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【人斬り】 松原正 其ノ五 【伊蔵】

1 :ななーし:2006/02/13(月) 07:53:33
ささ、好きにやつとくれ。


2 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 08:35:23
2

3 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 10:32:45
3

4 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 10:52:11
http://www.media-k.co.jp/jiten/wiki.cgi?%A1%E3%A4%CE%A1%E4#i14
ノズラー【のずらあ】[名](文学板)

旧字旧仮名遣いを駆使して他人を罵倒することに生き甲斐を感じる人たちの意。
彼らの多くは松原正という知識人を信奉しており、松原正と対立する西部邁や
西尾幹二などの保守知識人を叩くのが得意。
あまりに尊大な言動のために文学板の住人達に激しく嫌われている。
かつてYahoo!掲示板にて大暴れしていた旧字旧仮名遣い派のハンドルネームが
この名称の由来である。

5 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 11:15:33
★ノズラーとは?★
評論家の福田恆存や松原正の著作を愛読し、ネット上の掲示板などで旧かな旧漢字
(彼らは正字正仮名と呼ぶ)を使いまくり、自分のことを「反時代的教養人」だと信じて
疑わない人たちの呼称。

★ノズラーの性質★
「正字正仮名」がいかに正統な仮名遣いであるかをネット上の掲示板などで布教する
が、語り口が傲慢なので皮肉にもかえって「正字正仮名」に嫌悪感を示す人を増やす
という事態に陥っている。
また、「正字正仮名」こそが現代の日本に残された数少ない(唯一?)伝統であり、こ
れを守ることこそが真の保守であると盲信しているので、保守を名乗りながら「正字正
仮名」を使わない西部邁や西尾幹二やその信奉者を罵倒することを生き甲斐にしてい
る。

6 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/13(月) 14:20:51
>あまりに尊大な言動のため

教員にはそういうのが多い。

7 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 18:21:20
http://ja.wikipedia.org/wiki/WP:HD
「松原正」はなぜ削除されたのでしょうか。

2005年の8月ぐらいまでは「松原正」という項目が存在していたのですが いつからか忽然と
消えてしまいました。不適切な内容が削除されることはあると思うのですが 項目そのものが
無くなってしまったのはどうしてでしょうか?また,新しく「松原正」の項目立てを行うことは禁
じられているのでしょうか?
ノートも見れないため,その辺の経緯が確認できません。 どなたか,教えていただければ幸
いです。


現在、ウィキペディアでは2004年6月以降のすべての削除が記録されていますが、データ
ベース上には松原正という項目が削除された記録はありませんので、ハードディスク障害な
どで消失したのでなければ一度も作成されていません。漢字などはお間違えではないでしょ
うか(参考: 松原で始まる項目)。また、何か問題があって削除されたものではありませんので、
この項目を作成されることに問題はありません。--Brevam 2005年12月9日 (金) 18:10 (UTC)

8 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 18:25:06
http://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?ID=164869&GENRE=tv
國語問題協議會 第七十五囘 講演會を見た。
小堀桂一郎氏はともかく、松原正氏の最後の数分に喋った「拉致された人々」に関して、
「そんなものはどうでもよい」,意味の発言をした。終わり数分の事で思わず「えっ?」という
感じできいたが,聞き間違いかもしれないが,「わずか1000人くらいだろう」とも言った。
 この人を、福田恆存の亜流(エピゴーネン)だと西尾幹二氏は言ったが,それでも著作
などには目を通していた。この講演でも,著作でも読後印象に残るのは、「俺は論争で小
林秀雄,福田恆存でさえ黙らせた、誰も勝てない,無敗である」と言う自慢?である。
その割には「月曜評論」で、大阪弁,けつねうろん氏との論争途中で席を蹴って降りてし
まう。降りた理由は「阿呆とは論争できない」というような事であったと記憶する。おまけに
自身の連載中の記事も休筆してしまうのである。読んでいて唯我独尊的な態度に、「徳」
は微塵も感じられなかった。
主張の一部 真性の保守は「歴史的仮名遣い」を徒疎かにしてはならぬ、それをせぬの
は保守にあらずといって,3タイプに分けて論じていたが,それはわかるが、それを含めて
これをよりどころ(アイデンティ)とするのは、他ならぬ私たち日本人なのだ。
その日本人の住む日本の主権を平気で踏みにじっている行為が「拉致」である。その事
がたいした事ではないと、言ってはばからぬのを見て、これでは「歴史的仮名遣い」残って
人不在になってしまう。
このような学者馬鹿でも(どんな人でも),支持者は1000人は付くと、かって山本夏彦は
言ったがどうも本当のようだ。

