしょう。

海の幸の収穫を喜ぶ神事がある。私が提示している斎宮が行うべき神事に似ている。
そんなレベルの不適切な主張がまかり通るわけがないのです。

道鏡が皇位継承問題に関わったとされる、宇佐八幡宮神託事件は、史実ではないという指摘もありますが、
実際に、さまざまな混乱が、古い時代から生じていたようです。
そのため明治6年に、巫女禁断令が出された歴史もあるようです。

これらの情報を軽視して、常識をわきまえない暴論を振り回してはいけません。
皇大神宮が、日本国憲法の定める国家の象徴天皇の祖先を神として祭るものである以上、
いい加減な発想で愚かなことをすると、国家と国民が混乱します。
厳に慎むべき事柄に不用意に触れて、暴論を強弁していることを悟るべきです。

61 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/18(月) 17:21:12
>>56
>>水戸神が別格?
>なにを根拠に言ってるのですか?
>>瀬織津姫は別格の扱いだった事実
>別格とかではなく、度会氏や御師による宣伝効果だと思いますね。

一連の
文章の流れを正しく理解できるならば、
>他の水戸神と瀬織津姫は別格の扱いだった
という記述から、「水戸神が別格?」という誤読が生じることは考えられません。

日本語が正しく読めず、相手が端的に指摘している事柄が理解できない、
思考障害が認められると判断します。

瀬織津姫は、主要神社の表舞台から抹消される扱いを受けた痕跡があることから、
扱いが別格になっているのは明らかです。
天照大神の荒魂として扱われていることからも、ただの禊神ではないと考えるのが妥当です。

このように、思考の道筋が明白な、単純明快な説明を受けても、適切に理解できないようなので、
失われた斎宮制度の内容を復元するのに必要な高度な推論に、あなたが口を挟むことは不可能と思います。
能力がないのに、無理に背伸をびして、執拗に不適切なコメントを付けて話を混乱させるのは、
迷惑行為です。

残念ながら、あなたには、私が書いたものを正しく読んで理解する能力がありません。
これ以上、非常識な暴論を含むデタラメなコメントを付けて絡まれるのは迷惑なので、
以降、二度と私が書いたものを読まないでください。

62 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/18(月) 17:32:19
>>59
伊勢神宮が神道の頂点に位置づけられたのは、明治になってからですよね。
それまでは、日本神道界の中心ではありませんでした。
しかも、明治維新当時、すんなりと神道界の中心に座ることが出来たわけではないようです。

そのため、歴史学者のなかには、
伊勢神宮は天武天皇の私的な神社、という位置付けでいいのではないか、
なんて認識を示す人もいるほどです。

天武天皇の時代に生まれた斎宮制度は、天皇の肉親が皇祖神に奉仕するという、
国家権力を誇示して維持するためのものだったにもかかわらず、
企画だけで空回りしてしまったように見えます。
皇大神宮と斎宮制度の連携に失敗してしまったことが響いて、後々神道の空洞化・形骸化が進んで、
けっきょく、皇室は仏教徒になってしまいました。
皇祖神を祭る神道の行事も、天孫降臨神話をなぞるものだけになっていってしまったようです。

古墳に祖先を埋葬する風習を持っているのに、なぜ太陽神の天照大神が皇祖神となったのか、
天孫降臨神話だけでは、話の内容がよく見えないと感じる人が、大多数だと思います。

天照大神の前身となった日神、天日矛に仕える生き神として育てられた私は、
その理由を端的に示すことが出来ますが、同じ説明が、伊勢神宮の神職の方々には出来ないように見えます。
じつは神道は、仏教と習合する以前に、幾つかの信仰が習合しているため、
日本書紀を見たり、今日の皇大神宮を観察するだけでは分からない、複雑な構造を持っているのです。
神道を一枚岩に見せようと工夫を凝らしたことが、かえって話が見えづらくなる結果を生んでしまったようです。

63 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/18(月) 19:53:30
天皇の神宮(伊勢神宮)参拝の回数。
明治天皇−3、
大正天皇−5(うち皇太子時代4)
昭和天皇−11(別に皇太子時代に7回)
今上陛下−3(別に皇太子時代に8回)

64 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/18(月) 20:13:18
明治天皇と神道の関係を教えてください


65 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/18(月) 20:21:33
今上陛下、平成13年伊勢神宮参拝の状況。

内宮、外宮とも高床式の簡素な白木の正殿の前まで進まれると、
階の上に祭主の池田厚子さまが、白の装束を身にまとって座っていらっしゃいます。
池田さまは、陛下のすぐ上のお姉様で、ご結婚前の順宮さま。
陛下が拝礼をなさり、北白川道久大宮司が、陛下から頂いたお榊を持って階を登り、祭主に渡される。
祭主は膝行で神前に進まれ、お榊を立てられる。

渡邉允「天皇家の執事 侍従長の十年半」

宮司が祭主かと思ってたら違った。

66 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/18(月) 21:10:27
>>65
伊勢は、祭主が最上位にあることは常識!

