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耽美ってなに?

1 :吾輩は名無しである:2010/04/09(金) 18:48:09
耽美主義として名前を挙げられるのは国外ではワイルド、国内では谷崎、三島、荷風くらいだけど
実際、美を追求しているという点ではプーシキンや安吾、折口に宮沢賢治だって耽美主義だと思えるんだが
前者と後者の間には何かちがいがあるのかな?
そもそも耽美を書くことと耽美派・耽美主義は違うものなの?

2 :吾輩は名無しである:2010/04/09(金) 19:00:39
おちんちん。

3 :2:2010/04/09(金) 19:04:15
>>1
どう考えても、おちんちんだろ。

4 :吾輩は名無しである:2010/04/09(金) 19:07:36
ラウドルップのドリブル

5 :吾輩は名無しである:2010/04/09(金) 19:08:39
耽美主義って、ヨーロッパ19世紀末の美術、象徴詩の周縁に位置づけるべきものでしょ。
北原白秋なんかはその辺を自覚して耽美主義の活動をしていたはず。

ユイスマンスに典型的に見られるようにデカダンス、l'art pour l'art と云った要素が
前面に出ることが多いのも特徴。

6 :2:2010/04/09(金) 19:20:02
「心の美しい人」というのは感性ではなく精神的問題だからな。

7 :吾輩は名無しである:2010/04/09(金) 19:59:11
>>5
でも耽美主義って言った場合ワイルドと谷崎じゃ異なる部分も多いのになんでいっしょくたにするんだろうな。
なんか日本だと一般的に谷崎の前期の作品のせいか耽美=ナオミズムみたいに美に支配されるみたいな固定観念があるような気がする。
>>6
単なる精神的問題だけの話だったら文学って成り立たなくないか
幸福の王子にしろ、銀河鉄道の夜にしろそこに書かれる人間美は文学の重要な要素だと思うんだけど。

8 :2:2010/04/09(金) 20:20:25
その「人間の美」とは具体的にどういう感覚だ?

9 :吾輩は名無しである:2010/04/09(金) 20:42:25
>>8
うーん、自分も完全に自信があるわけじゃないが
感情の純粋さとでも言えば良いんじゃ無いんだろうか。
一番わかりやすいのは愛だと思う。
その愛は特定の誰かに向けられたものでも良いし、不特定多数へのアガペーに近いものであっても良い。
人は誰でもそれを持っているがゆえに、より純粋なものに惹かれるんだと思う。

10 :2:2010/04/09(金) 20:56:26
崇高なる感情、「ヌウメンなるもの」とか言うね。

11 :吾輩は名無しである:2010/04/09(金) 22:54:18
>>1>>7>>9かな。
「美」と云う言葉で無理に包括しようとするから差異が見えなくなる。
しかもそこに「愛」まで持ち込んだら、あとは「善」が残るだけw
「純粋」だの「聖なるもの」だの、何の関係も無い。

>>1は歴史的な位置づけから学び直したほうが好い。
「〜〜主義」と名づけられたものは基本的には歴史内在的でしかない。
あなたが特定の作家同士に共通点を見出そうとするのはいいが
そうした作業とは無関係。。
耽美主義は先ず社会に対して背を向けることから始まる訳で
その点、最後まで社会に自分を開いていた宮澤賢治を耽美主義の名の下に
括ることなど出来ないよ。

12 :吾輩は名無しである:2010/04/10(土) 10:37:50
>>11
言いたいことはなんとなくわかるんですが、
>耽美主義は先ず社会に対して背を向けることから始まる訳で
というくだりが少し気になります。
プロパガンダみたいな体制の提灯持ちの作家ならともかく、
自分の境地を見出そうとした作家のほとんどが社会に対して多かれ少なかれ背を向けていたのではないでしょうか。
それは漱石だってそうだったという話もありますし。