9 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 19:54:36
【旧仮名】ノズラー日に吠ゆ【怪電波】
http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1068981681/
259 :吾輩は名無しである :04/01/05 19:51
★野面(ノヅラ)とは?★

ノズラーに粘着する「竹下義朗・田中幸一(アレクセイ・ホランド)・波江究一・「義」
(八街その他の變名)一味とその取り巻き」の事。西尾幹二、西部邁、けつねうろん
(加地伸行)の読者も含まれている模様。日刊ゲンダイ匿名書評家〈狐〉 も野面臭い。

★野面の特徴★

福田恆存を嘲笑する者は皆無。野面には三種類あり。野嵜だけを嘲笑する者、その「取り
巻き」も嘲笑する者、松原正も嘲笑するもの。正字正仮名派も含まれているかは確認でき
ていない。

★固定ハンドル野面★
○ノズラー観察同好会広報部・・・悪ぶる生真面目男。
○創作ノオト ◆tXJlWVkLzY(総合学としての文学)・・・冗長で無内容な
文章を書きまくる早稲田大学出身者(嘘臭い)。

10 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 19:59:53
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kokugoky/bunka-sakura2.htm
福田恆存先生歿後十年記念講演


昨年十一月二十日に開催された本會の、第七十五囘創立四十五周年・福田恆存先生歿後十年記念講演會における二氏の御講演

小堀 桂一郎「福田恆存と國語問題」

松原 正「福田恆存の思ひ出」

「日本文化チャンネル桜」による放映日時が決定しましたのでお報せします。

御講演は二時間特番として、七月二日の深夜に放送されます。正確には、日が更つた三日(日)の、
午前零時〜午前二時です。
また、再放送は同三日午前十時〜十二時に豫定されてゐます。

11 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:03:00
163. 某月某日 岡田俊之輔 [URL]  2005/12/22 (木) 23:56

と書く迄もない、昨夜、新宿の酒場で坪内祐三氏と遭遇。早大英文科大學院・松原正ゼミの
先輩に當る人だが、抑も吾々ゼミ生は師匠に似て一匹狼が多いせゐか、學年の枠を越えた
交流は餘り無く、これまでに言葉を交はしたのは、下記のとほり、たつたの三囘だけであつた。

1.松原教授定年退職時の最終講義後の懇親會場にて
2.早大英文學會主催・坪内講演會閉會後の懇親會場にて
3.生誕九十年・福田恆存記念會の會場、三百人劇場のロビーにて

 この3.のシンポジウム壇上で、氏は「若者の歴史的假名遣使用はコス・プレ」といふ例の
發言を行ひ、後に師匠から手嚴しく窘められた(『月曜評論』平成 15年7月號)。そこで昨日、
「先生の批判は讀みましたか」と尋ねたところ、「文脈を考慮せずに批判してゐるのを見て、
何だか寂しかつた」との感想。やはり釋然としないものがあつたらしい。が、更に續けて、「さう
いふ事をわざわざ僕に尋ねる君は子供だ」と、えらく立腹し、今度は私に鉾先を向けて來た。
師匠の腰巾着とでも思はれたのだらうか。
 實は3.のロビーで立話をした際にも、「今日は君のお仲間は來てゐないの?」と言はれた
事がある。鈍感な私とは異なり、その「お仲間」の一人は氏の科白に嫌味を感じ取つてゐたが、
今にして思ふと、或は「舊字舊假名のコス・プレ仲間」といふ含意があつたのかも知れない。

 さほど親しい間柄でもなく、別段義理立てする必要も無いのに、例へば「坪内祐三は實は
全然面白くない」といふやうなスレッドの立つ某匿名掲示板に於て辯護的な書込を行つた事も
二三度あるし、一應後輩として親しみの如きものは感じて來たから、これまで批判めいた物言
ひを附けた事は只の一度も無かつた。だがこの度、「子供」に對して「子供」同然の應じ方をし
ておきながら、自分では「大人」の積りでゐるらしいこの文壇の若年寄に、敢へて苦言を呈する。