67 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/19(火) 09:43:15
皇室神道の形骸化のなかでも、一番衝撃的とも言えるのが、黒住教の出現です。
黒住宗忠の教えは、孝明天皇からも信心され、
没後、天皇の神道の指南役だった、吉田家の手で、宗忠神社を創建して祭られるほどの評価を得ています。

その教義はというと、日拝(日の出を拝む)して、太陽の息吹を体内に取り込むと健康になる、という、
非常に単純明快な、卑弥呼の鬼道の時代から存在する、ありふれた太陽信仰にすぎません。
朝日を拝みながら、太陽の陽気を口から吸い込んで、丹田(太陽神経叢)に蓄えて練る手法は、
西洋医学の視点から見れば、シュルツの自律訓練法の、お腹が温かいという自己暗示の技法と同じであり、
心身医学の見地からも、有効な健康法と言えるものです。

もしも、日神に仕える生き神として幼少時から英才教育された私に向かって、
黒住宗忠が、太陽の拝み方を教授しようと試みたら、釈迦に説法と大笑いでしょう。
だって、高句麗道鏡の太陽信仰の時代から、二千年以上伝承されてきた歴史の重みがあるのです。
その間に、技術体系はどんどん進歩してきたのです。
太陽の拝み方を、30過ぎまでまったく知らなかった普通の神主が、
病に罹って、偶然太陽の正しい拝み方を、自己流で再発見して、病に苦しむ人々を助けたからといって、
二千数百年蓄積してきた技術体系を担う耀姫に、伝授できるような技術や知識を、獲得できる筈がありません。

ところが、皇紀2600年以上太陽を皇祖と拝んできたはずの皇室は、笑い飛ばすどころか逆に高く評価したのです。
このことは、当時の皇室が、正しい太陽の拝み方すら、忘れてしまっていたことを意味します。
神道の形骸化が著しいにもほどがあるというものです。

伊勢神宮の神職の方々に、「太陽を拝むとき、八咫鏡はどう使いますか?」と質問したら、
困惑して、答えが出て来ないと思います。
残念なことですが、「御神体です」という説明で止まってしまうのが現実です。
もちろん、神道のルーツとなった二千年前の道教には、三種の神器を用いた神事がきちんと存在していました。
その流れを汲む私は、鏡を用いて太陽神を拝む作法を、今も正しく伝承しています。
同じことが、現在の伊勢神宮の祭主にも出来ればいいのですが、これ以上は書かないほうがよいですね。

68 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/19(火) 14:48:42
天皇陛下御在位20年記念式典と天皇陛下のおことば
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2867.html

天皇陛下 御即位から二十年
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2682.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(ご結婚)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2635.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(ご即位)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2634.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(戦没者慰霊)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2633.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(被災地お見舞い)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2632.html

映像で見るご結婚50年のお歩み(障害者スポーツ)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2631.html

69 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/19(火) 16:13:32
太陽拝礼(朝日拝)は自彊術として往古より知られていますが、
医学的にも昨今証明されています。
人は朝日を見ると、狂っていた体内時計が修正され、
また、休眠状態から活動モードにスイッチが入ります。
と同時に体内で必須ビタミン、酵素やホルモン類の合成が促進されます。(合成される時間帯は決まっているそうです)
あと、起きがけ目覚めのコップ一杯の水(就寝時の失われた水分補給と内臓(消化器)を活動モードにスイッチオン)。
腹式での深呼吸(鼻から吸って口から吐く)と
適度な軽運動(ストレッチ〜)を加えるとベスト。
ンデ、我が朝の戦前からの伝統、早朝の屋外でのNHKラジオ体操(6:30〜放送)はこれらを全て含み、ある意味、理想的なものです。

更に伊勢神宮、一宮さま、産土神社さまなどの遥拝も加えると・・・神様方のご加護が加わり更に活力が出てくる鴨?
毎日、1ヶ月も続けていると違いが分かります。

70 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/19(火) 16:44:38
めんどくさ。

71 :耀姫(あかるひめ) ◆e8vCy/0/f/3b :2010/01/19(火) 17:03:31
天照大神は、幾つかの信仰が習合する形で、日本書紀編纂時に新設された神です。
ところが、大和の精神を重んじる風潮を作って、一枚岩のように見せかける情報操作によって、
中身が見えないものになってしまいました。

天武天皇は、遁甲(人目を紛らわして身体を隠す術、つまりスパイ技術)の体系を学び、
これを実践する伊賀忍者軍団を創設して、壬申の乱の反乱を起こして、武力で皇位に就いています。
とうぜん、遁甲を駆使した、国家規模の情報操作が行われていると見るべきでしょう。

天皇の称号の開始、日本書紀の編纂、斎宮制度の確立、皇大神宮の創建、などは、天武天皇の発案です。
日本書紀の記述の怪しさや、それと辻褄を合わせるための大規模な神社の建設ラッシュが起こるなど、
情報操作の痕跡は、はっきり見て取れます。
ところが、遁甲の技術の日本への伝来と、その結果起こった事に目を向ける人は少ないようです。
遁甲は陰陽の考え方を持っていて、後世の陰陽道へと引き継がれていくのです。

持統天皇が、女帝を正当化するために、天照大神を女神に摩り替えて、
神道の姿を大きく変えたとする説は、かなり出回っていますが、
その前段階となる宗教改革が、天武天皇によって準備されていたことは、
ほとんど認識されていないように見えます。

丹生氏に伝わる大日女や稚日女など、太陽信仰の対象となる女神は古くから存在していました。
日本書紀に記されている天照大神の別名大日孁貴神へと繋がっていく流れが古くから認められるので、
持統天皇が女帝の正当性を示すために、皇大神宮や日本書紀に手を加えた可能性はありますが、
天照大神を、元型を留めないところまで大きく変更したわけではないようです。

72 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/25(月) 16:34:40
両陛下が外国を訪問するときには、全国の神社で、ご旅行の平安祈願が行われ、
お守りが届けられるそうだ。
外国で、お泊りになっている迎賓館などの居間などで幾つかのお守りが並べられるんだと。

73 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/26(火) 03:44:02
行き先とか日付とかのせいで使いまわしできないから
祝詞書くのがめんどくさいです。

74 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/26(火) 10:33:32
戦後、憲法の政教分離の原則との関係で、宮中祭祀は皇室の私的な行事だという位置づけが
されている。

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