13 :2:2010/04/10(土) 13:13:34
>>11
聖を欠いた観念的な善なんて、体制道徳か処世訓に
着地するだけだろ。

おちんちんは用のない時はしまっとくべきだな。

14 :吾輩は名無しである:2010/04/10(土) 13:57:10
横。

>>13
そこはじぶんなら「知性」を欠いた〜とやりたいな。だから、今のじぶんには
もう実篤が読めないのだという。人間こそ下等じゃないが、…しかし残念ながら
あれはね、どうにも、馬鹿だから(苦笑 故にキツい。やっぱ愚かさは罪だよ。

15 :2:2010/04/10(土) 14:51:31
宗教的な価値観はしばしば知性に目隠しを要求するものだと
誤解されているせいだろうね。

16 :1:2010/04/10(土) 19:20:00
聖なるものの話で思い出したのですが、デュルケーム好きの教授が「聖なるものはその内包性によって
聖なるものとなる」という言説をかなり強く批判しておられたことがありました。
その教授はもとから聖であるものは存在せず、
あくまでも社会がそのように見なすから聖なるものとなるのにすぎないと言っておられました。
私はその言説について納得できる部分もあるのですが、
一方で人間が普遍的に価値を置くものがあるのではないかとも考えました。
これはそのまま美についてもあてはまるんではないかと思います。
そしてその価値と言うのが純粋さなのではないかと思います。

17 :吾輩は名無しである:2010/04/10(土) 20:18:21
ええっと、……難しいことはわたしにゃとんっと判りませんが(笑 だってねえ、
「存在」そのものになんっか価値をさ据えちゃうとさ、その先はもう、例えばの話、
天皇制なんぞとも何も変わらなくなってしまう。
あくまでもその意志に、欲望にこそ価値は宿るのだと考えたいねじぶんなら。

>社会がそのように見なすから〜

かつての、某スレwの続きみたいな話ですがw
んで、まあ、いずれにせよそれが既成の宗教たとえばキリスト教であれば、
あるんじゃないの? 聖人なり奇蹟の認定基準が。叙勲なんかと一緒で。
――逆に云うなら、その程度のことでしかないようにもじぶんは思うんだがな、
他人がどうみるかなんて。

18 :吾輩は名無しである:2010/04/10(土) 20:28:42
――んで、無理矢理にも話題を元に戻すとですねww
何故にタニザキの精神はああも安定してある(様に見える)のか? という。
戻りきってもないケドw あれが、むかしから判らない。
背を向けた者のいじましさが、彼においてはちーっともしっかし見出せない。
不思議だ。てゆうか、それほどまでにもベイビーなのかっ大谷崎は(笑
なんかこわい。

19 :吾輩は名無しである:2010/04/10(土) 20:35:21
って。うーん、背を向けたというか。。。
とりあえずは、彼においては、ベタなかんじの緊張はないよね、
ゲイジュツカたるこの我vsの、セケンサマ的なやつが。他ならぬその作品において。
あまりにも、作品が作品している。

20 :2:2010/04/13(火) 19:13:34
耽美趣味ってのは、ようするにスノビズムだろ。

>>16
俗世間が聖なるものに関心を抱いた試しはねえよ。

21 :吾輩は名無しである:2010/04/13(火) 19:35:49
秘仏の御開帳




22 :吾輩は名無しである:2010/04/13(火) 19:52:00
スノビズムが俗世間。

23 :2:2010/04/13(火) 20:03:50
俗物主義って訳するからね。

観音様信仰らしいがね。

24 :吾輩は名無しである:2010/04/24(土) 14:48:41
>>20
規制されてたので遅くなってスイマセン。
スノビズムは利口ぶった俗物根性ということでしょうか。
耽美がスノビズムということがまず理解できません。
例えばワイルドの幸福な王子、若い王等の童話集をみるとやはり
そこには宗教的な聖なる物の域にまで達した
美しい想いというものを描きだそうという姿勢が見てとれるように思えます。
ワイルド以外でも、例えば折口の死者の書にもその姿勢が現れているのではないでしょうか
また俗世間が聖なるものに関心を払わないという点ですが、聖なるものを持たなければ、
そもそも社会は成り立たないんじゃないでしょうか。
聖なるものはその社会におけるモラルのいわば源泉であり、それが無ければ社会としてまとまることは無いでしょうから。

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