12 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:04:09
164. Re: 某月某日 岡田俊之輔 [URL]  2005/12/22 (木) 23:57

 嘗て私は早大文學部の圖書館で、氏の修士論文「ジョージ・スタイナー論」を閲覽した。
内容はすつかり忘れてしまつたが、青の萬年筆による手書きの論文が歴史的假名遣で綴
られてゐた事だけは今でもはつきりと憶えてゐる。その氏が、今や現代假名遣ひで物を書
き捲り、あらう事か、若手の正假名使用を「コス・プレ」呼ばはりする。すはなち、大した信念
も問題意識も無いくせに、只々己れを高みに置かんがための傲慢なる衣裳着用に他なら
ぬと斷ずるのである。
 この種の裁斷自體は幾らやつても構はない。けれども、自分まで正假名表記を止める必
要が何處にある。「コス・プレ仲間」と看做されては堪らないと思ふからか。一種の祕書役と
して福田恆存に接し、その著『私の國語教室』に感銘を受け、正しい表記法だと信じて使つ
てゐたのなら、他人がどうであれ、その信念を貫けばよいだけの話ではないか。

……と書いてはみたものの、元々氏に確乎たる信念などは無かつたのかも知れず、學生時
代に正假名を用ゐたのも、福田の弟子である指導教授の歡心を買ひ、ひたすら御主人樣を
喜ばせるための單なる「コス・プレ」であつた――とまで言つたら、聊か下司の勘繰りが過ぎ
ようか。但し、今やすつかり「正假名熱」といふ憑物が落ちたのは事實らしいから、いづれに
せよ、一過性の「コス・プレ」でしかなかつた事に變りはあるまい。

 つべこべ言はずに、いつその事、「大學教授と違つて筆一本で食つてゆかねばならぬ物
書きゆゑ、舊假名で書いてゐたら賣れなくなつて困る」とでも正直に(?)言へばまだしも救ひ
があるものを、あれこれと御託を竝べるから襤褸が出る。「大人」としての妥協を續けてゐるう
ちに、いつしか初心を忘れ、文壇遊泳術のみに長けた器用貧乏な雜文製造業者に成り下
がるのである。因みに私がスタイナーの小説を論じた際
http://homepage3.nifty.com/okadash/getsuyo/ah.html)、スタイナー批判論攷の存在を知
つたのは氏の著書からであつたが、さういふ情報源としては重寶するものの、正直、昨今の
氏に批評的な深みを感ずる事は殆ど無い。

13 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:05:08
165. Re^2: 某月某日 岡田俊之輔 [URL]  2005/12/22 (木) 23:58

 話を昨日の酒場に戻す。座敷の上座に引戻つた氏は、居竝ぶ取卷を前にして、「早稻田
の英文科は糞だ」と喚いてゐた。先の2.の講演内容に絡んだ一悶着を今なほ根に持つて
ゐるらしい。思ひ出したから序でに記しておくけれど、その時の懇親會では師匠の事をも「子
供だからなあ」と評してゐた。一體、何をそんなに「大人」ぶりたいのだらう。馬鹿馬鹿しくなつ
た私は、「坪内さん、私は『子供』『糞』で結構ですよ」と、それこそ「子供」じみた科白を殘し、
店を出たのであつた。

#それにしても、「お仲間」に向つて、「岡田俊之輔は…」云々と言つたところで、「誰それ?」
状態だつたのでは?(苦笑)

14 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:19:18
http://nishio.main.jp/kako/kako10.htm
 批評の条件 (一)   
/H15年10月04日11時36分 (移転時日付)

                           投稿者 西尾幹二  2003/10月4日 11時36分
(前略)
 晩年の福田先生は孤独だった。というより、自らを追いこんでいろいろな意味で孤立化して
いた。ご病気も近づいていた。「自我の芯」で戦うのは間違いであることをふと私にお洩らしに
なってから数年は経っていた。先生のユーモアは内心の苦澁とのバランスを保つ自己維持の
働きだった。私は遠ざかっていた。というより福田先生は、ある期間、松原正以外の誰もそばに
近づけなかった。しかしそれも何かがあって、長くはつづかなかった。先生は孤独の影を濃くした。
(中略)
 松原正は自分が唯一の弟子だと錯覚したのかもしれない。しかし彼は福田先生の文章の
癖の強い悪い面だけを猿真似したエピゴーネンにすぎない。
(中略)
 文章書きはどんな人にも闇がある。行動の逸脱もある。三島由紀夫にも江藤淳にもそれはあ
った。その人と付き合いたくなくなるような厭な側面、人間としての危うい側面がある。福田恆存氏
にもそれはあった。晩年それがことさらに露呈した。運命を共にした劇団の事務局長が福田恆存
に関する誹謗文書を残している。福田論を書くならこのようなネガティブな側面をどう評価するかは、
避けて通ることはできない。福田家のご遺族もたぶん読みたくない部分である。
(中略)
 松原正は福田恆存の人生の最後に姿を現した「恥部」の一つであった。エピゴーネンに醜悪は
もっとも具体的かつ絵画的に、本人の代役となって立ち現れるものである。
(中略)
 福田論を書くときには松原正の存在を欠かすことはできない。勿論「恥部」として彼が福田氏に
おいて果していた生理機能上の役割とその陰画としての存在をである。
(中略)
 発端は森英樹氏が松原正に引きこまれたことだった。言葉の過激さだけの刺戟が欲しかったか
らだと彼は語っている。松原正は不安な知識人の一部にとって「辺界の悪所」の代役なのであろうか。
そうと考えてはじめてあの名に騒ぐ人の存在する理由がやっと納得いくのである。

15 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:20:18
http://amakara.tea-nifty.com/amakara/2005/07/post_c47a.html
松原正は福田恆存の恥部か

 http://nishio.main.jp/kako/kako10.htm

 西尾幹二が松原正について、松原氏は福田恆存の「恥部」であると発言し、一部の松原
ファンは憤激したようである。しかし私は「恥部」かどうかはともかくとして、松原氏が福田恆存
が持っていた一部分を拡大して持っていることだけは事実だと思う。その意味で的確な表現
ではないか。ネット上の松原ファンは見苦しい。それは松原氏がもっているアクをさらに煮詰
めてしまったためだ思う。元は福田恆存が持っていたアクを煮詰めていくとああなってしまう
のか。他山の石としたいと思う。

16 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:22:23
はじめまして。
三輪の何某様の記事を読ませてもらいました。
私は天皇陛下に対する関連の下のアドレスの人の話でそれを一番心配しております。
http://noz.hp.infoseek.co.jp/culture/Shinto.html
Posted by 真面目に変わっている人 at 2005年11月03日 18:18

真面目に変わっている人さん
そいつはノズラーっていって、ただの「バカ」だよ
松原の信者・・・放置が一番

んで・・・ネタ投下
国際儀礼について
ホワイトタイと白いネクタイ
ホワイトタイと白いネクタイは全然違う
ちなみにホワイトタイとは正式礼装(燕尾服)の事。
ついでにブラックタイがタキシード。

アメリカ大統領がゲストを迎える時の序列は以下の通り。
1、空港にてホワイトタイで出迎える
2、空港にてスーツ姿で出迎える
3、ホワイトハウスの玄関で出迎える
4、ホワイトハウスの執務室で出迎える

1が適用されるのは世界で3人。ローマ法王・英国君主・天皇陛下
2が適用されるのは大国の元首級 日本国首相は元首ではないが2が適用されることが多い。
3は小国の元首級 4は外務大臣クラス
ちなみに韓国大統領の扱いはってえと・・・4です(笑)
Posted by てっく at 2005年11月04日 08:05
http://tech.ciao.jp/blog2/

17 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:29:23
http://www2.ocn.ne.jp/~megami-k/private_0310.htm
三島由紀夫について
三島の作品三島の「憂國」が道徳的におぞましい作品であるのは、「英靈の聲」が道徳的に
おぞましい作品であるのは、「ポルノ作品として書かれたからではなく、登場人物が自己の
「美學」に陶醉した作者の傀儡と化してゐるからである。作中人物と、作者自身との間に懸隔
のない作品は、自己陶酔の産物にほかならない。「英靈の聲」が道徳的におぞましい作品で
あるのは、「己の理想とする昭和天皇」をしか、三島は認めてゐないからである。三島は「英靈
の聲」で、現實の昭和天皇を否定し、キャラクタの「昭和天皇」を自分の信ずるイデオロギーの
傀儡としてしまつてゐる。殘念ながら、多くの研究者は、三島の政治主義ゆゑの勘違ひを理解
しない。三島を右翼であるがゆゑに支持する右翼は「現實の昭和天皇を三島は許せなかつた」
と云ふ事を納得しないし、左翼は異るイデオロギーを信奉する三島を最初から理解しようとし
ない。松原氏は、このままでは三島の自害は犬死にになつてしまふ、それでは餘りに(三島が)か
はいさうである、と述べてゐる。三島の切腹 ……八戸グランド・ホテルで(陸上自衞隊第三十八普
通科聯隊)聯隊長の青山昌嗣一佐と懇談したが、聯隊長が唐突に三島由紀夫をどう思ふかと尋
ねた。頭のよい作家だが好きになれないし、作品にも樣々の缺陷があると私は答へた。「いや、
さうぢやない、作品の事ぢやない、三島事件の事です」と青山氏が言つた。「ああ、あれは成算あ
つてやつた事でせう」と私が答へると、聯隊長は微笑を浮べてかう言つた、「すると、眞相をご存じ
なんですね」。

18 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:30:08
三島は作品で餘りにも屡々死を仄譯ではあるまい、と松原氏は推測する。三島の
自殺が衝動的なものであつた事をめかしてゐる、だが、本氣で自殺するやうな人間が死を仄めか
す筈がない、だから、自害の當日にしても、いささかの成算も無くして東部方面総監部へ乘込んだ、
本書で松原氏は資料を驅使して證明してゐる。文學的な評價と云ふ事一應右の目高に屬する松
原氏は、同じ政治主義の過ちを犯した文學者ではあるが、三島よりも中野重治の方が餘程立派で
あると論ずる。中野もまた政治主義ゆゑの勘違ひをやらかした文學者だが、三島よりも眞摯であつ
た。 http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/MATSUBARA/BungakutoSeijishugi.html (終了)松原
正氏にして、三島由紀夫に関しては、この程度の理解なのか、とて、私は、呆然としてしまつた。

19 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:33:06
http://plaza.rakuten.co.jp/raboku/diary/200509240001/
松原正の「迎合」と「妥協」 「★つ・ぶ・や・き★(65534)」

 私は高校時代(60年代)から福田恒存を愛読しています。彼は日曜日の朝10時から30 分の
テレビ番組を持っていました。1970年代後半、その番組が終了するにあたって、ゲストを呼び
ました。それが松原正でした。最後の4回、彼を相手に持論を述べていました。人間とは何か?
 これから出発した論でなければならないと強調していました。
 1979年、韓国で朴大統領が警護室長に射殺され、次の大統領として全斗煥が出てきました。こ
の全大統領に入れ込んだのが松原正でした。どうも日本人の傾向として半島や大陸の問題と
なると極端で、猛烈に反発するか、際限なくのめり込むか、松原の場合は後者でした。
 彼の誠意は全大統領の身内の不正(弟や妻の親戚)によって実りませんでした。
 風雪教授さんが高校生の頃(80年代半ば)、お友達と一緒にこの松原教授の講演を聴きにいった
そうです。講演が終わって、松原教授から声をかけてもらったそうです。
「君達、高校生かい、『迎合』はいかんよ、『妥協』は良いけどね」と含蓄のある言葉でした。
 最近、風雪教授さんのページでこの松原正の発言を知りました。そこで、永年の疑問が解けた
のです。
 その疑問とは「何故、松原教授の誠意が世間に伝わらないのか?」ということです。
 この含蓄のある言葉に松原正の「ずるさ」が隠されているのです。日本人インテリの「悪知恵」と
いっていいと思います。
 「迎合」も「妥協」も心の中にイタミを伴う行為です。片方を善とし、片方を悪とすれば、自分の心
の痛みを和らげる、脳内麻薬を自らの理屈で作ることが出来ます。
 その判断は自分のエゴであって、自分のご都合で、言い訳が出来るわけです。
 他者の目は厳しいです。「あいつは言っていることやっていることが違う」となります。
(後略)

20 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:34:53
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/siso_kokyogenri.htm
大なる「真正保守」、松原正氏の卓見

福田恆存氏の弟子として、『月曜評論』を引き継いだ「真正保守」を自称する論客=松原正・
早稲田大学名誉教授。概要つぎのように言われる。「われわれが日本を愛するのは、それが
母親のようなものであるからだ。ただ、自分の母親を尊敬するのに、他人の母親を貶める必
要はない」。松原先生は、パトリオティズムとショービニズムという、2種類の「愛国心」を説明
されている。前者は、自分の育った故郷や知己への自然な愛着であり、後者のように比較対
照にもとづくものではない。難しいことを、このように平明に説明できるのが、優れた教育者の
手腕というものである。比較にもとづく「愛国心」は、劣等感や社会的怨恨にもとづくものであ
る。ニーチェやマックス・シェーラーのいう「ルサンチマン」に由来するものである。ジドクター・
ジョンソンは、「愛国心は悪党の最後の隠れ蓑」と述べた。
 「愛国心」を僭称するゴロツキ共は、社会的に弱い立場にある人々をいじめることによって、
自分のみじめな内面生活を慰めている哀れな連中である。どこの国でも「愛国心」を声高に
語る者にロクな人間はいない。日本にも、「秘すれば華」という名言がある。
 右翼とギャングスターがしばしば重複するのは、世界中共通である。どんな悪党でも、生涯
自分を軽蔑して生きることはできない。「愛国者」になることは、もっとも安手の慰安なのである。
なにしろ、何も努力もせずに、ただ自称すればそれですむのだから…「つくる会」教科書が公
教育の場に持ち込まれるのは、ゴロツキ共を野放しにするのに等しい。

21 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:39:58
http://www.bookreview.ne.jp/book.asp?isbn=4167258064
『私の國語教室』 著:福田恆存 16cm / 619圓 / 文藝春秋

日刊ゲンダイに掲載された書評です
「現代かなづかひ」の告示は1946(昭和二十一)年11月16日のこと。戰後の混亂期である。
日本國憲法の公布は同月3日、つまりその13日前のことだから、憲法本文はからうじて「歴史
的かなづかひ」となつたが、一般的には相前後して新かなづかひがずんずん廣まつた。
 この「國語改革」の是非をめぐつて、いまなほ議論は終息していない。眞つ向から反對する
ヘビー級の著作として福田恆存「私の國語教室」(1960年)がある。當時は讀賣文學賞などを
受賞したし、のちに新潮文庫、そして中公文庫にもなつたが、いつしか品切れに。それが文春
文庫になつて復活した。
 まづ「現代かなづかひ」の不合理を訴へて、この本で福田恆存が見せた手つきほど説得的な
ものはない。日本語は論理に適さないなどと、だれが言つたのか。「じ」と「ぢ」および「ず」「づ」
の使ひ分けの矛盾といつた具體例から始め、さながら詰め將棋のやうな展開で「現代かなづか
ひ」の不備、混亂を明らかにしていく。また一方、「歴史的かなづかひ」の原理や習得法につき、
「『現代かなづかひ』しか讀み書き出來ぬ若い人たち」のため、懇切なレクチャーをほどこす。こ
れが感動的なまでに明晰な記述で、一讀すれば、表記の法則性として「歴史的かなづかひ」の
はうがずつと合理的なことがよく分かる。
 たしかに名著。最近はインターネット上で、この本を「聖典」として「歴史的かなづかひ」を實踐
するサイトなどもいくつか出現しているやうだ。ただ、それらがあまりおもしろくないのは、文章が
「歴史的かなづかひ」にもたれかかつてゐるのである。「歴史的かなづかひ」をはずすと、文章が
倒れる。
 殘念ながらかなづかひは服を着替へるやうには替へられない。詩人の入澤康夫は「歸りたくても
歸れない」と言つた。作家の杉森久英は「覆水盆に返らず」と言つた。〈狐〉

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